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38:天使

「いらっしゃいませ」

HEARTは今日は開いていた。昨日の臨時休業のせいかいつもよりお客が少なかった。

 なにがあったのか、マスターの顔がいつもよりいい。そんな気がした。

「あら、サヨじゃん。なに?望に用事?」

茶化すようにゆずちゃんが入り口に突っ立っているサヨを小突いた。ゆずちゃんの髪が若干短くなっている。ファッションも以前のサヨに似せたものと全く違うものになっていた。

「そうなんだ。マスター、ちょっと望を借りてもいいかな」

顔はいつものように明るい笑顔だったが、声はぞっとするような冷たくて落ち着いた声。一瞬にして空気を凍らせそうだった。

 ちょこっと星司は眉をよせて、怪訝そうな顔をした。しかし、すぐに新聞に目を落とした。

「別にいいよ。今日客が少なくて暇だからね」

星司の許可がなくても望を連れ出す気だったサヨは、ちらっとエプロン姿の望に視線を送ると店を出て行った。いつもと違う様子のサヨに困惑しながら、望はエプロンのひもを緩めた。

 脱いだエプロンをカウンターに置くと、その腕を星司が力強く握った。その強さに、痛さを感じた望は顔を歪めた。

 何事だと星司を見ると、そこにはなにかを伝えるような強い目をした人がいた。

「なにがあっても手放すなよ。好きならな」

からんっからんっとドアベルが鳴って、客の来店を知らせる。

「いらっしゃいませ~」

それに向けた営業スマイルは、さっきの事が嘘のようにいつものようだった。これが出来る大人だ。

 望は嫌な予感しかしなかった。嫌な空気が、まとわりついているような気がして気持ち悪かった。出来ることなら、なにもなければいい。なにかあるのなら、今はサヨのそばには行きたくはなかった。しかし、そうはできない。

 重い足取りでドアを押して外に出る。日は高い。

 サヨはどこにいるのかと探す前に、視界の端に金髪が映った。店の角。店と店の小さな隙間。どうやら、サヨはそこにいるようだった。

 外はこんなにも眩しくて明るいのに、望の視界はどこかぼやけ暗かった。

 心音が一歩進めていく度に大きくなり早くなる。

 やはり、サヨはそこにいた。暗い隙間に一段と輝く金髪。

 苦しいのか、サヨは壁に寄りかかり肩を上下していた。

「どこか、悪いの?」

「…天使は、体を壊さないの。きっと、疲れね。大丈夫」

そうと言うが、大丈夫そうには見えなかった。息も荒く、声も掠れて出ていない。

「大丈夫じゃないだろ」

「…」

サヨは眉を寄せた。まるでなにかを堪えるように。下唇を噛みしめているその顔は、体の苦しさからではないような気がした。

「サヨ、今日はもう休んだ方が…」

「やめてよね」

落ち着いた寂しげな声。表情はそっぽを向かれわからない。

「そうやって、心配するの。ウザイの」

「え?」

あまりにも突然すぎた言葉に、望の頭は真っ白になった。見開かれた目にはサヨがどのように映っているのだろう?

「私、あなたが嫌いなの」

絞り出すようなサヨの声。抽象も例えもないストレートな言葉。

「え?サヨ、どういうこと?」

望にはなにもわからなかった。ただ、サヨの言葉がそのまま胸に刺さるだけ。

 そっぽを向いていたサヨが、振り返る。その顔にはいつものサヨはしないような、人をバカにしたような笑みがあった。

「そのままの意味よ。そんな事もわかんないわけ?

 人間と天使が結ばれるわけないじゃん」

「サヨ…」

「なれなれしく呼ばないでよ!」

悲鳴のような叫び声。

「まだ気づかないの?あんたが嫌い!ちょっと遊んでただけよ。噂の目を持つ人間はどんなやつか、興味があっただけ。それだけなの。もう、飽きたからあんたにわざわざお別れを言いにきたのよ」

一気にサヨはそうまくし立てるサヨは、痛々しかった。とても苦しそうで、胸が痛くなる。

「本当にそうなの?」

望にはどうもサヨの言っていることが信じられなかった。信じたくないだけなのかもしれない。だから、その口から嘘だと言ってくれるのを期待したのだ。

 サヨは俯いた。肩が小さく震えている。泣いているのだろうか?

 しかし、次に聞こえたのは小さいため息のような笑い声だった。

「なんで嘘をつかなきゃいけないのよ。あんたが嫌い」

「でも、悲しそうだよ」

望は凛とした力強い目で、サヨをとらえる。

 その目は天使の翼を見透かすだけにはいたらず、他のものも見透かしてしまうのか。

「サヨ、なにかあったの?」

俯いたままなにも言わないサヨに、望は手を伸ばした。

 いったいサヨはなにを思っているのだろう?なにを考えているのだろう?なにを背負っているのだろう?

