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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幻想に咲く儚い夢 運命に翻弄された二人の絆

作者: うる浬 るに

 「この戦争が終わったら、必ず会いに行く」

 私は彼から告げられたその約束を、いつまでも忘れることができなかった。


  ◇


「お隣のエブンディール国の内戦のせいで、こんなアーティファクトまで市場に流れてくるようになったのね」


 私は薄暗い部屋の中で、父が知り合いから譲ってもらったという瑠璃色の球体を、ランプの明かりを頼りに観察していた。


 それは手にすっぽり収まるくらいのガラス玉。濃淡のある青色で、中に発光する砂か液体が入っているのか、キラキラとした星のような煌きが散らばっている。

 まるで夜空を閉じ込めているかのようで、その神秘的な瑠璃玉から、私はずっと目が離せなかった。


「最近では、追われているお貴族様たちが門外不出の物まで金に換えているそうだ」

「それほど大変なのね。これ、鑑定してみてもいい?」

「ああ。悪いものではなさそうだから、おまえの鑑定眼で調べてみてくれ」


 魔女の血族だと言われている私の一族には、鑑定眼という魔眼を持つものが生まれる。私もその能力を持つひとりである。父も多少は鑑定できるけど、能力的には私の方が上だ。


「想……願……幻……視……」


 私は頭に浮かんだ四つの文字を口に出してみた。


「抽象的すぎるわね。いつもみたいに説明文が浮かんでこないわ」

「おまえでも読み取れないのか」

「鑑定できないんじゃなくて、もともとたいしたものではないのかもね。それにしても、『想願幻視』どういう意味かしら?」

「そのまま受け取れば『見たいと思った光景が映し出される』か『人の思考を読むことができる』そんなところだと思うが?」

「それがはっきりしないと値段がつけられないわよね。見た目が綺麗ってだだけで売ったら儲けそこなうかもしれないし」

「そうだな」

「ねえ、これに説明書はついてなかったの?」

「ああ。箱もなかった」

「だったら仕方ないわね。これで何ができるのかわかるまで、私が預かっていてもいい?」


 もしかしたら他の情報が浮かんでくるかもしれない。


「危険な物ではなさそうだが、アーティファクトは何が起きるかわからないからな。十分気をつけるんだぞ。それに無理はするなよ」

「わかってるってば」


 私はもう一度瑠璃色の球体を凝視した。


「やっぱり浮かぶのは『想願幻視』の四文字だけだわ」


 しばらく様子をみようと思って、とりあえず小銭入れ用のひも付きの袋に入れて首から下げておく。


 国境付近のこの町には、このところ、アーティファクトや掘り出し物が流れてくることが多くなった。特殊な骨董品を扱っている我が家は資産を増やす好機だ。だけど、父と取引している軍の幹部から、隣国の革命軍が西から国境に向かって進軍していると情報を得ている。


「戦火が迫って来ているのなら、あまり欲を出すのは危険かもしれないわね」

「そろそろ店をたたむ準備も視野にいれておくか」


 そんな状況なので、いざっていう時のために国境の砦には通常より兵士を増やしているらしい。


「隣国から飛び火して、領土を踏み荒らされないとも限らないからな」

「軍が守ってくれているんだから大丈夫なんじゃないの?」

「それでも、自衛はしておいた方がいいと思う」


 近ごろはこの町も軍人の姿を見ることが多くなってきた。すぐにどうこうなることはないけど、このままだといずれ何かしらの影響を受ける可能性が高いらしい。

 高みの見物でいられる間はいいけど、戦場がこちら側にも広がって店を襲われでもしたら、命の危険もある。うちも様子を見ながら、店を閉めて他の町に移る予定は進めている。


「死んだら元も子もないものね」


 とりあえず、荷物を少なくするために、売れそうなものは値段を下げて店頭にならべている。ある程度片付いたら、親戚の家に避難している母と幼い妹たちを迎えに行って、他の町で新たに出店する場所を探すつもりだ。


「もともとは王族同士の争いから始まったのよね。本当にいい迷惑だわ」

「悪政を正すと言って、末の王子が協力者と一緒に立ち上がったそうだが、国中に戦火が広がってしまうとはな」

「関係ない民まで巻き込んで、本当に何をやっているのかしら」


 文句を言いながら、私は夕食用の固いパンを齧る。


 最近は人の出入りが激しくなったせいで、この辺りの治安がずいぶんと悪くなっている。おかげで何かあってからでは困ると、一人では買い物にも出してもらえなくなった。


 そのため、食料の買い出しは、父に任せているけど、いつも見切り品を「これで十分だ」と買ってくるので、私は焼き立てのふわふわしたパンが恋しかった。


 そうは言っても、こんな状況だから、一銅貨すら無駄にはできないこともわかっている。不満は口に出さずに野菜スープと一緒にパンの欠片を飲み込んだ。


「ごちそうさま。食器は後で片付けるから、そのまま置いておいて」

「ああ」


 夕食を食べ終わると、私は自分の部屋にこもった。


「さてと」


 ずっと気になっていた瑠璃玉を胸元の袋から取り出し、手のひらに乗せる。


「見たいものを念じてみたら、何か見えるかしら」


 私は、可愛い妹たちの姿を思い浮かべながら、瑠璃玉を覗いてみる。角度を変えても、指でつついてみても、一向に変化なし。


「うーん。全然ダメだわ」


 今度は鑑定用のルーペで、ガラス玉の表面を調べてみることにした。


「不思議。まったく傷がないわ」


 これはただのガラスではなく、もっと硬質の何か。宝石でもこんな性質のものは見たことがないから、加工品であることは確かだけど素材すらもはっきりしない。


「もしかしたら、これで何かができるわけじゃなくて、本当に幻想的な美しさを愛でるだけのものだったりして。これには目が離せない中毒性みたいなものがあるもの」


 使用方法はわからないけど、もしかしたらこの見た目だけで、好事家や収集家の貴族なら飛びつくかもしれない。高額で取引できるなら売っちゃってもいいかな。


「でも、危険な物だったら困るわよね……久しぶりに全力を出してみるか」


 私は衣装箱の中から細長い布切れを引っ張り出す。その布切れで耳を覆うようにしてぐるぐると何重にも頭に巻き付けてから部屋の明かりを消した。そうやって、外部から入る音をできる限り遮断する。


