141 魔術師、温泉に入る
「じゃ、俺たちはダンジョンにいってくる。戻ったら温泉も楽しむつもりだから、また会うこともあるだろう。そんときゃ、よろしくな」
温泉宿の前で、カイルたちはそう言って別れていった。
「あたしたちは温泉だよ、ミスター。宿を取ったらすぐ温泉だよ。あたしと一緒にはいろうよ」
「ここでは混浴は許されていませんよ、ノア」
「なんでよ、夫婦なら一緒でもいいじゃん」
「そういう決まりのようですよ」
「そんな決まり、どこにあるのよ」
「そこに書いてありますよ、入り口の前の掲示板に」
ノアは馬車から飛び降りて、掲示板を見る。
「あー、ほんとに書いてある」
以前が以前なだけに、必要以上に厳しくしているようだ。「ガースの町」という悪名が忘れられる頃にはもう少し融通が効くようになるだろう。そうしたら、ノアやソアたちと一緒にもう一度来てもいいかなと思った。
ノアに続いてソアとアリサが馬車を降りると、ゴードが馬車を進め、宿の隣の厩舎に向かった。僕たちも下馬すると、エマが僕やトールの分の馬も引いて厩舎に入っていった。
「ゴードとエマが厩舎に馬車と馬を預けている間に、俺たちは宿の部屋を取っておくことにしようぜ。4人部屋を二つでいいかな」
「あたしとソア、それにアリサ、もうひとりはミスターかな」
「エマに決まっているでしょう」
「夫婦はひとつの部屋でいいじゃん」
「冒険者のあいだは夫婦扱いはなしです、ノア。それとも引退しますか」
「それはまだ先の話ってことで」
ノアの答を聞いて、ちょっと安心している僕がいる
『じゃ引退する』とノアが答えていたら
僕はどうしていただろう…
トールが受付に行き、4人部屋を二つ頼んできた。幸い、並びの部屋でとれたようだ。おまけに、二つの部屋の間をつなぐ扉が室内にあるようで、廊下に出ずに互いの部屋の行き来ができる部屋だった。本来は従者を連れた客のための部屋だとか。
部屋に入ってみると、広さこそ同じだけれど、明らかに片方の部屋の調度品がみすぼらしい。従者用の部屋なのだろう。ノアがさっさと豪華な方の部屋で背負っている荷物を下ろしている。
「しかたねぇな。俺たちはこっちだ」
そういってトールは質素な方の部屋で荷物をおろした。4人部屋に3人なのでゆったり使えると思えば不満はない。
荷物を部屋に置いて、さっそく温泉に行ってみた。30人程度は入れる大浴場が4つに、5人程度が限度の浴場が4つ、それと個人用と表示された小浴場、というより浴室が6つほどある。なかなか大規模な温泉宿だ。湧出する湯量がたっぷりなのか、いずれも流しっぱなしの温泉だ。それぞれ半数が男性用、残り半数が女性用となっていた。
人気の宿なので混んでいるかと思ったのだが、思いの外空いている。浴場の受付で聞いてみると、ダンジョンが発見された時は冒険者でとても混み合っていたという。その当時は家族客などに敬遠されて、女性の客はほとんど来なかったそうだ。
「今ではダンジョンの探索もほとんど終わって、新たな遺物の発見ありませんで。おかげで一攫千金を狙う冒険者もこねぇので、閑古鳥が鳴いてまさぁ。冒険者が寄りつかなくなったってぇ話が広まれば、旅の途中の商人たちや温泉目当ての家族客も戻ってくるんじゃねぇかって思っちゃあいますがね」
「そうだね。でもダンジョン人気で大部儲けただろうから、骨休めの期間だと思えばいいのさ」
そんな話をしながら男湯の更衣室へ行こうとしたら、ノアがやって来て、僕と一緒に入ろうとした。
「あー、お嬢さん。ここじゃ混浴はできねぇよ」
「えー、子どもならいいでしょ。ひとりだけで離れて入ってたら心配だよね、ミスター」
「いつもは大人だって言ってなかったか」
「ほら、見ての通り子どもだよ。胸だって」
「あーここで見せなくてもいいから。済みませんね、こう見えてもこいつはもう16過ぎの大人なんで、女湯に案内してくださいな」
「えー! いつもは子ども扱いするくせにー」
ノアが受付の案内人に引きずられるようにして女湯の更衣室に連れて行かれた。
温泉は好きだ。でも、他人と一緒というのが苦手で大浴場は好きじゃないのだ。今回は他の客がいないのを幸いに大浴場を堪能させてもらった。ゆっくり浸かっているとトールとゴードもやって来て、一緒になった。
おい、下着をつけたまま入るんじゃあない
剣はおいてこいよ
下着を取ったら取ったで、そんな堂々と見せびらかすなよ
こっちが恥ずかしい
これだから大浴場は…
この世界では、温泉はめずらしいようで、マナーってものができていないようだった。
ここの宿は食事付きだ。貴族や大商人などの金持ち向けの高級な所は別だが、この世界の宿は食事は出さないのが普通だ。食堂を兼ねている宿もあるが、あくまでも別営業という建前だ。しかし、この町では宿と武器屋、それに旅の道具を商う店があるだけで、食事をする店がない。そのため宿が食事付きになっているのだろう。もちろんその分宿代は高い。単なる旅の寝床ではなく、温泉でゆっくりしようという宿なので、それに文句を言う客はいない。
僕たちのパーティは路銀には困っていないので、湯から出た後、ソアたちの部屋で最高級の食事を頼んだ。といっても、客は冒険者や商人で、貴族じゃぁない。給仕が付くわけもなく、部屋に食事が運ばれてくるだけだ。それでも十分に堪能できた。混浴は禁止とか、固いルールがあったので酒も出ないのかと危惧したが、さすがにそんなことはなく、食後は酒盛りになった。もっとも僕は酒を飲まないし、ノアのところには例によって果汁とミルクが運ばれ、いつもどおりノアが不満を言い、ソアがノアを言いくるめていた。
食事と酒の後は、もういちど湯に浸かってこようとなったが、ノアは部屋で待っているという。僕たちはノアをのこして浴場に向かった。
風呂からもどると、ノアが一人で何か飲んでいた。
「ノアさん、何を召し上がっているのですか」
「へへ、お酒だよー」
「駄目じゃないですか、お子様なのに」
そういってソアがノアの手からカップを取り上げたが、もうかなり飲んでいるようで、空き瓶が何本か転がっていた。
「お子様じゃないよー、大人だよー。さっき浴場の受付でミスターもあたしを大人だって言ってたもんねー」
そう言ってソアからカップを取り返そうとする。
「もっと飲むー。今までの分も飲むー」
「駄目です。もう酔っているじゃありませんか。アリサ、ベッドからシーツを取ってくださいな」
アリサがシーツを渡すと、あばれるノアをあっという間にシーツでぐるぐる巻きにして、床に転がしてしまった」
「あーん、放してよー」
「酔いが覚めるまでそうしていなさい」
しばらくジタバタしていたが、酔いが回ったのか寝てしまった。ノアがおとなしくなったところで、それぞれの部屋に別れて寝ることにした。女性たちの部屋のベッドはなかなか高級で寝心地は良さそうだったが、ノアは床でシーツに巻かれて転がっている。明日、目が覚めたとき文句を言われないといいのだが。
あ、寝ぼけて魔法を放ったりはしないでくれよ…
★★ 142話は5月10日00時に投稿
外伝を投稿中です
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王女と皇女の旅 ~魔術師は魔法が使えない 外伝~




