1:出会いは急に…
真っ赤だ。世界が・・・、真っ赤に染まっている。きれいな、朱。月も星も空も、私も。全て・・・。
なんて・・・、きれいなの・・・。
なんて・・・、楽しいの・・・。
天使。キリスト教で、天国の使者。
そうだと言われれば、そう。
死者の魂を迷わないように導く、使者。神の、使者。
人間のような心を持つことを許されない、人間のような姿をとったヒトガタ。
喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、ただの芝居。
心がないから。からっぽだから。
「ふぅ。これで今週の分は、全部終わったぁ。」
「おつかれぇ〜。」
彼女は一週間の仕事を終え、東京の人ごみの中を、軽い足取りで歩いていた。そんな彼女は、とても人間の目を引く。
黒で統一されたパンツスタイルは、胸にある十字架のネックレス以外に目立った飾りはない。むき出しにされている太ももを覆い隠すくらい長いコートは、歩くたび風になびく。同じようになびく暗めなプラチナブランドの髪は、特に。何より顔が目立つ。透き通るくらい白い肌。おてんばさを現す空色の目。どこをとっても素晴らしい。
しかし、彼女の背には普通の人間なら見えない、翼がはえていた。
彼女、サヨは天使だ。
今は仕事を終え、ただ東京の街中を歩いていた。
「なぁ、サヨ。温泉行こうぜ。」
彼女の肩に乗っている、三〇センチメートルぐらいの小さい少年が、ブロンドの髪をなびかせながら、満面の笑みで話してきた。彼の青い目に、サヨの思案顔が映る。
彼はユキゲ。天使見習いと言って、天使なら誰でもとおる修行時代。天使のサポートをして、ノルマを達成すると、天使に生まれ変われる。
「見習いのくせに、生意気言って・・・。でも、温泉かぁ〜。いいかも。いつか、温泉巡りしたいなぁ〜。」
サヨは大の温泉好きで、週に行かない日はなく、日本の温泉は、ほとんど制覇しただろう。
いつか、長期の休暇でも取って、世界の温泉を制覇に行こうかと考えている。
「温泉巡りはいいけど、そういうのはさ。オレが天使になってから・・・。」
「ヤダ。」
サヨはユキゲの言葉に重なるぐらい、即答した。きっぱり言いはなったサヨの横顔を、ユキゲは目を据わらせて見る。
「ユキゲが天使になるまでお預け、なんてヤダ。それに・・・、天使になれるかどうかもわからないのに・・・。」
サヨはわざとらしく、額を押さえて嘆く。まぁ、あくまでふりだが。
ユキゲはくわりと牙を剥いて、立ち上がる。
「なれる!あぁそうだとも!一日でも早く、天使になってやる!そもそも!」
呆れ顔をしていて、うるさいと耳をふさいでいるサヨを、ユキゲはビシッと指さす。
「オレがいつまでも見習いでいるのは、天使であるお前が悪い!」
「はぁ!?意味わかんない。なかなか天使になれないからって、その責任をひ」
「天使!?」
突然聞こえた声に、二人は言い争いを中断させ、振り返る。人ごみをかき分けてこっちに向かってくる、人影が一つあった。
「どうする。」
「逃げる。」
耳打ちしてくるユキゲにすぐ返して、サヨは人影に背を向け飛ぶ。その際、人間に見えないようにする。
別に天使と人間が関わることは、禁じられてはいない。しかし、天使は人間に関わらない。人間が、嫌いだからだ。
ユキゲもサヨも、その理由をしっている。が、どうしてそんなことで嫌うのかがわからない。でも、みんながそうだから、嫌うまではいかないが、深く関わらないようにしている。
だから今も、必死で逃げている。
「待って!」
と、腕をつかまれ、空中でのけぞる。隣を飛んでいたユキゲが、少し行ったところで振り返る。
「ぅわぁ!」
「サヨ!」
完全にバランスを崩したサヨは、引かれるまま地に落ちていく。それをどうにかして止めようと、宙に投げ出された手を引っ張る。しかし、ユキゲの小さい体では、無理だった。
ドスンッと派手な音を立てて、落ちた。近くにいた人間が、目を向け通り過ぎていく。地面に打ち付けた場所が、ズキズキ痛む。
サヨはゆっくり立ち上がり、服を叩いて汚れをはらう。
「サヨ。こいつどうする?」
ユキゲは小さな指で、地面に伸びている少年の頬をつついている。
サヨは、ギッと少年をにらみつけるが、表情はすぐ一変する。
うわぁ・・・。
サヨは、感嘆の声しか出てこなかった。そんなサヨを、ユキゲは据わった目で見つめる。
少年の眉と瞼が、震える。
「あ、起きた。」
ユキゲはそう言って立ち上がり、小さな翼でまだボケーとしているサヨの肩に乗る。
「!天使・・・!天使は!?」
少年は飛び起き、叫びながら辺りをきょろきょろ見渡す。ハムスターかなんかみたいだ、とユキゲは頬杖をつきながら思う。
バチッと目が少年と合い、サヨはハッとする。
逃げなきゃ!