 望はそれが知りたかった。それさえ知れば、どこかに解決の糸口が見つかるはずだから。

 次の瞬間、望の手はサヨの手によってたたき落とされた。

 その顔には、恐怖に近いものがあった。

 それはすぐにさっきの笑みに変わっていた。

「悲しい?私は天使なの。感情なんて、心なんてあるわけないじゃない」

「サヨには心があるよ」

「やめて!私達の存在理由を否定しないで!」

まるで子供のようにサヨは耳を塞いで、首を横に振った。

 天使にも心がある。

 それは時折考え、感じることだった。しかし、認めてはいけない事。そうなると、天使の存在理由が消えてしまうから。

 天使は、心を手に入れるために存在している。魂の迎えなんて神の手にかかれば簡単にできる。それを天使にわざわざやらせているのは、天使というシステムを作るため。天界という世界を作るため。

 神がなぜ天使を作ったのかはサヨにはわからない。しかし、心がないこと、それを手に入れるという目標だけで生きていける。それなのに…!

「人間なんて嫌い!心が当たり前のものだと思っているから!」

サヨは初めて天使が人間を嫌う理由がわかった。

 しかし、それだけでサヨは人間を嫌いになるなんて出来ない。それもわかっていた。

 それでも、言うしかないのだ。望にどう思われようと。嫌われようと。軽蔑されようと。

 サヨを忘れて、人間と幸せになるなら。

「望も嫌い!だいっ嫌い!」

投げつけるようにそうとだけ言うと、飛び去ろうとした。

 これで最後なのに、こんな別れ方は辛い。最後に見る望の顔があんなに辛そうな顔なんて。幸せになって欲しいだけなのに、結局傷つけてしまった。

「待って!」

後ろにバランスが崩れる。今のサヨにはそれを正す体力は残ってはいなかった。力が抜け崩れるように、腕を引っ張った望の胸に倒れた。

 とっさに抱きしめる。体にかかるサヨの重さが、なぜか不安を募らせる。

「サヨ!」

グッタリとしたまま動かないサヨの顔を覗き込むと、目を閉じて苦しそうに呼吸をしていた。

 望の体中の血の気が引いていく。

 直感的に、危ないと思った。しかし、どうすればいいのかわからない。

 どうにも出来ないまま、望は今にでも消えてしまいそうなサヨをギュッと抱きしめた。

 自分は無力だ。こんなにも大切な人がこんなにも苦しんでいるのに、なにも出来ないなんて。悔しくて、望は唇を噛んだ。

「望!」

上から聞こえて来た声に、望は助かったと希望を持った。

 落ちてくる矢のように、こちらに向かってくる影。小さな影が2つに、大きな影が1つ。

 誰かまでは望の目には判別は出来なかった。しかし、サヨを助けてくれるに違いない。

「助けてくれ。サヨを…」

不安そうな顔と声。不安すぎて恐怖にも見える望の顔は、とても頼りなかった。

 降りてきたのは、ユキゲとウスイ、それにヒナガだった。

 ヒナガの顔には驚きはなく、全てわかっていたとでもいうようなものだった。反面、ウスイの顔は悲しみに暮れていた。

 望にはその意味も今なにが起こっているのかも、理解出来なかった。それでも、サヨの危険は嫌なほどわかる。狂ったかのように、何度も何度も助けてと繰り返す。

 眉をギュッと寄せ眉間に皺を刻んでいたユキゲが、叫んだ。

「てめぇが悪いんだよ!余計なことしやがって!」

噛み付くように望を睨む目には、苛立ちと後悔、悔しさ。そういった感情が見える。しかし、全て望に向けたものではなかった。ユキゲ自身に向けるものもあるような気がした。

 助けを求めていた望は、口を開いたまま動きを止めると、驚いたようにサヨに目を落とした。

 いまだに苦しそうなサヨが、そこにはいた。

「俺が?サヨをこうした?」

催眠術にでもかかったような、はっきりしない言葉。そこから、ショックの大きさがわかる。

 ふわりと女神のようにサヨへと手を伸ばすヒナガ。望は反射的に、渡さないようにそれから少し遠ざけた。

「サヨをここにいさせてはいけません。天界に連れて行きます」

安心させるような優しい声に、望の腕の力が緩んだ。

 サヨを見つめるヒナガの顔は、険しいものだった。

 天界に連れて行って、そのあとはどうする?確かにここにいるよりは幾分いいかもしれない。しかし、何の解決にもならない。まだ、方法がわからないのに。

 ヒナガは、奥歯を噛みしめた。

「キミの細腕で、サヨチャンを持てるとは思えないネ」

