42話 目
王手、か。それなら、まだ詰んでいない。
ぼく一人だったら、間違いなく死んでいたが。
ぼくは糸のついたナイフを取り出す。一応、二本目を作っておいてよかった。それを男に向かって投げる。
男は、平然とナイフを避ける。ここまでは想定通り。ここで、ナイフの他端に着いた糸をぐっと握る。すると、男は予想通りに後ろを向く。まぁ、ナイフが帰ってくると思うのが正常な思考だろう。しかし、今回は違う。
投げたナイフが空中で、ぐるぐるとまわり、静止する。
男が再びこちらを向く前に、糸を持つ手を放し、男の方に押し付ける。
男は分かるはずがない。比奈の作っていた糸、真奈の能力とスタンガン。それらを合わせて、その糸と、男とをつないでやる。すると、抵抗が減らされた糸を通して、スタンガンからの電気が男に直接流し込める。
男は一瞬全身の筋肉が伸びたように、まっすぐになり、ぐたっとなる。そのタイミングで、ぼくは右足を、両手で引っ張って、男の手から抜く。ついでに、先ほど投げたナイフを掴んで、引き戻す。比奈が作った糸はぼくの意図に応じたかのように簡単にちぎれる。
あれ?
ぼくは左足の竹のしなりを膝代わりにして、3回ほど跳ねて壁に手をつく。
あいつ、まだ意識すら失っていない。スタンガンをくらってそれはおかしいはずなのだが、男の手に触れたときに脈が全く弱くもなっていなかった。
「流石に驚いた」
初めてしっかりと男の顔を見たが、メガネはしていないし、髪も長くない。確かに目つきは悪いが。
時間のずれを復活させる。その瞬間、男の目のあたりが黒い霧で満たされる。まさか。そう思ったぼくは小さく、
「あ」
と言ってみる。すると、それに付随して、
「なのだ」
という語尾が発声される。
やはり、そうだ。黒い霧を見る力はリーザが持っていた能力の一部、黒い血を飲んだことで、精神が侵食されるとともに、神経の一部も乗っ取られてしまったのだろう。だが、黒い霧は能力を使うところに集まるはずだから、男の目をやってしまえば、こちらの勝ちだ。
ただ、電気を流しても驚いた程度で済むような相手の弱点は何なのだろうか。
短い時間で考察をしていると、男がさらに口を開く。
「お前の能力は、10秒ずれる能力か?」
3秒ほどぼくは硬直する。
何で能力がばれている? こんな独特な能力、能力の使用者である僕でさえ気づくのにしばらく時間がかかったのに......
最初に背後に回られた時も、間違いなく、ぼくの位置を完璧に把握していた。こんな短基金で気づくのは、能力が相手の能力を知る能力であるか、誰かから聞いたかの二択になってしまう。前者の場合、鑑定眼くらい。後者であることは、普通に考えてあり得ない。ぼくの能力を知っているのは、比奈と真奈だけなの......
嫌な想像が浮かんでしまいそうだったので、考えるのをやめる。
そして、再び時間のずれを解除して、
「ああ。その通りだが、どうしてわかる?」
「見た通りだったからだ」
ぼくは、ナイフを取り出し、右から左に振る。
そして、10秒経ったタイミングで全く同じように右から左にナイフを振る。
「分かりやすすぎるんじゃないか?」
呆れ声で男は一歩下がって、包丁を両手に持ち、振る。もちろん、当たるわけがない。このタイミングで、時間のずれを復活させ、比奈に、別れる前に決めたサインを送る。すると、比奈と真奈が、男を後ろから攻撃しに近づいてくる。
ただ、そっちに男を集中させるわけにはいかない。ぼくは、右手で壁を押して、推進力を足しつつ左足を浮かせて、男に飛びかかる。
男は、ナイフを二回振った二回目のタイミングで、10秒ずれる能力を発動したのだと錯覚したはずだ。そこで、注意がそれたタイミングで能力を発動すれば、男はぼくの居場所が分からない。幸い能力が分かったとしても、能力は無効化されないとこの前の真奈とのことで分かった。
ぼくはナイフを男の腹に差し込もうとして、ナイフの先端が皮膚に触れたタイミングで、男の様子が変わった。
「ああ、マジ、だる」
一瞬で、ぼくら三人は壁まで吹き飛ばされ、真奈は窓を割って、外まで跳んで行ってしまう。
男は腹部から少し血を垂らしながら、言う。
「死ね」
その声が聞こえたとき、すでにぼくは腹部がえぐれるような拳を受け、吹き飛んでいた。