39 魔術師、オークを討伐する
鎧狼とドラゴン騒ぎで後回しにされていたが、僕らの依頼はオークの討伐であった。森にドラゴンがいたことから、トールが指摘したように、オークは森を去ってどこかの洞窟などに隠れているのだろう。僕らが依頼されたのは、街道にオークが出没するようになったからだ。つまりオークは森の外のどこかに隠れている可能性が高いように思えた。
「森ではないとすると、周辺に大きな洞窟などはあるのか」
「すこし離れてはいるが、町の東に大きな川が流れている。その上流の滝の裏に大きな洞窟があったはずだ」
「では、そこを調べることにしよう。ようやく依頼に取りかかれるな」
「歩いても数時間の場所です。馬ならばさほど時間はかかりますまい」
町長は馬ならばさほど時間はかからないと言ったが、起伏のある草原で踏み分け道すらない。当然、地図上にも道はなく、ただ川だけが描かれている。慎重に進まないと、馬が脚を捕られて転倒する危険がある。遠目には綺麗な草原なのだが、実際には小動物の掘った穴があったり、草が絡み合って天然の罠になっていたりするのだ。速度という点では歩きと大して変わらない気がする。道路という文明の産物が如何に重要かということが実感される。ただ荷物を担がなくてすむ点は楽だ。とりあえず川の方角に進み、川にぶつかってから川沿いに進むもくろみだ。
この世界の季節がどうなっているのか。そういえば誰にも尋ねてはいなかった。この場所が寒冷な地方なのか温暖な地方なのか、それも知らない。依頼が終わったら誰かに効いて見ることにする。ただ、この世界で目覚めたころに比べると少し寒くなっている気がする。最初に夜営したときにノアがまだ寝袋だけで大丈夫とか言っていた記憶がある。「まだ」ということは、このあと寝袋だけでは夜営が出来ないほど気温が下がるということだ。そういえばテントなんて事も口にしていた。
エンダーはマントを纏っていた。あのマントは僕がもらって部屋に置いてある。それを使わせてもらうのも良いかもしれない。ただ、エンダーのトレードマークだったりすると、エンダーをやったのは僕だって言いふらしながら歩くようなものだからな…。振り返ってアリサを見る。馬上のアリサはインバネスを羽織っている。袖のないタイプだ。いざというときにすぐ脱げるようにだろう。実は日本にいたころ、あのインバネスにあこがれていた。明治のころにはトンビなどと言われ、流行っていたようだが、今ではとんと見かけない。シャーロック・ホームズにあこがれていた僕は、ちょっといいなと思って通販などで買おうと思ったこともあったのだが、コスプレもどきに見られそうで、着る決意が出来なかった。けれどもこの異世界ならいけそうな気がしてきた。依頼が済んだらアリサに男物があるか聞いてみよう。これから寒くなるならちょうど良い。
そんなことを考えていると、川が見えてきた。
「とまれ、前方に川だ。ノア、何かいるか?」
「川の中に何かいる」
「ミスター、偵察してきてくれ。森の方向、川の上流の方だ」
「了解です」
馬から浮遊して、川の上空に向かう」
テレポートと飛行できることをトールに打ち明けたら、人使いが荒くなった気がする。だが、みんなの安全のためだから仕方がない。川の上流に向かって1キロほど飛ぶが、川の中にときどき大きな熱源があるが、陸上には小さな熱源しかない。大きいのはノアが感知した魔物だろう。陸上の獲物まで狙うような魔物なのか分からない。とりあえず戻ろう。
「という感じで、1キロほど先までは、川岸に障害となる魔物はいません」
「川の中の奴は襲ってくるような奴なのか…」
「わたしが試して見ましょう」
そう言って馬から降りると水辺まで進み、足先が水に掛かるところで背中から弓を手に取り、矢をつがえた。
「ノア、どこにいるの?」
「ちょうど正面、川の真ん中」
適当に狙いをつけて矢を放った。もちろん当てる気持ちはない。水面に矢が落ちると、一呼吸置いて巨大なナマズのような魚が水面に躍り上がった。矢を口にくわえ、かみ砕くと再び水面下に消えた。
「魚ですね」とソア。
「魚だねー」とノア。
「陸上にはあがってこないですね」と僕