 そこまで準備してから、倒れてもいいようにベッドに足を投げ出して座り、瑠璃玉を目の前に掲げた。


「よし、準備ができた」


 私が眉間に力をいれると、額の中心に熱が集まってきた。その状態で今度は全神経を眼球に集中させて暗闇の中でキラキラ光っている瑠璃玉に焦点を合わせる。


「うーん……」


 頭を空っぽにしても、瑠璃玉から新しい情報はまったく流れてこない。鑑定を始めてから一分、二分と時間だけが過ぎていった。


「やっぱりただの装飾品なの?」


 そう思った瞬間、頭がぐらぐらと大きく揺れだす。


「まずい」


 気がついたときにはすでに遅く、鑑定眼でつながってしまった瑠璃玉との同調を切るのが間に合わなかったせいで、それからすぐに意識がぷつりと途絶えた。


  ◇


「ここは……」


 気がつくと私は右手に瑠璃玉を握りしめて草原の中に倒れていた。慌てて上半身を起こし、周囲を確認する。

 見える範囲には空の青と草の緑の二色しかない。とても不思議な空間だった。


「いったいどこなの?」


 唯一そこに生えている草も、細長い葉っぱの集合体で、長さは三センチに満たない。


「草原というよりは芝生よね」


 こんな場所でどうしたらいいんだろう。そう思って他に何かないかと目を凝らす。

 すると、やっと見えるほどの距離に、一本だけ木が生えている場所があった。全方向じっくり確認してもその木以外はやっぱり草しかない。

 他には何もないのだから、遠くてもあそこを目指すしかないのだろう。


「面倒くさいし、すごく疲れそう……」


 それしか選択肢がないので、私は嫌々最初の一歩を踏み出した。


 黙々と歩き続けた結果、大木が立っている場所までなんとか到着する。

 そこにある木の高さは十メートルほどで、青々とした葉を茂らせ木陰をつくっているけど、その場所にはとても違和感があった。

 屋外だというのに、何故か、革張りだと思われるとても豪華なソファーが置いてあったからだ。

 そして、そこには誰かが顔に本を乗せたまま寝転んでいた。よく見ると襟付きの真っ白なシャツを着ている。


「貴族か……話しかけにくいわ」


 事情を知ってそうな人は見つけたけど、今は眠っているようだ。

 それに、貴族は傲慢だから平民が声を掛けたというだけで、怒り出すこともある。理不尽だとしても、この世は貴族の考えこそが正義だから、機嫌次第で何をされるかわからない。


「慎重になった方がいいかも」


 体型的には大人ではなさそうだけど、子どもだからと言っても油断は禁物だ。

 私からは下手な行動をとらない方がいいだろう。


「向こうが気がついて声を掛けてくるまで待とう」


 とりあえず五メートルくらいまで近づいてから足を止める。


「誰だ?」


 少し離れた場所だけど、私の独り言が聞こえたのか、それとも、近づいていたことに初めから気づいてのか、その貴族はすぐに反応した。


 私が黙って見ていると顔から本をどけてソファーから起き上がる。見た感じ私と同じ十五歳ほどの少年だ。

 手の中の玉と同じ瑠璃色の髪に端正な容姿。突然現れた私に、冷たい視線を向けている。


「おまえはなぜここにいる?」


 私の存在にイラついているんだろう。すごく不機嫌そうな声で質問してきた。


「すみません。邪魔をするつもりはなかったんですけど、ここからどうやって帰ったらいいかわからなくて。もし方法を知っていたら教えてもらえませんか」


 その少年は睨むようにして私を見つめていた。


「あの……」

「どうやってここに入って来た」

「わかりません」


 否定したけど、心当たりがないわけじゃない。こんなことになっているのはたぶんこの瑠璃玉のせいだろう。だけど、相手が何者かわからないから、黙っておくことにした。


「俺のことを知っているか」

「いいえ。今まで会ったことはないと思います」


 こんな珍しい髪色なんだから、見かけていたら記憶に残るだろう。それに、辺境の田舎町に暮らしているので、貴族との接点なんてあるわけもなかった。


「すみません、帰り方さえわかれば、すぐにここから消えますから」


 少年は謝る私から目を離さずに、ずっと観察を続けていた。けれど、一分もするとどうでもよくなったのか、ソファーにまた寝っ転がった。


「…………ここに入れたということは、おまえは毒にも薬にもならないような存在だということだ」


 呆れたようにそう言った。

 でも、さっきまでとは打って変わって、声からとげとげしさがとれた気がする。それは、私が取るに足らない存在だから気にならなくなったってこと? 


「ここがどこだか知っているんですか?」

「箱庭」

「箱庭って?」


 少年はそれだけ言うと、また顔に本を乗せて寝ようとした。


「待って、寝る前に元の世界に戻る方法だけ教えて」

「勝手に入ってきた者のことなど、俺にもわからん」

「そんな……」


 私はどうやって元の世界に戻ったらいいんだろう。

 もう一度、瑠璃玉を鑑定すればいいのだろうか。もしくはこの世界に向けて鑑定眼を使うとか。とは言っても、何者かわからない少年の前で無防備に意識を失うわけにもいかないから試すこともできなし、またどこか、もっと恐ろしい別の世界に入り込むことも否めない。そんな危険な橋を渡る度胸はなかった。


 少年を方をちらっと見てみる。私にはもう興味がないみたいでまったく反応がない。


「アーティファクトは危険だって言われていたのに。馬鹿なことしちゃったわ」


 助けを求めたくても、この態度からして、少年が力を貸してくれるとは思えない。

 貴族っぽいし、平民の私は対価になるものを差し出さないと話も聞いてもらえないだろう。でもそんなものは持っていない。手に瑠璃玉は握っているけど、この状況はこれが原因っぽいから手離すわけにいかないだろう。とられないように隠しておかなきゃ。そう思ってスカートのポケットにしまった。


「ああ、本当にどうしたらいいの?」


 私は頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「飲まず食わずで、何日くらいもつものなのかしら? それまでに脱出方法を考えなきゃいけないけど、いざとなったらこの草は食べても大丈夫そう?」


 足元の草をさわってみたけど、手触りが固く、食用になるとは思えない。


「あ、そうだ。木に実がなっているかも」


 私は立ち上がって、大木に近づいた。食べられそうな実がなってないか必死に探す。


「葉っぱしかないわ……」


 あとはもう、少年に泣いてすがるしかないか。そう思っていると彼がソファーからがばっと起き上がった。


「独り言を言うならどこか遠くに行ってくれ。うるさくて寝むれない」


 小さな声しか出していないと思うけど、ここには二人しかいないから聞こえてしまったようだ。


「そんなことを言われても、行くところも食べる物もないんだもの。それにここがどこかわからないから恐いし」


 私がびくびくしながらも主張すると、少年は大きくため息をついた。


「おまえ……さっき、アーティファクトと言ったな」

「言ったかしら?」

「言った! そのせいでここに迷い込んだのだろう」

「だとしたら、やっぱりここはアーティファクトが見せてる幻影なの?」

「違う。俺の夢の中だ」

「夢の中?」

「おまえは青色の宝玉を持っているだろう。だとしたら、ここにいることも頷ける」


 隠すのが遅すぎたのか、私が瑠璃玉を持っていることは知られていたようだ。


「どういうこと?」

「それはもともと俺のものだったからだ」


 瑠璃玉を売った貴族?