突然現れた声に、ヒナガは驚いて顔を上げる。一瞬、怯えたような、まるで悪さを見つかった子供のような顔をしていた。

 この暗い空間と対照的な、明るい外の光を背に立っていたのは、セイメイだった。

「手伝ってあげるヨ」

セイメイがサヨに手を伸ばす。しかし、望はサヨを渡そうとはしなかった。

 サヨの腕を掴んだまま、どうにも出来ないとわかったセイメイは、うっすら瞳を覗かせて望を見る。

「俺が、サヨを連れて行く」

「キミは天界にいけない」

望はもう一度サヨを見る。自分がサヨを守ろうと思っていたのに。自分がサヨを助けようと思っていたのに。なにも出来ないなんて。

 望は、腕の力を緩めた。今、望が出来ることは、サヨをセイメイに渡すこと。それだけだ。

「ああ、心配はいらないよ」

聞いたことのない声に、その場にいた全員が動きを止めた。ウスイとセイメイは、しまったと言う顔をしていた。焦り、恐怖。なにが当てはまるのかわからない。

 実に静かで落ち着いた、中性的な男の声。汗をかいているウスイの視線の先には、この街には似つかわしくない格好をした、綺麗な男の子がいた。透き通った青い瞳が光っているかのように、輝いていて目を離せなかった。

「ほら、望も天界に来られた」

そういわれて初めて、自分たちがいる場所がさっきと違うことに気づいた。

 白い柱が左右に均等に並んでいる部屋は、ギリシャの神殿を思わせる。眩しいくらい白で埋め尽くされていた。清潔感しか感じられないうえに生活感は全く感じない。床もピカピカで鏡のようだった。

「どうしたの?そんな怖い顔をして」

ニッコリと可愛らしく笑う男の子。何歳かは定かではないが、見た目は中学生そこそこだった。声と同じで中性的な顔立ち。夜のような色をした髪。

 害がなさそうな雰囲気。それなのに、彼を見つめるヒナガとセイメイの顔は険しい。ウスイとユキゲも望と同じで今の状況を飲み込めないでいた。

「キミこそ、どうしたのサ。こんなところにボク達を招待するなんてネ」

いつものような余裕そうな口調と笑顔のセイメイ。しかし、緊張が見え隠れしていた。

「おかしな事言うなぁ。わかっているくせに」

笑顔なのに。口調も声も、こんなに優しそうで穏やかなのに、どこか威圧感があった。

 望はなぜか危機感を感じで、サヨをギュッと抱きしめた。

「どうか。どうかお見逃しください!」

声を震わせるヒナガ。必死なのがわかる。サヨを隠すように、望の前に立つ。

「私がしたことの重大さはわかっています!処罰されるべきということも…」

「ヒナガ」

穏やかな声。それなにの、ヒナガは怯えたようにびくっと体を跳ね上がらせて、押し黙った。彼の表情が少しだけ悲しそうに変わった。

「君は賢い子だ。本当に残念だよ」

彼のその声に、ヒナガはぞっとした。自分がこれから処罰されるのだと悟って、体が震えた。彼に逆らえるわけがないのだから。

 脳裏に愛しい人。星司が浮かんだ。もう会えなくなると思うと、悲しい。約束を守れないと思うと悔しい。

 ごめんなさいの言葉しか出てこなかった。

「お待ちくださいませ!我らが主」

ヒナガを守るように両手を広げ前に飛び出してきたウスイ。ユキゲが驚いて目を見開いた。

 驚いたように彼はウスイを見つめる。

「よく僕の正体を見破ったね。凄いや」

嬉しそうに彼は、神は笑った。

 本当彼が神だとはと、ウスイは驚いた。しかし、こんなことができるのはこの世でただ一人、神しかいない。ウスイは震えた。予想が真実だったということは、これから何が起こるのか、彼がどうしてここにいるのかということが、安易に予想できたから。ユキゲも同じことを予想したのだろう。恐れ多くも神を睨みつけていた。

「わたくしが消えますわ。そうすれば、ヒナガの罪も消えますでしょう。わたくしがヒナガの罪ですから」

消えるのが怖くないわけはない。出来ることなら、消えたくはない。まだ、ユキゲのそばにいたかった。でも、それをする事で、自分がいることで大切な人が消えてしまう。それなら、自分が消える。自分の幸せより、大切な人の幸せの方が大切だから。

「それなら、ボクも消えなくちゃいけないネ」

消える。そんな事今まで、本当に考えたことは無かった。口では何回でも言える。しかし、実際消えるとなると少し嫌だと抵抗してしまう。もう十分に生きた。でも、もう少しだけせめてサヨの人生が終わるまで見守りたかった。そんな気がする。

