ミッション7
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平凡な日というものは望まずともあったりする。
非凡な日というものも望まずとも訪れたりする。
どちらもとてもやっかいな事に、失ってからその日の大切さに気がついたりする。
3人でカレーを食べていた17時間前には到底想定しえないことが起こることもある。
それが人生だなんて、意外と世の中にありふれた出来事であるならまだ私はここまで狼狽えてはなかったと思う。
例えばお父さんが死んじゃったこと、長年会うことの無かった人達が変な職種についていたこと、幼馴染が同じ学校に転校してきて日常を掻き乱すこと……どれも非凡かもしれないけど、身近にあってもありえない話ではないだろう。
でも、今の私に訪れた非日常的な出来事はフィクションだと公言する話とか、外国で起きた現実とは程遠い事件とか、そこら辺にありふれた出来事ではないはずだ。
少なくとも私の中の常識では。
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いつものように学校に行って、いつものように授業を受ける。
開け放した窓からは生ぬるい風が吹き込み、窓際に座る人の髪の毛を揺らしている。
髪型が崩れるのを気にした女子は定期的に揺らめく自分の黒髪に手櫛を通す。
人の行動を見て、つい自分も同じように髪の毛に手をやり、「もうお昼かぁ」なんて考えていたそんな時に事件は起こった。
『あー、あー』
突然流れた校内放送。だが、それはマイクのテストをするかのようだった。
「いきなりなんだ?」
先生はイライラしつつそう言って、黒板に書き殴っていた手を止めた。
いきなりなんだと思うのは確かだ。なんの合図も無しに声が流れるなんてことはこの学校の放送の仕方としてありえない。放送事故以外の何物でもないと考えるのが普通だ。
「なんだろうね」なんて、隣りの席のおーちゃんが私に話しかけてきたその瞬間、教室のドアが激しく開け放たれ「動くな!」と罵声が教室に響き渡った。
私は驚き目を見開いてその声の人物を凝視した。
全身は深緑一色の服で真っ黒のブーツにズボンのすそは入れられており、顔はわからないように黒いマスクをかぶっていた。
どこからどう見ても映画の中から出てきたかのような危ない類いの人物だ。
その手には本物なのかどうかわからないが拳銃が握られている。
いきなりの出来事に皆は慄き、先生も声の出てこない口をただ小刻みに震わせていた。私も、背筋はぞっと寒い筈なのに、息はどんどん荒く体は緊張から熱くなってくる。
すると、またスピーカーからは先ほどの声が発せられる。
『あー。現在この学校は包囲されている。大人しく全員教室の隅に移動し、教室には鍵をかけて待機せよ。もし、脱走しようなどという者があらば殺す。以上だ』
放送が終わると拳銃を持った男はそれに付け加えるように私たちに指示を飛ばした。
「っつーことだ……大人しく全員窓辺に寄れ。そしてここにある目隠しでお互いに手首をくくり目を塞げ。最後に残った奴は俺が結ぶ。おら!早くしろ!」
そう言って拳銃を突きつけられた先生は声を震わせながら「指示に従おう……」と私達に訴えた。もちろん、皆それに反するつもりはない。
大人しく窓辺により、お互いに目隠しをしていく。
40人のクラスなので目隠しをした人が20人、そして10人、そして5人とどんどん皆の視界の自由は奪われていった。
私は震える手でおーちゃんに目隠しをし、最後は私と湊が残り、湊が私にゆっくりと暗幕をかける。
「よし、最後に残ったのはてめぇだな。オラ、後ろを向け」
湊にそう声をかけた男がゆっくりと湊の後ろに近づく音がしたすぐ後に、机に体がぶつかったような音も聞こえた。
目が見えないことが不安で、今の現状も理解できていない私は皆と同様に小さく震えることしかできない。
その時、「ぐおっぁっ」と男の苦しそうな声が聞こえ、また、机と椅子が倒れる音がすると同時に重たい何かが床に落ちる音も聞こえた。
一体何があったんだ……?