「来ないねー」とノア。
トールが指示をだした。
「よし、無視をして先に進むぞ。洞窟があるのは上流だ。川に沿って進むぞ」
「この先に何かいる」
ノアが警告を発した。
「どこだ?」
川はまっすぐに流れていて、岸辺の見通しは悪くない。見える範囲には何もいない。
「左、川岸から10メートルくらい。何匹か固まっている」
ノアの言う当たりは3メートルくらいの丈の、葦のような草が密集して生えている。僕は上空にテレポートして、その当たりの熱源を探った。とたんに巨大な熱源が目の前に現れた。とっさに躱すと、地上からさらにいくつかの火球が向かってくる。魔法攻撃だ。敵の姿は見えないが、草むらの中からなのは間違いない。適当に狙って光の槍を投げ、テレポートで皆のところに戻った。前方の草むらで光の槍が爆発した。
「敵がばらばらに分かれた。左2匹、右1匹」
そう言いながら、ノアが馬から飛び降りた。皆も馬から降りて武器を構える。前方の草むらから1匹のオークが岸辺に現れ、棍棒を構えている。左の草の中から火球が飛んできた。
「左から、魔法!」
僕は光の槍を敵の火球にぶつけて相殺する。爆発が起こり視界が遮られた。
「草むらからいきなり火球が飛んでくるのは面倒だな。ゴード、盾を頼む」
ゴードは荷物の中から盾をとりだし。草むらに向かって構えた。
「後ろへ…」
ノアがゴードの後ろに隠れて、光る球を斜め上に撃ちだした。放物線を描き、左横の草むらの中に着弾した。落雷のような音がして小さな爆発が起こる。雷魔法だ。
「倒せてない!左右に分かれた」
ノアの声に、アリサがコートを脱ぎ捨て、草むらの中に飛び込んだ。
「左をやります」
声だけが聞こえる。
前方で威嚇していたオークが棍棒を振り上げて突進してくる。ソアの弓がオークの胸に命中したが止まらない。トールが剣を抜いて待ち構えている。僕は再び上空にあがり、右の草むらのオークを見つける。今度は熱源の位置を確認して、光の槍を投げた。爆発が起き、草むらからオークが1匹、岸辺の方に転がり出てきた。直撃は避けたようだが、爆風で飛ばされたのだ。転がり出た場所は、突進するオークを迎え撃つトールの目の前だった。
トールの一振りが、転がり出たオークの頭を割った。そこに突進してきたオークの棍棒が振り下ろされる。とっさに剣を放したトールが後ろに仰向けに倒れ、棍棒を避けた、頭を割られたオークの身体を横に押しやり、素手になったトールをオークが襲う。棍棒を振り上げたとき、ソアの弓がオークの喉を貫く。オークはそのままトールに覆い被さるように倒れた。
後ろでは、ゴードの目の前に草むらからオークが現れた。ゴードが盾を捨て、剣を構える。ノアが火球を投げようとすると、オークは2,3歩進み、そのまま前にうつぶせに倒れた。首の後ろにアリサのダガーが深々と刺さっていた。
「わたくしです」
声を掛けながら、草むらからアリサが出てきた。ノアは火球を河の水面になげて消した。
「感知なし、全部倒したよ」
上空にいる僕は皆に叫んだ。
「馬を集めてきます!」
爆発音で逃げてしまったのだ。訓練された馬だ、そう遠くには行っていないだろう。馬はすぐに見つかり、皆の元に連れ戻した。
オークの頭から剣を抜き、トールが言った。
「魔法を使うオークはやっかいだな。ソア、助かったぞ、あぶなかった」
「すみません、あんな所に吹き飛んでいくとは予想できませんでした」
「集団戦じゃよくあることさ」
ソアは回収した鏃を川の水で洗っている。矢自体はオークがうつぶせに倒れたときに折れてしまった。
「最初に心臓を狙ったのに、効かなかったわ。胸の筋肉が厚く貫くのは難しそうね。首か眼を狙う必要がありそう」
「俺の剣も、頭からすぐには抜けなかった。乱戦では注意しないといかんな、ヘタに突き刺すと抜けなくなりそうだ」
鎧の返り血を拭いながらトールがノアに尋ねる。
「何か血の臭いを消すようなものはないか、ノア。このままじゃオークにバレバレだ」
「あー、ちょっと臭くても良ければ…」
「いいからよこせ!」
ノアが鞄から出した小瓶を奪い取ると、その中身を自分の身体に振りかけた。
「なんだ、これは、鼻が曲がるぞ!」
「少し待ったら、川で洗い流して」
