2:好きって?
まるい月。小さな星。広い空。それが全て、朱く染まっている。
ただただ広い空間に、一人。否、二人。それでも、独りだった。
一人は地にへばりつき、朱をひろげている。
一人は、その朱に染まっていた。
純白の翼、黒で統一された服装。暗めなプラチナブロンド。
細く白い手は、朱が一番ついていた。
口は嗤っているのに、目は涙を流して泣いていた。
そうだと思ったら表情は消え、二つの響きで言う。
「「人殺し。タブーを犯した、天使。」」
「!!」
体が、じっとり嫌な汗をかいている。長い髪が、頬や額に張り付いている。震えは止まらず、目からは涙がにじむ。
目を閉じたいけれど、またあの夢を見るのではないかと、恐れ閉じられない。
自分自身を抱くように、肩を掴む。ぎしぎしいう首を動かして、周りを見渡す。
自分の部屋。隣でくかーをあほくさくいびきをかいて寝ている、ユキゲ。
あれはただの夢だと、自分自身に言い聞かせる。
あの日から、毎日見るようになったあの夢。
どんなに見ても、恐怖を覚える。
あれは、本当にあったことだとサヨはしっている。誰が人殺しなのか、サヨはしっている。
たがら、恐い。どうしようもなく、恐い。
「なんで、来たんだろ。」
サヨはとある喫茶店の前に、立っていた。高い太陽が眩しい。
建物を見上げると、『HEART』と看板にペンキで簡単に描かれていた。
「会いたくなかったら、来なくてもよかったんだよね。・・・なんで、来たんだろう。」
サヨは、ため息をつきながら壁に寄りかかる。
ここに来てから、もう1時間はたった。別に、望が遅いわけじゃない。約束の時間には、まだ三〇分もある。
サヨは、待ち合わせというものが初めてで、どうしていいのかも、いつ来た方がいいのかわからなかった。だから、待たせては悪いと思い、早い時間に来たのだ。
その間に、サヨは何回かナンパをされた。しかし、そんなことはサヨの日常だったから、軽く受け流した。
「やっぱ、ノゾムが気になったんじゃねぇ。」
肩に乗って暇をしていたユキゲが、呟く。
サヨは、ムスッとした顔をする。
「それ、まるで私がノゾムのこと、好きみたいじゃない。」
「そこまで言ってねぇよ。もしかして、好きなの?」
「はぁ!?」
サヨは、飛び上がる勢いで言う。
近くで聞いていたユキゲは、うるさいでも言うように耳をふさいでいた。
「そんなこと、あるわけないでしょ!天使と人間だよ。」
「別に禁じられてねぇじゃん。」
「そうだけど。」
そう言って、サヨはうつむく。今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「違うもん。天使には、心がない。好きとか、そんな感情ないんだよ。」
「サヨ・・・。」
ユキゲもうつむいてしまう。
サヨは顔を上げて、悲しげに笑う。
「ごめんね。」
ユキゲは、ただ頷くだけだった。
サヨは時間を確認するために、腕時計を見る。まだ昼には時間がある。
「なぁサヨ。」
「ん?」
サヨはキョロキョロと、辺りを見渡しながら応える。
まだ時間ではないが、望をさがしている。
「オレらにも、心ってあるんじゃねぇ?」
「え?」
思いかけない言葉に、サヨはユキゲを見つめてしまう。
ユキゲは、ふざけていない。いつも以上に、真剣だ。
「なに言って」
「だってさ、オレらが持ってるこの感情って、心って言うんじゃねぇの?」
「・・・」
サヨは黙ってしまう。
考えたことが、なかった。そんなこと。そもそも、心ってなに?