 神は嬉しそうに微笑んだまま。

「やだなぁ。勘違いしないでよ」

緊張感溢れる空気の中に似つかわしくない、神の笑い声に言葉。神以外、ハテナマークを頭に浮かせていた。

「いつ僕が君たちを消すって言ったの」

「じゃぁ、なんで俺たちをここに呼んだんだよ」

緊張したままユキゲが訪ねる。警戒は解いてはいけない。口でそうを言っていてもなにを考えているのかわからないから。警戒心を解いて、なにをするのかわからないから。

 サヨは強そうに見えて繊細で弱いやつ。だから、守らなきゃってずっと思ってた。だから、どんな状況でもサヨを守るんだ。

「警戒しないでよ。僕は助けてあげたいんだ」

「助ける?」

望は疑ったように呟く。

「そうだよ。サヨを助けてあげる」

それは願ってもいない申し出。神の助けがあるのなら、サヨは必ず助かる。

 驚いてヒナガはなにも言葉に出せなかった。

「でも、条件があるよ」

神はじっと望を見る。その目を。もしかしたら、神にしか見えないなにかをじっと見た。

 彼を信じるしか、道はない。望は疑うことを捨てて頷いた。サヨを助けたい。

 それを見て、神は柔らかく微笑んだ。

「君のその目を貰うよ」

「え?」

ざわめき。

「君の目は天使が見える特別製。それはね、神の加護なんだ」

ヒナガが息をのむ。ずっと探し求めていたもの。欲しかったものがこんなところにあったなんて。しかし、加護は天使にのみ与えられるもののはずなのに、なぜ人間に。

「僕もイタズラ好きでね。たまにこうして異例を作るんだ」

ケラケラと笑う神は、どことなく普通の子供と同じように見えた。

 その発言に、セイメイはため息をついた。

「まだそれやっていたの?悪趣味だヨ」

「人の趣味をバカにしないでよね。僕に言わせてみれば、セイメイの方が可笑しいよ」

言い合い。普通の人間のような言い合い。相手が神だということが嘘のようだった。そういえば、セイメイも元魔王だ。

 今までの緊張はどこにいったのか、空気はどことなく穏やかになった。

「そのおかげで今、助かっているじゃないか。その加護があればサヨを元に戻せるし」

さすがにセイメイも黙った。もっともだった。それがどんなに悪趣味でも今は助かるのだ。

 勝ったとでも思ったのか、神はふふんと鼻を鳴らした。

 それに気づいたセイメイは若干いらついた。

「じゃあ早く助けなヨ」

「せかっちだなぁ」

本当に信じていいのかと、疑いたくなるようなぐらい子供に見えた。

 歩いてくる神にヒナガは道を空けた。

 望の前に立った彼は、さっきの子供のような雰囲気と違って、優しいまさに神のような雰囲気を漂わせていた。

「本当にいいんだね」

その問いに、望は頷いた。

 もう、この力はいらないから。この目があったからサヨと出会えた。しかし、この目があったからサヨが違うということをわかってしまった。

 サヨを助けるためなら何でもする。でも、魂とか命はあげられない。最低かもしれないね。そんな事をいうのは。でも、そうしたらきっとサヨは喜ばない。サヨは人の命で生きるようなマネはしたくないはずだから。

 でも、目ならあげられる。自分に出来ることはこれだけ。これだけでも自分に出来ることがあるから。

 ぽうっと眩しいのに柔らかく暖かい光が部屋に充満する。なにが起こっているかはわからない。それでも、望の中からなにかが欠けていくのは感じられた。

 そして、光が静まった部屋には苦しそうなサヨはいなくなっていた。望の腕の中ですやすやと眠っているサヨ。

 その姿をみた望は胸をなで下ろした。助かった。サヨを助けることが出来た。嬉しくて望はその存在を確かめるように、ギュッと抱きしめた。

 そこで、望はあれっと首を傾げた。

「視力はある…」

「力だけ取ったんだよ」

彼は疲れたとでもいうように、肩を叩いていた。親父臭い。

 感謝しかなかった。

「ありが…」

「君はもうここにはいてはいけない。加護がなくなったから、ここは体に悪いよ」

神はニコッと微笑む。すると、消えるように望だけその場に消えていった。

 彼を人間界に戻したのだ。

 そう。人間界の空気が加護なしの天使には毒のように、人間にも天界の空気は毒なのだ。

 望が消える直前、サヨは目を覚ました。彼の体温がさっきまであったのに、今はない。消えていく望を見たサヨは、ぞっとした。

「望!?」

「人間界に戻しただけだよ。安心して」

やんわりとほほえむ神を見て、サヨは不思議そうな顔をした。

 今まで何があったのかも、彼が誰なのかもわからないのなら当然だった。

 望むがさっきまでいた場所にしゃがみ込んだままのサヨは、不安でたまらなかった。目覚めたときに見た望。そして、軽いからだ。目の前にいる少年は想像していることと違うことをサヨに告げたが、それが本当だという証拠がない。

 もしかしたら、サヨを助ける代わりに望自身を犠牲にさせたのでは?

 そんなの、いやだ!