「アリサは大丈夫か」
そういってトールはアリサの方を見る。インバネスを纏おうとしているアリサのメイド服には染み一つついていなかった。
「俺だけか…」
そう言うと、川辺に近づき、頭から水を被っている。
「びしょ濡れだな」
「この陽気ならすぐ乾くよー」
確かに湿度が低そうだ。喉が渇いてることに気がつき、目の前に小さな水球を作り出し口に入れた。
「あたしもー」
ノアがマネをしようとするが、手のひらに発生させた水球に口を近づけると、飲む前に下に落ちてしまった。
「難しいー」
もう一度水球を発生させ、今度は水球を口に近づけようとしたが、水球が顔にぶつかってはじけた。水に濡れたノアが
「ミスター!」
とこちらを涙目で見つめる。ノアの顔の前に小さな水球を発生させると、ノアがぱくりと飲み込んだ。
「器用ですね、ミスター」
僕とノア以外は革袋から水を飲んでいた。水に濡れたノアが気持ち悪そうな顔をしていたので、ちょっと試して見よう。
「ノア、ちょっと動かないで」
そう言って、ノアの周囲の水分を気体に変えていく。水素結合を切りながら、分子の運動エネルギーを少しだけ増加させたのだ。ノアの服はすぐにすっかり乾いた。
「すごーい!どうやるの、教えて!」
「無理です。魔法じゃないから」
「俺も頼む、乾かしてくれ」
「いいですよ、動かないでくださいね。失敗するとミイラになっちゃいますから」
「えー!そんな危ないことだったの」
「初めてやってみましたが上手くいって良かったです」
「今度から何か試すときはトールで先にやってみてよねー。成功したらあたしにやって」
「殴るぞ!」
「敵をミイラにできちゃう?」
「相手がミイラになるまで、だまって待っててくれれば」
「無理かー」
オークの死体は川に流してかたづけた。しばらく浮かんで流れていたが、水面が泡立ち、波だった後にオークの姿は消えていた。河の水に入るのは止めようと思った。
「オークが出没し始めたってことは、目的地が近いってことか」
「そうですね」
「すこし早いがここで昼にしておこう」
「いいねー」
「オークがいつ現れるか分からん、ミスターに食い物を取りに行かせるのはなしだからな、ノア」
「まだ何も言ってないじゃん」
「おまえの言いたいことくらい、わからんでどうする」
トールとゴードは立ったまま、干し肉を囓りだした。
「マスターも食事にしてください」
アリサがトランクからシートをだして、広げている。
「あたしも一緒にー」
そういって自分のシートを隣に広げてくっつける。ソアは…すでに隣にシートを広げていました。三人で座って、干し肉を囓りだすと、アリサがトランクからパンをとりだした。
「マスターとご一緒にみなさんもどうぞ」
「アリサは?」
「わたくしはオークと出会う前に馬上にてすませています。食事中の周囲の警戒もわたくしにお任せください」
いつのまに…
まったく気がつきませんでした…
さらに進むと川岸が広くなり、河原のようになってきた。大きな石がゴロゴロしている、馬で進むのは無理と判断して、ここからは徒歩だ。馬はつながず、自由にする。オークに襲われなければ僕たちが戻るまで待っているはずだ。
かなり先に森と崖が見えて、河は崖の上から滝となって落ちている。河原の岩の陰から様子をうかがうと、滝の裏に洞窟があるようだ。オークの魔力感知の範囲に入らない所まで近づく。安全を見込んで、250メートルの位置で止まった。ノアの感知も範囲外だが、ノアなら実魔法は届く。オークにもノアのような規格外の天才魔術師がいたら…ふと思った。
「ノア、やはり感知は無理か」
「範囲外だねー」
「滝の水が邪魔をして熱源の探知もほとんどできませんね。それに岩を通してはもともと無理ですから、中の様子はさっぱりです。そういえば、前に姿を消す魔法もあるとかって言ってなかったか、ノア。それを使えば…」
「実際に消えるわけじゃから無理。相手の視覚に作用する干渉魔法だから、魔法がかかってない相手にはバレバレ。相手が大勢のときは意味がない」
「マスター、あの洞窟ですが目の前の入り口以外に出入り口はあるのでしょうか」
「わからないな、トールは?」