そう思うのに、少年を観察してしまう。
黒なのに明るくて、つやのある髪。どこまでも深く、吸い込まれそうな澄んだ黒目。子供らしい服装は、彼にぴったりだった。歳は、サヨの外見年齢ぐらいだろう。
天使は歳をとらない。成長しない。故に、天使に生まれ変わったときから姿は変わらない。サヨだって、外見年齢の倍以上は生きていた。
サヨは気持ちと裏腹に、少年を見つめたまま動けないでいた。見惚れていたのだ。
何十年も生きていて、こんなことは初めてだった。
「天使、だよな。」
少年の少し高いめの声をきいて、サヨの思考は動きだした。
こいつ、噂の・・・!
天界で今、一人の人間が噂になっていた。今日も天界を出るとき、耳にした。
「まったく。人間のくせに翼が見えるなんて、イヤだわ〜。」
「同意。メンドーなだけ。早く死なないかなぁ。」
「天使がそんなこと言って、どうする。でも、わかるかも。」
「でしょ〜。絶対、魂を迎えに行きたくない〜。」
「それはダメだろ。」
「いーの!生意気な魂が、また生まれないようにしなきゃ。」
回想終了して、目の前にいる少年を哀れむ。
当の本人が知るよしもない、悪口。それも、天使が・・・。てかあんなの、天使じゃないよ。
サヨは心の中で、アハハはと笑っていた。
逃げることなんか、頭から抜け落ちていた。
「ちょっと、話ししようよ。」
少年はそう言うと、サヨの腕をつかんで走り出した。
突然のことでサヨは、バランスを崩す。肩に乗っていたユキゲが、落ちないようにサヨの髪を握りしめる。
混乱したまま必死に走るサヨは、なにかにつまづき 思いっきりバランスを崩した。
「わ!」
「うぉ!」
ブチッ
二人の叫びに重なって、そんな効果音が聞こえた。
サヨは頭にはしった小さい痛みに、顔を歪める。ユキゲは手のひらに乗っている、暗めのプラチナブロンドの糸を、青い目で見つめていた。
「・・・あ。」
やっちゃったー。と、ユキゲは頭をかく。サヨはそんなユキゲと糸を見て、合点がいった。
ササーと、ユキゲは血の気が引く。サヨが、恐い形相を、ユキゲに向ける。
「ユキゲの、バカーーーーーー!」
サヨの叫び声が、人ごみの多い昼の東京に響き渡った。
「天使だろ。」
サヨ達ご一行は、とある小さな喫茶店にいた。テーブルを挟んで向かい合うように座っている、
サヨと少年。
少年は、興味津々に目を輝かせていた。サヨは、困惑とユキゲに対しての怒りの色を、顔ににじませていた。ユキゲはというと、テーブルの上でサヨにデコピンされた顔を赤くして、サヨに背を向けあぐらをかいていた。
「あまり、天使天使言わないでくれる。普通の人間には、人間に見えるんだから。」
「やっぱ、天使なんだ。」
少年が身を乗り出して聞いてくる。サヨは、視線をユキゲに落とす。怒っているのか、ユキゲはそっぽうを向いている。
サヨはばれない程度に、ため息をつく。
「ええ。」
本当、面倒なだけ。
サヨは心の中で、悪態をつく。
「ねぇ天使さん。」
「サヨ。天使って言わないでって、いったでしょ。」
コーヒーが二つ、運ばれてきた。カチャカチャと乾いた音が響く。コーヒーのいい香りが、サヨのイライラした心を、少し癒す。
「あ。オレのぶんがねぇ!」
「見習いのくせに、生意気。」
