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ミッション6

「桜……」


 優しく名前を呼ばれて戸惑いを覚えていれば、私の背中にまわっていたはずの湊の左腕はいつしか首にまわり、そのまま私の頭を湊の小脇に抱えられる形となった。


 あまりの速さに何が起きたのかわからず反応できないでいると、湊は右手の拳で私の頭をグリグリと痛めつける。


「いっ!痛たたたたたッ!!」


「なーに油断してんだよ。つーかてめー俺を置いてどこに行ってやがった」


 そう言っていっそう強く私の頭を拳でこする。


「ちょ!ギブ!ギブ!!!」


 私はあっけなく白旗を上げて、視界に入る湊の足をバンバンと無我夢中でたたいた。


 本気のヘルプを出す私を見下ろし、ようやく腕を離した湊は再びソファーに腰を下ろしフン、と鼻で笑った。

 ゼェゼェと息を整え顔をあげれば、足を組みほくそ笑むその姿が目に付いた。


「いきなり何すんのよ!」


「教えてやっただけですけど?どーせ久坂にちょっと優しくされてすぐ心許しちまったんだろ?」


 私は図星をつかれて反論できないでいると、湊はまたフンと鼻を鳴らしてこっちにこいと手招きをする。


 私は痛みの残る頭を擦りながら大人しく湊の隣りに腰かけ説教を受ける覚悟を決めた。

 だが、想像していたような怒り・呆れといった表情は読み取れない。

 ただ、彼の瞳の静寂の中で揺れ動く影が事の深刻さを語っている。


「久坂には気を付けろ。あいつはお前が思っているような奴じゃねぇ」


 言葉を発することに躊躇いながらも、そう私に告げる湊は真剣だった。


「それはどういう……」


「今回の俺らのミッション……潜入調査はあいつを調べることにも関係してる」


 ずっと知りたかった……彼らが私に隠してきた内容。

 それが今、このタイミングで述べられるとは思っておらず頭の整理が追い付かない。


「もう、お前を巻き込まずにはいられねェと思う。タイムリミットは刻一刻と迫ってる」


 ほのぼのと平凡に暮らしてきた私にとって、その言葉に危機感というものは感じられなかった。

 一体何を言ってるの?何の話をしてるの?私と何の関係があるの?

 そんな、フィクションの読者のような次元の違うものという感覚でしか受け止めれなかった。


「まだ実感はわかねぇと思うがそれでいい。でも、これはお前も加わったミッション。チームだ、シナリオだっつー考えは俺もお前と同じでどうもいけ好かねぇ。でも、これが俺らの仕事……俺らに課せられたもう逃げられないミッションなんだって事は肝に銘じとけ」


 質問できるような空気じゃなかった。

 ただ、私は夢を見ているような……今に現実味なんて感じられない。


 その時、玄関のドアが開く音がした。

「ただいまー」と生活感に満ちた声が聞こえ、一気に現実に引き戻された。


「あら、湊君いらっしゃい」


 パートから帰ってきたお母さんはニコリと笑い買い物袋を机に置いた。


「おばさんおかえりなさーい。あ、でも俺はもうそろそろ帰るんで」


 そう言って鞄を担ぐ湊にお母さんはまた話しかけた。


「湊君、よかったらご飯食べて行かない?今日はカレーなんだけど。ね、そうしなさいよ!じゃあ今すぐ作るから待っててね!」


 もうお母さんも十分なおばさんらしい。湊の肩をバンバンと勢いよく叩き有無を言わせずさっさと台所に消えてしまった。


「ったく、相変わらず豪快だな」


 湊は叩かれた肩を擦りながらボソリと呟いた。


「ハハハ……そうだね」


 呆れたように笑えば、湊も担いでいた鞄をおろし、あぁそうだと口を開いた。


「なぁ、お前の親父さんの仏壇参りさせてもらっていいか?」


「あ、うん……いいよ」



 私のお父さんは五年前……私が中学生の時に死んでしまった。

 事故死だって、お母さんは言ってた。

 湊のとこも両親が早くに死んじゃって親戚なのか、養子としてもらわれたのか小さかった私にはよくわからないことで詳しくは聞いてないけど、新しい保護者の元で暮らしてるという風に理解してた。

