一日目
クリンたち一行は馬車に揺られていた。
「まさか一人も乗馬ができないとはな。よく今まで旅ができたものだ」
「すみません、高くついちゃいましたよね……。いつかお返しします」
「いや、子どもから巻き上げるわけにはいかないだろう。目的地についたら売ればいい、案ずるな」
そこそこ懐が潤っているらしく、馬車はジャックが用意してくれた。
御者に顔を見られてしまうことを警戒したクリンたちだったが、彼は馬の扱いに慣れているらしく御者まで引き受けてくれたのだ。
ジャックが手綱を握る横で、クリンは御者席の隣に座って恐縮し、肩をすぼめている。
客車の中とは違って心地よい風が肌を撫でた。が、クリンが隣に並んだのは決して心地よさを求めているわけではなかった。
「陽が落ち始めて寒くなってきたな。気を遣わないで客車に入ればいいものを」
「そんな。恩人を一人で外に居させられません」
「恩人、ね。ずいぶんと律儀なものだ」
馬の走る音が耳に響く。
二頭立て馬車は軽快なスピードで景色を流していく。
巡礼の地へ歩いて向かうことを覚悟していたため、思いがけぬ高待遇が素直にありがたかった。
これならセナと合流する時には、ちょうど巡礼の地へ辿りついているかもしれない。
「アルバ諸島にも馬はいるだろう。乗馬の練習はしないのか?」
「いいですね、やりたいなぁ。ジャックさん教えてくださいよ」
「……まあ、かまわんが」
「えっ、いいんですか!?」
パッと顔を輝かせれば、隣のジャックは戸惑いながらも頷いてくれた。
「やった、ありがとうございます。……セナを驚かしてやる」
いい仕返しができそうだ、と悪い笑みを浮かべるクリンを見て、ジャックは「そうしていると年相応だな」と苦笑する。
馬が乗れるようになったら隣の村まで往診するのもラクになるなぁと、クリンは故郷に帰ってからのことも考えてワクワクした。
コンクリートで整備された道路はもうとっくに過ぎ去り、森を抜け、だいぶ過疎地に移った。
遠くに連なる山々が太陽を隠そうとしている。
「馬もそろそろ限界だな。野宿は平気か?」
「はい、もう慣れました。僕たちは外で寝るので、少し狭いですがジャックさんは客車を使ってください」
「……心配しなくても、寝込みを襲ったりなんかしない」
「そういうつもりじゃ……」
と受け答えしながらも、内心ではバレたか、と舌を出す。
まるで互いの事情を忘れてしまったかのような穏やかな会話が続いているが、二人はわかっている。
ジャックは決して逃さない。対して、クリンも絶対に油断は見せないと。
大人な彼はおそらく気づいているのだろう、クリンが隣に座っているのは決して気を遣っているわけではないのだと。
もしもジャックが少しでも変な動きを見せたらすぐに対応できるよう、クリンだって彼を見張っているのだ。
休憩中の乗馬の練習ですら、彼に自由を与えないための算段にすぎない。
と言ってもジャックはもう自分のことを子どもだと舐めてかかってはくれないようなので、いささか分が悪いのだが、仲間の命がかかった警戒合戦だ、負けるつもりは毛頭ない。
「御者が風邪を引いては身動き取れなくなりますので。遠慮しないで客車を利用してください」
「……そういうことにしておこう」
ふ、と小さく笑って、ジャックは馬の速度をゆるめた。
街道の脇にある木陰の下で、一行は野宿をしていた。
上着を着込めばそこまで寒くもない夜。
遠くの木々からはフクロウの鳴き声が聞こえてくる。
女子二人はとっくに夢の中、見張りの一番手を申し出たクリンはランタンの灯りを頼りに日記を書いていた。
旅の道中、毎日書くことは厳しかったが、たとえ一行だけでもなるべく書き記すようにしていた。
その内容のほとんどがセナの身体能力に関することやセナが起こした行動についてだったので、日記というよりも観察ノートに近かったが。
本日の記録は『セナがアルバ王都に戻ってしまった。一週間後に戻るというが、はてさて』である。