私は必死に首を左右に振って、ゆるく結ばれていた目隠しをほどいた。
すると、目の前には拳銃を拾い上げ、床で伸びている男を見下ろす湊の姿があった。
「み……なと?」
私が声をかければ、湊はニヤリと笑い、私に近づき、私の手首のヒモをほどいた。
皆も想定外の音と声に、怯えはそわそわとした疑問に変わっていた。
そして湊は先生の目隠しと手のヒモをほどき、驚き目を見開く先生にこう告げた。
「先生、この男と先生の服を交換して、先生がこの部屋の見張り役をしててください。俺と桜はちょっと行かなきゃならねぇとこがあるんで。俺らが出て行ったあと鍵をしめてここに立っといてくださいね。まかせましたよ。アンタにこの教室の生徒の命がかかってるんで」
放心状態の先生だったが、湊の最後の言葉にピクリと眉をひくつかせた。
私が先生だったら、絶対そんなの無理だ。この言葉がどれだけプレッシャーかなんて考えずとも分かる。そして私はもう一度湊の言葉を思い返し、「え?」と疑問の声をあげた。
「ちょ……私も行くってどういうこと……?」
「おい、声を出すな。隣りの教室に聞こえるだろーが。皆も、わかったな。大人しくしてろよ」
湊はそう言って私の手を引き、教室のドアの外を覗き込んだ。
「ちょ、ま、待たないか君たち!!危ないだろう!ここに居なさい!」
小さな声で先生は手を伸ばし、必死に私達を止めようとする。
「先生、大丈夫だから。ここから先は俺らしかできねぇ仕事なんでね。あなたはあなたしかできない仕事をしてください」
湊の声は妙な安心感があった。
先程まで嗚咽が聞こえていた教室だが、この声の言う通りにしていれば大丈夫な気がする。そう思わせられる話し方だ。
湊は教室のドアから廊下の様子を窺い、今だ!とでもいうように私の手を引いて教室を飛び出した。他の教室のドア窓から見つからないように、体勢を低くしてコソコソと音も立てないように進む。
そうしていると、私達がいた教室のドアの鍵がカチャリと閉まる音がした。
湊もそれに気づいたのか、満足そうな顔をしてまた強く私の手をひっぱった。
階段を降り、渡り廊下を走り、湊に手を引かれるがままに人の居なさそうな化学室へともぐりこんだ。
更にその奥にある化学準備室の扉に手をかけ、どこで手に入れたのか分からない鍵を取り出し頑丈に閉ざされていたその扉を開けた。
そしてもう一度鍵をかけ直し、更に内側からも防御壁を作れば完璧なるアジトの完成となった。
そこまでの湊の行動をただ茫然と見つめる私に気づいたのか、鍵を手の中で弄びながらこっちに来いと言って薬瓶の並ぶ棚の前の椅子を手前に引いた。
私が大人しくその隣りに座れば、湊はポケットからスマートフォンを取り出し、何度か画面をタップしたあと、準備室にあったノートパソコンにそれを繋げた。
いったい何をしているんだと、私もそのパソコンの画面を覗き込めば動画が映し出されていた。
だが、その動画はどこか見たことのある風景だった。
「湊……これ、廊下?」
そう湊に質問すれば、その液晶に映る廊下を教室に来たあの男同様の格好をした奴が通り過ぎて行った。
「あぁ、隠しカメラだ。学校中に100以上仕掛けてある。これを見ながら作戦を立てるぜ」
こんな事態は慣れたことなのか、特に彼からは焦りも戸惑いも感じない。
「ねぇ、いつの間にそんな隠しカメラとか、この部屋の鍵とか準備してたの?」
「何のために山崎まで潜入捜査に加わってきたと思ってんだよ。潜入するからには、潜入先にも安全地帯っつーのが必要になるわけ。特に今回みたいな潜伏戦だとな」
湊は画面と向き合ったまま私にそう説明した。
私はこれ以上何で何でと聞くのもどうかと思い、とりあえず今の成り行きのままに任せることに決めた。
「んで、私達はどうするの?」
