彼氏の誕生日を忘れて男友達と飲んでたら処女を失った。
進級が掛かってたレポートを期限ぎりぎりの金曜日に提出して、協力してた男の同級生と2人で大学の近所の居酒屋へ行き、ハイテンションで祝杯を挙げて、1人で自分の部屋に帰ったのが23時過ぎ。
そのまま眠って目が覚めたのが10時。
ぼんやり部屋を見回してたら、テーブルに置いて準備してた彼への誕生日プレゼントを見つけた。
頭が真っ白になる。
自分の彼氏の、琢磨の誕生日は、昨日だった。
完全に目が覚めた。
体中から汗が噴き出す。
慌ててスマホを確認するが、日付は琢磨の誕生日の翌日。
何度見返しても日付は変わらない。
スマホには未読メッセージが2件だけ。
1件目は友人のミツから。
『ミツ:カナ、あんたいまどこ?』
ミツは同じ学部、同じサークルの同級生。
琢磨とは共通の友人で、付き合う際にいろいろ相談に乗ってもらった。
付き合い始めてからもたくさん愚痴を聞いてもらっている。
着信時間は昨日の19時過ぎ。飲み始めて少し経ってから。
2件目は一緒にレポートを書いてた男の同級生。
『英太:さっきミツさんからすげえ怒鳴られたんだけど、お前、彼氏さんに説明とかしてたんだよな?』
英太は同じゼミの同級生。もちろんそういう関係ではない。彼女とラブラブだし、昨日行ったのはその彼女さんがバイトしてる居酒屋で、最後は2人で帰ってった。コースは違うけど学部は同じなミツとも授業がたまに重なるので顔見知りだ。
着信時間は今朝の7時ごろ。
着信履歴はそれだけ。
琢磨からは何も入ってない。
メッセージも電話も。
すごい汗が出る。
ヤバイヤバイヤバイ。
先週末あたりからレポートに追われてて完全に頭から飛んでた。
琢磨にもそのあたりから全然連絡できてない。
つまり、1週間近くなんの連絡もできてない。
途中で琢磨からのメッセージはあったけど、今はそれどころじゃないって、既読スルーした記憶がある。
え、私、酷くない?
琢磨からなんの連絡も入ってないのが怖い。
だんだん状況が分かって来て、だらだら汗を流して混乱してたら、急にスマホが鳴りだした。
リリリリリリリリン! リリリリリリリリン!
身体がビクッとなる。
着信画面を確認すると「ミツ」の表示。
「……もしもし」
『……カナ、あんた今、どこ?』
ミツの声が普段よりも数段低い。怖い。
「……家、だけど」
『昨日、何時に帰ったの?』
「たぶん、11時過ぎくらい……?」
『……ふぅん。琢磨くんとは、話してないよね』
「……うん、あの、」
『あんたさ……いや、もういいわ』
「あの、あのね、レポートで、」
『その話はあたしよりも先にしなくちゃいけなかった人がいるんじゃないの? 恋人の誕生日の数日前から何の連絡もしないで、誕生日当日の夜に他の男と2人っきりで飲んでる人間がどう見えるのか、ちょっとは考えてみたら?』
プツ。
通話を切られた。
……何も言い返せない。
全部、ミツの言うとおりだ。
琢磨に連絡しなきゃって思うけど、怖い。
絶対、誤解されてる。
そして誤解されるようなことをした私が完全に悪い。
どうしよう、どう話せばいいの?