サヨがぼそっと、呟く。それを聞き逃さなかったユキゲは、バッと立ち上がり、サヨの方を向く。
「サポートがなきゃ、なんも出来ねぇくせに。」
「サポートがなくても、やろうと思えば出来る。あんたこそ、私がいないと天使になれないくせに。」
うっと、ユキゲは不利になって呻く。サヨは勝ち誇った顔をして、ふふんと鼻で笑う。
「オレンジジュ」
「ミルクとプリン!」
少年の言葉を、不機嫌なユキゲの声が遮る。
「オレンジジュースはやめて、ミルクとプリン、追加で。あ、スプーン小さいのにしてください。子供サイズの。」
「オレはガキじゃねぇ!」
追加オーダーを受けたウェイトレスの女の子は、小走りで去っていった。
ユキゲの叫びは、聞こえていない。普通の人間には、天使見習いの姿は見えない。
「こら、ユキゲ。ごめんなさい。お金、私が払うね。」
「いいよ。昨日、バイトで給料入ったから。あ、俺ここから二駅ぐらい先にある、HEARTって喫茶店でバイトしてんの。」
少年はバックからメモ帳とペンを取り出して、なにやら書き出す。
「今日、お休みなの?バイト。」
「ん?うんにゃ。今日もバイト。今は昼休みなの。休みは日曜だけ。・・・よし。はい、地図。」そう言って、切り取ったページを、さしだしてくる。サヨは両手でそれを受け取って、ながめる。
いつの間にか、テーブルに運ばれていたプリンを食べているユキゲが、スプーンで少年を指す。
「間に合うのかよ。」
サヨはメモから目を外して、ユキゲに視線を向ける。ユキゲの口の周りには、ミルクとプリンで汚れていた。メモを折りたたんで、ポケットに入れる。そのポケットから、ハンカチをとる。色は白。
まるで子供を世話するように、ユキゲの口の周りを拭く。
「ん〜。どうにかなるんじゃない?」
少年は、コーヒーを混ぜている。鉄と陶器がぶつかる音が、まるで風鈴のように澄んでいた。
「もうお店、出た方がいいんじゃ・・・。」
「えぇ〜。もっと話したい〜。」
コーヒーを口にしていた少年が、だだをこねる子供のように言う。
どうしたものか。
サヨは思案しながら、コーヒーに口をつけた。
「ブラックなんだ。」
少年が言うのが早いか、サヨはコーヒーの苦みにむせる。砂糖とか、いれるの忘れてた。サヨは、甘党だったのに・・・。
「サヨ、バカだな〜。」
ユキゲはそう呟きながら、サヨの置いたコーヒーに砂糖やミルク、シロップを全部入れて、かき混ぜていた。
「天使も間違えることって、あるんだ。」
少年は驚いたように言う。ちょうどいい甘さになったコーヒーを一気に飲んだサヨは、呆れたように少年を見る。
「天使も、人間と同じで完ぺきじゃないよ。」
そう言って、ユキゲのスプーンを奪い取って、プリンを一口食べる。
「あ〜。サヨ、食うなよ。」
ユキゲの批難の声を黙殺して、少年と向き合う。少年はおもしろそうに、自分の身長と同じくらいのスプーンで、プリンを食べているユキゲを、ながめていた。ミルクは、飲み干してしまったらしい。
「お話しならいつでも出来るから、今日はバイトいこ。」
「マジ!?」
サヨは言った後、ものすごく後悔した。
ただでさえ、天使の翼も天使見習いも見える、厄介者なのに。おまけに、好奇心旺盛だし。話しならいつでも?また会うってこと?何度も会うってこと?