「望!」

今すぐ、彼が言ったことを確認したくてサヨは立ち上がった。しかし、ここには扉がない。どうやって出ればいいのかわからずに、サヨは不安を抱えたままその場に立ち尽くした。目を閉じて、ただただ望の安全を祈るのみだった。

「サヨ、安心してください。望は無事です」

やんわり、ヒナガはサヨを抱きしめた。子供を落ち着かせるように、優しく。

 それでも、サヨはなぜか望の無事を信じられなかった。どうしてだろう?こんなにも望の無事を祈っているのに。

「落ち着け。望は無事だ。ただ、天使を見る能力を失っただけだ」

今までに見たことのない優しいユキゲの優しい顔に、サヨはようやく落ち着いた。

 無事なんだとうれしくて、サヨは涙を流した。まるで、心のある人間のように。安心したサヨは急に体の力が抜けて、その場にまたしゃがみ込んだ。

 そばにいたウスイが、サヨのぬくもりを感じるように濡れているその頬に自分の顔を押しつけた。ウスイの目からも嬉しい涙が溢れていた。

 セイメイも、ぎゅっと抱きしめたい思いを抑えてサヨの頭を撫でた。愛おしそうに愛おしそうに。

 すっかり仲間外れにされていた神は、不満そうな顔はせずに親のような優しい笑顔をしていた。

「サヨ。君のこれからを話さないといけないね」

神の言葉に、ヒナガは目を見開いた。やっと訪れた幸せを崩されたような気分。

「サヨの犯した禁忌の数々は、罰せられるべきことではあります。しかし…」

「だから、勘違いしないでよ」

困ったように、神は眉を下げた。いじけた子供のようだった。

 実際、いじけたように唇を尖らせ、うつむいていた。

「僕は助けてあげたいんだよ。そういったじゃないか。まったく。人を死刑執行人みたいに思っちゃって」

「実際、そうなんだヨ」

「ひどいなぁ」

口ではそう言ってはいるが、顔は楽しそうに笑っていた。

 ヒナガの言葉、そして目の前にいる少年の言葉から、サヨは少年の正体の予想ができた。そして、話とはなにか。しかし、引っかかるところがある。助けたい?

 禁忌を犯した天使を、神はお助けになるのか?

「サヨは禁忌を犯した。確かに罰を与えなければいけないね」

サヨは目の前で笑う少年に恐怖を抱いた。

 確かにサヨは禁忌をいくつも犯してきた。今まで罰せられなかったのがおかしいぐらいだった。

 しかし、今罰せられるわけにはいけない。せめて、望がサヨを忘れて幸せになるのを見届けるまでは。

「君を人間界に追放する」

静寂。

「天使であることを剥奪する。神から心を手に入れることのないまま、羽根を落とし人間と同等になること。それが君への罰だよ」

神はにっこりと笑った。

 それは確かに罰ではあった。しかし、サヨには願ってもいない捧げ物。サヨの顔は一気に明るくなった。それがどういうことかわかっているから。人間と同等になる。人間のように年をとることができる。望のそばにいることを許される。壁が消える。

