20:回想~プロローグ~
ずっと昔。わたくしが、まだ白天使の見習いだったときのこと。
わたくしのパートナーは、今ではとっても偉くなった、ヒナガだった。
わたくしたちは、あと少しで次の段階へと足を踏み出すときだった。
ここ数年で、ヒナガはすごい業績をとげ、前例のないぐらいの早さで、大天使となる。わたくしも、天使になる。
最近のヒナガは時間に余裕がなさそうだった。毎日寝る間を惜しんで、ノルマ以上の仕事をしていた。
疲れただの、眠たいだのいいながらも、日に日にヒナガのノルマはあがっていく。
こんな生活、わたくしなら耐えられない。もちろん、ヒナガだってやめたそうに溜息をついていた。
それでも、次々を日ごとを処理しては天使がやらなくてもいい雑用、黒天使の手伝いもしていた。
ヒナガはなんでそんなに急いでいるのだろう?
いつも疑問に思いながらも、聞くことはなかった。
ヒナガの顔からは、どんどん余裕が無くなり、疲れの色しか見えなかった。
たまに、人間になる前に死ぬんじゃないかしら、と思ってしまうときがある。
でも、やつれてるだけだと思っていた顔には、いつも希望が見える。
まるで、この天使の後に待っているものが、地獄からの救いのように。
彼女は、他の天使から、イカれてると陰口を言われていた。
もちろん、彼女の耳にも届いてるはず。それなのに、彼女は周りにあわせることはなかった。爆発することもなかった。
さすがに、知らないふりをしていたわたくしも、聞かずにはいられなくなった。
「ねぇ、ヒナガはどうしてそんなに焦っていますの?なにか、いいことがあります?」
「ええ!そうなんです!」
その時の彼女は、いつにもまして顔が輝いていた。
今までも疲れが吹っ飛んでしまったよう。
「私、恋をしたんです!」
「なんですって?」
こんな答え、誰が予想しただろう。
当然、わたくしは予想していませんでしたわ。
「何度も言わせないでください」
ヒナガは頬を赤くして、恥ずかしそうに笑った。
恋って、なんなのかしら?
わたくしは、冷めてるらしい。何を考えてるかわからない、近寄りがたいって、よく小耳にはさむ。
だから、わたくしに話しかけてくるのは、ヒナガぐらい。
話し相手がいないからって、困ったこともないし、必要ともしない。
それに、心、つまり感情がない天使が、へたにふりをするのも面倒ですもの。
ちょっと待って、今の問題はこんなことじゃありませんでしたわ。
「恋したって、天使になのでしょう?それなら、理由になりませんわ」
「……ウスイは口が堅いですか?」
いきなり、声を潜めたヒナガはあたりをキョロキョロと見渡した。
ここはヒナガの自室。あまりにも働き過ぎなので、大天使様に休暇を言い渡されたの。
誰かがヒナガをストーカーしているか、部屋を間違えたかしない限り、わたくしとヒナガの二人だけのはず。
よほどこれから言うことが、トップシークレットなのか、戸を開けて外に誰かいないかも確認していた。
今から言うことの内容はわからないが、恋したの!と言う言葉も、トップシークレットだと思うわ。
気が済んだヒナガは、ベッドに腰掛けると、じっとわたくしのほうを見た。
「あぁ。口は、堅いほうだと思いますわよ。それに、話す相手もいませんし」
「なんですって!」
さっきまで真剣な顔をしていたヒナガは、頬を膨らませた。
「まだ友達を作っていなかったんですか!?」
「別に、いなくても困らないですわ。それより…」
「そんなことではダメです!私が大天使になったら一人ですよ。大天使は書斎をあまり離れられませんし、天使は必要がないときは立ち入れませんし。」
「天使の仕事なんて、一人で出来ますわ。それに、見習いがつきますから一人になりませんわ。それで…」
「確かにそうですね。あぁ、安心しました」
「ヒナガ、話をそらしてません?」
「え?なんの話をしてましたっけ?」
そうだった。周りからは、しっかり者という評判だけど、実は物忘れが激しい天然だった。
こんな子が、大天使になって大丈夫なのだろうか?
大天使になったら、一人で仕事をこなさなきゃいけないのに。ウスイという名の、助手がいないのに。
いや、そうじゃないって。
「あなたが、恋したって話ですわ」
「そうでした!別にそらしていたわけでは…」
「はやく本題にはいりましょ」
これ以上話がそれる前に。
もう一度キョロキョロとあたりを見渡したヒナガは、真剣そうな顔に戻った。
「私が恋したのはですね。実は…」
空気が緊張で張り詰める。
ヒナガの唇を見つめる。
「人間なんです」
今、なんて言った?
言葉が、喉から出てこなかった。声すら、出てこない。
理解できない。天使同士の恋ですら、恋という意味すらわからないわたくしが、どうやって人間と天使の恋を理解できたろう。
全くといって、理解できない。
別にタブーではない。しかし、普通に異端扱いされる。
それに、天使と人間の恋が原因で、タブーを犯す天使が多い。
それはとても、危険だ。
「本気で言ってますの?」
「ウスイが言いたいことは、わかります。でも…」
「でもじゃありませんわ!ヒナガ!危険ですわ。諦めなさい」
悲しそうに眉を下げているヒナガ。いや、悲しそうより苦痛に顔が歪んでいるようにも見える。
きっと、ヒナガもわかっていたんだ。わたくしから、わたくしじゃなくても他の天使から、そう言われるのも、人間に恋してはいけないと言うことも…。
「それは、無理です。彼が言ったんです。自分の思いに逆らって生きると、自分を失う、と。だから私は、自分が思ったとおりに、行動します」
ヒナガの顔に、迷いはない。あるのは、希望と決意。
許されない恋。
それが、彼女に何を与えるのだろう?
彼女はどこか変わった。わたくしは、いい方向に変わったと思えない。
違う。認めたくないだけだって、わかっている。
今でもわからない恋に、憧れてしまった、自分がいることを。
ヒナガが羨ましいんだ。
人間との恋愛は、まだ許しているワケじゃない。
でも、最近のヒナガは生き生きしてて、綺麗だった。
「でも、人間ですわ」
「だから、1日も早く、ゴールしたいのです」
天使のゴール。それは、心を手に入れること。心を手に入れて、人間になること。
天使は、人間を嫌いながらも、憧れている。いつか、自分もあの仲間になると。
天使が人間が嫌いなのは、そこにあった。
人間は、天使が苦労しないと手に入らないものを当たり前のように、生まれながらに持ち、簡単に汚し、傷つけあい、捨てる。
だから、人間を嫌いになった。どのみち、自分たちもそうなるのに。
「心を手に入れるには、時間がいりますわ。その彼は、死んでしまうかもしれませんわ。
生きていても、あなたを待っているとも限りませんのよ。
人間は、簡単に裏切りますわ」
「それでも、私は走ります」
彼女の意志は、思った以上に堅かった。
彼女なら、何があっても大丈夫。
そんな気がした。