しばらく、二人の間に思い沈黙が流れた。
しかしそんな沈黙も、すぐ破れた。
ぐぅ〜。
「お腹、すいた〜。」
サヨはなったお腹を押さえながら、呟く。
天使は、ほとんど人間と同じで、お腹もすくし、喉も渇く。眠たくなるし、酔っぱらったりもする。ただ、病気はしない。
「サヨは、ほんっとに食いしん坊だな。そのうち、太るぞ。」
「余計なお世話よ!」
サヨはそう言って、ユキゲを肩から埃をはらうようにはらい、ズカズカと大股で歩き出した。はらわれたユキゲは、空中で体勢を整えてサヨを追いかける。
「どこ行くんだよ。ノゾムを待ってんじゃねぇの?」
「まだ時間じゃないよ。お腹空いたし、ご飯食べるの。」
サヨは、拗ねたようだ。顔はぶすっとしているし、声には棘がある。
ユキゲは、困ったような笑顔で隣を飛ぶ。けして、悪気があったわけではない、いつもの冗談で、こんなに怒るとは、思っていなかった。
早く来てくれ〜、ノゾム。
ユキゲは、心の中で祈りを捧げていた。
「サヨ!」
聞こえた声に、ユキゲの顔はぱぁと輝いた。
サヨはぶすっとした顔のまま、声の主を見る。
手を振り、子供っぽい笑顔をして、走ってきた。
「・・・どうしたの?」
サヨの顔を見るなり、おもしろそうに、驚いたように言った。
サヨはぶすっとした顔のまま、何も言わない。
こそっと望の近くに行って、ユキゲは耳打ちする。
「サヨ、ダイエットしてるのに腹減って、イライラしてんだ。」
それを聞き逃さなかったサヨの形相は、鬼のように恐くなった。
それを見たユキゲは、肩をすくませる。伸びてきたサヨの手から、必死に逃げるが、すぐに捕まった。
そんな二人を、望は変わらない表情で見ていた。
サヨは、捕まえたユキゲを顔の前に持ってくる。
「ユキゲ、今なんて言った?」
「え〜と、それはその・・・」
「とぼけても無駄よ。」
ユキゲは顔の前で手を合わせ、頭を下げる。
「悪かった!悪ふざけだったんだ。ほんの、出来心でぇ〜。な。」
ユキゲは、そろ〜と顔を上げ、片目を開ける。
拗ねた顔をしている、サヨがいた。
「悪い!」
ユキゲはまた、頭を下げる。
くぅぅぅぅ
サヨのお腹が、また鳴る。お腹お押さえながら、サヨはため息をつく。
「怒る元気が出ない・・・。」
サヨはうなだれる。それを見たユキゲは、内心ほっとして、小さくガッツポーズをした。
「昼だし。食べに行こうか。」
望は、陽気のサヨの手を取って歩き出した。
サヨは転びそうな足取りで、望に引かれて歩く。ユキゲは、面白そうに笑いながら、後をついていく。
「え、ちょっと。」
サヨは繋いだ手まで、熱くなる。鼓動が早くなり、大きくて周りの音をかき消す。
「ん〜?」
望はずんずん歩いていく。手を繋いでいることを、気にしていないみたいだ。
「手、放して。カップルに思われるよ。」
サヨは恥ずかしそうに、うまく動かない唇から言葉を発する。
望は、アハハと楽しそうに笑う。少しも、恥ずかしいと思っていない。おまけに、こんなことを言う。
「いいんじゃない?オレとサヨの、初デート。」
望は、悪びれた風も恥ずかしさも、これっぽっちも感じ取れない。逆に、喜んでいるというか、楽しんでいる。言葉の最後に、ハートマークがつきそうなくらいだった。
サヨの顔は、みるみる赤くなっていく。
「よくな〜い!」
今日もまた、昼の東京にサヨの叫びが響き渡った。
「いっただっきま〜す。」
脳天気な望の声が、モダンな造りのファーストフード店に響く。
「恥ずかしいよ。」
サヨのそんな言葉には耳をかさず、胸の前であわせていた手を下ろし、ハンバーガーにかぶりつく。
その顔は、サンタからプレゼントをもらった、子供のようだった。
「いただきます。」
サヨは手を合わせ小声で、言う。
サヨの前には、綺麗なドーム型をしたオムライスと、水。
ユキゲはというと、またプリントミルク、そしてホットケーキ。昼から、よくそんなに甘いものを・・・。
サヨは、望をチラチラ見ながら、オムライスがのったスプーンを、口に運ぶ。
「それでさ、天使って何してるの。」
