17話 花火
絶対零度。
それは人類が未だ体験したことのない温度だ。
ここまで温度が低下すると全てのものが固体になる。酸素も窒素も。呼吸ができなくなる前に息を止めておくのが最良だろう。ただ、それだけでは足りない。酸素とかが固体になってる間そのすぐ近くは、ほとんど真空のはずだ。このままだと吸い込まれる......
と思ったその時。
ボフン
大きな爆発が起きる。一瞬固体になった酸素とかが、元に戻ったのだろうか。そんなことを考えていると、急にすごい風が吹いて、体が浮く。台風なんて全然目ではないレベルの強風だ。固体が気体になる時、その体積は数千倍にも膨れ上がる。
このまま壁に当たるのはまずい......
そういえば、この浮遊するような感覚、最近あったような......
ぼくの脳内で左足が壊れた時の状況が鮮明に再生される。
そうか。落ちていく感覚とおんなじなんだ。直接ぶつかって勢いを殺すのではなく、ちょうど前まわりするような感覚でゆっくりと壁に着きつつ、そのまま回って壁の端から降りれば負担なく減速できそうだ。科の前学校でだるいと思いながらやっていた、前回り受け身が役に立った。
飛ばされながら、右肩の方から壁に当たるように姿勢を整える。
今だ。
壁に肩が当たった感触がしたときに、足を風上方向に上げてくるりと回って、壁から離脱する。そして、近くにあった電柱に右手をかける。そして、離す。住宅街だったおかげで、等間隔に電柱が並んでいてとてもやりやすかった。それを次々こなしていくと、速度が落ちていく。
なんとかしのぎきった。けれど、150メートルほど飛ばされてしまった。急いで戻らないと......と比奈は大丈夫かな。
近くの壁を左足の代わりにしながら、元の場所に向かう。戻るとそこだけが別世界だった。相手を中心に、こちら側だけが同心円状に凍っている。ただ、相手の後方は全く凍っていない。未だに凍てついた空気が支配する空間には近付き難い。
比奈を見つける。なるほど。微生物を相手の攻撃で凍らせて、盾にしたのか。
しかし、比奈も相当消耗しているように見える。
「比奈、そこの凍りついたやつの一部を......」
簡単に作戦を説明する。
ぼくは、氷を砕いて、人を刺せるくらいの氷を取り出し、それを持って、ゆっくり近づく。冷えた空気がとても辛く、痛い。また、氷を持っている手が特に痛い、しもやけは不可避だな。
「まだ来るの? 短距離の人に勝ち目なんてないのにさ」
その声にも少し疲れが見て取れる。
氷を持っていない方の左手を高く掲げる。そして、ぼくは時間のずれを解除する。
それと共に、比奈が微生物の矢を放つ。ぼくはそれが見えないような位置どりをして、よろけるようにして、ぼくは矢を避ける。これなら、止めきれないはずだ。
ガキン
何かにぶつかった音がして、矢が弾き返される。
もしかして......空気の粒子も固定できる......? そうか。それで、粒子の動きを止めて、すぐ動かしてやれば、熱運動がゼロからスタートするのか。やっとカラクリが分かった。
ただ、長いことそんなたくさんのものは固定できないはず。
今度は右手を掲げる。こちら側も実験してみる必要がある。近くに転がっていたコンクリートのカケラを拾う。
もちろんこの右手はフェイク。そろそろ比奈が矢を打っていたとして到達するところだろう。さっきと同じようによろけてみる。そして、そのタイミングに到達するように1つ、それとテンポを1つずらしてもう1つ、コンクリートのカケラと氷とを合わせて2つ投げてみる。当たればそこそこ痛いサイズのはずだ。
死角から投げたから、気づかないはず。
さっき弾かれた位置に1つ目のコンクリートのカケラが到達する。
ガキン
カケラは弾かれたが、氷はカケラがはじかれた位置を通過して、少ししてから止まる。
やっぱり。能力は、自分で間違いなく認識したもののみに発動する。そして、発動は連続ではできない。
それなら。ぼくは比奈に近づいて、時間のずれを再び復活させる。
「矢を構えて」
まだ、10秒前のぼくが、比奈が矢を構えるのを隠してくれているはずだ。
そして、コンクリートのカケラを再び拾う。
比奈が矢を放つ。そして、その矢にぼくが触れておく。
できる限り相手の近くまで矢に触れていられるように頑張らないと。きっとぼくは矢になら能力を共有することができると思う。人には共有できないかもしれないとはこの前分かったが、所持品はぼくの能力の影響を受けていたようだったからだ。すると、相手は10秒前の矢を見ることになるが、10秒前の矢なんて存在しない。つまり、矢が見えないということだ。
そろそろかな。
ぼくは空いているもう1つの手で、コンクリートのカケラを勢いよく投げる。
相手がカケラに反応した様子だ。ただ、矢には気づいてない様子だ。
もう少しだけ矢を隠しておかないと......
バタッ
気づいたら倒れていた。そういえば、左足は使えなかったんだった......
倒れて動けなくなったぼくはその矢の行方を見守る。
まず、ぼくが投げたコンクリートのカケラだが、相手は、何も使わずに体で受けてくる。
痛そうだが、それ以上のダメージは何も無さそうだ。
流石にそこで能力は使わないくらいの判断はできてしまうのか。
となると、もう万策尽きたか......
防がれてしまう見え見えの矢を見るのが嫌で、ぼくは目を閉じる。
が、その時、空を切る1つの音が2つ、4つと増えていくのが感じられる。
まさか。
ぼくは目を今までにないほど見開く。そこで見た情景は綺麗なんて言っていられる余裕がないはずなのに柳花火のように綺麗な光景が広がっている。
比奈の矢が分裂していって、何十何百もの小さな矢になっている。ぼくが稼いだ分の距離のおかげかは怪しい所だが、分裂した全ての矢を固定することはできなかったようだ。
その矢たちは相手を貫通し、これが蜂の巣状態なのだと一目瞭然な状態にした。
相手は流石に絶命したようだ。
「よかった......」
ぼくが言う。
「なんとかなったね......」
比奈が地面にへたり込む。
半分以上比奈のおかげで、なんとかなった。
ん? 比奈のおかげで?
『あなたが守ってよ』
ふと、比奈に言われたことが脳裏をよぎる。
ダメだ。今のぼくは守れていない。比奈も約束も。
強くなりたい。
探すんだ。この能力の可能性を。この地獄で生き残る可能性を。