99 魔術師、策をはずされる
縄の端を持ったまま、ゴードは捕虜の背中を押して相手の方へ突き出す。捕虜が相手の位置までよろよろと進むと、縄の端を持った手を相手に伸ばし、もう片方の手でターニャを寄越せと催促をした。
男はターニャをゆっくりと身体から離し、両手で支えたままゴードに渡そうとする。ターニャを受け取ると同時に縄の端を離した。その縄の端を取ろうと相手が屈むと、ターニャの身体を自分の身体で覆い隠すようにすると、そのままくるっと振り返り、僕たちの方に向かって走り出した。
なるほど、背中の大盾はこのためか…
ゾンデルが目当てのターニャまで殺そうとはしないと思うが、万一を考えたのだろう
一方、相手の男は縄の端をつかんで身体を起こすと、捕虜の男を蹴り飛ばしながらゾンデルの元へと戻っていく。
見届け人の見ている前で捕虜の口塞ぎでもしてくれれば、殺人で追求できたのだが…
ゾンデルが一言二言話しかけると、男は捕虜を引きずるようにして屋敷の中に連れ込んだ。
捕虜が屋敷の中に消えると、ゾンデルが右手を挙げた。僕たちに緊張が走り、トールが剣を抜き、エマが槍を構える。見届け人が戦いに巻き込まれないように後ろに下がっていった。
だが戦いは始まらなかった。ゾンデルが屋敷の中に入っていき、周囲の男たちも次々に後を追って中に入って行った。最後のひとりが屋敷の中に消えると、トールが剣を構えたまま、誰にということもなくつぶやいた。
「中で待ち伏せるつもりなのか…」
「もうターニャは取り返したんだし、屋敷ごとドカーンと…」
ノアの言葉をソアが遮る。
「駄目ですよ。見届け人がいるんです。ここでわたしたちが攻め込んだら、わたしたちが犯罪者になります」
「だって、ターニャを掠ったのははっきりしてるんだから悪党はあいつらに決まってるじゃん」
「奴はこの町の評議員で、父親が町長だ。そう簡単にはいかない気がするな」
「どうして、ミスター。ターニャを掠ったほうが悪党じゃない」
親父の知恵か、それともゾンデルがしたたかなのか。自分の立場を最大限活かすつもりなのだろう。ノアの言うことはもっともに聞こえるが、奴が町の名士で僕たちはよそ者の冒険者にすぎない。僕たちが攻撃したら、やつは反撃せずあっさりと降伏するつもりかもしれない。問題はその後だ、治安維持部隊が裁くことになるのだろうが、そこで奴は何を言い出すか…。
たとえば、ターニャ一家を僕たちが掠ったと主張したら…。ターニャだけはゾンデルが守ったが、配下がひとり捕まってしまい、ターニャとの交換に応じなければ殺すと脅かされたなんていいだしたら…。僕たちの主張と水掛け論になれば、どう転ぶか判らない。かなり無理のある主張だが、町長がバックついている奴らの主張が認められる可能性は高い。
「一旦引き上げよう、トール。まずはターニャの安全確保だ」
僕の言葉にトールもうなずき、剣を納めた。トールの合図でみんなも引き上げ始める。見届け人はいつのまにかいなくなっていた。ギルドに報告に戻ったのだろう。
相手に先に手を出させて、正当防衛でやりかえす目論見ははずされてしまった。問題はこの後だ。奴がターニャを諦めるとは思えない。奴をなんとかするまでは僕たちも町を去って旅を続ける訳にはいかない。
僕たちが宿に戻ると、母親のリーザさんはターニャを抱きしめて喜んだ。祖父のウェルナーさんはトールに感謝の言葉を述べている。
「まだ解決したわけじゃない。もうしばらくここに泊まっていてくれ。奴らに手出しはさせないから安心していい」
トールの言葉に、一家は頭を下げてターニャと一緒に部屋に入っていった。
「ねぇ、どうするのよ、これから」
「相手が何か手を出してこないと、こちらからは何もできないな。最悪、一家を説得してどこか遠くに移り住んでもらうしか…」
「そんなの、しゃくじゃない!」
「大丈夫だ、ノア。すぐに奴らは手を出してくるさ」
「どうしてよ、ミスター」
「まず変態野郎の目的はターニャだ。これで諦めるとは思えない。後、山賊との関わりの証拠だ」
「証拠なんてないじゃん。捕まえてたのも取り戻されちゃったし」
「でもゾンデルは僕たちが証拠を持っているかもしれないと、疑いを持っている。そうでなければ今度の交換になんか応じていないはずだ」
「でも、あいつが証拠なんてないってゾンデルに言ったら…」
「大丈夫だ。昨日、奴の前で一芝居打っておいたからな。俺たちが証拠を持っているとゾンデルの野郎に報告するだろうさ。そう時間をおかず、何か手を打ってくるはずだ。治安部隊は町長の依頼がないとおおっぴらには出動できないが、騒ぎが起こっていることは把握しているだろうから、町長も息子のためとはいえ、そう長くは自分の所で握りつぶしておけないだろう」
みんなが沈黙していると、アリサがその静けさを破った。
「山賊の根城では証拠を入手できませんでしたが、ゾンデルの屋敷にはあるかもしれません。わたくしが忍び込んで入手してきましょうか」
「危険すぎるだろう。あいての魔術師の感知を躱すのは、戦いの混乱でもないと不可能だ。それは却下だ。マスターとしての命令だ」
ふたたびみんなが黙り込んだとき、ノアが警告を発した。
「表に誰かいる。宿の前」
僕は窓に駆け寄り、締めてあった鎧戸を少し開けて外を見る。
危惧していたことだ。男がひとり立っていた。
立っていたのは、キーファーだった。
★★ 100話は2月10日00時に投稿
外伝を投稿中です
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王女と皇女の旅 ~魔術師は魔法が使えない 外伝~




