相談
そうしているうちにクリンとミサキがテントに戻ってきて、マリアの症状が回復していることに驚きを隠せない様子だった。
一通り、クリンのわかる範囲で症状を確認しているが、やはり傷ひとつ残っていないようだ。
「すごいな。熱も、こんなに急激に下がるなんて……。体調はどうだ? 頭痛や吐き気は」
「全然、なんともないよ」
「よかった。本当によかった」
ミサキはマリアにぎゅうっと抱きつき、涙をこらえているようだった。
が、クリンは手放しで安堵することができなかった。
なぜならセナの表情が、この朗報を素直に喜んでいるとは言えない様子だったからだ。
「いったい何があったんだ?」
「司教ってやつが来た」
「え?」
クリンの問いかけに、セナは簡潔に答える。
全員が驚きと戸惑いをあらわにする前で、あらかじめ用意していた言葉を並べていく。
「俺らに用があって、聖女の術を使ってテントに入ってきたんだ。で、こいつの怪我を見て『やれやれ』って感じで治療してくれた」
「……で?」
「それだけ。用件言って帰ってったよ」
「そう、司教様が」
自身の胸に手をあてて、マリアは戸惑いながらも嬉しそうに微笑む。
それを視界に入れないように、セナはゆるやかに視線をそらした。
「セナ。司教さんの用事ってなんだったんだ?」
「プレミネンス教会には来なくていいってさ。巡礼を最後まで終わらせるようにって伝言を頼まれた」
「えっ? 本当!?」
マリアの顔がパッと輝く。
予定どおり巡礼を続けられるとわかって、ホッとしたようだ。
「それだけか?」
「それだけ」
クリンの質問に一言で済ませると、セナはさっと立ち上がった。
「俺、しょんべん」
「セナさん……」
「サイテー」
女性陣の非難を背に受けながら、セナはテントを出ていく。
クリンはその背中に違和感を覚えて、首を傾げた。
キラキラと光る水面を眺めれば、柔らかい風が頬をなでる。
遠くのほうでは、クリンたちが作った水のうバリケードを補強している里の人たちの姿があった。
雨雲はなりをひそめ、本来の姿に戻った小川はさらさらと下流へ流れていく。
「ずいぶん長いトイレだな」
土手に座って川を眺めるセナの横に、兄が並んだ。
「やっぱり、バレバレか」
「僕が来るの待ってた?」
「待ってたわけじゃないけど、来るんじゃねえかなって予想はしてた」
「ということは、やっぱり何かあったんだな?」
「……」
セナは土手に生えた雑草をブチッと引っこ抜いた。
兄に話すことに、迷いはなかった。むしろ、聞いてもらいたくてここから動けなかったということもある。
セナはテントで起こった司教とのやりとりを、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……そうか」
すべての話を聞き終えると、クリンは難しい表情で思慮にふけった。
司教が始めの質問で実父の居場所を尋ねたということは、司教もセナの実父に用があるということだろうか。
しかし、セナは知らないと答えた。本来なら会話はここで終了となるはずだった。
だが、司教はマリアの命を盾に、セナの生い立ちを聞くことを選択した。
そして情報を聞き終え、騎士になるよう勧めた。それはもともとの計画どおりだったのだろうか? それとも会話の流れからそれを選択したのだろうか?
そもそも、セナに騎士を勧めた理由はなんだろう?
仕える聖女は誰でも良い、ということは、セナが騎士になること、それこそが重要であると告げているように聞こえる。
「セナのお父さんは、聖女の騎士だったのかな」
「ああ……」
なるほど、とセナは思った。
以前、教会で騎士のふりをした時に受けた視線の数々は、もしかしたら自分が実父と似ていたからだろうか。
「司教はお父さんの居場所を知りたがっていたんだよね。セナを騎士にすることでお父さんを誘き出そうとしているのかもしれない」
「なるほど」
巡礼を終わらせれば、その答えが出るのだろうか。
そして、実父に会えるのかもしれない。会えたら、この不思議な体について何か教えてもらえるだろうか。
「セナ。これはこれで、チャンスかもしれないよ」
「チャンス……?」
「セナのお父さんの情報が手に入るなら、相手の思惑に乗っかってみるのも悪くないかも。マリアを人質に取られているみたいで気分は良くないけど、見方を変えれば、こっちはひとつ手がかりを掴めたし、マリアを近くで守ることもできる。一石二鳥……みたいに言うのは無神経かもしれないけど」
「チャンス、か」
セナは土手に落ちていた小さな石を手に取った。
それを川に向かって投げれば、水面には綺麗な水紋が広がった。
自分ひとりで抱え込んでいたら、そんなふうに考えることなんてできなかっただろう。
もう騎士になることを選択してしまった以上は、この状況をいかに生かすかで悩んだほうがいいのかもしれない。
「クリンに話して正解だったな」
「お? ようやく兄の偉大さがわかったのかな? 弟よ」
「もう二度と言わねえ」
「え〜、言えよ」
しかし気がかりなのは、その選択と同じ天秤に乗せられた、三つの命。
この道なかばで白旗をあげてしまった時、その命はどうなってしまうのだろうか。
「あのさ、クリン。頼みがあるんだけど」
「ん?」
「あいつらには、黙っててほしいんだ」
セナの頼みに、クリンはミサキとマリアの笑顔を思い浮かべた。
真意を感じ取り、クリンは頷く。
「そうだな。僕もそれがいいと思う。二人には笑っててもらいたいし、明るく旅がしたい」
「うん」
「父さんと母さんのことは気にするな。僕らを育てた両親だぞ、簡単にやられたりしないよ」
「たしかに……へたなリヴァーレ族より強そうだ」
「ははっ。とくに母さん」
「そう、とくに母さん」
ぶっと笑い合いながら、それでも胸にざらりと残る不安の影を、クリンとセナは口にしようとはしなかった。