とりあえず、メッセージを送ってみる。
『カナ:あの、琢磨、おはよう』
……既読にならない。
『カナ:昨日のこと、怒ってるよね。ごめんなさい。英太とは何もないから』
…………既読にならない……。
電話するの、怖いけど、しなきゃ・・・。
トゥルルルルルルル。トゥルルルルルルル。トゥルルルルルルル……。
……出ない……。
怒ってる、よね……。
そりゃそうだよ、私が逆の立場だったら絶対怒るもん……。
1週間近く何の連絡もしない。ダメ。アウト。たぶん30分くらい嫌味を言い続ける。
誕生日当日に何の連絡も無し。アウト。頬っぺたひっぱたく。何日か、口をきかない。
誕生日当日の夜に異性と2人きりで飲む。完全にアウト。グーで殴るし、本気で蹴る。別れるか真剣に検討する。
……ああ、そうか。
私、今、別れるかどうか、真剣に検討されてるんだ……。
そっか……。
落ち着いて考えれば考えるほど、今回のこれは普通に浮気に見える。
いくら琢磨が優しくて、いつもニコニコしながら私の我が儘を聞いてくれてたからって、許せなくたって仕方がないよね……。
『アンタが実際どうだったかじゃないの! 私がアンタの行いからどう感じたかがすべてなのよ!』
……私が以前、琢磨がバイトでデートに30分遅れたときにぶつけたセリフだ。
このとき、私は怒って帰って、ミツから「たったそれだけで!?」って怒られるまで、3日間、口をきかなかった。
……ひどい。私、最低だわ……。
言われる側の立場に立ってみないと分からないくらい、私ってバカだったんだ……。
涙がぽろぽろ零れる。
もう一度、琢磨に電話してみたけど、やっぱり琢磨は出ない。
私は泣きながら部屋の床に座り込んで、一歩も動けなくなった。
◆◆◆
その日、私はずうっと泣き続けた。
時間を置きながら何回か琢磨に電話したけど、やっぱり出てくれなかった。
英太から一度電話があったけど、琢磨より先に誰かと話しちゃいけない気がしたので出なかった。
特に今は誰かに話を聞いてもらいたかったけど、英太とだけは絶対に話しちゃダメな気がする。
何の意味もないかもしれないけど、これ以上、疑われるようなことはできない。
ミツにはもう呆れられた。怖くて相談もできない。
琢磨は電話に出てくれない。メッセージは既読になったけど、返事はない。
あんまりしつこくされるのも鬱陶しいかもしれない。
私にできることは、もう琢磨が返事してくれるのを待つだけ。
『カナ:しつこくしてごめんなさい。でも謝りたいです。連絡待ってます』
メッセージでそれだけ送ったら、なんだか何もかも億劫になって、握りしめてたスマホから手を離した。
お腹が空いていたけど、何も作りたくない。
何か買うにしても、外に出るために着替える気力もない。
立つのも億劫だ。
ずっと琢磨のことを考えてた。
私は昔から気が強くて口が悪い。
あんまり賢くないけど、たぶん見た目は悪くない。
ちょくちょくいろんな人から直接、間接に誘われたけど、下心が見え見えだったから全部断った。
サークルはミツに誘われて入った、夏は水辺で、冬は山で過ごすというふわっとしたサークルだった。
男女比が1:1くらいで、男性があんまりガツガツしてないので気楽なサークルだったから、授業が無いときはなんとなく部室に集まった。
飲みに行ったり遊びに行ったりしているうちに、私の周囲でもくっついたり離れたりしていた。
琢磨は別の学部の同級生で、サークルの中では目立たない人だったけど、お酒が強くて、そのせいでいつも最後までシラフで、後片付けや酔いつぶれた人の介抱をしていた。
私も酔いつぶれてお持ち帰りされるのはまっぴらだったので、慎重に酔わないように立ち回って、琢磨と一緒に後始末係になることが多かった。
告白してきたのは琢磨からで、サークルの年越しコンパの帰りだった。
飲み会の後、部室の片づけをして、なんとか全員を家へ帰して、最後に2人で帰っている時に告白された。
琢磨からそういう目で見られていたとはぜんぜん気が付かなかったので、いったん返事は保留にしてもらって、ミツに相談した。
色々話した結果、考えてみれば琢磨からは他の連中みたいな下心的なものを感じなかったので、試しにお付き合いしてみることになった。
それから1年ちょっと。
私たちは多少の言い争いはあったけど、うまくいってたと思う。
でも気付いた。
うまくいかせてたのは琢磨。
私の我が儘を、独善を、独りよがりを、受け止めて、我慢してきたんだ。
自覚はなかったけど、今思えば、琢磨が告白してきたんだから当たり前、くらいに思ってたのかもしれない。
ひどい女だ。
でも私が正しいと思い込んでた。
本当はぜんぜん違ってた。
私は琢磨にものすごく甘えていた。
いつの間にか琢磨のことを大切に思ってたくせに、それにも気づかずに、甘やかされてて、安心して、調子に乗って。
そして今回、大失敗した。
状況を考えれば考えるほど、私はバカだった。
私が浮気したって思われても仕方がない。
(もう、ダメなのかなあ……)
何度もそう思って、そのたびに涙が溢れた。
目の端に、テーブルに置きっぱなしの琢磨への誕生日プレゼントが映る。
(ヤだよう……。許してよう……。ごめんなさい……)
私、こんなに琢磨のことが好きだったんだ……。
それなのに、つまんないことで怒って、ひどいことたくさん言って、キスもエッチも許さなくって。
誕生日に一緒にお祝いする、なんて当たり前のことすら、してあげない。
なんて、イヤな女だろう。我ながら呆れる。
(こんな女、捨てられて当然だよね・・・)
◆◆◆
遠くで音が聞こえる。
スマホの呼び出し音だと気が付いて、慌てて目を開け、スマホを探す。
真っ暗だ。時間は分からない。
眠っていたらしい。スマホはどこ?!