「普通の根城だったら複数の出入り口を作っておくものだが、ここはドラゴンから隠れるための臨時の隠れ家だからな。ない可能性もある」
「アリサに何か考えでもあるのか」
「崖の入り口を崩してふさぐことはできるでしょうか」
「ノアの魔法か、僕のトクギで崖上の岩を崩せばふさげるかも知れないが、すぐに中からどかされるぞ。重機なみの腕力だからな」
「しばらくの間、ふさぐことが出来ればさしつかえありません。わたくしが近づいてこれを洞窟内に投げ込みます」
そう言って短い松明のようなものを取り出した。
「火をつけると、毒の煙をだします。投げこんだらすぐに入り口をふさいでください。入り口が複数あれば、そこからオークが出てくると思います」
「うじゃうじゃと大量にでてきたらどうするの?数の暴力でまけちゃうよー」
「出入り口はせまいからね、いっぺんには出てこれない。出てくる場所が分かれば、出てくる順に魔法でやっつければいいかな。打ち漏らした奴はトールたちの剣とソアの矢で各個撃破ですね。万が一の場合は例によって僕のテレポートで逃げましょう」
滝の裏の洞窟の入り口にアリサが身を隠しながらゆっくりと近づいてゆく。ソアが弓を構えて準備している。250メートルだぞ、免許皆伝だな。僕も光の槍を細くして投げる用意をしている。
入り口のオークがアリサを感知したようだ。きょろきょろとこちらを見回している。ソアが弓を放った。山なりの遠距離射撃だ。アリサが突進してダガーを投げる。アリサに気がついたオークの首にダガーが刺さった。もう一匹は僕の光の槍が額の真ん中を打ち抜いた。三匹目はソアの弓が上空から落ちてきて、左肩に刺さった。うなり声を上げて矢が落ちてきた方向を見上げたところにアリサが突進し、ダガーを喉に突き刺した。3匹の見張りのオークが地に伏したときには、毒の松明に着火し、洞窟内に投げ入れていた。
それを確認した、ノアと僕がそれぞれ火球を洞窟の上の岩盤にたたき込む。アリサが離脱すると同時に爆発が起こり、岩盤が崩れ落ちる。ノアは二発目をすでに投げている。二発目の爆発で、限界を迎えたのか、岩盤が大きくくずれ、洞窟の入り口を完全にふさいだ。
アリサがこちらに戻ってきた。抜け目なく最初に倒したオークの首に刺さったダガーを回収して持っている。
まちがいなく暗殺者です…
全員で洞窟の左右を見張る。少し離れた深い藪の中から二筋の煙が上がってきた。滝の左右に一筋ずつだ。トールが指示をだす。
「ソアとノアは左、ミスターは右だ、はずすなよ。河を渡ってはいけないからな、外すと逃げられる。ゴードとアリサは俺と一緒だ」
そういって左の方に走り出した。
「ノア、魔法で煙が上がっているあたりの藪を吹き飛ばしてください。弓でねらえません」
「分かったー、ソア」
ノアが光球を投げると、左の崖下で爆発が起こり、藪が吹き飛ばされた。崖下の洞窟への入り口があらわになった。
「トール、あまり近づかないでねー、中に魔法を打ち込むから」
そういって入り口の中に火球を打ち込み始めた。内部で次々に火球が爆発を起こす。ばらばらにちぎれたオークの死体が入り口から飛び出してくる。ノアのペースが少し落ちてきたとき、3匹のオークが洞窟から脱出に成功した。ちりぢりに逃げ出すも、ソアの弓で一匹、突進したトールの剣でもう1匹、なんとか逃げられたかと後ろを振り返ったオークの首をアリサが突き刺した。その間に再びノアが魔法を連射していると、左の出口の天井が崩れ、出口は完全にふさがれた。
ノアが魔法を打ち始めたころ、僕は右の出口まで飛行して、上空10メートルほどで両手にそれぞれ光の槍を持って構えた。爆発しないように細くした槍だ。威力は低いが連射速度が速く出来る。出口内部から火球が飛び出て、出口の前方で爆発する。待ち伏せを恐れているのか。続けて2発、火球が打ち出されてきた。一発は出口のすぐ前で爆発し、土煙をあげた。その土煙に紛れてオークの集団が飛び出してきた。上空から動いている熱源に向けて光の槍、槍と言うよりも針と言った方がいいかな、光の針を連射した。次々と倒れるオーク。数匹が河に飛び込み逃げようとしたが、数メートルも泳がないうちに、河の魔物の餌食となって水中に没した。土煙が納まった時に、動くものはなかった。地上に降り、出口の前に立つと、両手で火球を作り出し、中に投げた。奥で爆発が起こり天井が崩れる。爆風を避けて上昇した僕は、こちらの出口が完全に塞がったのを確認して、ノアのいる最初の場所に帰った。