「それなら、なんで私がこんなことになっているのか知っている?」

「半分くらいはな。おまえの方はどうなんだ」

「アーティファクトの性能がわからなくて、調べていただけよ。それでどうしたら私はここから出ることができるの」

「俺が目を覚ませば、おまえも元に戻るだろう」

「本当に?」

「たぶんな。それまでは邪魔だからどこかに行ってくれ」

「どこかにって言われても……」


 こんな何もない世界でどこに行けと?


「俺は安らぎを求めてここにいるんだ。そばでうるさくされたらたまらない」

「それについては悪いと思っているけど、こんな寂しくて変な場所で安らげるの?」

「変な場所?」


 思わず口に出てしまったけど、彼は怒りもせず、不思議そうに首を傾げている。


「だって風景が不自然すぎるから、広いけど、閉塞的な感じがして、私は逆に落ち着かないわ」

「閉塞的……おまえが不自然に感じる要因はなんだ?」

「本物の自然の中なら、風や水の音がするわ。それに鳥の鳴き声なんかも聞こえるもの」

「音……なるほど。何か足りないと思っていたが……」


 少年はソファーの上に立ち上がると、木の枝へおもむろに手を伸ばす。


「何をしているの」


 気になったので質問してみることにした。


「鳥の巣をつくっている」

「鳥の巣?」


 会話をしているうちに、枝の又の部分に鳥の巣が出来上がっていた。


「すごいわ。ここは想像したとおりの世界がつくれるのね。私にもできる?」

「おまえには無理だ、ここは俺の箱庭だからな」

「その箱庭って何? ちゃんと説明してくれないからわからないわ。あと、その巣は枝を集めただけのものよね。隙間だらけだし、私にはただの小枝の塊にしか見えないんだけど」

「目がいいな」

「商売柄ね」


 鑑定眼を持っている私は人より視力がいい。


「記憶に残っているまま作ったのだが……鳥の巣には見えないのか……」

「近くで見たことがないの? 鳥の巣だっていうなら、ヒナを育てられるように、器のような形をにしないとだめだと思うわよ」

「器か。もう一度やってみる」


 彼が両手を上げて、今度は真ん中にくぼみをつくり、それらしく形成していく。


「あとは、居心地がよくなるように中に柔らかな枯草を敷いてあげたら?」


 アドバイスをしてみたけど、鳥の巣を完璧に作ったところで、これを使う鳥が存在していなければただのオブジェだ。

 そう思いながら、彼と一緒に完成した巣を眺めていたら、どこからともなく鮮やかな黄色の物体が飛んできた。それが作ったばかりの巣に入って囀り始めたので正体は小鳥だったらしい。


「すごい。生き物も自由自在なのね」

「他に足りないものがあったら、教えてくれ」

「足りないもの……」


 現実の風景に近づけるには足りないものばかりな気がするけど。


「そうね、とりあえず色かしら」

「色?」

「ここには空と芝生しかないじゃないの。それに空には雲ひとつないし、草も全部同じ色をしていて味気ないわ」


 彼は無言のまま空を見上げた。


「山や野原には花が咲いているし、木や草に実もついているでしょ。植物だっていろいろな種類があるのに」

「そうか……」

「目が覚めたら、現実をもっと観察してみればいいわよ」

「現実…………」


 私が馴れ馴れしく接していたせいか、彼は返事をしないどころか、顔をしかめている。さっきまでは普通にしゃべっていたから、もしかして何か気に障ることを言ってしまったのかもしれない。


 そう思っていたら突然辺りが暗闇に包まれた。


「何? いったいどうなっているの?」


 わけがわからなかったけど、暗がりで目を凝らすと、そこは自分の部屋でベッドに寝ていることがわかった。


「今のは夢?」


 それにしては少年と交わした会話や目にしたもの、草の手触りまではっきりと覚えてる。リアルなのは瑠璃玉の作用だろうか。


「あれは、なんだったのかしら」


 不思議に思って首を傾げても答える者はいない。


「あ、そうだ後片付けしないと」


 私は夕飯後にそのままになっていた食器のことを思いだしたので、それを洗ってから、今度はちゃんとベッドに入って眠りについた。


 ◇


 昨日のことが気になっていたので、夜になってから、私は再び鑑定眼を使った。


「やっぱり、夢じゃなかった」


 青い空と、緑の地面を見ながら、私は確信していた。


「それに今日はそれほど歩かなくてもいいみたい」


 彼がいる場所。目印になっている大木がすぐそこにある。今日は手を振りながら正面から近づいた。


「また来たのか」

「いけなかった?」

「…………いや」


 返事までがやけに長かった。本当はひとりがいいのかもしれない。


「邪魔だったらもう来ないけど」

「いや、ちょうど、おまえの意見を聞きたいと思っていたところだ。俺ひとりでは箱庭が完成しそうにないからな」

「初めて来た時は味気ない空と芝生しかなかったものね」


 周りを見れば、ソファーの近くには綺麗な泉ができていた。そこから小川が数本か伸びていて、水が溜まっている。


「川をつくってみたのだが、水が流れないのだ。これはどうしたらいいと思う」


 彼が言う通り、ただ溜まっているだけから、動きがないため水音もしない。


「それは山や丘がなくて高低差がないからだし、そもそもこの泉には水が湧いてるの?」

「いや、見たことがある池を想像しただけだ」


 この水たまりといい、鳥の巣といい、あまりにも杜撰すぎる。


「もしかして、あまり外に出たことがないとか?」


 貴族の息子で大事に育てられているのかもしれない。もしかしたら病気で伏せっているんだったりして。


「そんなことはないが、身体を鍛えることに夢中で、他に目を向ける余裕がなかったのだ」

「そうなんだ」


 身体を鍛えるってことは騎士家の出身?


「ねえ、あなたのことを聞いてもいい? あと、箱庭の意味とか。ここが夢の中だとしたら、あなたはどこかで眠っていて、目を覚ませば現実の世界で普通に暮らしているのよね?」