望は、ハンバーグをかぶりつきながら聞いてくる。
サヨは行儀が悪いと眉を寄せながら、スプーンを皿の上に置いて水を飲む。
「お亡くなりになった人間の、迎えに行くの。」
サヨはそう言って、またスプーンを持つ。
「それってつまり、俺たちが想像している、てか、勝手に決めている天使みたいなもの?」
「そうね。人間が想像している天使に、私たちは近いかな。」
「私たちって、違うのもいるの?」
「ええ。私たちみたいに、迎えに行く天使じゃない天使がいるの。」
次を進めようとしたとき、サヨのポケットが震えた。
サヨは驚きながら、ポケットから携帯電話を取り出す。黒い折りたたみの携帯電話は、人間のものと寸分も違わなかった。
サヨは携帯電話を開いて、眉間にしわを寄せる。
「おい、もしかして・・・。」
「うん、そのもしかして・・・。」
サヨは、パチンと携帯電話を閉じて、立ち上がる。ユキゲも、食事の途中で立ち上がる。
サヨは苦い笑顔をして、望を見る。その方に、ユキゲか乗る。
「ごめん。用事が出来ちゃった。じゃぁ。」
「え?」
望が驚いた顔をして、今にも去っていこうとするサヨの腕を、中腰になって掴む。
早くしないと〜。
サヨは望の行動に、苛立った。
「急がなくちゃいけないの。放して。」
「ついてく。」
冷たくサヨが言ったのにもかかわらず、望はケロッとしていた。
望はサヨの手を掴んだまま、伝票を持って、すたすたと早足で歩き出した。
「ちょっと、なに?」
サヨの怒りは、増すばかりだった。
ついてくって、なに?面倒だから、ついてこないでよ。
「めんどうだ」
「サヨチャン!」
急にかかった声に、サヨのストレスは爆発寸前になった。
サヨは聞こえないふりをして、望の前に先回りして、身をかがめる。望の服をぎっちり掴む。
望を驚いて、足を止める。
「サヨ?どうしたの?」
「いいから、私を隠して。自然にしてて。歩いてて。」
そう言われて、望は自然にしようとして、逆にぎこちなく歩き出した。
サヨは必死に何かから隠れているようで、店内を睨みながら、望についていく。
「待って、サヨチャン!」
後ろから、サヨを呼ぶ声が幾度となく続く。
レジまで行って、望が会計している間サヨは、小走りで店を出る。
バンと、後ろ手で戸を閉めてキョロキョロ辺りを見渡す。
そして、飛んでいこうと体を伸ばした。が、後ろから襟を掴まれ地上に戻る。
「サヨチャン。どうして逃げるの。」
サヨの顔から、ササーと血が引いていく。
サヨの襟を掴んでいる彼は、ニコニコしていた。
狐のように細い目、口角がニコッと上がっている。白銀の髪は肩口まであり、低い位置で一つに結んでいた。今風なカジュアルの服に似合わない、黒い羽が背中に生えていた。
「セイメイ。」
サヨは、引きつった笑顔で襟を掴んでいる彼を振り返る。
セイメイと呼ばれた彼は、ニコニコしたまま襟から手を放す。彼のこの笑顔は、いつもなのだ。
「何よ、あのメール!」
「サヨ?」
店から出てきた望は、振り返ったセイメイと目があった。
狐のようなセイメイの目が少し開き、望をじっと見つめる。
望は気にしない風に、子供のように笑う。
「サヨのお友達?」
望の言葉で、サヨはめまいを覚えた。手のひらを額に当ててうなだれる。
セイメイは体ごと望の方を向いて、ニッコリする。
「いえ、恋人同士。」
「違う!!」
サヨが牙も目も剥いて、絶叫する。
セイメイはつまらないとでも言うように、肩を落とす。
サヨはセイメイの前に立って、腰に手をあてる。
「何度も言ってるでしょ!私はあんたが好きじゃないの!」
「僕は、サヨチャンが好きだよ。」
セイメイの言葉に、サヨの顔はカァーと赤くなる。
サヨは、ダンッと地面を強く踏む。
「よ、よくそんな恥ずかしいこと、簡単に言えるよね。」
「本当のことだもの。」
「あ〜ん〜た〜ね〜!」
サヨの顔がもっと赤くなる。
そんなサヨを、セイメイは愛おしそうにニコニコしてみていた。
「セ〜メ〜!」
と、突然女の子の高い声が聞こえた。
望の近くにいたユキゲが、ゲッというような顔をした。
