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8:追憶~その前~

 「君みたいな人、僕は初めて見たよ」

レストランで何気ない風に彼が言った言葉に私はさっき口にしたコーヒーを吹き出しそうになった。

 これって、ぇ?

「本当はもう絵を描くのをやめようと思ってたんだ」

「どうして?」

人間と関わるのを避けていた私は、思わず好奇心からそう聞いてしまった。

「スランプってやつかな。自分の納得する絵が描けなくなって」

彼のコーヒーをかき混ぜる手が止まる。見ると、悲しそうな顔が光がさしたような眩しい笑顔になった。

「でも、君を見たら想像がふくらんで描きたいって思ったんだ」

彼って天然なの?自分がどんなこと言ってるかわかってないよね。

 私はしばらくポカンと彼の顔を見つめていた。

 なにがそんなに楽しいのか、彼はにこにこしながらコーヒーをかき混ぜていた。

 いったいどれだけかき混ぜれば気が済むのだろう。砂糖はもうひとかけらも余さず溶けただろう。

 癖なのかな?

 私は知らない間に、彼をじっくり観察していた。

 目に少しだけかかる前髪。大きな目。色味の薄い黒目。黒というか灰色?肌は白いのに手入れされていないせいか少しあれてる。もったいないな。

「僕なんか見ておもしろい?」

「へ?」

そこでようやく私は、じっと彼を見ているんだって気がついた。

 私はなんだか恥ずかしくてうつむいた。

「ちょっと、うつむかないでよ」

「別に、私の勝手じゃん」

私はそのまま、大きなガラス越しに外を見た。

 太陽が眩しい昼。ありの大群のような人間。塔のようにそびえ立つビルの数々。

 どうしてか、私たちのいる空間だけがそこと違うような錯覚を覚えた。

 ここだけが切り取られたみたいな、温かい空間のような。

「な、なに?」

すごい視線を感じ、ちらっと横目で彼を見た。

 余裕があるという態度のつもりなんだけど、大丈夫かな。

 実際、とっても戸惑ってるんだけど…。

「君は、天使だよね」

「はぁ!?」

私は思わず、大声を上げ立ち上がった。勢いでテーブルに叩きつけた手のせいで、コーヒーカップが揺れる。

「冗談でしょ!」

 彼はもちろん、店にいた人ほとんどが目を丸くして私のほうを見た。

 しまった。

 私の頬に冷や汗が伝ったような気がした。

「失礼しました…」

恥ずかしすぎ…。

 私は恥ずかしすぎて思わず、涙目になっていた。

 それに気がついたのは、ぽたっとひざの上で握りしめた拳に滴が落ちたときだった。

 時すでに遅しってこのことだね。

 私は彼が気になって、チラッと見た。

 彼は虚を突かれたような顔をしていたけど、私の視線に気がついて困ったように頬を掻いた。ちょっと目をそらされたような気がした。

「ごめん。変なこと聞いたね」

私は手の甲でグイッと目元をぬぐった。

「一つ聞いていい?」

「いいよ。なに?」

「何で天使って思ったの?」

沈黙。

 一瞬、彼の頭の上にはてなマークが見えたのは気のせいだよね。

 そのあと、電球が浮かんだのも気のせいだよね。

「天使って言うのは絵の話だよ。天使の君を描きたいんだけど、駄目か…」

彼はがっかりそうに溜息をつき、本当に残念そうな顔をした。

 なんだか、罪悪感がすんごく湧いてきた。だって、自分の勘違いのせいだもん。

「違うの。絵の話と知らないで言って、私の天使かぁ。いいアイディアだね。見て見たい」

勘違いをしたことと罪悪感で私は混乱みたい。

 早口でにこやかにそう言うと、彼はぱっと子供のような眩しい笑顔を見せた。

「本当?」

キラキラさせた目で私のほうに身を乗り出す。

 あまりにその笑顔と瞳が眩しくて目を覆いたかった。

「うん。見て見たい。どうなるか気になるよ」

少し、笑顔が引きつっていたかもしれない。でも、仕方ないじゃない、こんな彼を目の前にされたんだもん。

 でも、本当に見て見たい。彼の絵は本当に幻想的でその世界に思わず引き込まれそうになってしまう。

 完成した物はもちろん、出来るまでの過程もずっと見ていたかった。

「あ、もうこんな時間だ」

彼は腕時計を見ると、しまったという顔をした。

 どうしたのかと首をかしげると、彼は困ったように笑って頭をかいた。

「ごめん。これからバイトなんだ」

「絵を描いてるのにバイトしてるの?」

私は驚いて少し目を見開いた。

 彼の絵はとっても魅力的で私は大好きだ。十分絵だけで食べていけると思っていた。

「絵だけでは食べていけないよ。それに、趣味程度の作品だし、売れないよ」

「十分うまいのに…」

「うまいだけじゃ駄目なんだよ」

フッと彼の顔に悲しい色が浮かんだのが見えた。

 気のせいなんかじゃない。一瞬だったけど、確かに見た。

 私はそれを見た瞬間なんと言えない気持ちが胸に広がって、何も言えなくなった。

「さぁ、行こう」

元の笑顔に戻って立ち上がった。

 それがなんだか悲しかった。

 その時からなのかな。私の頭に(はら)()(のぞむ)という人間が住み着いたのは。

 私はその日からよく希のアトリエに足を運ぶようになった。

 文字通り、毎日のように。暇なときは一日に幾度も足を運ぶことがあった。

 どんどん完成していく私の絵を見るのは本当に楽しかった。明日にはどうなっているかって、次の日が待ち遠しくなった。

 ユキゲはどうも希のことを好きになれないみたいで、私が希のところに行くときは一人でどこかへ遊びに行く。

 どこに行ってるのかな?

 私の絵にはとっても力を入れて描いているみたい。大きいキャンバスに描いていて少し恥ずかしいけど…。

 出来ていく絵を見るのが最初は目的だった。でも今は、絵を見ていたはずなのに絵を描いている希を見つめていた。

 いつもはにこにこ穏やかに笑っていてカワイイのに、絵を描いているときはキリッとしていてすごく、カッコイイ。

 もしもこの絵が完成してしまったら、私たちはどうなるんだろう。

 絵が完成していくたびにそういう思いが積もっていった。

 このままずっと二人でいれることって出来るのかな。

 出来るわけがないよね。私は天使なんだもん。心のない天使。

 結ばれていいわけがない。

 そんなある日。

 それは夏と秋の境目の時。暗い暗い夜のこと。

 その日は思わず暗くなるまでアトリエに居ちゃったみたい。行ったのは昼なんだけど、起きたらもう暗かった。

 知らないうちに寝ちゃったみたい。寝顔見られちゃった。やだなぁ。

「送っていくよ」

「え?いや、悪いよ」

まずい。これはまずい。送っていくってどこに。地上に私の家はなくて、あるのは天界。

 でも、これって人間のカップルがよくやることじゃない。

 私は言葉と反面、少し送ってもらうということに惹かれていた。

「女の子一人じゃ危ないよ」

一人じゃないんだけどぉっと、私は肩の上で不機嫌そうに腕を組んでいる小さな彼を見た。

 けど、かまうわけない。

「ありがとう。じゃぁ、そこの駅までお願い」

「はぁ!?冗談じゃねぇぞ!」

隣でわめくユキゲをチラッと見て耳打ちをする。

「嫌なら一人で帰ったらどう?」

「どうなっても知らねぇからな!」

そうだけ言い捨てると彼は飛んでいった。

 その背に少しだけ舌を出した。

 どうなってもって、どうなるってのさ。

 彼が差し出している手を私はぎゅっと握った。

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