あった!
発信者は……「琢磨」!
「もしもし!」
『・・・もしもし』
琢磨の声。すごく懐かしく感じる。
でも、いつもの優しい声じゃない……。
話さなきゃ、謝らなきゃ……。
「あ、あの、私、あのね……」
『あのさ!』
「う、うん」
『もう俺に飽きたんなら、こういう卑怯な、遠回しなのじゃなくて、はっきり言ってもらおうと思って、電話した』
「ち、違う! 違うの……」
『……何が?』
「飽きてない……私が悪かったの……ごめんなさい……」
『……』
「あの、レポートがあって……それでね……」
私は泣きそうになりながら、つっかえつっかえ最初から説明した。
「それで、あの、琢磨のお誕生日だってこと、すっかり忘れてて……」
『そのすっかり忘れてた俺の誕生日にそいつと寝たんだ?』
「ち、違う……! 寝てない……!」
『証明できるの?』
『……』
証明……どうしたらできるの?
わかんない……どうしたら……?
英太の彼女さんに頼む? 琢磨とは何の面識も無いのに? 適当な人に頼んだとか思われない?
『できないだろうね。男と2人きりで飲むってのはそういうことだよね』
「で、でも! 寝てないよ! 本当なの……」
『「実際どうだったかじゃない。君の行いからどう感じたかがすべて」……誰のセリフか覚えてる?』
「……はい……」
『君の行いは信じるに足る行いだった?』
「……いいえ……」
琢磨の落ち着いた、けれども聞いたことがないくらい冷たい声が聞こえる。
『今回のことだけじゃない。君はその態度で俺をないがしろにしてきた。そして言葉では「裏切っていない、信じろ」という。君の言葉と態度のどちらが信用できると思う?』
「……っ」
涙が溢れる。
琢磨の言っていることは正しい。
正しくないのに、正しい。
否定もできない。
もうどうしたらいいか、分かんないよ……。
「……うっ、うぅっ、ひっく、ごめんなさい……。でも、裏切ってないの……ただ、ただ私がバカなだけなの……。彼氏のお誕生日を忘れるくらい、バカなだけなのぉ……。信じてください……信じてください……」
『……』
「キスでも、エッチでも、琢磨がしたいこと、何でもしていいです……。あ、あの、でもその、高校の時、たぶん、自分で破っちゃったから……血とか、出ないかもしれなくて……。でも、処女だから……。証明は……できないですけど……」
琢磨は何も言わない。
私ももう何も言えない。
しばらくして電話から声が聞こえた。
『……じゃあ、今から、そっち行くから』
「……えっ」
『嫌なの?』
「! ううん! ……ううん。 ……待ってます」
電話は切れた。
デート帰りに毎回送ってもらってたから、場所は教えるまでもない。たぶん部屋番号も知ってる。
今から琢磨が来る。来てくれる。
たぶん、私の処女を奪いに、来てくれる。
◆◆◆
ピンポーン。
来た!