心の中で、サヨは頭を抱えた。
「あの・・・、えっと・・・。」
「明日はどう?日曜だから時間たっぷりあるし、ね。あ。明日の・・・昼でいいかな?バイトしてる喫茶店の前で待ち合わせね。」
うろたえるサヨに気づかないのか、少年は目を輝かせて次々と言葉を発する。
サヨの頭の中は、いろんな思考が嵐のように渦巻き、去っていく。そしてまた、渦巻く。その繰り返し。
「都合・・・わるい?」
「い・・いや!」
反射的に両手を振って、否定する。そしてまた、激しく後悔する。
「じゃ、明日OKね。」
そう言って、サヨが思っていることを口にする余裕さえ与えないで、少年は伝票片手に立ち上がった。
サヨもバッと立ち上がる。
「お金、私が払うよ。」
「イーよ。俺が払うから。」
「や、でも・・・。もう。」
いっこうにこっちを向こうとせず、レジへとむかう少年にサヨは苛立ってきた。
最後の一口を幸せそうにほおばっていたユキゲを、むんずと掴んで小走りで追いかける。
「なにすんだよ。」
ユキゲが手のひらで怒っているのが想像できるが、無視だ。
「注文した数、こっちが多いから私が払うよ。」
「だったら俺は、サヨから話を聞くよ。そのお礼だと思えばいいから。あ、サヨって呼び捨てでよかった?」
マイペースな奴。
サヨは、少し呆れる。
手の中で暴れていたユキゲは、どうにかして抜けだし少年の前に出てきた。
「オレはユキゲな。男同士、ヨロシク。」
「おう。よろしく。」
そう言って二人は、仲良く握手をする。サヨは、そんな行動をとるユキゲの気持ちがわからなかった。
「半分ずつ。半分ずつ払うのは?」
「ワリカン?」
「そう、それ。それならいいでしょ。」
少年はう〜んと考えるような顔をしながら、ユキゲの頬を引っ張って遊んでいた。ユキゲの顔が変で、サヨは吹き出しそうになる。
「わかった。ワリカンでいーよ。」
「ありがとう。一人何円?」
「え〜とね〜。」
少年はユキゲを放して、伝票を見る。解放されたユキゲは、いつものようにサヨの肩に乗る。顔には、疲労の色がはっきりと出ていた。
「ユキゲのバカ。」
呆れたように言うサヨの呟きは、ユキゲの耳には入らなかったらしい。
「三八〇円。」
「・・・ホント?」
「本当だよ。ほら。」
彼が差し出してきた伝票には、確かに三八〇円の倍、七四〇円と合計が出されていた。
「な。俺って、そんなに信用ないかな〜?」
信用されてると思ってたの?
喉まで出かかっていた言葉を、サヨは必死に飲み込む。
困ったように頭をかく彼は、どこかの少女漫画に出てくる彼氏役のようだ。
お金を払って店を出る。日はまだ高く、人も多い。
「それじゃ、明日。」
「じゃ、またな。」
そう言って、二人は飛び去ろうとした。が、
「待って。」
と、また腕を掴まれ、空中でのけぞる。バランスを崩して落ちなかった。
「なに?」
「俺、雨宮望。自己紹介してなかっただろ?望って呼んで。じゃ。」
それだけ言って、手を振りながら望は走っていった。
その背中をサヨは、ボーと見つめていた。
「マイペースな奴だな。な、サヨ。」
そんなユキゲの言葉も届かない。目の前で手を振ってみても、気づかない。
どんどん小さくなり、人ごみに混ざり消えていく望を、ただただ見つめていた。
「アメミヤ・・・ノゾム。」
そう自分で呟いたのも、気づかないほど、黒髪の人間で頭がいっぱいになっていた。