ミッション2
「おい、着いたぞ」
そういって頬っぺたを軽くつねられ私は目が覚めた。
一瞬今の状況が思い出せなかったが、煙草の臭いを纏わせて私を見下ろす目付きの悪いこの男を見て思い出した。
あぁ、そうだった。
何かよくわかんないことになってるんだった。
寝ぼけた頭を叩き起こしながら車から降りればどうやらここは地下の駐車場らしい。
薄暗い蛍光灯に非常口の看板がいやに目についた。
「湊は?」
「あいつはバイクだからな。先に行ってる」
そう言ってトシ君は車に鍵をかけて私から鞄を奪い取った。
「ほら、早く行くぞ」
「あ、ちょっ……」
私も慌てて鞄を肩に担いだその男の後を着いて歩く。
「それにしても軽ぃー鞄だな。中身ちゃんと入ってんのか?」
「基本置いてるから筆箱と、財布ってくらい」
「フーン。まぁ、そんだけありゃ十分だ」
何が十分なのかわからないがエレベーターの前に来たトシ君は上に上がるボタンを押した。
すぐに到着を知らせる音が鳴り、私達はその狭い空間へと入る。
階数ボタンを見れば二十三階まであり、なかなか高い建物だと理解する。
そしてトシ君はその最上階である二十三階のボタンを押した。
一瞬体に起こる浮遊感。かなりのスピードで上がっているんだろう。
気まずいと感じる暇もなくチンと音がなり、扉が開いた。
目の前には廊下が伸びていて、その先には映画館を思わせる重そうな大きな扉があった。
トシ君は真っ直ぐそこに向かって歩いていき、その扉を片手で押した。
おそるおそるトシ君について中に入ると、小さな映画館くらいの広さの部屋にはモニターが上にも下にも並び、少し薄暗かった。
如何にも秘密組織という感じだ。
私が立ち止まったままキョロキョロ周りを見渡していると、トシ君は「早く着いてこい」と私の頭に手を回し自分の方へ引き寄せた。
乱暴だけど少し優しい手は五年もたったけどやっぱりトシ君らしい。
「藤田さん。連れてきたぜ」
「え?藤田さん?」
聞きなれた名前が隣りから発され、そのトシ君の目線の先を見ればがたいの良い、懐かしい姿が現れた。
「よぉ!桜ちゃん久しぶりだなァ!!すっかり大きくなっちまって」
「ふ、藤田さんも何でここに?!」
実はこの男、藤田剛史郎もよく私と湊と遊んでくれ、トシ君の一つ上の先輩でもある。
トシ君より先に就職したため大分長いこと会っていない。
「あ、こんにちは。月宮さん」
「おう、山崎か」
「え?山崎さん?」
藤田さんの時の流れでそう言ってみたが、全然記憶にない。
多分初対面だろう。
それともただ私が忘れてるだけだろうか。
「初めまして。山崎充です」
初めましてという言葉が彼の口から出てきたためやっぱり初めてなんだと、忘れていたわけでは無かったと確信してほっとした。
黒い短髪で煙草を加えるワイルドな色気のあるイケメンのトシ君。
見た目だけは天使のように愛らしい正統派イケメンの湊。
剛史郎の名前の通り、逞しい筋肉と豪快な性格の藤田さん。
そこに並んで特に特徴もない中肉中背の優しそうな山崎さん。
三日もしたら彼の顔を忘れる自信がある。
私は頭の中でのそんな失礼な考えを掻き消すように彼に笑顔を向けた
「あの、初めまして。月宮桜です。……あれ?私の名前……」
自己紹介されたので自分も返したはいいが、言う前から彼は私のことを知っていたようだ。
「あぁ、君のことはもう大分前から話に聞いていたんだよ。今からそのことについて話があると思うから」
そう言ってほんわかとした笑顔を向けてくれる彼は緊張していた私を少し落ち着かせてくれた。
こんな怪しい会社で如何にも危なっかしいメンバーがそろっている中に一人雰囲気の柔らかい人がいるというのはかなり違う。
正直、昔からの馴染みであるといっても、大人になったトシ君と湊を見たときは違う世界の住人になってしまったと思うしかなかったからだ。
そうしていると右側にある自動ドアが開き、「遅れましたァ~」と気だるげな態度の湊が現れた。
その姿を確認した藤田さんは口を開いた。
「よし、これで皆そろったな。じゃあ桜ちゃん、何でここに連れてこられたかわかってないだろ?でもこの事はずっと前から決まっていたことなんだ」
「ずっと決まってたって、じゃあ何で今さら……」
「今年で何歳になった?」
「十八ですけど……」
「ほら、解禁だ。」
「え、いや何が!!」
「大人な世界への解禁だよ」
「いや、アダルトの意味違うくないですか!?それともマジでアダルトな感じなんですか!?」
目の前の藤田という男は純粋と純粋を掛け合わせたような男だ。
人が良いというところしか良いところが無いと言っても過言ではない。
しかし、私の横に居るこいつら二人は違う。
私着いてきてよかったんだろうか、もしかして今相当ヤバいことになってるんじゃないだろうか。
私の引きつった顔を見て湊はニヤニヤしているがトシ君はハァとため息をついた。
「藤田さん、桜が勘違いすんだろ。桜も大丈夫だ。そういうこっちゃねーから」
そう言ってトシ君は私に向き直り説明を続けた。
「車の中でも言ったが、俺らは今スパイ活動、SPといった仕事をしている。どんなのかっつーと桜が想像しているのとそんな大差はねぇと思う。そんな俺らの仕事場に何故桜が呼ばれたか……それはアンタにも俺らと一緒にここで働いてもらわねェといけねェ理由ができたからだ。ここまでで質問は?」