「決まってんだろ、この事件の親玉倒しに行くぜ」
「なんで私までそんな……」
「おいおい忘れてるかもしんねーけど、桜も一応こっち側の人間なんで。こういうとこ協力してくれねぇと」
「うぅ……」
そういえばそうだったと、私は言い返せなかった。
でも正直、私に何ができるんだという話だ。
湊達と違って私は今まで普通の女の子として暮らしてきた。特別な運動神経も頭脳も持ち合わせていない。
さっき教室に物騒な人が入ってきた時だって、「言われた通りに動こう・目立つまい・死にたくない」この三拍子だ。
流れに乗って教室から出てきてしまったが、放送から流れてきた男の言葉を思い出す。
『もし、脱走しようなどという者があらば殺す。』
これ……見つかったら殺されるんじゃ……というか教室に残ってる皆や、先生だって……。
一気に自分の顔が青ざめていくのが分かった。
何だかんだで私は今この学校で一番安全な場所にいる。
皆が今も恐怖で震えてることを思うと罪悪感にもかられてくる。
「湊……私は何をしたらいいの?」
意を決してそう問いかけた。もちろん言われたことをできる自信なんてこれっぽっちもない。でもやるしかないのだ。
「まぁ、流石に俺も桜に戦えなんて言わねーよ。もともと俺らは秘密組織、派手な動きは避けたい。隠密が基本だ。だから桜、ここでモニター見ながら俺に指示を送ってくれ。だいたい山崎の野郎が使えねー奴だから……ったく」
最後にポロリと独り言のように山崎さんの話が出てきた。
そういえば彼はいったいどこで何をしているんだ。
「山崎さん?連絡とってみたの?」
「メールを送ってみて返ってきたが、どうやら文字を打ってるのは山崎じゃねぇらしい」
「どういうこと?」
「自分の居場所を直接的な言葉で相手に送るのはご法度だ。敵にこちらの行動が少しでも漏れるのは危険だからな。だが、返信には堂々と特別棟の屋上とか書いてやがる。しかも怪我をしているから来てほしいとな」
そこまで聞いて湊が何を言わんとしているのかが大体わかった。
「まぁ、この釣りにあえて掛かるのも悪かねェが相手の動きが見えない以上単独行動は避けたい。っつっても近藤さんや土方さんの応援待ってたら俺らが教室抜け出したのがばれちまう」
そう言ってENTERキーを叩いて椅子から立ち上がった湊の顔が急に真剣になった。
これが仕事の時の顔なんだろうか。
「じゃあ、そこにヘッドセットあるから俺からの指示とモニターと見ながら安全ルート指示してくれ。あ、もし桜がしくじったら俺死ぬから。じゃあよろしく~」
私の心を崩壊するようなセリフを残して、先ほど封鎖したドアから彼は出て行った。
軽いノリで言うが、多分冗談じゃなかったと思う。
私はプレッシャーで引きつった顔を両手で叩き、まだ少し震えている手でヘッドセットを装着した。
大丈夫、できる!できる!できる……!
自分で自分を励ましながらゆっくりと息を吸い込んだ。
冷たいコンクリートの床、無機質な器具。
本当に一人だということを改めて感じる。
『桜、今から化学室を出るが、周囲は大丈夫か?』
私はゆっくりと息を吐きだし、モニターの画面を切り替えた。
「うん。誰も居ない。でも職員室前には緑服が2人立ってるから気を付けて」
『らじゃー』
ヘッドホン越しに、重たい扉の開く音が聞こえる。
その臨場感は映画とはまた全然違う。
湊の息遣い、教室を通る時に聞こえた銃声音、悲鳴、高笑い。
湊の感じている世界が、音が、全部私の耳にも入ってくる。
「階段から誰か降りてくる。いったん隠れて」
『どこか隠れる場所は?』
「一階まで降りて掃除BOXに入ってみて。右側空いてると思う」
『らじゃ』
初めて私に与えられたミッション。
それは湊を無事に目的地まで導くこと。