ミッション1
後十分……
私は時計を見ながら授業が終わる時を今か今かと待っていた。
前に立っている先生は時間がないからか私たちには目もくれずに黒板に問題の答えを書き殴っている。
そんな何の面白味も無い普通の日があと少しで終わる。
後五分……
右へ目を移せばカリカリと必死に黒板を写す友達。
左へ目を移せば赤ペンで丸の連打をする委員長。
この光景にもいい加減見飽きてきた。
頭の中では妄想という楽しい世界がどんどん広がっていくのに目の前の現実はそれを無にするかのように今のこの瞬間を突き付けてくる。
頑張らなきゃいけないとは分かってはいるけど、頑張ったからってすぐに報われるわけでもないし……
そんなことを思って再び秒針の無い時計に目を向ければ間もなくチャイムが鳴る。
頭の中で五・四・三とカウントダウンをしてみた。
だが、惜しくも私が二と一を数え終わる前にチャイムが鳴ってしまった。
少し悔しく思ったが、こんなことをしている自分が悲しくもなってくる。
学級委員が「起立」と言っている間に帰る用意を全て済ませて「礼」の号令と共に鞄を肩にかけた。
「やっと帰れるー」
私が気怠げに言えば、隣りに座ってた友達が笑いながら答えてくれた。
「アンタ本当に今度のテスト大丈夫なの?」
「まぁ、赤点とらないように頑張る」
そう言ってヘヘッと笑えば、「もう~。ノート見せてあげないよ~?」と言ってくるので「それだけは勘弁して」と言いながら私達は教室を出て下駄箱に向かった。
春から初夏へと移るこの季節は好きだ。
窓の外の葉桜が青々と光っているのがなんとも言えない生命力を感じる。
今の私も一応世間一般で言えば青々と光る年頃のはずだろうけど、果たしてどうなんだろうか。
特技は?と聞かれてすぐに答えられるようなことも持ち合わせていないし、将来何になりたい?と聞かれても幸せに暮らせたらそれでいいと答えるしかない。
とにかく先のことなんて考えたくない。
夢中になれる事もない今の生活を続けることも不安だ。
十年後の自分から将来苦労するぞと脅されても、十年後の自分頑張れとしか思えないから救い用が無い。
私達が下駄箱から外に出ると何やら校門付近に人が集まっているのが見えたので友達に話しかけた。
「何あれ?」
「なんだろう。何か面白いもんでもあるのかな?」
興味津々な友達は校門の方へ足早に向かったので、私も着いていくようにそこへ向かえば、校門のすぐ前に真っ黒の車……おそらく外車と、同じように真っ黒のバイクが止まっていた。
見たところそれの持ち主だろう二人が車に寄りかかって片方は煙草を手に、片方はヘルメットを手に話をしている。
女の子達はその二人を見つめながら芸能人でも見ているかのようなはしゃぎっぷりだ。
私も少し興味があったが、中が見えないようにスモークの張られた車の窓からして、じろじろ見ていいような人達ではないだろう。
目を合わせないように足早に過ぎようと思った。だが、俯く私の視界の端から何故かその男たちが近づいてきて私の腕を掴んだ。
「おい、桜だよな?」
いきなり名前を呼ばれて振り向けば、見覚えのある煙草を咥えた黒髪の男。
そして、ヘルメットを片手にもう一人の男は話しかけてきた。
「よぉ、桜。久しぶりじゃねーか」
いきなりの事で驚き、身体が硬直しながらもその二人の顔をよく見てみたらどこか見覚えのある顔だった。
周りの野次馬達からは「え?あの子の知り合い?」とざわざわと騒ぐ声が大きくなった。
隣りの友達も私と彼らを交互に見ながら状況を把握しようとしているが私こそ今この状況を把握しなければならない。
私はこの二人を知っている。
でも最後に見たのはいつだっただろう……
それよりも何故今ここに彼らが居るのかがわからない。
「久しぶりだな。今日やっとこっちに帰ってきたんだよ」
そう言ってトシ君は吸っていた煙草を地面に落とし、グリグリと踏みつけて火を消した。
「立川さん、ここ高校の前ですけど、煙草はやべーんじゃねーです?」
「じゃあこいつを見つけたことだしさっさと帰るか」
そう言ってトシ君は私が一言も声を発していないのもお構いなしで、突然私の体をかつぎ上げて車の後部座席に乗せた。
その突拍子も無い様子に周りで見ていた子達も知り合いではないのかという疑問が浮かんだのか、さっきまでとは違った騒ぎになってきた。
いきなりの事で抵抗する事を忘れてたが、事態の深刻さにようやく喉が開き、声を出せた。
