60話 僕が君に殺されるまで
比奈がいない。周りを見渡してもいない。
もしかしたら、時間を戻したから、その時居た場所に飛ばされたのかもしれない。きっとそうだ。
今は、7:30、きっと登校中だな。学校に行ったら会えるはず。
学校に向かうが、その足取りは重い。もし、比奈がいなかったら、それが気がかりでならない。
学校に到着する。正門前で、頭の悪そうな集団がぼくを見る。
「おいおい、もう凛が来たぜ」
そうか、ぼくはいじめられていたんだ。だけれど、そんなことは関係ない。今は、教室に向かって比奈がいるかどうかが気になる。
「おいおい、シカトかよー」
無視しよう。
ぼくは教室に着く。ドアを開け、比奈の席を見ると、そこには本を読んでいる比奈がいる。
ぼくは自分の席に座る。比奈はこちらに見向きもしない。ということは......
比奈はぼくのことを知りもしていないということになる。じゃあ、比奈はマスターのいるところに置いてきてしまったのか......?
いや、そう決めつけるのはまだ早いか。そもそも、比奈とまだ知り合っていない時期なのかもしれない。ぼくはずっと前から比奈のことを知っていて、好きだったような気がしているが、実際はそこまで前の話ではない。となると、いきなり、ぼくと比奈とが仲がいい感じでいるのは周りにも違和感を与えるから、比奈はわざと反応していないのかもしれない。
授業が始まる。後ろからドアを無遠慮に開けて入ってきたのは、ぼくをいじめていた奴らだ。席に着いたのを見て、理解した。正直顔は覚えていない。ぼく自身が殺した一人を除いて。
後ろからつついてくる。こんなことは優しい方だったように思う。
そうだ、たしかこの日の昼に比奈が助けてくれたのだ。普段はあいつらを無視せずにいたが、今日だけは無視をしたのだ。じゃあ、昼まではこいつらを泳がせておこう。いつでもボコボコにはできるけれど。
いろいろ嫌がらせがあったが、殺し合いを切り抜けたぼくには些細な事だ。
昼になる。
「やい、ガリガリ。もっと食えよ」
マヨネーズを押し付けてくる。
「やめて」
もちろんやめてくれない。別に今更マヨネーズがどうってことはないけど、この後、比奈が助けてくれるはずなのだ。
何も比奈は言わない。本のページを一つめくる。
まだ何も言わない。
気まぐれかな、比奈に言われた言葉がよみがえる。本をたくさん読んでいるんだから、
ぼくの中に絶望と特に必要がないはずの殺人欲求が芽生える。
ぼくは周りに白い光を感じ取る。
「殺しちゃえなのだ?」
頭の中で自分の悪魔がささやいたかと思えば、その声はリーザのものである。そういえば、最近リーザの侵食が落ち着いていたのに。
殺してはいけない。今の比奈は何も知らないのだ。そんな時にぼくが人殺しになってしまったら、比奈と会話する機会が無くなってしまう。
ぼくはうざい男たちを、とりあえず絡まれないようにしようと決める。
マヨネーズを押し付けてくる男の足をこける程度に蹴る。
しかし、男の足はパキパキと音を鳴らして、壊れる。
男は悲鳴を上げながら、崩れ落ちる。おかしいな、そんなに強く蹴ってはいないはずだけど。
「うざい。どっか行け」
ぼくがそうとだけ言うと、集まっていた奴らは教室から出ていく。蹴られた男は一人その場で動けずにいる。もう害は与えて来ないだろうと思い、放置する。
「比奈」
比奈に話しかける。
何の返事もない。
昔の比奈はこんな感じだった。きっと、話しかけても何のきっかけも無いんじゃ反応してくれない。
そうだ。ぼくはノートを1ページ切り取り、少しだけ書いて、折りたたんで比奈の机に置く。
比奈はそれを見ると、少し驚いたような顔をして、
「放課後に」
と書いて紙を返してくる。
放課後になった。
教室で人が減るのを待っていると、比奈が校舎裏、と書いた紙を見せる。
ぼくは立ち上がり、校舎裏に先に移動する。
校舎裏で3分ほど経っていると、比奈が来た。
ぼくに近づいてくると、不意に背後に回り、ナイフを突きつける。
「どこで知ったの?」
ぼくは比奈が殺しをしていると紙で伝えたのだ。そうなれば、何かしらぼくと接触しなければいけないから。
どうしてか、比奈が次にナイフをぼくに死なない程度に刺すことが分かったので、右足を使って、ぼくは前に倒れるようにしながら、ナイフを蹴り飛ばす。そして、そのナイフを空中でキャッチする。
「物騒な物はしまって、話をしようよ」
比奈は何も話す気が無さそうに見える。
「ぼくは、比奈が殺人鬼だ、ってことをばらすつもりは無いんだけど、話す機会が欲しかっただけだし」
「そう、それで、何か用事でもあるの?」
比奈と話しているのに、比奈と話しているような気がしないし、あまり心が躍らない。
どうしてだろ。目の前には好きなはずの比奈がいるのに。