どこで息継ぎをしたのか分からないくらいペラペラと話されて、目が白黒としてしまう。
「えぇっと……スパイ活動とか、SPとかって、マシュマロを棒に刺して火であぶったり、温かいコーヒーに浮かべたりする……もちろんそんな職業じゃないよね??」
私がアホになったフリをしてエヘヘと質問をしたら、トシ君は呆れたように言葉を吐いた。
「そうか。スパイ、SPにそんなスイーツなイメージがあるとは思わなかった」
「まぁ、マシュマロを人に代えたら意味は通りますがねェ」
トシ君の言葉に添えるように言ってニタリと笑う湊。背筋がぞっとするというのはまさにこの事だろう。
「おいおい、桜ちゃんの顔がどんどん曇っていってるじゃないか。ただでさえ不安なのに、それ以上脅すような事を言うんじゃない。なぁに、安心しなさい。ちょっと拳銃でパンパン打ち合いしたり、高いところから飛び降りたりするってくらいなもんさ!!」
「ひぃぃ……!!」
「って、アンタも同じように脅してんでしょ!!」
山崎さんが藤田さんに向かって声をあげた後、怯えてすくみ上る私をあやすかのように笑顔を向けてくれた。
「大丈夫だよ桜さん。そんないつもいつも怪我するような仕事ってわけでもないし、それに桜さんの命は絶対に保障するって約束するからさ」
私はその言葉を聞いて、何故か恐怖や不安といったものが一気に体から抜け落ちた。
私の周りにいる彼らの存在というのは、それくらい安心感のある人達であることが否めなかったからだ。
「あの……さっきはちょっとふざけちゃったんですけど、なんで私がここに?その理由っていったい何なんですか?」
「それはまだ言えねェ」
「は?」
思わず素の声で返してしまった。
ぽかんと開いた口が塞がらない。
意味が分からない。ここまで無駄に話してきたけど私が一番欲しい情報だけが得られないなんていったいどういうことなんだ。
私が納得がいかないといった顔をすると、申し訳なさそうにトシ君は眉を下げ、眉間にしわを寄せた。
「理由あってそれはまだ言えない。だが、これだけは言っておきたい。桜……何があっても俺らのことを一番に信じてほしい」
「いや、そりゃ皆のことは昔からの馴染みだし、私だって信じたいけど今のこの状況よく考えてよ!いきなり連れてこられて、なんか怪しい職業紹介されて……何よ……皆好き勝手にして……急にいなくなったと思ったら急に現れて、何事もなかったみたいな顔してまたすぐにこうやって巻き込んで……私は……!」
怒りの勢いに任せてここまで言ったものの、言葉が最後まででてこなかった。
私は……なんだ。
最後に会ったのは湊とは小学校の時、藤田さんもそれくらい。トシ君は五年前で山崎さんは初対面。
そんな彼らを私はどう迎えいれたらいいのかわからない。
でも、その本音を口に出すことが躊躇われた。
彼らを突き放すような言葉を言って、本当に距離が出来るのが嫌だった。
「桜ちゃん……今まで寂しい思いをさせてすまなかったな」
藤田さんの口からでてきた言葉は、予想とは違った謝罪の言葉で面喰ってしまった。
「でも、桜ちゃん。いきなり消息をたった俺らがこんな事をお願いするのは調子がよすぎるということはよく分かってる。それでもだ。それでも今はこんな俺たちを信じて欲しいんだ。桜ちゃん、頼む。力を貸してほしい」
この通りだ。と深く頭を下げる近藤さんに狼狽えて、なんて返したらいいか分からなくなってしまった。
藤田さんはずるい。
いつでも真正面からぶつかってきて、私の心の一番弱い部分を刺激する。
こんな風にぐずぐずと不満をぶつけていた私は、藤田さんが言うようにただ寂しかっただけだろう。
皆とは家族みたいに仲良しと思っていたのに、私の知らないところで皆だけで集まって、自分だけのけものみたいにされてて、ようやく私も皆と昔みたいに一緒になれるのかと思いきや、やっぱり私に言えない秘密はあって……。
きっと、そんな寂しさが彼らを簡単に信用したくないという天邪鬼に変わってしまったんだと思う。
それでもやっぱり心の中では今も昔も誰よりも、目の前のこの人達が好きなのだ。
「……藤田さん、そんな大きな体して頭下げないで下さいよ」
私が溜息混じりにそう言えば、湊は組んでいた腕をほどき私の頭にポンと手を置いた。
「大丈夫だって。これからは嫌というほどに一緒に居てやるから。だからそんなに拗ねるなって」
そう言う湊の顔もどこか嬉しそうで子どもの頃の面影が垣間見えた。
「じゃあ桜。これを渡しておく。絶対に失くすんじゃねェぞ」
トシ君はそう言って私の目の前に来たかと思うと、両手を頭の後ろにまわし首にネックレスのようなものをつけてくれた。
「まぁ、喧嘩したわけじゃあねぇが、仲間の印とでも思って受け取ってくれや」
手で首元を触れて見てみれば、ハート型の金属の中でキラキラと石が光っていた。
「可愛い……」
こんな簡単なことで機嫌が良くなる自分はちょろい奴だと思う。
でも、やっぱり首元で輝くそれよりも、目の前に笑ってくれる彼らがいることが一番の喜びなのかもしれない。
「……あのさ、取り込み中のとこ悪いんだけど、俺のこと忘れてないよね?」
あ。とそちらを向けば気まずそうに自分自信を指さす山崎さんの姿があった。
「山崎さん、不束者ですがよろしくお願いしますね!」
めいいっぱいの笑顔でそう言えば、山崎さんもふんわりと首を傾けて笑った。