13:追憶~終わり、また始まる~
私は、その後意識を手放してしまったみたいだ。
起きたら、懐かしい天界の自室にいた。
真っ白い清潔なシーツに掛け布団。一体、誰が洗濯をしているんだろう。
ホコリは一つも飛んでいない。床は微かに私の顔を写す。見上げた天井には蜘蛛の巣もないし、シミもない。壁紙に剥がれたところがない。穴も開いていない。サイドテーブルの上にあるランプに、虫が集まることはない。鏡は曇ってなく、ぴかぴか光っている。少しだって、割れてはいない。
綺麗で、清潔で、冷たい部屋に、私は帰ってきた。
垢がついていなく、塗装も剥がれていないドアノブが回る。
ギーとも言わないで、扉が開く。
聞こえるのは、二つの息づかいと、近づいてくる足音。
「あんたがサヨ?」
強気な、女性にしては少し低く、ちょっと無愛想に聞こえる声が上からふってきた。
私は上半身を起こしす。ベッドが硬いせいか、体が所どこと痛む。
相手の顔を見たが、見覚えのない顔だった。
服は希の絵で見た、着物を着ていた。
「あなたは誰?」
「あたしはあんたの後任者だよ」
「後任者って?」
何のことだろう?
それより、私、何でここに帰ってきているんだろう?
もしかして、アレは全部夢だったのだろうか。
いや、そんなことはない。アレは全部現実だった。
その証拠に、私の手には結晶になってしまった希がいた。
「オレのだよ」
彼女の背からヒョコッと飛んで出てきた、小さいヤツはよく知っている。
「何でユキゲがいるの?」
「だから、後任者っつたろ。イズミはオレのパートナー」
「そっか」
私は懐かしいユキゲの存在に、少しホッとした。
だけど、ユキゲは眉を下げて心配そうな顔をしていた。昔の元気さは欠片もない。
「ユキゲに全部聞いた」
「あんたが、話したの?ヒナガに話したの?あんたが!」
私は気が狂ったみたいにイズミと呼ばれた彼女の腕を掴み、ゆらした。叫び声は、まるで悲鳴のようだった。
「違う。違うんだ、サヨ。イズミは悪くねぇ。悪いのは…」
「あたしが大天使様に話したよ。ユキゲに聞いて直ぐにな」
私の中で何かがキレた。
私は唇を噛みしめると、床に足を乗せ大きく腕を振りかぶった。私より背の高いイズミは、目をギュッと閉じ、覚悟を決めているとでも言わんばかりだった。
怯えた風もなければ、驚いてもいない、ましてや逃げようともしていない。
私は、興が冷めてしまったのか、振りかぶった拳を振るうことをせず、解いてしまった。
しばらくの沈黙の後、イズミは口を開いた。
「あんたが、あんな想いでいたなんて。あんな覚悟をしていたなんて、しらなかった」
私の想いは強すぎた。私の覚悟は弱すぎた。
だから、こんな結末になってしまったんだ。
大天使様に話した彼女のせいでも、彼女に話してしまったユキゲのせいでも、希を殺した死神のせいでも、悪魔を従えている魔王のせいでも、大天使様でも神様のせいでもない。
全部、私のせい。
「知っていても、結果は変わらなかったよ。どんな道を辿ったって、希はこうなった。私のせいで」
その後に、とても長く重く冷たい沈黙が流れた。
「あなたの処分が決まりました」
私はヒナガの書斎に呼ばれた。
彼女はいつもでは見ない、硬い顔をしていた。机の上で手を組んで、ジッと私を見据える。その目には、いつもの親しみやすさはなく、大天使としての光を宿していた。
「あなたには、これからも以前のように仕事をしてもらいます。何事もなかったように、以前のようでかまいません。パートナーにユキゲが戻ります。最後に、この事は他言は無用です」
「え?」
あまりにも予想外のことで、頭がついて行っていない。
てっきり、希を渡し消滅しろとでも言うのだと思った。
力が抜けて、握っていた希を落とすところだった。
「それは、どういう事ですか?」
「その質問には答える事はできません」
きっぱりと、機械的にヒナガは口にした拒否。
私は喜ぶできなのか、悲しむべきなのか、驚くべきなのか、怒るべきなのか、わからなかった。
そもそも、心がないのだからそんな感情はないのだけれど。
「サボった分、頑張ってくださいね。仕事は山ほどありますから」
ヒナガはいつものように、いかにも天使、もしくは聖女のように柔らかく微笑んだ。
その微笑みに、疑問が流されそうになった。
「わかりました。では、失礼します」
私が書斎を後にしようとヒナガに背を向けた。
以前のようにだって?何事もなかったように?どういう事?
「サヨ」
後ろから、慌てたような声が聞こえた。
ドアノブに手をかけたまま振り返ると、嬉しそうに微笑んでいるヒナガが私にゆっくり近づいてきた。
何が起こっているのか、起ころうとしているのかわからなかったから、私はそのまま突っ立ていた。
すると、ふわっと甘い花のにおいがしたと思ったら、細い腕が私の体に巻き付いた。
ヒナガに抱きしめられていると気づいた瞬間、顔がカァッと熱くなった。
恥ずかしいのか、嬉しいのか、戸惑っているのか。
「心配しました。本当によかった」
まるで、温かい日だまりにいるような気がして、体ごと意識ごと彼女に委ねて目を閉じてしまいたくなった。
でも、目を閉じた瞬間あの“日だまり”が見えてきた。
自分もあの人間の輪に入れると、あの世界で生きていけるのだと、心があるのだと思っていた、あの愚かだった時の記憶が…!
私は思わずヒナガを押しのけ、書斎から出て行った。
私はそれからというもの、人間には深く関わろうとはしなかった。そして、天使にも。
それでも未だに、人間を嫌いにはなれなかった。
希は傷つけないでネックレスに加工をし、いつも持ち歩いていた。
まるで、自分の罪の烙印のように。
なぜか、ヒナガとイズミが私の周りをつきまとうようになっていた。
友達とか言うのかはわからないけど、傍から見ればそうなのかもしれない。
そして、私はいつの間にかセイメイに呪われていた。
初めてあったときに、私は彼に告白されたのだ。
みんながいる前で。ユキゲも、ヒナガも、イズミも、その他の天使がいる中で。
私はもう二度と恋をしないときめていた。
だから、きっぱり断ったのに…。なんで、諦めてくれないのだろう。
あの事件から十年間、何事もなく言ったのに。
あの、幸福者に出会ってしまって、それが崩れてしまった。