 私が口にした瞬間、彼の眉間にしわが寄る。


「話す気はない。俺はすべてを忘れたくてここにいる」

「ふーん。言いたくないならいいけど。でも、名前くらいは教えてくれない?」

「本当の俺は、後ろ指をさされるような男だ。だから名前も名乗りたくない」

「あ、そう。でも名前があった方が呼びやすいんだけど」

「だったら好きなように呼べばいい」

「えー、急にそんなこと言われても困るわ。ちょっと考えさせてよ」


 悩みながら、泉を覗くと、何とそこには小魚が群れをなして泳いでいた。


「魚がいるわ! 泉と一緒に作ったの?」

「ああ。そいつらに、おかしいところはないか?」

「うーん。上から見ただけだとわからないけど、ちゃんと小魚に見えるからたぶん問題ないと思うわ」

「そうか。だったら、今後の参考に、おまえの知っている魚の話を教えてくれ」


 魚の話って言われても……。あ、そうだ。


「ここってあなたが好きなようにできるのよね」

「そうだが」

「だったら、虹色の魚はどう?」

「虹色の魚?」

「伝説なんだけど、その姿を目にした人は幸福になれるって魚よ。この泉にいれば、私たちはいつでも見ることができるでしょ?」

「なるほど。それは、どんな姿をしているのだ」


 幻の生き物だから見たことはない。


「たぶん普通の魚だと思うわ。そこに泳いでいるのと変わらないんじゃないかしら。ただ色が虹色に輝いているって話だけど」

「うろこが七色に光っているのか……想像するのは難しいな」

「だったら、無理しなくてもいいわよ。こっちも、聞かれたから思い出しただけだし」

「いや、大丈夫だ」


 彼は負けず嫌いなのか、私の提案した魚をつくることにむきになって、何度失敗しても完成させるまで諦めなかった。

 色違いの七匹の魚がかたまって泳いでいた時に、もうこれでいんじゃないかと思ったけど、それから一週間後には、伝説でしかない虹色の魚をこの目で見ることができた。

 想像以上の出来栄えに驚いていると、そんな私に対して彼は自慢気な態度をとった。


「子どもみたい」って呆れながら笑うと、私につられたのか、彼が初めて無邪気な笑顔を見せる。

 今までは睨むか、逆に覇気がなく虚ろな目をしていたけど、笑うと思いのほか可愛いかった。


  ◇


 一日の終わりに、瑠璃玉を使って彼と会うことが私の日課になっていた。それでも、成功するのは三日に一度ほど。鑑定眼を使用した時間に彼が夢を見ていないと私は箱庭に入ることが出来ないからだ。


 彼の話し方はぶっきらぼうだけど、私の提案は素直に聞き入れてくれるから貴族なのに話しやすい。睨んでいるのかと思ったのも、ただ目つきが悪かっただけみたいだし。

 それに二人で世界をつくっていくことがすごく楽しかった。


「気になっていたんだけど、それって何の本?」


 彼がいつも寝る時に顔に乗せている本がソファーの傍らに置いてある。表紙は革張りだから、表から見ただけでは何が書いてあるかわからない。


「なんだろうな?」

「読むために作ったんじゃないの?」

「始めはそのつもりだったのだが……」


 彼はそう言うと、泉のそばに座っていた私の方に本を放った。


「ちょっと。汚れちゃうじゃない」


 文句をいいながら拾って、本の表紙をめくる。


「あら?」


 パラパラとページをめくってみても、すべてが真っ白だった。タイトルもなければ文章もない。


「何も書いてないわね」

「ああ、俺には小説なんて書けないからな」

 本を作るには中身もすべて想像しなければいけないらしい。

「小説は難しいそうね。でも絵本くらいなら作れそうな気はするけど」

「絵本か……それも無理だな」

「そんなことを言わずに、やってみればいいのに」


 いつもなら、できるまで挑戦するのに、今回は諦めるのがやけに早い。


「俺は……絵も下手なんだ……」

「ああ、だからなのね」


 この世界が微妙な感じなのは。


「何がだ?」

「怒られそうだから言えないわ」

「俺はおまえに怒ったことなどないと思うが?」

「怒鳴られたことはないけど……初めて会った時は機嫌が悪かったじゃない」

「昼寝の邪魔をされたからだ」

「それは悪かったと思ってるけど、あの時は仕方なかったんだもの」

「そんなことより、何が『だから』なんだ」

「そんなに気になるなら言うけど、絵心と想像力は関係があるんだって思っただけよ」

「絵心と想像力?」


 そう言って彼は空と芝生だらけの風景を見つめた。


「なるほど……確かに子どもが描きなぐったような雲だ……」


 実は私もそう思っていたけど、雲の出来映えにまで口出しするのは、さすがに可哀相な気がしたので、今まで黙っていた。


「でも、あれはあれで味があって私は好きだわ。それに、ここはあなたの箱庭なんだし、あなたらしいってことでいいと思うわよ」

「俺らしい……」


 彼がとても低い声でつぶやくと、突然辺りが真っ赤に染まった。


「え? 何?」


 今までこんなことがなかったから驚いていると、今度は世界が真っ黒になった。それは現実に戻ってきた証。


「戻ってきちゃった……」


 私は瑠璃玉を握りしめたままベッドに寝転がっていた。


「前から思っていたけど。彼は何かを思い出すと、夢から覚めてしまうんだわ……」


 こっちに戻る瞬間、血に染まった彼の姿が見えた気がする。確かすべてを忘れたいと言っていたけど、現実の彼の身にいったい何が起こっているんだろう。


「瑠璃玉の出所を探れば彼がどこの誰なのかわかるかしら」


 そう思ったけど、貴族が平民にアーティファクトを売るくらい困っていたとすれば、それはきっと追い詰められている側だろう。こっそり売買しているはずだから本名で取引しているわけがなかった。


