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ミッション5

「はじめまして。これから2週間の教育実習期間お世話になります久坂といいます。教科は数学です。よろしくお願いします」


 昨日同様の流れで先生が教卓の前に立ったと思ったら案の定、教育実習生の紹介をされた。

 昨日に今日にとイベントが多いもんだ、と平凡主義の私もまた、昨日同様の興味なさげな態度でそれらを迎えようと思った。

 だが、その考えはすぐに反射的な驚きで覆された。


「はじめまして。僕は山崎、山崎充です。教科は歴史の担当をさせていただきます。よろしくお願いします」


 久坂先生の後に続いて入ってきたその姿は見覚えのある人だった。

 どこかカリスマ性がみえ、容姿端麗な久坂先生の影に完璧に隠れてしまっているが、私は山崎さんから目を離すことができなかった。


「はい、この二人がこのクラスに主についてくれることになったから、また後でいろいろ話でもしてみなさい」


 まだワイワイと教室では話し声が聞こえるが、先生が朝のホームルームの終わりを告げ、一限目の授業が始まる時にはその声も幾分か大人しくなっていた。


 数学担当の久坂先生は教室の後ろ端に座り、先生の授業を見学するらしい。

 山崎さんは違う教室に行くらしく、入ってきた教室のドアに手をあてた。

 そしてじっと見続ける私に少しだけ視線をやり、ニコリと笑ったのか笑ってないのかわからない、そんな表情を残して教室から出て行ってしまった。



「ちょっ、湊、いったいどういう事よ!」


 後ろに振り返ってコソコソと話しかければ、湊は頬杖をついたまま私の話をスルーする。

 目も合わせずに華麗に無視を決め込む湊に苛立ちがつのり、頬杖をついている腕をガタガタゆらしていると私のその手をつかむ大きな手があった。


「こら。授業中だよ。仲が良いのはいいけどいただけないなァ」


 ボリュームを落として私達だけに聞こえるように言うその人は久坂先生で、黒縁メガネの向こう側は優しく弧を描いていた。


 私はしぶしぶ前を向き、シャーペンを手にとったが先生の話なんて一つも耳にはいってこなかった。



 その後、休み時間も湊にどういうことかと聞いても話をかわされ、決して答えてはくれない。


 普段は嫌と言うほどからんでくるのに、今日はやけに大人しいことも不思議だった。

 もうこれは山崎さんに聞くしかないと思った私は、放課後、いつも一緒に帰る湊の目を盗んで社会科研究室へと向かった。



「失礼します」


 ノックをしてすべりの悪いドアを開ければ、かび臭さが隙間から漏れ出した。

 古い本の香りは嫌いでは無い。

 おそらくこの嫌なジメっとした感じは蛍光灯の暗さと、私自身がここへ来るのが初めてという慣れない行為に原因があるのだろう。


「はいどうぞー」


 本棚の裏から声が聞こえた。

 重いドアを閉め、その声のする方向へ向かえば本をペラペラとめくる山崎さんがそこに居た。


「あ、月宮さん。今社会科の先生は居ないけど……どうしたの?」


 読みかけの本を閉じながら山崎さんは立ち上がった。


「いえ、あの。なんで山崎さんまでここにいるのか聞きたくって」


 私がそう言えば、山崎さんは少し悩んでいる表情を見せた。

 無言の空気は苦しい。そんなに親しいわけではない山崎さんに、湊の時みたいにグイグイと質問するわけにもいかないから私の中で一発勝負と最初から決めていた。


 しばらくして山崎さんは観念したかのようにゆっくりと椅子を引いてそこに座るように言った。


「そんな真剣な目で見られると俺、弱いんだよな……とりあえず聞くけど、この件に関して沖田さんからどこまで聞いた?」


 山崎さんはそこまで言うと私のとなりに腰を下ろし、積み重なった本の山にうつ伏せた。


「えっと、湊はこの学校に転校してきた理由は潜入調査だとか……」


「他には?」


「えっと……ここまでです。あとは聞いてもまだ早いとかって教えてくれなくて……」


「そっか……」


 山崎さんはそう呟き、また何かを考えているのか頬杖をつき髪をかきあげた。

 その時、彼の左手についている大きめの黒い時計が目についた。

 何か違和感を覚えたが、その違和感の理由がわからない。

 ただ、秒針を刻むかのように赤いランプがチカチカと点滅している。


「まぁ……結論から言うと俺も潜入捜査としてここに来たんだ。流石に高校生っていうわけにもいかないからこういう形になっちゃったけどね」


「じゃあ、トシ君や藤田さんは」


「あの人達はまた別働部隊かな」


「そうですか……あの、ちなみにその調べてる事って……」


「桜ちゃん」


 私は名前を呼ばれて少し当惑した。

 月宮さんと言ったり、桜ちゃんと言ったり、別にどちらでもいいがこうも短時間の間にコロコロと呼び名が変わると山崎さん自身の心境変化について不安を覚える。


「沖田さんがまだ言ってないなら、俺もこれ以上何もいう事はできないよ」


 そう言って山崎さんは少し心苦しそうに顏をそらした。


「なんでですか?私ってそんなに信用されてないんですか?」


「違うよ」


「いつもいつも私だけ蚊帳の外でどこか距離を置かれる」

「桜ちゃん……」

「トシ君も、藤田さんもそう。大事なとこでいつも大人の事情みたいな顔して、きっと皆からしたら私なんて」

「桜ちゃん!!」


 山崎さんの声が教室に響き、私は息が詰まったように口から言葉が出てはこなくなった。


 これ以上話したく無い。

 帰ろうと立ち上がる仕草をすれば、私の両肩には手が置かれ、真剣な眼差しでこちらを見る山崎さんが居た。


「桜ちゃん。皆がどれだけ君のことを想ってるかなんてきっと今の君にはわからないかもしれない。いや、分からせようとしてないからってのもある。でもそれは皆が君を信じてるからだ。君が離れて行かないって信じてるから俺たちは……」