 嬉しくて嬉しくて、サヨは泣いた。

 ユキゲもウスイも、自分のことのように喜んでサヨに飛びついた。

 セイメイとヒナガはただただ驚くばかりだった。

 そして、セイメイはふっと笑った。

 慈悲深い神様。確かにその通りだ。

 神が手をかざすと、そこには真っ白い大きな窓のような門が現れた。

「ここを通ると、君はもう天使ではなくなる。それと、人間界につながってるから帰り道は安心して」

「ありがとうございます」

「いいって。これは罰なんだから」

あははとさわやかに神は門の隣で笑っていた。

 もう来られない天界。名残惜しいといえば名残惜しい。離れがたくないといえば嘘になる。しかし、サヨには彼と生きる人間界の方が魅力的なのだ。

 もう会えるのかもわからない、友人たちを門の前で振り返る。別れの言葉は言わない。別れではない。旅立ちだから。

 涙なんか見せない。サヨはにっこりと笑った。みんなが手を振っているのが見える。もう、涙が出てしまうじゃないか。

 サヨも軽く手を振って、未来の希望を胸に抱いて走り出した。


 「さてと、後は他のみんなの今後も話さなきゃだ」

自分がこれからどうなるのか、一同は緊張を隠せないでいた。

「ユキゲ。君はずっと見習いで飽きない?」

「正直、飽きたな」

「だと思ったよ。僕も長い間同じ仕事して、飽きちゃったよ」

さわやかに笑う神。ここは笑っていいところなのだろうか。とりあえず彼にあわせて、笑った。もちろん引きつっている。

「さて、君の今後はこれだよ」

神はパチンと指を鳴らした。すると、今まで宙に浮いていたユキゲは白い煙に包まれた。隣にいた、ウスイが目を丸くする。

 その煙が晴れると、見慣れない青年が一人。しかし、どこかで見たことのある顔。

 床におしりをぶつけたのか、立ち上がった彼はそこをさすっていた。

「いってー!急になにしやがんだ!」

さらさらのブロンドの髪。空を思わせる青い瞳。黒を基本にした服。悪い言葉遣い。

 この特徴に当てはまる人物をウスイはよく知っていた。

「ユキゲ、ですの?」

ユキゲから見ると小さくなったウスイが、目を丸くしている。

 特徴はユキゲなのに、目の前にいるのは見慣れた小さいユキゲじゃなくて、人間と同じサイズ。しかも、世の中でいうところのイケメン。

 ウスイは驚きに他の感情が勝って、新しいユキゲに見ほれていた。

 自分の変化に気づいていないのか、ユキゲは不思議そうに首をかしげた。そして自分よりも明らかに小さくなったウスイの羽根をつまんだ。

「ちょっと!何をしますの!?」

もちろん暴れるウスイ。

「お前、なんでこんなちっせぇの?」

まだ状況を飲み込めないユキゲは、じっとウスイを見つめる。

 恋い焦がれている相手に真剣に見つめられたウスイは、こんな状況であっても胸をどきどきさせていた。

 しかし、それは短い出来事でしかなかった。興味がそれたのか、ぽいっとウスイを投げるように放す。

「女の子の扱いが雑だなぁ。モテないよ~」

投げられたウスイをナイスキャッチした神。さすがに、ウスイはぎょっとしてその手から抜け出そうとした。神はそれを許さず、ペットのハムスターでも撫でるように、ウスイの頭をそれはガシガシと乱暴に撫でる。

 あなたもそうですわと言ってやりたい気持ちを抑えて、ウスイはおとなしく撫でられていた。そうゆうところしっかりしているウスイは、神に逆らうなんて恐れ多いと思ってのことだ。なぜ、こんなところばかり真面目なのだろうと、ウスイは自分の性格を呪った。

 ユキゲの興味は今度は、セイメイに向けられた。

 今まで一緒に行動していたパートナーの、雑な扱いを気の毒に思っていたセイメイは、突然向けられた視線にギョッとした。

 自分は何をされるのかと、ひやひやしていた。さっきの、ウスイのこともあって警戒心を強めていた。

 すたすたと歩いてくるユキゲに、若干セイメイは逃げ腰になった。

 セイメイの目の前まで歩いてきたユキゲは、ぴたりとその場に気を付けをした。

 自分に起こるであろう悲劇を想像してぎゅっと目を閉じていたセイメイは、何も起こらないことに安心して目を開けた。といっても、目を開けたといっても元々細め、閉じていたかもわからない。あまり、目のあたりには変化が見えない。

 そんなセイメイが見たのは、勝ち誇ったような顔をしたユキゲだった。

「え?なにかナ?」

よくわからない、ユキゲの行動にセイメイは困惑した。

 ユキゲは、すっと手を挙げた。若干、身の危険を感じたセイメイは肩をすくめた。

 しかし、その手はコツンと頭のもっとも高いところに当たった。ユキゲの顔が少しゆがむ。その手を今度は自分の頭に乗せたユキゲは、すっとまっすぐにセイメイの方にスライドした。またもや、頭に軽く当たる。おかしいとでも言うように、同じ場所を同じように軽くぶつける。

「ちょっと、痛いんだけど」

「おかしいなぁ。勝ったと思ったんだけどなぁ。おかしい」

真剣に、つぶやくユキゲ。

 セイメイはあきれた。なるほど。身長の話か。ということは、自分の変化に気づいたのだろうか。自分が天使になったと。

 おかしそうにユキゲを眺めていた神は、もう一度指を鳴らす。すると、ユキゲの前に全身鏡が出現した。

 ユキゲと近い距離にいたセイメイは、鏡が現れた反動により、少し後ろに下がったところに尻餅をついた。

 ようやく、自分の姿を確認したユキゲは目を輝かせて、確かめるように自分の体を触りだした。

「すげ~!俺、急成長してんじゃん!なにこれ、やばくないか!」

相当、自分の姿に満足して感動しているようだった。

 小鳥でも空に放すようにウスイを手放した神は、ユキゲの隣に立った。肩を組もうとしたが、身長差があり、届かない。

 それが楽しいのか、ユキゲの目が弓なりになった。

「それが、君の今後だよ。天使に昇格、おめでとう。パートナーは後で向かわせるよ」

「サンキュー!」

神の手を握ったとたん、ユキゲの姿はその場から消えた。本日二回目。しかし、そこにあったものが一瞬に消える光景はいつ見ても驚く。心臓に良くない。

 全身鏡をしまった神は、今度はウスイの方を見た。やはり、神の澄んだ目に射貫かれると背筋が伸びる。

「君は、真面目だなぁ」

見破った神は、おかしそうにケラケラと笑った。見破られたことが恥ずかしくて、ウスイは体中を赤く染めた。

「さてと」

神はぽんっと手を叩いた。すると、先ほどのユキゲと同じことが起こった。ウスイには、二回目の体験。腰まで伸びた長い銀髪がさらりと揺れた。以前とは違う銀髪と黒い翼。

「君の今後は悩んだよ~。選択肢が多すぎて。でも、これが一番だね」

「感謝しますわ、我らが主」

いつものウスイならしないような、眩しいぐらいの笑顔。ユキゲとは違う表現だけれど、きっとユキゲよりも喜んでいるに違いない。ウスイは、自分を表に出すのが苦手な不器用な子だから。

 今まで辛いことがあった分。彼女らにはその分だけ絆が強まり、自分を知って、強くなっている。そんな彼女らに幸あれ。

 神は、この部屋から消えていくウスイを見送りながら祈った。神なのに、いったい何に祈ったのだろう?しかし、神だからとこればかりはどうしようもないことなのだ。彼女たちがこれからどう暮らすか、幸せな道に進むか、神ですらそれを与えることはできない。彼女たちの問題。心が示すものだから。

「さてと、ヒナガはどうしようか。こればかりは僕の独断では決められなかったよ。君が決めて」

神の言葉にヒナガは眉をひそめた。神が決められなかったとは、どういうことなのだろう?ヒナガの今後を神はどうお考えなのだろう?