  ◇


 次に彼と会えたのはあれから一週間後だ。この前のことは気になっていたけど、現実については彼が隠したがっているから、突っ込むのはやめておいた。


「瑠璃玉のことを聞きいてもいい?」

「俺にわかることならな」


 最近は私の存在を受け入れてくれたのか、声も表情も穏やかになってきた。


「私ね、鑑定眼を持っているの。だけど、使い方がさっぱりわからないから、もやもやして気持ち悪くって」

「鑑定眼か、すごいんだなおまえ」


 名前も聞かないくらい私には関心がない彼に、そんなことを言われるとなんだかくすぐったい。


「それは人にも使えるのか?」

「物だけよ。でも、瑠璃玉のことはさっぱりなのよね」

「その宝玉は所有者であれば、夢の中で好きな世界をつくることができる。ただそれだけのものだからな」

「それだけ?」

「ああ、たぶん現実逃避の道具だろう」


 現実逃避……きっと彼自身がそうなんだと思う。


「でも、今は私が持っているから、所有者はあなたではないわよね。なぜ私には何もつくれないのかしら」

「所有権がまだ俺にあるからだろう」

「そうなの?」


 だったら簡単に売ることはできない。


「その権利が切れるまで、どれくらい時間が掛かるの」

「俺は二十年以上持ち続けていたから、変更するのもそれなりの時間が掛かると思う」

「ということは誰の手に渡ろうと、この瑠璃玉はあなたの物ってことよね?」


 私は手に持っていた瑠璃玉を見つめる。


「おまえが所有者になりたければ、肌身離さず持ち歩いて、おまえの気配を馴染ませればいい。情報の塗り替えができれば、箱庭の主はおまえに変わるはずだ」

「ふーん。でもそうしたら、あなたは箱庭で安らぐことが出来なくなるわよ?」


 私たちも会えなくなってしまう。


「二十年分を塗り替えるには、それ相応の時間が掛かるだろう。すぐに変わることはないから別に構わない」

「だったら、私が持っていてもとりあえずは大丈夫みたいね」


 彼との会話で判明したことがたくさんある。まずは知りたかった瑠璃玉のこと。そして、彼のこと。


 目の前の姿は幻影で、少なくとも年齢は二十歳を超えているようだ。


「でも、なぜおまえの手に渡ったんだ。平民だろう?」

「うちが骨董屋で、父が知り合いから譲ってもらったからよ」

「なるほど。手離してからそれほどたってはいないが、国外に持ち出されているならその方がいい」

「国外?」

「ああ。前から思っていたが、おまえはレモネル人だろう。まさかエブンディールに住んでないよな?」

「レモネルで暮らしているけど、なんでわかったの」

「おまえの話し方は特有の訛りがある」

「訛りじゃなくてイントネーションって言ってよ」

「どっちも同じだろう。それより、今はエブンディールの内戦が拡大中でとても危険だ。国境付近は絶対に近づくなよ」


 珍しい。彼が現実世界の話をしている。


「私、その国境の近くに住んでるんだけど。軍の偉い人から、まだ当分は大丈夫だって聞いてるわよ」

「国境の近くだと!?」


 私たちが会話する場合は、いつも彼がソファーに座っていて、私はその前で立ち話か泉の近くで座っている。

 私は平民で、彼がソファーに座ってもいいって言わないからなんだけど。

 そんな感じで普段は距離を保っている彼が、突然立ち上がって目の前まできたから驚いた。


「びっくりした。急にどうしたの?」

「これから、元の世界に戻ったらすぐに他の町に移れ。いいな」


 彼は私の両肩を掴んで命令した。

 こんなこと一度もなかったのに。それになんだかとても焦っているようだ。


「いずれは町を離れるつもりだけど、戦火は遠いって聞いてたから、まだ余裕があると思ってたんだけど?」


 疑問を口にすると彼が首を横に振った。


「ここ最近、革命軍の進軍が速くなっている。国境より手前の領主たちが一斉に投降したり、領民に突き出されたりして、南の国境の領土まで革命軍が一気に迫っているのだ」

「降参している領主が増えているってこと?」

「ああ。それに軍の勢いが増していて、いつレモネルに火の粉が飛ぶかわからん」

「そうなんだ。でも、うちは商売をしているから商品を置いたまま逃げるわけにはいかないのよ。それって何日くらい時間がありそうなの?」


 軍の偉い人は高給取りだから、貴族が手放した宝飾品なんかを買ってくれることがある。だからうちはいまだに商売が成り立っていた。


「一週間……いや五日ほどだろう」

「わかった。それまでには町を出るわ」


 彼はエブンディールの軍人だった。箱庭で現実逃避をしているのは戦いで疲弊しているからだろうか。


  ◇


 彼が私の心配をしていたから、聞いた情報を父に話した。


「それは誰から聞いた」

「えっと、瑠璃玉に鑑定眼を使ったら夢を見たのよ……そこで会った人が教えてくれたんだけど」

「夢? 不明確な話だな」


 訝しそうにしながらも軍の幹部に確認してみると言った。


「ねえ、エブンディールだと瑠璃色の髪の人は珍しくないのかしら」

「いや、貴族の一部だけだと思う。若い頃に向こうで商品を探していた時も、町で見掛けたことはなかったぞ」

「そうなんだ。やっぱりそんなにいないのよね」

「瑠璃といか青い髪って言えばあれだ。青い死神っていう将軍が有名だな。戦場で恐れられているっていう」

「青い死神……」


 箱庭で会っている彼の姿が少年のせいで、そんなふうには見えない。だから他人だとは思いたいけど、内戦の事情にやけに詳しかった。


 今まで彼は、逃げている領主側だと思っていたけど、実は革命軍側なんだろうか。

 でもそれを本人に聞くことはできそうもない。名前も教えてくれないくらい現実から目を背けているのに、革命軍の将軍なのかと問いただしてしまったら、箱庭に入ることを拒否されてしまうかもしれないからだ。


 実際に会うことなんてない人なんだから、今は彼が何者でも私には関係ない。

 そうやって目を逸らすことにした。


  ◇


 その日の箱庭はいつもと違っていた。


 雰囲気がとても重い。空は澱んでいるし、鮮やかな緑色をしていた芝生もまるで枯れているようだ。


 いつものようにソファーへ座っている彼のそばまで行って声を掛けると、彼の身体がびくっと跳ねた。


「俺に近づくな!」

「え? なんで?」

「ひとりにしてくれ」」


 彼が私を拒絶した意味がわかった。彼が袖で涙を拭ったからだ。


 泣いている男の人ってどうやって慰めたらいいんだろう。近づくなって言うくらいだから、たぶん、涙には気がつかないふりをした方がいいんだと思う。


 私は彼に背を向けた状態で泉のそばにしゃがみ込んだ。透き通って澄んでいた泉の水も今は茶色く濁っている。

 彼の気配を窺いながら、泉を見ていると、小魚たちがプカプカと水面に浮かんできた。


「なんで? どうなってるの?」


 箱庭がどんどん崩壊しているのは、彼の心のせい? 


「俺の近くにいるからだ。魚も、鳥も、みんな死んでいく」

「え?」

「人もな」


 彼がつぶやいたから後ろを振り向いてしまった。もう泣いてはいないようだけど……。


「おまえはもうここへは来るな」

「どうして? 邪魔だっていうなら言う通りにするけど」

「邪魔……違う……いや、俺は……」


 来るなとは言っても、邪魔なわけではないらしい。


「何かあったんなら話くらい聞くわ。胸の中に秘めていられないほど、つらいことがあったんでしょ」


 この状況を見たら一目瞭然だ。

 箱庭まで現実に押しつぶされようとしている。どこにも逃避することができなくなった彼の苦しみが、私にも伝わってきた。


「私はあなたとは国も違うし、軍の関係者でもないから、人に言えないことや、誰かに聞かれて困ることを話しても、漏れることは絶対にないから大丈夫よ。胸の内の痛みって、口に出した方が少しは軽くなることもあるから」


 それでも黙ったままだったから、私は彼の前に跪いて、膝を握りしめている彼の手の上に自分の手を重ねた。

 その行動に驚いていたようだけど、少し躊躇ってから、彼が口を開く。


「俺は……」


 でも、すぐに口ごもってしまった。

 私は急かすつもりはなかったから、許否されるまではそのままずっと彼の手を握っていようと思っていた。


 沈黙してから十分はたっていただろうか。彼がとても小さな声でぽつりぽつりと話始めたのは。


「俺は……敵に情けは掛けられない。掛けたらだめなのだ。戦争を少しでも早く終結するためには、敵を根絶やしにする必要がある。それはわかっている。わかっているつもりだった」