トールたちも戻っていた。
「やったねー」
「やりましたね」
「これで全滅かな」
「生き残っていても、閉じ込められて、さらに毒の煙が満ちていますから長くはもたないでしょう」
ノアが、魔力感知で確認しようと滝の裏の入り口に向かおうとしたとき、爆発がおこり、入り口をふさいでいた岩が吹き飛んだ。
皆が周囲の岩陰に隠れ、飛んでくる岩の欠片を避け、様子をうかがう。僕はノアを連れて上空300メートルに待避した。土煙をくぐり、洞窟からひときわ大きなオークが1匹出現した。町長が言っていた特別に強力な個体ってやつかな。何か言おうとしたノアの口をふさぎ、高度を維持したままオークの後方上空に移動する。魔力感知の範囲は強い個体でも一緒のはずだ。ここなら気づかれないだろう。
オークは前方を睨んでいる。アリサが岩陰から立ち上がってトンファーを構えていた。僕がオークの上空に位置したのを察知し、おとりになったのだろう。アリサの意図に気づいたソアが、立ち上がって弓を構えた。続いてトールとゴードもたちあがり、剣を構えてオークを挑発する。
「こいよ、ゴリラ野郎!」
オークがかっと眼を見開く。アリサがとっさに横に飛び、ソアを押し倒す。アリサの背中を火球がかすめ、後方で爆発をした。魔術師なのか。急がないと…
僕は光の球を作り出し、オークに狙いをつけた。エンダーを倒した光球だ。正体は重力コントロールされた素粒子サイズのマイクロブラックホール。一瞬で蒸発するはずのマイクロブラックホールが蒸発せずに障壁の内部に留まっている。障壁の内部ではブラックホールの重力が有効だ。この障壁は場として存在し重力子を通さない。輝いて見えるのは障壁内の空気分子がブラックホールに落ちていくときに放出する光だ。巨大なオークに向かってそれを投げる。異様な気配を察知したオークが振り返り、上空を仰いだ。目の前の輝き、それがオークがみた最後の光景だ。光球は音もなくオークの頭を通過した。光球が通過するすべての物質は内部のマイクロブラックホールに吸い込まれてしまう。オークの頭を通過した後にマイクロブラックホールを消す。消えずに残ったわずかの残存エネルギーが障壁の消失により小さな爆発を起こした。オークは爆風に押され、よろよろと2,3歩後ろに下がった。そのオークの首から上は消失している。オークの最後の1匹が大きな音をたてて倒れた。
僕はノアとともに、皆の近くにゆっくりと着地する。
「アリサ、大丈夫か?」
「おきずかいをおかけして申し訳ございません。ご心配はご不要です」
そう言って、一回りして全身を見せた。メイド服の背中が微かに煤けていたが、黙っていよう。
「オークの死体はどうしましょう」
ソアの質問に、
「全部集めて、洞窟の中に放り込んで、もう一度魔法で入り口をふさげば良いだろう」
トールが答えた。
皆には洞窟の入り口で待機してもらい、僕がテレポートで死体を回収する。トールとゴードがそれを洞窟の中に放り込んだ。河に沈んだオークは回収不能だ。あの魚の腹の中だろう。すべてが済むと、入り口から離れ、再度ノアの魔法で崖を崩し、滝の裏の入り口をふさいだ。討伐の証拠を持ち帰らないといけないので、あの巨大なオークの手首を切断しておいた。巨大さが分かるはずだ。全滅させた証拠にはならないが、群れと闘って勝ったことは信じてもらえるだろう。それで充分だ。
馬は放した場所でちゃんと待っていた。ノアがテレポートで帰ろうと騒いだが、疲れたからと言い訳をし、皆で馬で帰ることにした。ノアとのんびり帰るのも良いかと思った。
町に帰り、オークの討伐を町長に報告した。手首を見せるまでもなく信じてもらえたが、巨大な手首に驚いていた。僕らは町長にミントの町の宿のお薦めを尋ね、そこに向かっている。今までずっとギルドで寝泊まりをしていたが、ようやく宿に泊まれる。宿の部屋はすべて一人部屋だった。適当に部屋割りをして、それぞれの部屋に入る。
