48話 じゃあね
「あ? ちっとは俺に還元しろや。俺が助けてやったおかげで今の状態になってるんだろ?」
男は周りにいる弱そうな人たちを見下している。
「は、はい。今すぐ買ってきます」
「ゴミどもの価値なんてそれくらいしか無いんだからさっさとしてこいや」
でも、ただ見下しているだけではなさそう。どこかうさんくさい。深夜のドラマから引用してきたような、そんな感じしかしない。
「高校入ってから急に変わったんだよな、あいつ」
さっき命令されていた人が教室から出て行く時に他の人と話しているのが聞こえてくる。
「あ? さっさといけや」
聞こえていたのだろうか、男は催促する。
再び視界が暗転し、気づくとファミレスに戻っている。本体がいる方を見てみると、なぜか分身1が復活しているらしい。
どうやら、分身を殺しても意味がないらしい。けれど、本体を殺すには分身2を消す必要があるし、でも、分身2を消しても復活するしで、正直手詰まりに近い。
比奈の方を見ると、さっき拾っていた球体がとても縮んでいる。
その様子を見ていると、急にその球体が消えた。
次に分身2の顔面が吹き飛び、黒い血が奥の壁につく。
すると、すぐに分身2は復活する。
本体を狙えばよかったものを、しかも、分身1が復活したのを見ていたのに......
忘れてた。比奈が凛を殺したんだ。
いや、今は忘れよう。
そういえば、分身1はどこにいるのだろう。もう一回来られると、体が限界にますます近づくから、やめてほしい。
左手の肘より先の感覚が悪魔と契約した後みたいに全くない。
理論はよく分からないけれど、物体の中に抵抗力を消して手を突っ込んで、抵抗力を戻したら、手で退けられた原子が一気に手を押しつぶすのだと思う。でも、手が潰れても、心臓に穴は開く。
ナイフとかでやると避けられるから、素手でやらないといけないし、でも、それすらも次は通用しないだろうし。
というか、そもそも分身を何で2体しか出さないのだろう。すぐに復活できるあたり、体がもたないだとかいうことではないはず。
でも、男の過去らしきのが見えて、分身1っぽかったから、あれは過去の男の性格だとしたら過去を見る能力とも合致する。
となると、人格=分身と考えればいいのかな?
じゃあ、分身2はどうなんだろう。分身1と比べて正反対の性格になっている。通常、人は性格が変わると言っても、少しは元と同じ部分が現れるはず。
高校に入ってから変わった。
確か、さっきそう聞いた。環境が変わって性格が正反対になる。ということは、昔の自分を無き物にしたかったというくらいしかないはず。
総合して考えると、男は意図的な多重人格だということになる。
じゃあ、人格を破壊したら分身は消えるのかもしれない。というか、それくらいしか対処法が思いつかない。
「そろそろ考え事は終わったー?」
少し高く透き通った声で比奈が聞いてくる。
比奈の方を見てみると、緑の輪っかを両手に持って、分身1と戦っている。
比奈の周りの床や机には黒い血が何箇所かまとまって付いている。
きっと何回か分身1を倒しているのだろう。
人格を破壊する、といってもどうすればいいかな。イジメがあったのだとして、というかそれしか思いつかないのだけれど、分身1の高圧的な態度からして上に立たれたくないというのがあの人格を形作っているはず。そこを破壊する。
少し、我慢しないといけないかなぁ。
「比奈、そいつを3秒間だけでいいから止めてくれない?」
「ええ、了解」
比奈は二つの輪っかを右と左に投げ、体を分身1の右斜め下にかがみながら潜り込み、分身1の右足にナイフを取り出して、動け鳴るくらいの深さで刺す。そして、分身1の背後に立ったときには、投げた輪っかが戻ってきて、その円形をほどいて、分身1を縛り付ける。
「あ、それ、風じゃ外れないよ。微生物を静電気力で繋げてるから」
恐ろしい速度で分身1を無力化する。
「これでいいかな?」
「あ......うん」
あまりに滑らかに動くから感心してしまった。もう分身1をわざわざ処理する必要はないような気がするが、私の仮説があっているのかを確かめる実験台にしようかな。
私はドア外の油類を一式持ってくる。分身2はこっちに来ないし、本体がこっちに来たらそれはそれでおいしい。
「放せや! そこら辺の雑魚どもが!」
「うるさい。声を荒げるしか脳がないのに、そんなのに屈すると思う?」
右足で分身1のお腹を強く蹴る。
「ほら、地に這いつくばっといたらいいんじゃない?」
ラー油のボトルを開け、無理やり目を開けさせ、ラー油をかける。悲鳴を上げそうになった口にそのままボトルの口を動かす。
分身1はむせる。
「どう? あなた程度の作り物じゃイキるくらいが限界なのは仕方ないでしょうけど、まだまだね。残虐さが足りない」
「あ、オリーブオイルだ」
比奈が私の話しているところに口を挟む。でも、これでいいはず。自己防衛のための作り物の人格と、守るものない作り物の人格なら絶対に後者が強いはずだし。
「真奈、オリーブオイルをそいつに飲ませてみて」
なぜかはよくわからないけど、きっと何かあるんでしょ。
言われたように分身1にオリーブオイルを流し込むと、分身1の体が侵食されるように消えていく。
そして、そのまま復活しなかった。完全に消滅したっぽい。分身2を次は倒さないと。
分身2は分身1よりも昔の人格に見える。いや、間違いなくそうだ。
私は次のプランを考え始める。その時、急に私の視界が一段低くなる。
......え? 両足に力が入らない。
「予定通りだね」
「ええ、そうですね」
比奈と男が話している。
気づいたら手もピクリとも動かず、重力に従うままになっている。
「上げといて落とすような真似をしちゃったけど仕方ないことだから」
感情のこもっていない声で比奈が私に言う。
「そっか。何が起きてるか分からないもんね。説明してあげる」
私は何も返す気が起こらないから黙る。
「私のことを少し信用してくれるのを待ってた。そうしないと私に近くで背を向けないだろうから。火をつけたあれはすごくよかったと思う。私に気付かれてなかったらだけど。あの緑のボールは鎮火用だし、分身を倒せるようにお膳立てをしたのも私。ごめんなさいね」
謝られている気はしないし、またやられたのかと思うと腹が立つ。何か起死回生の手段はないかと考えを巡らせるけれど何も思いつかない。
「それじゃあ、あなたのところまでこの女を投げて引き渡すわね」
「それで頼むよ」
比奈が私に近づいてきて、軽々と腰に手をまわして担ぎ上げる。
「じゃあね」
その言葉を聞くと同時に私は宙を舞う。男に近づいてきたところで、ずっと浮いた状態になった。
「人が浮いているというのは面白いものですね」
急にまた動き始める。分身2が消えている。私をスムーズに飛ばすためだろう。最後に一矢報いたいが、どうにも手足が動かない。
男の目の前で地面に叩きつけられ、男の足にぶつかる。
「おっと。これで契約は完了です。明日からはまた敵同士ですね」
「そうね。また今度会う時までにあなたが朽ち果ててるかもしれないけれどね」
男と比奈は短く話を済ませ、男がナイフを私に振り下ろす。
「まぁ、朽ち果てるのは今なんだけどね」
比奈の声が聞こえるのと一緒に男の胸から大量の血があふれ出て、私の隣に男が倒れる。
「比奈、予定通りだね」
その声が聞こえてきた方を見てみるとそこには凛が立っていた。