 どこか辛そうに言う山崎さんの言葉を聞いてられなくなった私はその手を振り払い教室を飛び出した。

 肩にあった重みは消えたはずなのに、そこはかとなく重い。


 “信じる”っていう言葉を簡単に使う彼らが嫌だった。

 信頼だとか、想いだとか、もう全てのキレイごとが嫌だった。


 そんな自分を中二病かよなんて、嘲笑う余裕すら忘れてしまった。




 教室の扉を開け放てばそこには誰も居なかった。

 湊の鞄も無いってことは帰ったんだろうか。


 自分から彼を置き去りにした癖に、置いて行かれた気持ちになる。

 そんな私はめんどう極まりない。


 ムスっと口を尖らせて鞄を担ぎ帰ろうと思えば、先ほど私が開け放したドアに身体をあずけ面白そうにクスクスと笑う久坂先生が居た。


「どうしたの?機嫌悪いね」


 親しげに話しかけてくる彼が嫌いでは無い。でも今は何も話しかけて欲しくなかった。


「いえ、なんでもありません」


 私は会話を終わらせようとそう言えば、久坂先生は新たな話題を提供してくる。


「そういえばいつも一緒にいる彼は?沖田君だっけ?」


 今、その名前を聞きたくなかった私は反射的に先生を睨んでしまったが、久坂先生はクスクスと笑いゴメンゴメンと軽く流した。



「それにしても、いいよねー。ナイトがいるなんて。まぁこっちからしたら迷惑極まりないけどね」


 唐突なその言葉と共に、先生はゆっくりと私に近づいてきた。

 電気の消えた教室には夕方の光がじんわりと差し込む。


 実をいうと、その先生の姿に目を奪われていた。

 長い手足が動く度に何かを惹きつけるような……本能的な化学物質に惑わされているが如く私は見惚れていた。


 また、あの時と同じ甘い香りがする。


 そして彼の大きく骨ばった綺麗な手はゆっくりと私の頬をとらえた。


「どうしたの?何か、悲しいことでもあった?」


 甘い声は脳内に響き、怒りや苛立ちを涙に変えていく。

 このくらいの事で泣く私じゃないのに、泣きたいとも思っていないのに、情緒がどんどん不安定になるのを感じた。


 涙腺が緩むと共に、心を許してしまうのは相手が先生だからとか、そんな安心感から来るのかもしれない。


「君を泣かせるようなナイトの傍にいて本当に君は……月宮さんは幸せなの?」


 頬に置かれた大きな手は私の頭を優しくなでてくれる。

 トシ君にも、藤田さんにも、ましてや湊なんかには無い優しい手。

 割れ物を触るかのように壊さないように、優しく包んでくれる。


 このままこの胸に縋り付いてしまいたい。

 泣きついて、この不安を不満を吐きだせればどれほど楽になるか。


 欲求と理性の狭間で揺れ動く私の耳元に、更なる誘惑の言葉が注がれる。


「僕は月宮さんを泣かせないよ……君を護るから」


 甘い香りがさらに強く漂った。


 それと同時に涙が零れ落ちるのにも、先生の胸に泣きつくことにも抵抗は消えていた。

 遠慮がちに先生の胸に頭をつけ、その白いシャツをギュウと掴んだ。

 嗚咽が漏れるのを必死に抑え、涙でシャツを濡らせば、優しくその背中を叩いてあやしてくれた。


 その時だった。


「オイ、何してやがんだァ……てめェ……」


 地を這うような低い声が教室のドアから発せられた。


