誓い
そこからリストラル地方に戻りいくつかの国を転々とまたいで、約一ヶ月かけて東海岸へ向かった。
その間の旅はおだやかなもので、クリンはシグルスの基礎知識の勉強を、セナはせっかくなのでリストラル語のマスターをがんばった。
ミサキの記憶に関しては進展がなかったが、マリアは「もうすこしで新しい術が使えるかも」と、何やら思案げな様子だ。
セナに噛まれた左腕の傷口もその間に完治した。
その旅の途中、リヴァーレ族に被害をうけた直後という町を見た。
リヴァーレ族はその国の軍が撃退したものの死傷者は多く、広範囲による被害のため復興には時間がかかりそうだった。
それを見てマリアが表情を硬くしていたのを、三人はうしろから見守っていた。
いよいよシグルス大陸への玄関口である港について、聖女のペンダントを使いチケットを四枚、用意する。
それを受け取る際にセナが「今回はなくさないでくださいね〜、聖女さん」とからかって、マリアが「ムキー」と怒っていた。
少しだけ薄暗い話題が生じたのは、船の上でだった。
「見てください」とミサキが深刻そうな表情で持ってきた新聞には、シグルスについての記事が掲載されていた。
「『聖女反対運動』?」
「はい。一部の思想家が始めたそうですが、それを受けて大統領が、今後プレミネンス教会への支援を打ち切ると表明したそうです」
「そんな馬鹿な。一部の思想家だけの意見を、共和制国家が簡単に反映させてしまうなんて」
船内の遊戯室にいた四人は、ここで話すべきではないと、甲板へ移動した。
「『聖女は科学で証明できない怪しい能力を用い、地域貢献という名目を盾に国益を搾取している。市民の血税は、彼女らの危険な力を増長させるものではないとし、今後、国内の教会に立ち退きと土地の返還を求める予定である』」
「ひどい話だわ……。その土地を守る聖女たちが可哀想よ」
クリンが記事を読み上げている横で、マリアは顔を真っ青にさせて唇を震わせている。
ミサキはマリアの肩を支えており、セナは甲板によりかかって海を眺めていた。
「続き、読むね。『思想家の運動はしだいに各地で勢力を増し、教会へのデモンストレーションが頻繁に行われている。彼らは聖女の存在を「非科学的」「存在そのものが害悪である」と口にしているが、その様は旧時代に行われていた‘魔女狩り’を彷彿させるとし、市民からは不安の声が上がっている。それを受け、ニーヴ大統領は穏便に解決にのぞみたい、迅速に対応すると陳述している』……だって」
「記事は、それで終わりか?」
「ああ」
セナの質問に、クリンは新聞を折りたたみながら頷いた。
「巡礼に訪れた聖女がどういう対応をされるのか、読めませんね」
「危険だろうな。念のためペンダントは隠したほうがいいんじゃねーか」
「いやよ。あたしたちは何も悪いことなんてしてないもの」
マリアはぎゅっとペンダントを握りしめ、首を横に振った。
セナはあきれたようだ。
「意地になったってしかたねーだろ。身を守るほうが先決だ」
「屈したくないのよ。『この力を正義のために使いなさい。それが聖女の生きる意味である』。あたしたちは教会でそうやって教わってきたわ。これがあたしの誇りなの。こそこそ隠すようなことをしたくない」
「わざわざ火の中に飛び込んで、危険な目に遭うっていうのか。アホだろ」
「そのためにあんたがいるんでしょ。守んなさいよ」
「……」
はぁ〜っ、と。それはそれは盛大にため息をついて、セナはそれ以上の反論を諦めたようだ。
それからしばらく、無言が続いた。
次から次へと聞こえてくる不穏な足音に、全員の表情は暗く、沈んだものになっていく。
だが、誰一人としてこの旅をやめようと言える者はいなかった。
南から潮風が吹いて、髪をなびかせる。
クリンは三人を順番に眺めた。
セナ、ミサキ、マリア。
そういえば、二組が出会ったのも港だった。
初めて共闘したのも、海の上だった。
一度別れはしたもの、また偶然の再会を果たし、様々な困難をともに乗り越えてきた。
互いの事情に巻き込まれた時だって、誰一人責めることなく、一緒に支え合ってきた。