 独り言のようなつぶやきを聞き洩らさないように私は耳を傾けた。


「何も感じないように心を閉ざしていても、ここにはどんどん膿がたまっていく」


 服の胸元を握りしめて悲痛な声を上げた。


「禍根を残さないため、それと見せしめのために、捕縛された領主の家族は女も子どもも関係なくすべて処刑した」


 彼の告白を聞いた私は、思わず、彼の頭を前から覆いかぶさるようにして抱きしめた。彼は何も言わなかったから、ずっとそのままにしていた。


「親友から『民を踏みにじる王や貴族を討つことに決めたから、私に力を貸してくれないか』と言われた時は、俺たちの手で平和な国をつくるんだとその考えに賛同できた。だけど、領主に関係あるというだけで、罪もない女子供まで手に掛ける必要が本当にあるのか。今俺がやっていることは本当に正義なのか?」


 彼の問いかけに、状況がわからない私は何も答えられなかった。

 ましてや人の生死が関わっているのだから、迂闊なことは言えない。


 だから、ただ彼を抱きしめることしかできなかった。


 そんな私の腰に彼がすがりつくように手を回した。


 幻想の世界だからなのか、胸の鼓動も温もりも匂いも何も感じないけど、震えている彼からは悲しみだけが伝わってくる。


 私は、元の世界に戻るまで抱きしめた腕を緩めることができなかった。


  ◇


 次の日、箱庭に入れるまで時間を変えて何度も鑑定眼を使った。


 できることなら、私が彼の心を癒してあげたい。そう思ったけど、どうしたらいいのか、その方法がわからなかった。

 それでもあんな彼を一人ぼっちにしておけない。


「あれは……」


 私が箱庭を訪れると、二十代後半くらいの男がソファーに座っていた。

 年齢は違うけど青色の髪をしているし面影があるから彼で間違いない。


 近づいてみると、顔にも腕にも、至る所に傷跡があった。治っているとは思うけど、その痛々しい姿に目にしてせいで胸が痛む。


 すべてを拒むかのように近寄りがたい空気で、そこに禍々しさも混ざっている。これが彼の本当の姿だろうか。


 きっと、箱庭ではこんな姿をさらしたくないはず。なのに、こんな状態なのは、もう、取り繕うことさえできなくなっているのかもしれない。それだけ彼の心が悲鳴をあげているのなら……。


「苦しいって、あなたの仲間には言えないの?」


 今まで、彼の現実に踏み込むことは避けてきたけど、つらそうな彼の姿を見ていたら、言わずにはいられなかった。


「俺は力が強いだけだから、他には何もできん。武力で協力するしか脳がない」


 彼は首を振って否定した。


「でも、このままだと、あなたの心が壊れてしまうわ」


 二人で作った箱庭は日増しに色がなくなり、全体が灰色に染まっていく。空はどんよりしていて、鳥の巣もボロボロになって今にも崩れ落ちそうだ。


「あなた一人で戦っているわけじゃないでしょう? 少しくらい休んだって」


 私が言いかけると、彼は再び首を横に振る。


「俺は、有名になりすぎている」

「有名?」

「敵を追い詰めるために、恐れられる存在になる必要があった。だから敵を狩りまくった」


 ああ、やっぱり……。


「軍を預かっている俺が逃げ出したら士気が下がるだろう。それに、俺の代わりに他の誰かがその役目を担うことになってしまう。それ以前に、どんなことになったとしても、俺は仲間を裏切ることができない」


 彼は青い死神と呼ばれている将軍なんだ。

 そう思った瞬間、世界は溶けてなくなった。


 気がつくと、自分のベッドで涙を流していた。


 彼はとても苦しんでいて、私にはどうすることもできない。何もできないけど、せめてずっとそばにいたいと思った。


  ◇


 翌日の深夜、私は意を決して彼に会いに行った。


 もう、ほとんど色のない世界で、彼はボロボロのソファーに座りながら両手で顔を隠していた。


 私は、許可もとらずに彼の横に座って、何も言わずに横から彼の身体を抱きしめた。震えているその大きな身体を守るように一生懸命腕を回した。


「おまえは俺の隣に座りたくないのかと思っていた」


 怯えているかのように、声も震えている。


「あなたが隣に座らせてくれなかったんじゃない」

「座りたかったら勝手にそうする思っていた」

「私はあなたに拒否されるのが嫌だったから言い出せなかったのよ。それにとても豪華なソファーだったから戸惑っていたの」


 今はボロボロだけど。


「そうか……気がつかなくて悪かった」


 彼がこれほどまで傷ついていることに、現実では誰も気がついていないのだろうか。それとも、その友達、たぶん革命軍を指揮している末の王子とに単なる駒として扱われているのか。


「私、あなたに会いに行くわ。だから、今いる場所を教えて」

「それはだめだ!」


 彼が私と目をしっかり合わせて拒絶した。


「おまえにだけは本当の俺を知られたくない。拒まれたくない」

「そんなこと気にしてるの? 私はあなたのことが好きだから大丈夫。どんなことがあってもこの気持ちは変わらないから大丈夫よ」

「好き……俺のことが?」


 私の告白にすごく驚いているけど、そんな反応をされたこっちの方がびっくりする。


「まさか気づいてなかったの?」

「俺のことは同情しているだけだと思っていた」

「私は同情だけで男の人を抱きしめたりしないわよ。だから絶対に嫌ったり拒んだりしない。私は、あなたを現実の手で抱きしめたいと思っているのに」

「それでも、だめだ。俺の手は血で真っ赤に染まっていて、死の匂いが染みついている。周りから死神と言われている男だぞ」

「そんなこと構わない。あなたのそばで支えたいの。あなたが私を嫌いだって言うなら話は別だけど」


 私の独りよがりで気持ちを押し付けるのは、逆に彼の負担になってしまう。

 だから、彼の返事を待った。


「俺だっておまえのことが好きだ」

「本当?」

「本当だ。もう、一生笑うことはできないと思っていたのに、おまえと一緒にいて楽しかった。人の声は雑音にしか聞こえなかったのに、お前だけは違った。だから頼む、会いたいなんて言わないでくれ。おまえには安全な場所にいてほしい」


 それが、あなたの望みなら……とは思ったけど。


「俺のことは忘れてお前だけは幸せになってくれ」


 彼を忘れる?