しばらく休んだ後、アリサの部屋を訪ねた。
アリサは別のメイド服に着替えていた。目の前にさっきまで着ていたメイド服が広げてある。背中についていたかすかな煤を見つけてショックを受けているようだ。自分では完全に回避したつもりだったのだろう。
アリサに頼んで、公爵家御用達の店に同行させてもらう。店に着くと、アリサはメイド服の予備をさらに追加していた。僕はアリサのインバネスの男物が購入できないかと聞くと、執事用のものがあるという。袖無しと袖有りの2着をもらい、さらにアリサのものより少し小さくて、赤い色の女物のインバネスがないかと尋ねる。この色でよろしければと濃い赤のインバネスを出した。僕はそれでいいと言うと、無関係の者にお渡しはできませんがと言われた。妻にと言うと、アリサが頷くのをみて黙って渡してくれた。この際ついでだ、帽子はあるかと聞くと、サファリハットのような帽子を出す。サイズを確認し、これも欲しいと言って受け取る。最後に代金を尋ねると、公爵様の支払なので不要という。あまり借りは作りたくないのだが、ここはおとなしく引き下がる。
あとでアリサに聞いてみた。このインバネス、一着いくらと…
「わたくしには知らされておりません」
「そうか…」
「以前、執事にお聞きしたのですが、わたくしどものメイド服よりは安価だそうです」
「そうか…」
「なんでも、城ひとつ建つ程度と聞き及んでいます」
「………メイド服は」
「インバネスの二倍程度かと」
「…………」
自分の部屋にもどると、早速インバネスを纏い、帽子を被ってみた。とても日本ではできない格好だ。しかし、ここは異世界。何を着ても大丈夫と自分に言い聞かせた。そして、赤いインバネスを広げてみた。ノアが着れば可愛いと思うのだが、受け取ってくれるだろうか…。
翌日、僕らはミントの町の宿の1階の食堂で朝飯を食べていた。
「この炎竜の爪はどうしたら良いでしょう?」
そういって、ドラゴンの爪の先端部分を出した。僕の脚に刺さっていた部分だ。
「依頼中に手に入れた物は原則パーティーのものだが、そいつはミスターがもらっておけ」
全員が頷いている。
「何かに使えるんですかね」
「売れば相当な額になるわね」
「滅多に手に入るものじゃねえからな、売るのはもったいないぞ」
「お薦めは?」
「武器に加工だな」
「短いですよ」
「細いから刺突用の短剣かな。しかし、強度も切れ味も凄そうだな」
それを聞いて、ちょっと思いつき、
「アリサ、済まんがダガーを一本出して」
ダガーを受け取ると、真上に放り投げる。落ちてきた所を手に持った爪で横に払った。ダガーはテーブルの上に落ちて、ふたつに分かれた。
「驚いたな、支えもない空中のダガーがはじき飛ばされもせず真っ二つだ。それもミスター程度の剣の腕で」
「僕程度というのはひどいな。まぁ否定はしません。それだけこの爪が凄いってことで」
「とんでもねぇ短剣ができるぞ」
「でも、固くて削ったりとか出来そうもないよー」
「エンダーの刀の残骸はまだ持ってるか」
「一応とってあります。なんでも希少な金属だそうで」
「アダマンタイトだな、こちらは優秀な職人ならばなんとか加工できる。アダマンタイトで短剣の鍔元の部分を作り、先の方は爪をそのまま使うようにして、一体化できないかな。職人に相談してみるといい。アダマンタイトの加工ができる職人なら王都に何人かいるぞ。アダマンタイトがもう少し多く残ってりゃレイピアにも出来たかもしれねえが仕方がないな」
トールに職人の名前と工房の場所を教えてもらった。それで思いついたが、公爵家御用達の店で相談してみるのもいいかな。どうせもう城がいくつも建つほどの借りをつくっているんだ、城がひとつやふたつ増えても大差ないからな。
その日の夜、ふたたびアリサに同行してもらい、爪と刀の残骸を渡してトールのアイデアを話した。店の主人は僕の腰のレイピアをみて、せっかくの爪なのでレイピアにしましょうという。アダマンタイトの量が不足ではというと、そこは気にするなと言って、爪と刀の残骸をしまって、3日後に取りに来いと言う。加工賃は聞かなかった。