「ちょっ!話の流れが読めないんだけど!!」
「車の中で話す。大人しく乗ってろ」
トシ君はそう言って勢いよくドアを閉めて運転席に乗り込んだ。
「ちょ、桜!?」
友達が心配そうに呼ぶが、それに対してバイクのヘルメット被りながら湊が答える。
「わりぃーけど、ちょっとこいつ借りていきまーす。あ、別に俺ら昔馴染みなんでその辺はご心配なく」
そう言って甘いマスクを前面に押したキラースマイルを向ければ友だちは頬を染めてそれ以上何も言うことはしなかった。
……いや、私誘拐されかけてるからね。
スモーク硝子の向こう側を見ながら、世の中って案外冷たいと悟りを開くしかなかった。
車に乗ってから五分程しただろうか。
今はトシ君の運転する車の後部座席で頭の中の整理をしている。
まずこの男、立川俊也こと、トシ君。
六歳年上で家が隣りな事もあり、良いことも悪いことも全てを教えてくれた兄のような存在だ。
仕事関係で海外やらいろいろ飛び回っていたと聞くが、それ以上の事は何も知らない。
頭も良いが何より喧嘩が強かった。
中学高校とかなりヤンチャをしてたけど負けたところなんて見たことがない。
そして、車の隣りをバイクで並走する沖田湊
欲にいう幼馴染というやつでトシ君を含めよく一緒に居たが、中学生になる前に引っ越していってしまってそれから連絡が途絶えてしまった。
小学生のころの記憶なんてなんともあやふやで、楽しかったけど何が楽しかったかなんて覚えてないし、泣いてた記憶もあるけど何が悲しかったかなんてのも覚えてない。
ただ毎日がキラキラ輝いていた。
いつに戻りたいかと聞かれたら、間違いなくあの日々と答えるだろう。
そんなことよりも、今一番考えなければならないこと。
何故会っていきなり私はこうなっているんだろう。
確かに会えたのは嬉しい。
でも、この五年の月日ってそんなに簡単に埋まるものなのか?
普通は久しぶりとか、元気してたとかそんな他愛もない話をいろいろ交わして、じゃあ今からどっかいかね?みたいな空気になってこういう状況になるもんじゃないのか。
なんで今私は誘拐も同然な流れでここにいるんだ。
チラリとバックミラーに目を向ければトシ君と目があって体がビクリと反応した。
「何黙りこくってんだよ。久しぶりに会ったんだから何か話そうぜ?」
この男は口元に笑みを浮かべて何とも無い風にそう言ってくるもんだから流石に私もイライラとしてくる。
「そうだよ!久しぶりに会ったのに何で今こんな感じで誘拐されてんのか聞きたいんだけど!」
「あー……わりぃわりぃ。車ん中で話すとか言ってたな」
トシ君はそう言うと胸ポケットから煙草を出して口にくわえた。
未成年の頃からこっそり吸っているのを見た事があるが、今では堂々としたベビースモーカーになっているようだ。
さっきはよく見ていなかったけど、トシ君は真っ黒のスーツを着ている。
帰ってきたばっかりって仕事の事だろうか?
「まぁ、説明するとだな。お前、俺と湊が今何をしてるか知ってるか?」
「知らないよ。五年前から何も音沙汰無かったんだから……」
私は少し拗ねるように、小さな声で返した。
「そりゃそうだな。まぁ、俺らの仕事は簡単に言い表せるもんじゃねぇが……そうだなぁ、国家機密を取り扱ったり、スパイ活動をしたり、時にはSPをしたり……」
「ちょ、ちょっとまった!!」
私はトシ君の口から出てくる言葉が理解できなくなって中断を求めた。
「なんだよ、でけェ声だしやがって」
「いやっ、何その職業。怪しすぎるんだけど!てか、この期に及んで嘘つくのやめてもらっていいです!?」
私がそう叫べば、トシ君は紫煙を窓の外へくゆらせ、ニヤリと笑った。
「まぁ、着いたら分かる。ちょっと時間かかるから寝てていーぞ」
そう言われて確かにすごく眠いような気がして小さく欠伸をした。
あぁ……目が覚めたら私はどうなってるんだろう…。
あ、お母さんに電話しとかなくちゃ。
そう思って私がスマホを取り出せば
「おばさんにはもう連絡してあるから心配しなくていいぞ」
バックミラーに映る彼は平然とした顔でそう言った。
……どれだけ手回しが速いんだこいつは。
私はハァと息を吐くと、体から力が全て抜けてしまったかのように背もたれにもたれかかった。
もう諦めよう。
長い間会ってなくって、いきなり怪しい職業を説明されたけど何だかんだでこの人たちのことは信頼してる。
瞼を閉じれば吸い込まれるように意識はどこかへいってしまった。