16話 絶望
ナイフの雨が降った。こんな晴れの日の夜に。
「比奈......」
「紙をさらに上空に固定して、その上にナイフを置いといたの」
彼女は1人で解説し始めた。
比奈がいない。そのことが何よりも気になっているが、ぼくは動けない。なぜ、左足はこんなにもいうことを聞かないのだろうか。
そう思っていると、彼女の背後に比奈がいきなり現れる。
驚いてはいけない。驚くと、比奈が背後を取ってくれている意味がなくなる。ただ、比奈の右腕に何本もナイフが刺さっている。流石に痛そうだ。ぼくがその痛みを変わってあげたい。
グサッ
比奈が、微生物のナイフで彼女を刺す。
相手は不意をつかれたようで、血を吐く。
「え......?」
なぜか比奈が驚く。
「血が抜けない......」
「残念でした。固定したのよ。血をね」
どうやら、体の一部だけ固定するのも可能らしい。血が回らなくても生きていられるというのはすごく都合がいいなとは思うが。
あ、体を固定して、先ほど落ちていったとき彼女は無傷だったのか。
「あら、そうなのね」
そう言って、比奈はにやりと笑う。
少しの間そのまま硬直した状態が続いた。先に動いたのは、相手の方だった。しかし、攻撃するためでは無い。攻撃されたためである。相手は体勢を崩した。
流石だと思っていると、比奈も同じように体勢を崩した。片膝を地につけるような形だ。
見ていて推測がつくものではない。けれど、2人のあたりがなぜか真っ赤に染まっている。
まだ、トドメが刺せていない。早くトドメを......
もう気絶させてだとか言っていられない。
こんな時に動かないぼくの左足がいっそう許せなかった。ぼくは周りを見渡して、さらなる不幸が存在することに気づいた。
比奈たちのさらに奥の方から別の人間がやってくるのが見えたのだ。
1人で精一杯だというのに、もう1人というのは流石に厳しい。
けれど、ぼくがやらないと......
さっき見渡した時に見つけた傘を、左手に取る。そして、それを杖のようにして、新しく来たやつと戦うことにした。
そこら中に転がっているナイフを集めて、左手に何本か傘で隠れて見えないように持っておく。
相手を油断させるのが肝心だ。相手にゆっくりのたのたと近づく。頼りない歩き方をしているはずだ。いや、している。なぜなら、演技ではなく、真面目にそうなのだから。
相手の能力が分からないので半分賭けである。
シュッ
横を何かが過ぎていった。前を見ると相手がいない。
ということは......やはりそうか。ぼくのすぐ後ろ、恐らく10秒前にいた位置に相手はいる。手の甲で軽く打つような態勢だ。すでに人を殺した後なのだろう。
好都合。
ぼくは左手の力を緩めて、ナイフをかさに何本も突き刺した状態にする。
相手がこちらを向いて、殴りかかってくる。
今だ。
ぼくは傘を開く。
バサッ
そんな音がしたのもつかの間、鼓膜が破れるほどの音量の悲鳴が聞こえて、相手は倒れ込んだ。
「かかった」
そう一人呟く。
相手が起き上がって来ようとしたので、ぼくはナイフを一本持つ。
そして、バランスを崩すような動きで一回転して、ナイフを振り下ろす。起き上がろうとした相手の勢いと、ぼくの一回転したそのままの勢いとが相乗効果を生み、相手の口を貫通して突き刺さる。
その惨状は言うに耐えないものだった。風船に穴を開けて、空気が抜けるときのような勢いで血が吹き出し、少しの間男はバタバタと動いたかと思ったら、電池が切れたかのように動かなくなった。
自分の左手首をスッと触って、確認すると、殺した人数が増えていた。起き上がろうと、傘を右手で掴む。
じんわりと痛みを感じる。
そうか。傘にナイフを落として、刺しておいたのだから、そりゃあ掴んだら痛いよな。もう使い物にならなくなった傘を離して、置いておいた。
早く戻らないと......
比奈の方を見ると、比奈と一緒に倒れていたはずの彼女が、動き出しているのが見える。
ナイフを彼女は振り下ろす。すると、比奈を守るように、何か物体が出てくる。
遠くで見ている暇はない。
ふと、血にまみれた自分の右手を見て、思いついたことがあった。
先程、自分の手を刺した、ナイフ付きの傘の取っ手を持つ。そこには男から流れた血が溜まっている。
プランを自分の中で立て、その直後ぼくは比奈を攻撃する女に対しての怒りや憎しみに狂った。半分故意的に。
「凛、ストップ」
その言葉でぼくは意識を取り戻した。
どうやって動いたんだろう......この足で。そのことは今は分からなくたっていい。
そんな事よりも敵の様子を。
敵は動けなくなっていた。近くに転がっていたのはぼくが持っていたナイフの刺さった傘。
比奈のこの前の人体実験を思い出したのだ。瞬間移動男をぶっ刺したときに大量に噴き出た血の一部が傘に溜まっていたのだ。
そのおかげで赤い血が固まって敵の動きを封じている。
「あなたもよくやるわね。でも、そろそろ策は尽きたでしょ? ごめんなさいね。一個実験させてもらうわよ」
そう言って敵は集中している様子になる。
やばい。
けれど、攻撃できるほどの余力もない。さっき狂った分で。
突如息苦しくなったかと思えば、肺が潰れるかのような痛みを感じる。
昔、冬に外で雪を食べさせられまくった時のような感覚だ。
「絶対零度」