クリンは強く願う。
これからだって、そうでありたいと。
「みんな。聞いてほしいことがある」
クリンが姿勢を正して改まったので、みんなが注目した。
「決意表明をしたい」
そう宣言し、クリンは片手でセナの手を取り、自身の手の甲に重ねた。その上に、今度はマリアの手を、それからミサキの手を乗せて、全員の手の甲を重ね合わせた。その上に、さらに自分のもう片方の手を乗せる。
みんなはきょとんとしていた。
「何か困ったことがあったら僕を頼ってほしい。それを覚えておいてほしいんだ。セナのために始めた旅だけど、もうとっくにミサキとマリアも僕の大事な仲間だ。君たち三人には深い事情がある。そんな君たちを僕はそばで支える。それをここに誓います!」
嘘偽りない、さらには飾りっ気のない言葉だったが、三人にはストレートに伝えたかった。
もしかしたら、これから先、四人の道が分かつ時がくるかも知れない。
それでも、自分はこの誓いがある限り、三人を見捨てたりなんかしない。仲間でいたい。
「それ、いいね。あたしもやるー!」
クリンの決意表明に続いて、今度はマリアが手を重ねた。
「ん、とね。うん! あたしは世界を救う聖女になるわ。そばで支えてくれたあなたたちに恥ずかしくない聖女になりたい。みんなが見てくれてる限り、あたしは前を向いていられるの。誇りに思ってもらえるような聖女になる。どんな絶望に突き落とされたって、あたしはこの心を忘れない。そうあり続けると誓うわ」
それから「ね、ミサキもやろ」と、マリアが言うので、ミサキはいったん目を閉じて、深呼吸してからそっと手を重ねた。
「私……。もし、記憶を取り戻したとしても、たとえそれがどんな記憶であったとしても、みなさんのおそばにいたい。私の名前はマリアがくれた、ミサキ・ホワイシアです。私はこの名前で生きている道を、失いたくありません。取るに足らない過去なんかより、みなさんと笑って過ごせる未来を、必ず選択し続けます。ここに誓います」
ミサキの表情は、迷いながらでも明るさを取り戻そうとしていた。
それがクリンには嬉しかった。
「くっさ。お前ら、くっせーわ」
「セナもやれよ」
「そうよそうよ」
セナが茶化してきたので、クリンとマリアが次はお前の番だとそそのかす。
だが「別に言うことねーよ」なんて、乗り気ではないようだ。
まあ強制するべきことでないからな、とクリンが手を離そうとした時、ガシっと、力強い重みが重ねられた。
「しょーがねえなー」
それはもちろん、セナの手だ。
セナはその手を見下ろしながら、ふう、と空気を真面目なものへと変えた。
クリンはセナを見た。
セナがこうして自分のことをちゃんと語るのは、初めてかもしれない。
「宣誓ー。俺はバカだから、難しいことは考えない。それは全部クリンに任せまーす」
「おい」
「だからこの命、お前らに預けるわ。誰から産まれたーとか、なんのために産まれたーとか、わかる日がきても、生きている限りこの力は『生み生かし、守る』ために使い続けてやる。お前らは俺が守ってやるからなんにも心配すんな。以上! もうカンベンして」
セナらしい言葉に笑いつつ、弟の深い決意が伝わってきて、クリンは胸を打たれた。
「茶化してたやつが一番恥ずかしいこと言ったな」
「うるせー」
兄弟の照れ隠しに、クスクス笑いながらマリアは首を傾げる。
「それで、この手はどうすんの?」
「それは考えてなかった……。こんな恥ずかしいことやったことないし」
「恥ずかしいんですね」
今度はミサキがクスクス笑った。
「せーので空に掲げてバンザイは?」
「じゃあそれで」
全員一致で頷いたあと、「せーの!」と声を上げ、両手で空に花を咲かせた。
みんなが空を見上げて笑っていた。
旅は、やがて深い闇へと転がり落ちていく。
それでも四人は、襲いかかってきた絶望の中にいる時でさえ、誓いを交わし合ったこの日のことを、決して忘れはしなかった。
やっとここまで書けました。
次話から、シグルス大陸編が始まります。ミサキの記憶がメインとなっていきます。重いです。