 その新しい親御さんと私のお父さんが仲が良かったらしく、私と湊が小さいころから一緒に遊んでいたのはそこに理由がある。

 湊も、私のお父さんにすごく懐いてた。

 お父さんも湊のことを本当の息子のように可愛がってた。


 そして……そこからトシ君や近藤さんに繋がっていったんだ。



 仏壇の前に座り、二人で手を合わせる。

 そういえばもうすぐ命日か……


 静かに仏壇を見つめる湊はどこか大人びて見えた。

 今こうやって思うと、湊は私の何倍もの人生を歩んできたくらいの経験をしている。

 同じ十八歳の顔つきとは思えない、そんな彼の背景が記憶と共に描写されていく。


「ねぇ……湊は、引っ越してからどこに行ってたの?アメリカに行ってたって本当なの?」


 素直に聞いてみた。知らないことが悔しいという考えは消えていて、ただ単純に彼のことを知りたいと思った。


「……今だから言うけど、両親を亡くした俺をひきとってくれたその人も、今の俺と同じような仕事をしていた人だった。その時から俺は決まってたんだ……その為の訓練も積んできた。お前にはまだわかんねぇかもしれねぇが、スパイ一家ってのはなかなか過酷でね。だが、それも全部今回のミッションで全て終わる。俺は、このために今までやってきた」


 淡々と語る湊だが、その内容はとても濃く私の中に残る。

 それでも、今しか聞けない。そう思ったから私もその過去へもう一歩踏み込んでみることに決めた。


「湊は……今、それでいいの?自分で選んだ道じゃないんでしょ?それなのに、その危険な茨道に引き込まれて……」


「昔は親を恨んだ」


「そうだ……よね」


「でも、今はこれでよかったと思ってる」


 そう言ってこちらを向いた湊の顔があまりにも清々しく、声もさっぱりとしていた。


「なんで?」


「別に、もうこれ以上はいいだろ。喋りすぎて疲れちまった」


 そう言って切り上げると、だるそうに立ち上がり、カレーはまだかとリビングへと戻っていった。


 一人残された私はもう一度仏壇へ向き直り、優しくこちらに微笑む遺影をみつめた。

 湊の過去を聞いたつもりが、結局は自分の過去を見つめてしまうのはどうしてだろうか。


 お父さんはとても頭の良い人だったのを覚えてる。

 いつも忙しそうで、なかなか遊んではくれなかったけど、その愛情は確かに感じていた。

 お母さんとも仲が良くて、一緒に夕飯を食べる時が一番幸せだった。


「桜ー!ご飯よー!」


 考え事をして自分の世界に入っていたが、リビングから母の呼ぶ声にハッとして我に返る。

 カレーのいい匂いが空腹を思い出させた。


「すぐ行く―」


 返事をして、立ち上がり仏壇に背を向けた。

 写真からでも感じてる。いつも見守ってもらってる。

 それでも……ここに居ないことには変わりない。

 あのころの夕食の時間はもう戻らない。


 でも……それでも私は今幸せだと何気ない日常に気づかされる。



「ほら、早く座りなさい」


「その前に桜ぁー福神漬けー」


 椅子に座って我が家のようにふるまう湊、そしてそれを当たり前のように享受する母。



「ちょっと!人参こっちにいれないでよ!私嫌いなんだから」


「知ってらー。だからやってんだろ」


「こらこら、喧嘩しないの」


「だって湊がー」


「好き嫌いしてるとブスになるぞ」


「なんの根拠よ!アンタはその真っ黒の性格どうにかしろ!」



 もしも、兄妹がいたらこんな感じだったのかな、なんて

 言いたいことを好きなように言い合えるのかな、なんて


 平凡な中の本当の平凡

 つかめそうで二度と戻らない平凡だと思ってたけどそういうわけではないのかもしれない。

 諸行無常なんて昔の人は上手い事言ったもんだ。


 甘口だったカレーが、今では辛口カレーになってたこと

 父の席には湊がいること

 小さかった私は大きくなり、若かった母にはシワが増えた。


 未来はどんな姿で待ち受けているんだろう。


 今になって初めて、将来を見つめる気持ちが生まれてきた気がするのは確かなる進歩だ。



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