58話 零
比奈は生きている。とりあえずその事実に安心するが、生存者数2人だから、この世界にはもうぼくと比奈しかいないということになる。
ということは、明日までに何とかしないと、比奈が死んでしまうことになる。そういえば、なんで比奈は生き残っているのだろうか。マスターなりの配慮なのかもしれない。
「凛は生き残ってる。不死だもんね」
比奈が話してくる。
「ねぇ、凛。手を繋ごう?」
「え?」
突然のことで間の抜けた声を出してしまった。
「いいでしょ?」
「それは、もちろん!」
少し嬉しかった。比奈からそういうことを言ってくれるのは初めてだ。ぼくはそんなこと言ったことないけど。いや、能力を確かめるときに一回だけ言ったっけ。
比奈が右手を差し出す。その手を右手で握る。
「これだと逆だね」
比奈が笑う。
比奈は一度右手を離し、左手でぼくの手を掴む。
とても柔らかく、なんと言えばいいかもあまり分からないけれど、幸せな心地がする。真奈の手を握ってもやはりこうはならなかった。
やっぱりぼくは比奈のことが好きなのだ。何とかして、比奈を生き残らせる、ということを目的にしていたけれどそもそもは好きだったからなのだ。そのことを再確認し、今は考えるのを少し休めてもいいんじゃないかと思った。
「凛、綺麗な景色のところに行かない?」
「綺麗なところ、どこかいいところあるかな......?」
「私、どこも知らないよ。誰ともどこにも行ったことないから」
ぼくが初めて比奈とデ......いや、流石に浮かれすぎだ。
何か良さげな場所、ぼくも外には必要以上に出てなかったからどこも知らないなぁ......
そうだ。ぼくも比奈も共通で行っていた場所があるじゃないか。学校だ。学校の近くは田んぼがあって、須甲氏と奥には山があって、綺麗といえば綺麗なのではないだろうか。
「学校に行かない?」
「凛が言うなら」
ぼくたちは歩き始める。少し進むと、黒い塊が転がっている。その塊と対峙するようにもう一つの塊があることおから、マスターによる突然の死を与えられたのだと分かる。
ぼくたちは5時間くらい歩いた。自転車屋のものを借りていく、もとい貰っていこうかと提案したけど、手が離れるからと比奈に断られた。
なんでそんなに手を繋いでいたいのかはピンとこないけれど、嬉しいことだけが間違いないので歩くことにした。
道中では繋ぐ話がなくて、特にこれといった話ができなかった。もう少なくとも1日で会えなくなってしまうのに、何も言えなかった。もちろん、好きだ、なんて言い出せるはずもなかった。
「凛の願いって何?」
不意に比奈に聞かれる。
「えっと、」
ぼくの願い、か。比奈に生き残ってほしい。ただそれだけなのだろうか。でもその言葉がスッと口から出てこないのだからきっと何かが違うんだと思う。
「考え中。思いついたら言うよ」
「私はね、秘密!」
比奈は聞かれてもいないのに答える。答えになってはいないけど。何かしら思うことがあることだけ分かった。
陽が落ちそうな夕方、学校に着いた。学校は綺麗なままだった。元々人が少ない地区だからかもしれない。
鍵はかかったままで、誰も訪れてないらしく、鍵を壊して中に入ると、ホコリが積もっていた。前に潔と出会った家で見たときのよりもずいぶんと分厚い。
「ねぇ、私たちの教室、ぐちゃぐちゃにしていかない?」
いたずらっぽく比奈が持ち掛ける。
ぼくはすぐに頷く。
教室のドアを開け、何事もなかったように机がたたずむ教室に入る。
ぼくは真っ先に自分の机を蹴り飛ばし、後ろのロッカーにぶつける。
次に、ぼくに嫌がらせをしてきた奴らの机をナイフで切り刻む。
比奈の机もその近くにあるが、そこにだけは手を出さないことにする。
「じゃあ、次は私の番」
比奈はドアのところまで下がり、ぼくをドアの外まで出す。ライフルを取り出し、火薬を詰める。
大きな音とともに、弾が放たれ、それが比奈の机に直撃するとともに爆発し、教室は戦闘があった後のように様変わりした。
何かすっきりした。嫌な思い出が吹っ飛んだように感じる。それと共に、何かを失ったような気もする。
「屋上行かない?」
「今まで入れなかったけど、せっかくだし、入ろうか」
屋上は入ってみると、別に感動があるわけでもなく、物寂しいだけのところだった。
「お腹空いたね」
比奈がそう言うので、調理室に行くことにした。最近は、ずっと人の家の食べ物を物色していたから、ほとんどのものが腐っていて、お菓子とかばっかり食べてたし、ちょっとだけ期待して調理室に入るが、想像よりも何もない。
それもそうか。毎日調理実習をしているわけじゃないし、食品がなくてもおかしくない。
「災害用備蓄でも漁ろう」
ぼくは提案する。
「屋上で食べよう」
屋上はすでに暗くなっている。
不意に空を見上げると綺麗な星々が見える。
誰も電気をつけたりしないおかげでこの景色が見れる。
「この星たちは私たちでふたりじめだね」
なんとロマンチック。ぼくは今、幸せだ。返答が思いつかないこと以外は。
ぼくはカンパンを開け、氷砂糖の部分から食べ始める。
「私ね、」
比奈が話し始める。
「実は凛のことほとんど見えてないんだ」
「どういうこと?」
「凛の話す声もほとんど届かないし、凛がどこにいるかもあまり分からなくなるの」
「でも、今はこうやって話せてるよ?」
「手、繋いでるでしょ? だから、少し分かる。能力のデメリットだ、ってマスターが言ってた。能力を得たときに一番近くにいたものが消えていくって」
最近、比奈がぼくの話を聞こえなそうにしていたのはそのせいだったらしい。
「だからさ、私.......」
比奈の声が涙っぽくなる。ぼくは比奈の顔を見ないようにする。
「怖いの。これ以上凛が消えたら、一人ぼっちになるし、だからね......」
少し間が空く。
「私を殺して」
比奈が意を決したように言う。
「ゲームのルールで死ぬのも嫌だし、これ以上凛が消えるのも。だから、今すぐ」
ぼくから涙が流れる。
あれ? 言葉が出てこない。言いたい事はたくさんあるけど、言い尽くせないし、言葉を選ぶことができない。
「はい」
比奈が柄のないナイフを取りだし、微生物のナイフを作ってぼくに渡す。比奈と手が離れる。
「あ、また凛が薄れた......」
ぼくはナイフを強く握りしめる。せめて、ぼくにできることを。比奈は今、わざと能力を使った。その決心を無駄にはできない。
「じゃあね、比奈」
ぼくはナイフを比奈にまっすぐ突き出す。
比奈にナイフが刺さったその時。
「またね、凛」
比奈の右手に持っているナイフがぼくに刺さっている。
意識が薄れる。
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