4日後の朝、朝食の席で前日に受け取ってきたレイピアを抜いてみんなに見せた。トールが不足分のアダマンタイトはどうしたんだって聞くので、工房にサービスしてもらったというと、そんなわけがあるかと怒られた。公爵家の伝手でというと、それ以上何も言わなかった。
アダマンタイトと爪の色が違っているので継ぎ足した部分がはっきり分かる。ソアが継ぎ目の部分で折れやすかったりしないのかと聞いた。
「トールに聞いた王都の職人に鑑定を頼んだら、怪力のオークが手に持ってドラゴンを横殴りにでもしないかぎり折れそうもないだって」
ちなみに鑑定料は、良い物を見せてもらったといって無料にしてくれた。誰の仕事だとも聞かれたけれど、わからないと答えておいた。
僕はレイピアを鞘にもどし、つぶやいた。
「またつまらぬ城を増やしてしまった…」
食事後、解散してそれぞれが自由行動となったとき、僕とノアのふたりが残った。ちょうどいい機会だ。
「話があるのだが、この後、ちょっと僕の部屋に寄ってくれないか」
「いいよー」
と即答である。
「変な期待はするなよ。まじめな話だ」
「期待したのにー」
「僕は先に戻っているから、後からきてくれ」
そう言って部屋にもどり、赤いインバネスを白い布の袋に入れて用意した。僕自身もインバネスを纏って帽子を被る。そこでドアがノックされた。ちゃんとノックできるじゃないか。
「ノアか」
「そうだよー」
「入っていいぞ」
ドアを開けた瞬間笑い出した。
「何、その格好。アリサのと同じコートだ。それに頭に変な物」
「笑うんじゃない!ドアを閉めろ!」
ノアがドアを閉めるのをみて、白い袋をノアに差し出す。
「ノアにやるぞ」
恥ずかしくて、ぞんざいな言い方になってしまった。
「なにかなー。美味しいものとか」
ノアが袋の中から赤いインバネスを取り出した。
「これって、アリサと同じコート!」
「これから寒くなるみたいだからな。風邪でも引かれると困る」
「誰が困るのかなー」
「パーティーが困るんだよ、いいから着て見せろ」
早速身に纏った。
「どう、似合っている。可愛い?」
さっき、僕の格好を見て、笑ってたんじゃないのか…
先輩の言葉を再び思い出し褒めておく。
「すごく可愛いぞ」
それを聞くと、ソアに見せてくると言って出て行った。
ドアがノックされ、ソアが入ってきた。
「失礼します。わたしにもコートをいただけるのでしょうか」
「あー、サイズが違うので仕上がりにもう一日かかるそうだ」
「ありがとうございます。一瞬でも疑ったわたし自身を恥じています。ミスターがそのような方であるはずがありませんね。明日を楽しみにします」
そう言って帰っていった。
すみません、そういう人でした…
今日中に都に行かなければ。
アリサとほぼ同サイズだからアリサ用でいいかな。
それなら在庫があるよな…
なかったらどうしよう…
翌日、ソアに青いインバネスを渡した。とても喜んで、その場で纏ってみせた。インバネス姿のソアは、とても魅力的だった。
またまた城を増やしてしまった…
★あとがき(撮影現場にて)★
ノア:「ちわー、あれ、なにそのインバネス」
えっ、これは…
ノア:「あんたがインバネス着てどうしようっての」
いや、私服ですから…
ノア:「えー、コスプレかと思った」
違いますよ、昔から憧れてたんですよ。
ノア:「あー、だからあたしたちにインバネス着せたのね」
いや、まあ…よかったでしょ、可愛いし。
ノア:「あたしが着ると可愛いけど、あんたが着ても…」
確かに、小柄でお子様のノアさんが着ていると、とても可愛いですけどね。
ノア:「そうでしょ、可愛いでしょ…ちょっと待って、誰がお子様よ、誰が」
いえ、気のせいです。何も言ってませんから…
ノア:「ところで、あたしのインバネス、衣装さんに返さないとダメ?」
欲しいんですか?
ノア:「だって、可愛いし…」
衣装さんにお願いしてみたらどうですか?
ノア:「あんたから話してよ、ギャラ安いんだし、このくらい役得があってもいいよね」
撮影が全部済んでからお願いしてみますね、だから僕のロケ弁を…
ノア:「じゃ、ロケ弁と交換てことで」
交換て…もともと僕のロケ弁だし…




