37:あってはならない真実
自室に帰って来たサヨは倒れ込むように、ベットに横になった。うつぶせの姿勢のまま、目を閉じ手で顔を覆った。
苦しい。
その言葉がサヨを襲っていた。
身体的に限界を示す苦しさと、精神的に胸を締め付けられるような苦しさ。
せめて仰向けになろうと体に力を入れてみても、びくともしない。息をするのも少し辛い。なにがいったいこんな事にさせたのだろう?体が思うように動かなかったら、天使の仕事ができない。望に会うことだってできない。望の前では辛い姿は見せたくない。このままではいつまでも心を手に入れられない。
サヨはもう一度体に力を入れた。しかし、状況は変わらなかった。
悔しさから、視界が歪む。
望の事を思うと涙が次々に流れ出した。
しかし、またサヨの中で残酷な声が囁いた。
思っているだけじゃダメなのよ。天使と人間は結ばれない。星司を見たでしょ。望をあんな風に苦しめてしまう。
サヨの涙がぴたりと止まった。
わかっている。そんな事。ずっと前から知っている。それなら…。愛しているからこそ…。
サヨはクスッと可笑しそうに小さく笑うと、目を閉じた。
もう目覚めないのじゃないかと思うぐらい、深い眠りについた。
ユキゲは天界のありとあらゆる場所を飛び回っていた。とある人を捜し回って。
今すぐにでも、聞き出さなくては。そいつが知らないなら調べるのみ。サヨについて、今すぐに。
庭園に珍しい銀髪が目に入った。
「いた!」
ユキゲは獲物を見つけた野鳥のように、その人物の方に飛んで行った。幸運にも、その人物は一人だった。
自分にもの凄い勢いで飛んでくるなにかに気がついたウスイは、反射的に近くにあった小石を投げつけた。もちろん、それは見事命中。ユキゲの眉間のど真ん中にぶつかった。
「え?ユキゲ?」
目の前で痛そうに悶えている人物に、ウスイは目を丸くして投げようとしていた小石から手を放した。小石と言っても小さい見習い天使にしては手のひら大のものだった。
自分がしたことを自覚して、ウスイはポケットからハンカチを取り出すと、近くにあった噴水で濡らす。絞りながらユキゲに近づくともの凄い形相で睨んできた。
さすがに罪悪感が生まれた。しかし、そこで謝らないのかウスイだった。
「自業自得ですわ。後ろからあんなスピードでなにかが来ましたら、防衛本能が働いても文句は言えませんわよ」
呆れたようにぐちぐちと言葉を並べるウスイは、小石が当たって熱を持っている場所にハンカチを当てた。そのときに頬を若干染めごめんなさいと謝った姿をユキゲは見逃さなかった。
なぜが胸がむず痒くて、気分が悪くなった。手が触れないように心がけながらハンカチを自分で押さえる。離れていくウスイの手を見つめていたことには気づかなかった。
「で、わたくしになにか急用でもありましたの?」
ウスイのそのつぶやきにユキゲは流されかけていた用事を思い出して目を見開いた。その反応にウスイは若干眉を寄せた。ただ事じゃないのを察した。
「最近サヨ、なんかやらかしてねぇか」
「サヨですの?わたくしは知りませんわ。記憶の間では過去の記憶しか見ていませんので」
ウスイの言っていることは事実だろう。目が泳いでいない。隠しているようにも見えない。
それならと、ユキゲはウスイの腕を掴んで飛び出した。
「記憶の間でサヨになにがあったか調べるぞ」
「あ、はい」
「嫌な予感しかしねぇんだ」
こんな時なのにウスイは掴まれた腕から真っ赤になっていった。しかし、ウスイは嫌な予感と言われた瞬間、緊張が全身を駆け巡った。
少し寝たおかげで、体力が少し戻った。苦しさは変わらない。それでもサヨは出かけるために身支度を調えた。この決意が消えてしまうその前に、サヨはしなければいけなかった。
結局、天使と人間の隔たりは消えないのだから。
サヨは目元をグイッと拭うと、暗い部屋から出た。胸のネックレスが小さく光った。
今日はバイトの日だから、いる場所はわかっている。
する事もわかっている。
もう全部決めて、わかったんだ。
それを見つけるのに手間取らなかった。
全てはユキゲは考えていた最悪なパターン。最悪で最低で絶対にあってはならなかったこと。
ユキゲはなにも言葉にできなかった。叫ぶこともせず、サヨの犯してしまった禁忌について記されている箇所を見ていた。
音を立てて食いしばっている歯、指が皮膚を破ってしまった拳、震える体、険しい目。全てがユキゲの表しきれない感情を表していた。
ウスイもその隣で信じたくないと首を横に振っていた。目には涙がうかんでいた。
信じられない、信じたくない、あってはならない真実。
サヨが犯してしまった禁忌が残酷にも記されていた。
純潔を失ったと。神の加護が消えたと。消滅が近いと。
「……アイツのトコいくぞ」
低く震えた声に、ウスイは頷いて言ったユキゲより先に記憶の間から出て行った。
ユキゲもそのあとを追おうとした。その前に、押さえきれない感情を真実しかない記憶の間にぶつけるように叫んだ。
言葉にならない声で、獣のように泣いているのか怒っているのかわからない叫びを上げた。