少し考える。そして、なぜだかが分かったような気がする。
最初の頃、比奈を好きだったのは、ただ助けてくれて、本当の救いをくれたからだと思う。でも、ゲームが始まった頃に比奈を助けたい、と思ったのは、比奈と話すようになって、本当の意味で好きだと思ったから。
でも、今の強い思いは、あのゲームの間に紆余曲折を経たからこそあるものだ。
それなのに、そこにいる比奈には特に何かがあったわけじゃない。ただ見た目が似ているだけの別人のようなものだ。
そう分かっているし、思ってもいるけれど、それでも目の前の比奈を簡単に見限ることができない。
だって、比奈であることには変わりないし、置いてきてしまった比奈とどうしても重ねてしまう。
そうだ。一回だけデートをしよう。それで諦めて死ぬことにしよう。きっとその時に、やっぱり違うんだ、って気付くから。
「明日、一緒にどこか出かけよう。それで、その後でさ、ぼくを殺して」
「はい? 頭大丈夫? なんで不用意に殺さないといけないのさ」
「別に。考えて決めたから。拒否したら、人殺しをしていることを言いふらすから」
「それは困る。だって、私はまだ先の知らない世界に触れてみたい。誰かに話しかけられるくらいに、人を信じてみたい」
比奈から不意に漏れた言葉にぼくは動揺する。
「じゃあ、明日、駅前に九時で頼むよ」
ぼくは比奈と別れる。
帰り道でぼくは考える。
信じてみたい、か。それはぼくも同じだった。比奈が助けてくれたから、他の人も少し信じることができた。真奈と、潔の二人くらいしかいないけど。
次の日、ぼくは10分前に駅前で待つ。
「早いのね」
比奈が来る。私服姿は地味っぽくコーデされているが、服が比奈を映えさせているように見える。
「じゃあ行こうか」
ぼくは水族館に行くことを提案する。本とかを見ていると多くの人が行っていたからだ。
イルカショーというのをまず初めに見る。比奈も本で読んでいたのか、食い入るように見ている。
次に、大きな魚がいるエリア、エビ、カニのエリア、ペンギンのエリアとを回るがイルカの感動にはかなわない。見る順番を間違えたかもしれない。
クラゲのコーナーに入る。虹色の光で彩られ、舞う様子はとても綺麗だ。
「苗字と感じ一緒じゃん!」
テンションの高い女子高生の集団が入ってくる。
「海月、ほんとだ」
聞き覚えのある声。しかし、周りの声にかき消される。
水族館を回り終える。ほとんど比奈との会話はなかった。
「次は映画館でも行こうか」
比奈は後ろをついてくる。
「折角だし、何か話ながら歩こう」
「分かった」
比奈とはいろんな本の話をする。だいたい、昔、比奈としゃべったことと同じような会話になるが、同一人物だから仕方ないか。
映画館では、くじ引きで見るものを決めたら、数学博士が数字が怖くなる呪いをかけられた話だった。意外と面白かった。
「もう夜だね」
比奈から話しかけてくる。
「今日は花火の日だから、それを見て終わろうか」
多くの人が集まっている中、隅っこの方から打ちあがる花火を見る。
「綺麗」
比奈が呟く。
最後の花火が消えると、名残惜しそうに比奈が、
「もう終わりかぁ」
と言う。
「仕方ないよ」
人が少し去るのを待ち、
「じゃあ、約束通りに」
そう言い、人の全く通らない、裏道に入る。
ちょっとだけ死ぬのが名残惜しくなる。今日は楽しかった。たとえ、相手がぼくのことをあまり知らないにしても、比奈といられることは嬉しい。
「あ、ナイフ忘れてきた」
比奈がどこを探すでもなく言う。
「最初から持ってくる気なかったでしょ?」
比奈が少し黙ってから話し始める。
「はじめてだった。私が誰かとどこかに行くなんて。頭のおかしな人だけど、誘ってくれたことが少しだけ、本当の本当に少しだけ嬉しかったから、またいつか誘ってくれないかって期待した」
ぼくはそれでも、明日の太陽を見るつもりはない。
「殺しちゃえなのだ」
ぼくは殺されるために持ってきたナイフをいつの間にか比奈に振り下ろそうとしている。
直前のところで止める。
勝手にプロフィール画面が開く。
能力 身体覚醒
え......?
体の中にドロドロしたものが流れる感覚がある。
「どんな人も殺しちゃえなのだ」
リーザの声。
「殺しちゃえばいいじゃん、そんな女」
真奈の声。
「私を殺して」
比奈の声。
頭の中を殺すが巡る。
信じない。何も信じない。
「比奈、早くぼくを殺して!」
ナイフを比奈の足元に転がす。
「静かにして」
比奈の手がぼくの口に触れる。
「大丈夫、殺してあげる.......大丈夫だから.......」
弱弱しい声で比奈が言う。きっとこれは目の前の比奈の声。
「またどこかで会いたいな。じゃあね」
比奈の目が水でいっぱいになっている。
一瞬、チクリと痛みを感じる。心と体の痛み。
ばいばい。