「神になるか人になるか」

神が出した選択は、安易なものだった。ためらいなく、ヒナガは人だと答える。しかし、もう一つの選択しに疑問を抱く。神になる?そんなこと、たかが神の使者がなれるものなのだろうか?そして、なぜ、ヒナガ?

「君は、人と答えるだろう。でも、知っていて欲しくてね」

悲しいようなほほえみ。残念そうといってもいいだろう。

「僕は少しばかり、不向きな気がして。考えも古いだろうしね」

神の顔には無邪気な子供のような笑顔が戻っていた。

 ヒナガには、神の言っていることが理解できなかった。今まで、彼の元で働いていて不満などなかった。不向き以上に、彼こそが神だとこのときですら思う。

 彼は、いったい何を考えているのだろう。

「君は、僕のようなことをしてみせた。天使を作りあげた。慈悲もあるしね」

「神は荷が重すぎます。あなたこそ、神、その方です。私はそう思います。あなたしか降りません」

「そうかなぁ。ちょっと、買いかぶりすぎだよ~」

しかし、神はまんざらでもなさそうだった。

 わからない人だと、ヒナガは思った。わからなさすぎて、少し、怖い気がした。

「仕方ない。でも、君にやって欲しい仕事があるから、人間になるのはちょっと待ってね」

神はくるりと人差し指を回す。すると、ヒナガが何も言う前に、その場から消えた。何も聞きたくないとでも言うように。

 残念だと、神は心から思った。彼女なら、後継者になれる唯一の存在だと思ったのに。

 小さく、ため息をついた。

 それでも、我が子の幸せ願わない親はいない。彼女の幸せが一番。彼女の選択を尊重したいから。

「ちょっと。終わったなみたいに思ってないよネ」

神のやりきったというような顔を見て、忘れられているように思ったセイメイは若干不安になった。

 別にこのまま天使をやってもかまわないのだけれど、ちょっと問題があった。ここには扉がない。ということは、勝手に出て行くことができない。おまけに自力も無理ときた。神の力でなければ、無理だ。忘れられているのなら、いつまでもここにいなくてはいけない。そんなのごめんだ。サヨと二人きりならまだしも、こんなやつとなんて願い下げだ。

「あはは。忘れてたよ~。君って、意外に影薄い?」

この無邪気でさわやかで眩しい笑みが、この上なくむかつく。セイメイは背中の後ろに隠している拳を震わせていた。そして、こちらも負けじと、笑顔をふりまく。元々、笑っているような顔をしているのだけれど。

「セイメイ。笑顔が怖いよ~」

「そんなことないヨ。いつも通りのはず」

「だから、ふられちゃったのか」

セイメイの顔がぴくぴくと引きつる。

 そうだった。こいつは昔からこんなやつだった。無邪気の皮を被った悪魔。腹黒いとは少し違う悪魔。人を苛つかせるプロ。

 ここでキレたら負けだとセイメイは思い、そのまま声を上げて笑う。

「ちょっと、無理しすぎじゃない?笑顔、引きつってるし」

「いや、だから。いつもだヨ」

「またまた~。嘘はよくないってば」

さすがに、セイメイも限界がきた。しかし、まだ負けたくないらしい。顔は笑顔を貼り付けている。言葉は出てこないけれど。もう、そこで神の勝ちが決まっているような気がする。それでも、セイメイはどうしても認めたくない。

 しばらくのにらみ合い。とは言っても、両者笑顔。無邪気な笑顔対引きつった笑顔。

「まあ、いいや。君のことを話さなきゃいけないし」

神はいまだに笑顔を絶やさない。セイメイはすっと笑顔を消した。

 そして、神はセイメイを指さした。

「あ、セイメイの負けだ~」

「なっ!」

しまったとセイメイは、言葉を失った。完敗だった。そう、神は笑顔を絶やしていなかった上に、やめだと言った訳ではなかった。まあいいや。それだけだった。

 迂闊だったとセイメイは、肩を落とした。

「じゃあ、罰ゲーム」

ポンッと神はセイメイの肩を軽く叩いた。すると、セイメイの姿が一瞬にして変わった。

 背中に生えていた翼が消え、服も真っ黒いまるで神のような服になった。髪も若干伸びたように見える。

 懐かしき自分の姿に、セイメイは驚いていた。

「うん。君はこっちの方が似合うよ」

まるで親友が黄泉からでも帰ってきたかのような、嬉しそうな笑顔をしていた神。セイメイは苦々しく笑った。

 神は酷なことをさせるな。もう十分生きた。それを聞いていないわけではないだろう。神は子供だから、好きな人をそばに置きたがる。気に入ったものはどうしてもそばに置いておきたくて。一人も嫌い。寂しいから。だから、逃げ出したボクを捕まえた。