あれから慌てて部屋を片付けて、さっとシャワーを浴びた。
ちょっと悩んだけど、テーブルの上の誕生日プレゼントは片付けた。これ見よがしに置いてて、なんか狙ってるような、あざとい感じに捉えられたらイヤだったから。
思いっきり目が腫れてたけど、さすがに時間が足りなくてどうしようも無かった。
部屋を見回して、多少は片付いたのを確認してから、オートロックを操作して琢磨を迎え入れる。
「……どうぞ……」
この部屋にお父さん以外の男性が入るのは初めてだ。
緊張しながら琢磨が靴を脱ぐのを見守る。
「……お邪魔します。」
ワンルームマンションだから廊下の向こうがすぐ生活空間だ。
テーブルとクローゼットと本棚、そして狭いベッド。
「……コーヒーでよかったよね……?」
「……うん。ありがとう。」
床に座り、テーブルを挟んで向かい合う私たち。
互いにコーヒーカップに口を付ける。
「……」
「……」
「「あの」」
「……琢磨が先でいいよ……」
「ああ、うん。……正直、勢いで来たんだ。さっきの電話では、イライラしてて、あんまり深く考えてなくって」
冷静に聞こえたけど、イライラしてたんだ……。
それはそうか……。
裏切ったとしか思えない女が、泣きながらだだをこねて、処女だと信じて、とか、イラつくよね……。
「ここに来ながら、少し冷静になったんだ。あんなこと言われて、すぐにカナの家に行くって、弱みに付け込んでるみたいだなって」
「そっ! そんなことない! 琢磨にちゃんと会って、お話しして、謝って! その……抱いてもらおうって思ったから……」
「……それなんだけどさ、もういいんだ」
「……もういい、って何が?」
「無理に、そういうこと、しなくていいんだ。俺も君も、今日は冷静じゃない。そんな状態でそういうことをするのは、なんというか……うまく言えないけど、フェアじゃない気がするんだ」
「……」
「だから、今日は帰るよ。また今度、落ち着いてから話そう。コーヒーごちそう様」
床から立ち上がる琢磨の腰に、私は急に抱き着いた。
「……イヤ」
「……カナ?」
「今度って、いつ? また、琢磨から連絡が来るまで待つの? もういや……。あんな思いで電話を待つのは、もうイヤぁ……」
「……カナ……」
「帰らないで。置いてかないで。謝ります。土下座だってします。頭を踏まれてもいい。何してもいいです。何でもします。フェアじゃなくってもいいから。一人にしないでえ……」
私は全力で琢磨にしがみついた。
また涙が出てきた。
いまお別れしたら、もう二度と会えない気がする。
やっと好きって気が付いたのに、もう会えないなんてイヤなの……わがままだって分かってるけど……嫌わないで、一緒にいて……。
抱き着かれてしばらく琢磨は黙っていた。
腰に抱き着いてたから顔は見れない。
「……カナ?手を離して?」
「いやぁ……」
「帰らないから、いったん離して?」
「……ホント? 本当に帰らない?」
「うん。このままじゃ座れないから。お願い」
「分かった……」
私が手を離すと、琢磨は私の隣に座ってくれた。
すぐに私は琢磨の腕にしがみついた。
座った琢磨はすごくつらそうな顔をしていた。
「……ねえ、カナ」
「……なに?」
「……今から、ひどいこと言うね」
「……うん」
私はぎゅっと目をつぶり、琢磨の腕を抱える手に力を籠める。
何を言われても仕方がない。我慢する。
でも、この手は離したくない!
「……今から、君が処女じゃなくても、処女の演技をして。生涯俺を騙し切って」
「……え」
「俺は今、カナの言葉を信じられない。だから行動で示して。一生かけて俺を騙して」
私は琢磨に押し倒され、唇を奪われた。
それから唇だけじゃなく、何もかもを奪われた。
演技は、必要なかった。
◆◆◆
私たちは月曜日、講義を自主休講した。
土曜日の夜からまる2日間を、2人きりで、部屋から出ずに過ごした。
「で、仲直りしたってことでいいの?」
火曜日のお昼。学食でミツが、琢磨と腕を組んでいる私に尋ねる。
「あーうん、大体は。ミツさんにはご迷惑をお掛けしました」
「ごめんね、ミツ。心配してくれてありがと」
琢磨と私は2人で頭を下げる。
「まあいいわ。ずいぶん仲が良くなられたようだし?」
「えへへ」
私はぎゅっと腕を抱いて笑い、琢磨はそっぽを向いてる。
外からは見えにくいけど、琢磨の首には私からの誕生日プレゼントがつけられてる。
前のデートの時、琢磨が眺めてたネイティブアメリカンっぽいペンダント。
「もうこういうのは勘弁してよね」
「うん!」
私はもう、身も心も全部、琢磨のものになったから。
琢磨に言った「何でもする」って言葉は嘘じゃない。
言われた通り、一生かけて、琢磨に態度で表すって決めたから。
これは私が、愛する旦那様に処女を捧げたときのお話。
<終>