 私はその聞きなれない怒りの声にビクリと肩をすくませ、涙は空気を読んだかのように、涙腺をしめた。


「桜からその汚ェ手を離せ……」


 ゆっくりと近づいてくる湊の目からは本気が窺えた。

 だが、そんな湊にすくみ上るどころか、私からゆっくりと手を離した先生はやれやれと口角をあげた。


「やっとおでましですか。七分ってところかな。五分超えるようじゃプロは務まらないと思うけどな~」


 余裕たっぷりで乾いた笑い声を響かせるその腹に湊は思いっきり蹴りを飛ばしたが、久坂先生は体勢を整え、手でガードし後ろに下がりつつダメージを減らした。


「こらこら、教師への暴行はちょっと問題なんじゃないかな?」


「生徒に手を出した教師の言うセリフには到底聞こえませんねぇ」


 私と先生の間に割って入った湊はそう返し、いつの間にか目はいつもの色を取り戻していた。


「手を出したなんて、人聞きの悪いことはやめてくれよ。これが俺流のカウンセリングだ」


「クセェ匂い漂わせてよく言いますねぇ……じゃあ俺の悩みも聞いてくれませんかね。ついでに一発殴らせてくれるとこの心のモヤモヤも少しは晴れそうで」


「悪いが、先生とサンドバックは別物だよ。そして、仕事と恋モドキもまた別物だよ、沖田君」


 そう言って笑った時の先生の目はどこかギラリと光を纏っているような錯覚を覚えた。

 落ち着いたものの険しい顔の湊は私の手を引き、久坂先生に背中を向け足早に教室を出た。


 この強く手を握られる感覚は初めてじゃない。

 昨日先生と初めて会った時と同じだ。

 だが、それに気づいた私はただ、黙ってついていくことしかできなかった。


 罪悪感と喪失感。

 嫌いだと吐き捨てた信頼という言葉なのに、それに見放されることが怖かった。


 湊に、皆に、嫌われることが怖かった。



 いつもの帰り道、湊は私に何も言わなかった。

 仕事に出ている親が帰ってくる午後6時まで今日も一緒に居てくれるんだろうか。

 それもそれで苦しいけど、独り置いて帰られるのも突き放されたみたいで辛い。


 そんな不安を抱えたまま、気が付けば家に到着していた。

 ドアの鍵を開けろというように湊はここへ来てやっと私と目を合わせた。

 目で訴えられるがまま、私はいつものように鞄から鍵を取り出し、そのドアを開ける。

 ここでお別れと言われるのかと思ったけど、湊はいつも通りに家に入り、リビングのソファーに腰を下ろした。


 いつもなら私もそんな湊にお茶を出したり、一緒にくつろいだりするけど今日は何をするべきかも分からない子供のように、その場に立ち尽くした。


 ずっと無言を貫き通してきた彼だけど、そんな私を見て静かに口を開いた。


「何突っ立ってんだよ……こっち来て座れよ」


 私はその言葉を聞いて、先ほどしめたはずの涙腺が再びゆるんでくるのがわかった。


「湊……」


「ん?」


「ゴメン……」


 言葉が零れ落ちたのを合図に、目からも次々と雫が零れる。

 立ったまま必死に涙を拭う私を見て、湊は困ったように眉を寄せた。


 そして、立ち上がったかと思うと強く私を抱き寄せ背中をポンポンと叩き私の頭を自分の胸に押し付けた。


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