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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第九話 チカラのカタチ
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持てる知識で


 やはり彼らは土嚢(どのう)という単語を知らなかった。


 川辺に駆けつけた時、水害対策を何も施していないくせに、なぜマリアに酷い仕打ちをするのだと激しい怒りにかられたのだが、手紙という文化すら知らない古い体制のこの里、もしや土嚢という知識もないのではと思い至った。


 人手はあるが、しかしあまり猶予(ゆうよ)がない。


 クリンは説明を簡単に済ませると、ありったけの材料をかき集めさせた。

 この土砂降りの雨で、もう乾いた土は手に入らない。たとえ手に入ったとしても、作っている時間はない。

 よって土嚢は諦め、‘(すい)のう’を作ることにした。


 里の男たちに同じサイズの木箱をいくつも作らせる。 

 その間に、女性たちにはテントの布地を、木箱を覆えるくらいの大きさに切ってもらう。

 箱の中に布を敷き詰めれば、即席、水のうの完成だ。

 その箱を川岸まで運び、雨水を入れ、(ふた)をする。

 体力に自信のある男たちが、それを隙間なく積み上げていく。そこへさらにテントの布地で補強する。



 一連の作業を指揮している合間に、マリアを抱きかかえたセナと、安心しきった表情を浮かべるミサキの姿を見つけ、ぐわっと胸が熱くなった。

 マリアは一命を取り留めたようで、目が合ったセナは少し誇らしげに笑った。

 さすが自慢の弟だ、そう褒めてやりたいところだが、今ではない。

 目頭が熱くなるのをこらえ、クリンは里の者たちに指示を続けた。


 

 作業は丸一日続いた。

 雨は強弱を繰り返しながら、なおも降り続けている。


 里の住民全員で作業に臨んだおかげで、なんとか水のうバリケードは完成した。

 あとは浸水時にバリケードが決壊しないよう、男たちの力で押さえるのみである。

 ろくな材料が用意できなかったため、いささかバリケードの強度に不安はあるが……果たして。



 川の浸水にはまだ時間的に余裕がありそうだったので、ついでとばかりに今度は畑のほうへ。

 薬草園のプロである母親が、何度も水害対策を施していたのを覚えていた。

 持てる知識と今ある材料で、ここでも指揮をとる。


 全身びしょびしょで、体が重い。

 汗を拭った時、ふと、腹の音が空腹を知らせた。

 そういえば、昨日の朝以降何も食べてない。気がつけば夕飯の時刻などとうに過ぎてしまっている。



 少しは休憩しようかとテントのほうに戻っていると、鼻腔(びこう)を刺激する匂いが雨の空気に漂う。


 テントの灯りの下で、里の女性たちが炊き出しを行っているようだ。

 クリンの姿に気がつくと、小さな女の子がこちらに駆けてきて木製の器を差し出してくれた。

 素直に礼を言って受け取れば、そこには温かな黄色いスープが。

 ゴロッと入った野菜をスプーンで口に含むと、胃に染み渡る温かさと優しさに、涙腺が緩みそうになった。


 と同時に、言いようのない怒りとやるせなさを連れてくる。

 この慈悲(じひ)があるのに、なぜマリアにあんなむごい仕打ちをしたのか。

 きっと里に利益を呼ぶ人間にしか存在価値がないのだ、彼らにとっては。


 もちろん、こんなスープでほだされてやるつもりはない。

 けれど、これをくれた女の子の親切心を無下(むげ)にするような人間に成り下がりたくはなかった。


 再び礼を言ってから、同じものをセナたちにも配ってもらえるか頼むと、女の子は得意げな顔で頷いてくれた。


 きっと、通うのだ。

 誠実に向き合い続ければ。




 川の水位はいよいよ、ギリギリのところまで到達していた。

 本来、ここがたおやかな小川であったなんて、まったく想像もできないほどだ。

 男たちと力を合わせてバリケードを守る。

 箱がミシミシ音を立てているのがわかった。

 箱と箱の隙間から水が漏れている。そこに手を当てて、これ以上来るなと祈りを込めてせき止める。


 その作業は、雨が止むまで続いた。




 太陽が朝を知らせて、さんさんと山々を照らす。

 遠くで鳥が鳴いているようだ。


 クリンは、里の男たちと並んでバリケードに寄りかかっていた。

 浸水は防げた。

 里を守れたのだ。


 徹夜でバリケードを支え続けたせいで、もう体はヘトヘト、指一本ですら動かない。



「は、はは」



 達成感と安心感で、息を吐くように笑みが漏れる。



「あー」



 朝日が雨露を照らして、キラキラと輝かせていた。綺麗だ。

 その様子を茫然(ぼうぜん)と眺めていると、やがて男たちのほうが先に立ち上がった。

 男たちがクリンを包囲する。


 今度は何をされるのだろうかと不安にかられたが、あいにくともう抵抗する力など持ち合わせていない。

 もう、どうにでもなれ。

 なかば投げやりな気持ちで男たちを見上げれば、予想に反して男たちの表情には笑顔が。


 円陣を組みクリンを抱え上げると、男たちはクリンを上に放り投げた。



「えっ、えっ。ちょっと! ぎゃあっ」



 突然の胴上げに、変な声が出た。

 男たちはこれでもかとクリンを高く高く空中へ浮かばせる。



「わーっ、待ってこれ、めちゃめちゃ怖い! むりむりむりむり!」



 高くなった視界と仰向けという無防備な状態に、喜びよりも恐怖が勝つ。

 とっさに出た声は故郷の言語で、男たちに伝わるはずもなく、彼らの胴上げはまだまだ続きそうだ。


 その陽気な笑顔を見ているうちに、二日前に襲われた時からずっと緊張状態だった心が一気に解き放たれていくのを知った。


 怖かった。常識の通じない世界に放り込まれて、まったく予想のできない事態に追い込まれてきた。 

 だけど、きっともう大丈夫。

 彼らの世界へ立ち入ることを許された。


 安堵と喜びに胸が震える。

 ほうっと息を吐けば、目の端から涙が一筋、こぼれ落ちた。



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