明日から書くことがなくなってしまうのではないだろうか。
そんなことを思って日記をパタンと閉じた時、マリアがむくりと体を起こしたから驚いた。
「起こしちゃったか?」
「んーん、そろそろ交代でしょう?」
「まだ大丈夫だよ。寝てれば?」
「んー。あったかいもの飲みたいし」
睡魔を追い払うため、目をこすりながらマリアはリュックから小鍋を取り出した。
「クリンも飲む?」
「やった。ありがとう」
小鍋で二人分の即席用コーヒーを作ってマグカップへ注ぐ。湯気がふわふわと宙にのぼった。
フー、フーとコーヒーを冷ましているマリアを見て、そういえばセナがマリアの猫舌をからかっていたな、とクリンは思い出した。
「たった一日なのに、セナがいないと寂しいね」
言葉にしたのはマリアのほうだった。
まるで胸の内を見透かされてしまったようで、クリンは苦笑する。
マリアはそんなクリンをちらりと見やった。
「あのね、クリン。あんまり二人で話すことなかったから、今まで聞けなかったんだけど」
「ん?」
「あたしのこと、怒ってない?」
「……え。なんでそう思うの?」
まったくもって心当たりのない質問だったため、単純に驚いた。
だが、マリアは身に覚えがありすぎるとばかりに肩身を狭くさせている。
「だって、あたしが騎士になってってお願いしたから二人はこうやってついてきてくれてるでしょ。そのせいでセナはあたしを守ってあんな怪我をして……クリンに心配ばかりかけてる。ずっと申し訳ないなって思ってたんだ」
「……」
そうか、とクリンは納得する。
彼女はセナと司教とのやりとりを知らないのだ。当然、セナの同行は自分が依頼したせいだと思っている。
さてさて。ここはセナの父親のことを話してみるべきか。しかし情報源を話すわけにもいかないので困ったものだ。
とにかく、彼女の罪悪感が拭えればそれでいい。
「マリアが気にすることじゃないよ。選んだのはセナ自身だし、僕だって好きでここにいるんだよ」
「でも……」
「そんなこと言ったら僕らだってゲミアの里でのこと本当に申し訳なく思ってる。マリアを酷い目に合わせてしまった」
「ううん! あれはあたしが軽率に術なんか使っちゃったからだし、クリンたちのせいじゃないもん」
「じゃ、おあいこだ。そうしてくれないか?」
「……」
そう言われてしまえばノーとは言えず、マリアはやっとぬるくなったコーヒーをすすった。
その表情がしだいにほぐれていき、笑顔に戻ったのを確認して、クリンもコーヒーに口をつけた。
「おいしい?」
「ああ、ありがとう」
「あったかいね」
「そうだな」
実のない会話を交わしつつ、またコーヒーをすする。
「クリンって優しいよね」
「そう? 怒ってばかりだと思うけど。もっと大人の余裕が欲しいな」
「あたしから見たらじゅうぶん大人だよ。だってずっとジャックさんからミサキのこと守ってくれてるでしょ。今だって、自然に馬車のほう見れる位置に座ってるし」
「……買いかぶりすぎだよ」
「またまた。どうせあたしが起きなかったら一晩中見張りを続けるつもりだったでしょ。ちゃんと寝てもらいますからね」
お見通しだと言わんばかりでしたり顔をするマリアに、クリンはただ笑って返すだけ。
マリアがまだちびちびとコーヒーをすするので、クリンもそれに合わせてゆっくりと飲む。
そんな小さな気遣いですらマリアには嬉しく思えるのだと、クリンは気づかない。
「やっぱり、思ったとおり」
「んー?」
「クリンってお父さんみたい」
「ぶっ」
「パパって呼んでいい?」
「げほっ……」
咳き込んで睨めば、にひひと笑うマリアの笑顔。
「クリンがパパで、ミサキがママなの」
「……。え、じゃあセナは?」
「山から下りてきたサル」
「ふはっ」
こんな天然無垢な娘をもったら大変だろうな、と世の中の娘をもつ父親に敬意を感じつつ、クリンはそれも悪くないなと思った。
それは平和で穏やかな夜だった。