「何言ってるの。それは無理。絶対に無理よ。あなたがいないと幸せになんてなれないわ。そっちに行くのがだめなら、いつかあなたの方から会いに来て」


 縋りつく私を、彼は引き剥がし、そこから逃げるように立ち上がった。


 景色が消えていく……彼が夢から覚めてしまう。


「わがままかもしれないけど、それでも現実のあなたに会いたいのよ。私になんて何の力もないかもしれないけど」


 彼のつらい気持ちを救ってくれる人が誰もいないというのなら、わたしがなりたい。


「私があなたを癒したいの」


 彼の真剣な目が、泣きじゃくる私を見つめる。


「だったら、この戦争が終わったら、おまえを探して必ず会いに行く。それまで待っていてくれ。おまえと現実で会えることを支えにしていれば、俺は壊れずにいられる気がする」

「約束よ。ずっと待ってるから」

「ああ、約束する」


  ◇


 翌日、私は町を出ることにした。


 父も私が伝えた情報に間違いがないことを確認していたので、いつでも避難する準備はできていたからだ。


「戦火がせまっているらしい。こりゃあ、対岸に火事どころじゃねえかもしれないぞ」

「そう言えば、あの有名な、青い死神も来ているそうだ」

「それは本当か?」

「黒い鎧に青色の髪の騎士が戦場を駆けまわってるってさ。そんな奴は他にいないだろう」

「そいつは、ちょっと前に領主一族の首をはねて皆殺しにしたって言うじゃねえか」

「それも公開処刑だってよ。慈悲の欠片もないっていうから、国王軍に与していた者が出会ったら、みんな命を刈り取られてちまうって話だ」

「隣国のこととはいえ怖い話だねえ」


 私たちと同じように町を出ようとしている人たちの話が耳に入った。


 彼が、箱庭の彼がすぐそばにいる。


「お父さん」

「おう?」

「用事ができたから、先に行っていて」

「おい、どこへ行くつもりだ」


 手に持っていた荷物を父に預けて、私は砦に向かって走った。


 本物の彼に一目だけでも会いたい。ただそれだけだった。


  ◇


「これじゃあ向こう側が見えないわ」


 国境まで来たけど、エブンディールに向かう門は閉鎖されていた。

 どこかに抜け道か覗ける場所がないかと外でうろうろしていたら砦を守る兵士に尋問され、追い返されてしまった。どうすることも出来なくて、私は門から少し離れた道端で立ち尽くしていた。


「まったく、こんなところで何をやっているんだ」

「お父さん……」

「泣いてるのか? おい、何があった」

「何もない。私、会いたい人がいるだけなの」

「会いたい人? 恋人でもいたのか? それはここにいる軍の関係者か」

「ううん。そうじゃない」


 迎えに来た父に今まであったことを全部話すと呆れられた。


「お前一人で戦場まで行けるわけがないだろう。それにそいつはおまえに安全な場所にいてほしいと言ったんだろうが。その思いを踏みにじってやるな」


 お説教されて、私は無念のまま町を後にした。


  ◇


 それからは、何度試してみても箱庭にはどうやっても行くことが出来なかった。


 タイミングが悪いだけならいいけど、彼が夢を見ることさえできなくなってしまったのならとても悲しい。


 それでも、いつかまた会える日が絶対にくる。彼が約束を破るわけがない。そう思っていた……。



 私が嫌な噂を耳にしたのは、彼と最後に会ってから一週間後のことだ。


 新しく暮らし始めた町に、エブンディール国で恐れられていた青い死神が討ち取られたという噂話が流れてきた。


 詳細はわからないけど、国王軍の兵士に闇討ちされたという。


「彼が死ぬわけない。箱庭で会った彼の正体はきっと青い死神なんかじゃない。絶対にどこかで生きている」


 私は否定を繰り返し、彼の死を絶対に受け入れるつもりはなかった。

 それなのに。


「ああ……どうして……」


 私の気持ちとは裏腹に、瑠璃玉は輝きを失い、ただの青い玉になってしまっていた。


 箱庭も彼と一緒に死んでしまったのだ。


 嫌でもそれが事実だと認識してしまった。今まで必死にこらえてきたものが心とともに砕け散る。


「ううっ……」


 喉の奥から嗚咽がこみ上げて、胸の奥でどくどくと激しい痛みを繰り返す。そして涙がとめどなくあふれ続けた。

 もう二度と彼とは会えない。

 どんなに願っても叶わない。


「戦争が……終わ……会い……来るって……」


 あなたは私にそう言ったじゃない。


 なのにどうして……何もかもが苦しい。


 あの箱庭の最後の風景が彼の気持ちだったんだろう。暗くて悲しくて、そしてとてもつらいまま彼は逝ってしまった。


 私は彼に何もしてあげられなかった。安らぎたいと言っていた幻想の世界ですら彼の気持ちを救ってあげられなかった。


 彼のことを想うと苦しい。苦しすぎて息もできない。 


 


  ◇




 あれから六十年過ぎた。

 思い返してみればあっという間だった。


 私は父の店を継いだ妹夫婦を手伝いながら生活していた。

 彼のことが忘れられず、生涯独身だった。けれど、エブンディール国の内戦が革命軍の勝利で終止符が打たれてからは、骨董品やアーティファクトの需要が増えたので、鑑定眼をもっている私に持ち込まれる仕事も多く、ひとりで生きていても困ったことはなかった。

 何かあっても妹たちがそばにいたし、案外幸せな人生だったと思う。


 彼の死を知った後は、何度、瑠璃玉に鑑定眼を使っても、二度と箱庭に行くことは叶わなかった。

 あの当時、胸が張り裂けそうなほどつらかったけど、どうにもならないことを悟ると瑠璃玉を鍵付きの宝箱に封印した。


 私が持ち続けていることで、彼の気配が瑠璃玉から消えてしまう。それに気がついたからだ。


 最近では食も細くなってきて、起き上がれる時間も少なくなってきた。


 私の人生もそろそろ幕を閉じるだろう。瑠璃玉にとらわれなければきっと全然違った人生だったと思うけど、彼を思い続けて生きてきたことに後悔はない。


 私は本棚の奥に隠してあった鍵付きの箱を取り出す。そして瑠璃玉をそこから取り出し、久しぶりに眺めた。


「何十年ぶりかしら」


 そして枕元に置いた。


「この瑠璃玉は私と一緒にお墓に入れてちょうだい」


 毎日様子を見に来てくれる妹や甥たちに遺言として頼んであるから、もう思い残すこともない。


 彼と一緒に逝ける。

 そう思った時、瑠璃玉が煌きを取り戻していることに気がついた。


「うそ、どういうことなの?」


 気になった私は最後に一度だけ瑠璃玉に鑑定眼を使ってみることにした。


 久しぶりに眼球に力を集めてみる。


 すると、ベッドにいたはずの私は、森の中に立っていた。


 髪が風で煽られたので、手でかき上げてまとめた。空を見上げれば雲が流れ、何種類もの小鳥が飛び交い囀っている。


 私は小高い丘にいて、眼下には大きな湖がある。空の青と山脈の緑を映し出し、陽の光が当たっている湖面はキラキラと輝いていた。


 ここは六十年前に彼とつくり上げた箱庭とは雲泥の差。まさしく自然そのものだ。

 とても美しい景色が広がっていた。


「なんて素晴らしい世界なの」


 私の記憶の中の風景とはあまりにも違うけど、ここが箱庭だとしたら、もしかして彼がいるかもしれない。


 私は姿を求めて無我夢中で走り出した。どこを目指したらいいのかもわからないのに、何かに引き寄せられるように足が前へと進んで行く。


「あった……」


 そして、見つけた。


 彼が愛用していたあの豪華なソファーを。初めてつくった鳥の巣を。虹色の小魚が泳ぐ小さな泉を。


「ああ……」


 そのソファーには三歳くらいの小さな男の子が座っていて、本を読んでいた。

 その姿を目にしてから、私は全身の力が抜けてその場にへなへなと座り込んだ。


「彼は生まれ変わっていたんだわ」


 でも、あの子どもが彼なら幼すぎる。


 この世界の完成度からすると、もしかしたら、すでに一度生まれ変わっていて、あの子は二度目の生まれ変わりかもしれない。


 私が瑠璃玉を封印したせいで、今日まで出会うことができなかったんだろう。

 だって、彼と二人でつくったこの風景を他人が偶然つくるなんてあり得ない。

 あの子は彼で間違いない。確認するすべはないけど私は確信していた。


「本当に……本当によかった」


 今度こそ幸せになってほしい。そう思ったけど、この世界を見れば、彼の心が満たされていることが伝わってくる。だから、私が願わなくても、今世の彼はきっととても幸せなんだ。