 神と魔王。そう生まれてきたボク達には、終わりが用意されていなかった。

 始まりすらも、わからない。それほど前から存在していた。この地はボク達が創った訳でもない。誰かから、与えられたものだった。そこに、神が気まぐれに命を創り上げた。理を創り、世界を創った。

 それからの記憶はある。長い永い記憶。もう十分だって自分でも思うほど永い。

 だから、ボクは逃げた。終わりに逃げた。サヨチャンのことは本当に好きだった。しかし、その気持ちは本当か疑いたくなるほど、ボクはそれを理由にした。それを理由に逃げた。

 捕まれば終わりだと、わかっていた。この希望が。ボクはまたあの永い時に戻されてしまう。それはいやだった。

 しかし、サヨチャンを放ってはおけなかったから。彼女の苦しむ顔は見たくない。彼女の幸せを願っていた。だから、ボクは戻るしかない。永い永い時に。

 いつかくるかもしれない終わりを二人で待ちわびながら。

「キミ、マジシャンやれば?荒稼ぎできるんじゃない」

皮肉をたくさん言ってやらないと、気が済まない。それでも、気が済まないときはまた逃げてやる。

「あはは。いいかもね。キミが客呼んできてよ。女の子口説くぐらい、朝飯前でしょ」

「ボクのこと、買いかぶりすぎだヨ」

「パクリはいけないよ~」

さわやかに笑う、友。近くに現れた、ソファにだるそうに座る。こんな日々も悪くないのかもしれないと、セイメイは目を閉じた。

 そこに見えるのは思い出の数々だった。

「ところで、魔王。ちょっとやっかいな魂がきてね。とりあえず、死神にしておいたよ」

「ふ~ん。どんなやつなの?」

セイメイは、天井を仰ぎ見ながら興味なさそうにつぶやく。

 死神。懐かしいなと、思った。もう、見知った顔も少なくなっているのかもしれないな。

 死神は、自ら命を絶ってしまった魂。そして、罪を犯した天使。前者はそのために傷ついた魂の修復の時間。後者は罪を償う時間。それを束ねていたのがセイメイだった。いない間はどうしていたのだろう?

 死神はその後、天使見習いになる。不思議な話。魂は一緒のくせに、見た目、性格は昔とは違ってしまう。記憶もなくなってしまう。だから、天使達は自分が何回目か知らない。覚えているのはセイメイと神ぐらい。

「君の方が彼に関しては詳しいと思うよ。ノゾムって言うんだ」

だるそうにしていたセイメイが、飛び起きる。

 神の口から出てきた名前には聞き覚えがある。それどころか、さんざん聞いた名前だった。

「希望の希の方」

セイメイはソファから立ち上がる。脳裏に浮かぶ、無邪気な子供のような人間。

 すたすたとセイメイは何もない空間に歩いていく。今は神と同等に力を手に入れているから、ここから出るのなんて容易い。

「いってらっしゃい。魔王」

「ボクは、セイメイだヨ」

名前のなかった魔王にヒナガがつけた名前。大切な人たちが呼ぶ名前。魔王は天使に墜ちた時からセイメイになったんだ。

「僕は呼ばないよ。君は魔王だもん。君だけ名前があるなんて、ずるいし」

「じゃあ、ボクがつけてあげるヨ。それなら、問題ない」

「君が?そうだね。じゃあ、君のセンスに任せるよ」

「ああ」

セイメイはそれだけ言うと、部屋から去っていった。

 一人。この無駄に広い空間に取り残された神。この間まで、これが普通だったのに、今はこんなにも寂しいな。

 ちょこんと、神はその場にしゃがみ込んで床をこつんを小突く。すると、そこには展開の映像が映し出された。こう映像で見なくとも、すべての記録は神の中に存在する。しかし、神はこう映像で見ることを好んだ。まるで、自分がその天使の人生を生きているような気がするから。

 天使達は、神が生命を生み出していくうちに現れた存在。魂に傷はなかったのに、天使には欠点があった。そしてそれを神は、心の欠如だと考えた。しかし、神であっても心は触れられない領域であった。だからといって、欠陥品だと言って捨てることもできなかった。

 この天界を創り上げた。心や他の誰かとふれあうことで、少しでも心を理解できればいいと思った。心があるのだと勘違いしてくれればいいと。

 目標を与え。羽根を与え。力を与え。仕事を与え。

 しかし、間違いだった。天使に心がないと言うことは、間違いだった。天使にも、心があった。ただ、心に気づけない者と心を閉ざしてしまった者がいたと言うだけだった。だからといって、創ってしまった理を消すことはできない。

 何もできないままだらだらと、ここまできてしまった。本当にだめな神だ。

 神はその場にころんと横になった。


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