恐怖のあとに
「大丈夫。もう大丈夫だから。里のみんなとは、和解ができたよ。もう君たちを危険な目に遭わせる人はいない。もう怖くない」
「……クリンさん……!」
ミサキの頭が揺れて、こちらの胸にすっぽりとおさまる。
ぽたぽたと落ちる涙を隠すように、クリンは彼女の体を包み込んだ。
背中をぽん、ぽんと叩いてやれば、彼女の唇から嗚咽が漏れる。
「私っ、ごめんなさい……」
「なにが、ごめん?」
「何も、何もできなくて」
「二人を看病してくれたじゃないか」
「怖くてっ……ずっと怯えることしかできなくて」
「うん、僕も怖かった」
「でもクリンさんはあんなに里の人たちに懸命に掛け合ってくれて……っ、なのに私はマリア一人助けることもできなくて、セナさんが怪我してるの知ってるくせに頼ってしまって、それでセナさんはこんなになってしまって、私……っ、私のせいで……」
「大丈夫、ミサキのせいじゃないよ。そのおかげでマリアは助かった。君のおかげだ」
「違います……!」
ぐちゃぐちゃに泣き叫ぶ彼女の背中を、同じリズムでトントンしていく。
彼女は息がうまく吸えないのか、呼吸が苦しそうだ。
「不安で怖くて、マリアが死んじゃうんじゃないかって、私……」
「うん」
「マリアをこんな目に遭わせた人たちが憎い……っ。許せない! それなのに、クリンさんは里の人を助けようとしてて……ここに居なくて。なんで、なんでって。早く帰ってきてほしいって、でもここから出るのは怖くてっ。なんにもできないくせに、そんな勝手なことばっかり考えてて……。ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いいよ、大丈夫」
「ふ、うう……うぅ──っ」
全部を吐き出した後、ミサキは言葉なく泣き続けた。
クリンは「ごめん」とは言わなかった。言えば彼女が気を遣って、何も吐き出せなくなってしまうとわかっていたから。
だけど、この里に来ようと言ったのは、まぎれもない自分自身。二人を巻き込んでしまったことは最大の誤算だった。自分のせいで彼女たちが命を落としていたかもしれないのだ。
いつかちゃんと償えたらと思う。だが、その言葉を今、口にするのは違うと思った。
ミサキはしばらく泣き続けた。
クリンの鎖骨にこてんと額を預け、ずっと脈を聞いていたら、しだいに落ち着きを取り戻していったようだ。気がつけば彼女は眠りに落ちていた。
クリンの手はその間も休むことなく、彼女の背中をトントンし続けていた。
マリアとセナ、先に意識を取り戻したのは、やはりと言うべきか、セナだった。
入り口の隙間から細い光が差し込む薄暗いテントで、喉の渇きを覚えて起き上がったら、体じゅうのあちこちが痛くて顔をしかめた。
今、何時なんだろう? そんなことをぼんやりと考えながら、はっきりしてきた意識の中。飛び込んできた目の前の光景に、ピシリと固まる。
テントの隅で、ミサキを抱きしめて横たわる兄の姿。どうやら二人とも眠っているらしい。
「え……キモ」
一瞬夢でも見ているのかと思ったが、この身体中の痛みが夢ではないと物語っている。兄弟のこういうシーンを見て平気な人間がいるのだろうか。
ぽりぽりと頭をかいて二人を眺めてから、結論を出す。
見なかったことにしよう。
考えるのを放棄して、荷物から飲みかけの水が入ったボトルを取り出す。いつの水だかはわからないが、そんなことより喉が乾いた。
ごくごく飲んでいると、隣から小さなうめき声が聞こえた。
「う……」
マリアだ。苦しいのか、呼吸が浅く、額から汗が流れ落ちている。
近くにあるタオルで拭ってやると、マリアがふと目を開けた。
「セ……、う」
声を出そうとして、痛みに負けたのだろう。顔が苦痛に歪んでいる。
「お互い、死に損なったみたいだな」
軽口を叩きながら、セナはマリアの枕元にあった水のボトルを手に取った。おそらくミサキが少しずつ与えていたものだろう。
自分では飲めなさそうなので、上半身を持ち上げて水を飲ませてやる。手のひらに伝わるマリアの体温が異常に高いことに気付き、セナは目を見張った。
なんとか水を口に含ませてやると、声が出しやすくなったのか、マリアが尋ねてきた。
「川……は?」
「さあ。でも雨はやんだみたいだな」
驚きだ。一番最初に気になったのが、川のこととは。
そう思いながらゆっくりと体を戻してやる。やはり全身が痛むのか、マリアは再び顔を歪めた。
「息……痛い」
「ああ。肋骨折れてるんじゃん?」
「あたし……生きてるんだ」
彼女の記憶は、あの川で溺れた時が最後だ。
「おまえ、大変だったんだぞ。息してなくて、慌てて心肺蘇生法を試したんだからな。肋骨折れてんのはそのせいだよ」
「え、セナがやったの……?」
「……クリンが」
「すごいなぁ。……命の恩人だぁ」
嘘は言ってない。
セナはそう心で返しながら、しれっと話を切り上げた。
「まだ当分動けねえよ。寝てろ」
「うん」
素直に応じて、マリアは目を閉じる。
浅い呼吸がわずかに震え始めたのがわかった。
「そっか。生きてるんだ……」
声は震えていて、よく聞き取れなかった。少しだけ冷静になって、自身にふりかかった恐怖体験を思い出したのだろう。
つつ、と、涙が彼女の頬を通過したので、セナはタオルを乱暴にかぶせて隠してやった。




