エッセイを書くといいらしい ~ブックマーク欲しさに書いた駄文~
なんでも自作小説を読んでもらうには、エッセイを書くといいらし。しかし何を書いていいか分からない。なので適当に自分が小説を書くきっかけを書いて行こうかと思う。
もともと小説を読むのが好きで、中学生くらいのころから図書館に行っては小説を読んでいた。
しかし、どんな内容の小説を読んでいたのか記憶が定かではなく、内容もほとんど覚えていない。大して集中して読んでいなかったのだろう。
本格的に読み始めたのは高校生になってから。ホラーやミステリーなんかを読み始めた。純文学にも手を伸ばし、あれこれと読みふけっていた。
せっかくの青春時代を小説に費やすなんて、聞く人が聞いたらもったいないと思うだろう。別に友達がいなかったわけではないが、小説を読んでいる時だけは一人っきりの世界に浸れて心地よい気分になれるので、自然と本の中の世界へ没頭するようになった。
私の人生を変えた一冊というか、一つの物語に、三島由紀夫の午後の曳航という小説がある。
正直言って内容はよく覚えていないのだが……。
母親とその息子。そして母親と肉体関係にある男。この三人の視点で描かれた物語だったと思う。
たしか、金閣寺を読もうと思って図書館で全集を借りて、その中に収録されていたと記憶している。
当時の私には読解力も語彙力も備わっておらず、内容をほとんど理解できなかった。金閣寺は米兵が出てきたシーンはよく覚えているのだが、他はさっぱり記憶に残っていない。
午後の曳航も同様に内容をほとんど覚えていないのだが、ラストだけははっきりと記憶している。あの終わり方は衝撃的だった。
物語の終わり方として、すっきりする終わり方と、もやもやする終わり方があると思うが、午後の曳航は後者だった。物語が大きな転換を迎える場面で唐突に終わってしまい、読者である私は想像の海へと放り出され、たどり着くはずだった結末を求めてもがきにもがいた。
貧弱な想像力しか持ち合わせていなかった当時の私に、物語のその後など思い描けるはずもなく、ただただ茫然としていたのを今でも覚えている。
似たような終わり方の物語に宮部みゆきの火車がある。あれも目的こそ果たされたものの、その後くだんの彼女がどうなったのか全く描かれていない。こちらも読んだ後しばらく悩まされた。
しかし、こういった終わり方をする物語が嫌いになったのではなく、むしろ作者を尊敬し、こんな勇気のある終わり方で物語をしめるのかと、憧れにも似た感情を抱くようになる。
やはり幼いころに得た経験は強いもので、その後の展開の全てを読者にゆだねる作品に出合うと、感動のあまりため息を漏らしてしまうのである。
最近の作品だと、アニメの91daysがある。禁酒法時代のマフィアの抗争を描いた復讐劇だ。
私はあの作品が大好きで、今でもたまに見返してしまう。登場人物の誰もが魅力的で、破滅的かつ退廃的なストーリーが私の嗜虐心を刺激する。
ラストは二人の人物が砂浜を歩くシーンで終わるのだが、やはりどのような結末になったのか分からない終わり方をした。
しばらくネットで二人がどうなったのか議論が繰り返されていたが、どちらが正しいかという議論に何の意味もないと断言しよう。
一人ひとりの心の中にある結末こそがその人にとっての唯一の結末なのだ。
何人も否定することはできない。
作者がすべてを描き切らない作品が好きだ。
あえて想像の余地を残すことで、結末を読者にゆだねる。
なんて勇気のある決断だろうか。
そう言う作品と出会ったからこそ、今の私は小説を書いているのかもしれない。
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