ユキゲがキョロキョロそわそわしていると、空からユキゲと同じ、けれども黒い翼の女の子が、セイメイの隣に来た。
「セイメイ!また仕事ですわ!」
長いツインテールを揺らしながら、彼女はセイメイに叫んだ。横にスリットの入ったスカートも、襟の高い上着も、丈夫で動きやすそうだった。
彼女は、ふとサヨを見た。そして少し、嫌そうな顔をした。そして、ユキゲを見た瞬間、もっと嫌な顔をした。すごい顔だった。
それに気づいたユキゲは、ギッとにらみ返した。
「なんで、あなたたちがいますの?」
子供のように高い声は、目に見えるくらい棘があった。
ユキゲはムッとした。が、サヨはまるでわがままな子供に困る母親のような、苦い笑いを顔中にひろげた。
ユキゲは、ずいっと女の子に近づいた。女の子は、何よとでもいうかのように、体を向けギッと睨んだ。
「会った早々、今のはないんじゃねぇ。」
「あなたたちには、あれで十分ですわ。」
彼女は白銀の髪を、指でいじっていた。
そんな彼女を指でつまんで、セイメイは顔の前まで持ってきた。
「用事はナニ?仕事って言ってたけど。」
どうにかセイメイの指から逃れた彼女は、腕を上下に振りながら言った。
「そうですわ!早く行きますわよ!」
彼女はセイメイの手を、小さな手でぐいぐい引っ張る。
セイメイは飛び立つ前に、サヨ方にニッコリ笑うと、
「マタネ。ボクのサヨチャン。」
と、何とも背筋が震えるようなことを言う。
当然、サヨの体は鳥肌が立ち、身震いがした。
ユキゲは二人が消えるまで、その方向を睨んでいた。
「誰?あれ。」
二人が消えると同士に、望が呟いた。
サヨは疲れたように、店の壁に寄りかかりうなだれた。
「セイメイとウスイ。黒天使っていって、寿命がくる前になくなった人間の、魂を送るの。セイメイが黒天使で、ウスイが見習い。私とユキゲと同じ。」
そう言うサヨの声は、あきらかに疲れが表れていた。が、そんなことがわからないのか、望の顔はキラキラ輝いていた。
うわぁ、眩しい。と、サヨは呆れ顔を両手で覆った。
「セイメイ達を追おう!」
「はぁ?」
サヨは、何となく気づいてはいたが、間抜けな声が出てしまった。
「いやよ。さっきの状況、見たでしょ。」
天を仰ぎながら、ため息混じりに言うが、望の気持ちは変わらないようだ。
そんな望をサヨは、呆れたように見る。
しばらくそうして、サヨは折れた。
「仕方ない。今日は、あなたに付き合うんだったよね。」
サヨはため息をついて、携帯電話をパチンと開ける。
慣れた手つきで、数字を押していく。
しばらくして耳にそれを当てる。
「もしもし。」
あきらかに嫌そうな声音が、サヨの口から出る。
「今どこ?・・・知ってるよ。・・・はぁ?違うから。まだ幽霊いる?うん。で、どこにいるの?・・・だから、違うって言ってるでしょ!切るから!」
ブチッと、サヨは力強く通話を切る。
イライラした様子でサヨは、バタンと携帯電話を閉じる。
睨むような顔をしたまま、二人を振り返る。
ちょうど2人は、可笑しそうにひそひそ話をしていた。が、サヨの視線を感じて、黙る。
「何話してたの?」
サヨは呆れたような目で、2人を見る。
2人は、ギクッと肩をふるわせ、かわいた笑い声を出す。
「・・・もういい。連れてってやんない。」
頬をふくらませたサヨは、そっぽを向く。
「ごめん、ごめん。」
面白そうに笑いながら、顔の前で手を合わせる。
サヨは片目でちらっと望を見て、またプイッと目をそらす。
「ほら、行くよ。」
そう言って、サヨはすたすたと歩き出した。
「え?飛んでいかないの?」
後ろを慌てて追ってきた望が、目を丸くして聞いてくる。
サヨは苛立った目つきで望を見た。
「普通、人が飛んでたら驚くでしょ。君、姿消せないでしょ。」
サヨか冷たく言うと、あぁと望が感嘆の声を漏らす。
「ほら、早く行くよ。」
「アイアイサー」
まるで子供のように、望は手を思いっきり挙げて走り出す。
サヨとユキゲは完全に置いて行かれた。
額をおさえため息をついたサヨは、はしゃいでいる望に向かって叫んだ。
「場所わかってないでしょ!」