「つらい思いはすべて過去に置いてくることができたのね」


 それを知ることができて、私は涙が止まらなかった。


「おばあさん?」


 気がつくと幼い子どもは私のすぐそばにいた。


「おばあさんはどうして泣いているの?」

「この世界がとても美しいからよ」

「ふーん。よくわからないけど、悲しいからじゃないんだね」

「ええ。そうよ、私はとても幸せなのよ」


 最期に彼の生まれ変わりを知ることができた。そのおかげで、私は幸せをかみしめながら人生の幕を閉じることができる。




  ◇




 世の中には不思議なことがたくさんあるの。


「お母さん。お母さーん」

「そんなに慌てて、いったいどうしたの」

「あたしの目、おかしくなっちゃた」

「目がおかしくなったって、まさか、見えなくなっちゃったの」

「ううん、変なものが見えるの」

「変なものって?」

「お守りをずっと見てたら、なんか文字みたいなもの浮かんできたの。どうしよう怖いー」

「なんて文字? 今も見えてるの?」

「ううん。消えちゃったし、字はむずかしくて読めなかったからわかんない」

「そう、とにかく明日、お医者さんに行って診てもらいましょう。だから心配しないで」


 お母さんになぐさめられて、その日は泣きながら眠った。


 次の日お医者さんにみてもらったら、「それはおそらく鑑定眼が発現したんでしょう」と言われた。


 鑑定眼って、意識してじっと見ていると、それが何だかを調べることができる目なんだって。

 お医者さんが試しにスプーンを目の前に持ってきて、頭を空っぽにしてから見ろって言うからやってみた。そうしたら、やっぱりなんか文字みたいのが浮かんできたきたからびっくりした。


「よかったわね。将来鑑定士になれるわよ」


 お母さんが嬉しそうだったから、目はおかしくなったけど、悪いことじゃなかったみたい。


 家に帰ってから、いろんなものを鑑定してみたけど、あたしはまだ読める字が少ない。だから、なんて書いてあるかわからないものの方が多かった。


「あまりやりすぎちゃだめよ。それよりも、まずは文字のお勉強をしなくちゃね」


 お母さんにそう言われて「うえっ」って思った。


 今はまだ、何を見てもよくわからないけど、寝る前にお守りを鑑定してみることにした。


 このお守りもすごく不思議なの。


 私は産まれた時にこの青色の玉を手に持っていたんだって。不思議なこともあるってみんなおどろいたみたいだけど、きっと神様が持たしてくれたお守りだから大事にしなさいって言われて、小さい頃からずっとポケットとかに入れていた。


 だけど、友達に見せたら、ほしいって泣かれて困ったから、今は外には持ち出さないでお人形と一緒に枕元においてある。


「いつ見てもキラキラしていてきれい」

「いつまでもそんなことをしていたら明日起きられないぞ」


 お父さんがそう言いながら、私からお守りを取り上げようとする。


「あー、しまっちゃわないでよ。これにぎったままで寝るといい夢が見れるんだから」

「だったら鑑定ごっこはおしまいにして、さっさと寝ろ」

「はーい」


 あたしは毛布を顔までかぶって寝るふりをした。


「ほんとうに不思議。暗いところでもお星様みたいに光ってるんだもの」


 私はお医者さんでやったように、頭を空っぽにしてからお守りを覗き込んでみた。





 たぶん、そのまま寝ちゃったんだと思う。

 だって、気がついたら山の中のソファーにすわっていたんだもの。


「君は誰?」

「え?」


 ソファーの後ろから声がしたからびっくりして振り向くと、きれいな服を着たお兄ちゃんがたっていた。


「どこからきたの?」

「わかんない」


 知らない場所だし、お父さんもお母さんもいない。迷子になっちゃったと思ったら、心細くなって涙が出てきた。


「泣かないでよ」

「だってええええ」

「困ったな。ねえ、きれいなもの見せてあげるから泣き止んでよ」

「きれ……なもの……?」

「虹色の魚って知ってる? この池には七色に光る魚がいるんだ」

「光る魚?」


 お兄ちゃんに手を引かれ池のそばまで行くと、底まで見える水の中には魚とか貝とかエビとかがいた。


「ほらあれだよ」


 お兄ちゃんが指さした方を見ると赤とか青とか黄色とか、色がピカピカ変わる魚が泳いでいた。


「きれえ」

「ね! あれ見ると幸せになれるんだって」

「そうなの?」

「うん。おばあさんが言ってた」

「おばあちゃん? あ、小鳥だ?」


 近くでピーピー鳴き声が聞こえたから上を見上げると、そこには鳥の巣があって、黄色いヒナが丸い目でこっちを見ていた。


「かわいい」

「でしょ。ここね僕の秘密の場所なんだ」

「そうなの?」

「だけど、君だけは入るの許してあげる」

「どうして?」

「なんでかな。君と話していると、胸の奥が暖かくなる気がするんだよね。不思議なんだけど、僕は君とは初めて会った気がしないんだ」


 そう言われてみると、あたしもそんな気がした。さっきまで涙が出るくらいさびしいと思っていたのに、お兄ちゃんと話していたらいつの間にか安心できた。


「もっと、いろんなところに案内してあげるよ」

「うん」


 お兄ちゃんが私と手をつないで歩き始めた。周りをみながら進んでいくと、すごくきれいな花畑が広がっている場所に出た。


「すごーい」

「気に入った」

「うん。あたし、お花のかんむりが作れるんだよ」

「じゃあ僕につくってよ」

「わかった」


 お花畑の真ん中で、お兄ちゃんに花かんむりをつくって頭にのせてあげた。


「ありがとう」


 お兄ちゃんがすごく楽しそうな顔をしているから、私もとっても嬉しい気持ちになった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] お互い生まれ変わって幸せそうなので良かったです [一言] 革命軍と反乱軍と国王軍と領主軍が出てきましたが、内戦は蒼い死神を討ち取った領主軍側が勝ったのだろうか
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