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こちらの戸惑いをよそに、部屋に入ったリビナはしっかりとシャワーまで浴びて、なんの躊躇もなくベッドを占領した。
ユニットバスとキッチンが申し訳程度についているだけの、独身用ワンルーム。当然、ベッドはひとつしか備わっていない。
ジャックはと言うと、彼女の安らかな寝息を聞きながら玄関で丸くなっていた。
何が悲しくて自分の部屋の玄関で寝なければならないのか。春だから寒くはないが、何も敷いていない床は固く、夜が更けてもなかなか寝付けなかった。
数時間後の、静かな闇の中。小さな声がしたせいで、浅かった眠りから覚める。
「……ネズ姉さん」
聞こえてくるのはリビナの泣きじゃくる声と、ひとりの女性の名前。
ジャックは固く目を閉じて、毛布を被り直した。
翌日、ジャックが出勤する時間になってもリビナは目を覚さなかった。テーブルの上に軽食と、「合鍵がないから外には出るな」というメモを残してアパートをあとにしたのだが、気が気じゃない。
寝不足での勤務はなかなかにしんどかった。しかしそんな眠気も市中巡警の際中に吹っ飛んでしまった。
リビナを発見してしまったからだ。
とくに用事もないのか、ウロウロとあっちへ行ってはこっちへ行ったり、歩行者立入禁止の馬車道に入ろうとして通行人に注意されたりと、なかなかに危なっかしい。
「いや、鍵……」
「どうしたジャック」
「あ。なんでもありません」
基本、巡警は二人一組で行う。相方の先輩に不審がられてしまったが、さすがに私用で仕事を抜けるわけにはいかず、リビナのことは見なかったことにする。空き巣に入られていないことを祈るばかりだ。
彼女はマリアのことを探しているのだろうか。もしかしたら、そのまま帰ってこない可能性もある。
……いや、それならそれで別に構わないのだが。
拍子抜けである。仕事が終わって帰宅をしたら、当たり前のようにリビナがそこにいたからだ。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
不釣り合いな挨拶をかわしながら、ジャックは上着を着たまま部屋の中を確認する。
キッチンに変わった様子はなし。本棚は……配置が少し変わっている。このぶんだとクローゼットの中も見られたのだろう。
「マリア・クラークスの情報はあったのか」
「……なかった」
「だろうな。街はどうだった?」
「……。別に」
外出がバレていたことに驚いたのか、リビナは気まずそうにしている。だが、くどくど説教をたれるつもりはなく、リビナを夕食に誘うだけに留めた。
一歩外に出て、思わず苦笑いがもれた。
自炊をしないジャックはいつも、食事を済ませてから帰宅する。だが、今日はその食事を後回しにした。何故かなどは問うまでもないだろう。結果としてその行動は無駄足にはならなかったようだ。
今夜は多国籍料理の店を選んだ。よくギンと呑んでは、傭兵時代の話を聞かせてもらっている店だ。
テーブルに並んだ料理を見て、リビナはパチパチと瞬きをした。ネオジロンドの郷土料理ばかりだったからだ。
「キミには懐かしくはないだろうけどな。まあ食べてくれ。これはこれで、おもしろいと思うぞ」
「おもしろい?」
「ほら」
小皿に取り分けてやると、リビナは不思議そうにそれを食した。次の瞬間にはギョッと目を剥いて変な顔をしてしまった。慣れ親しんだ味と違ったのだろう。
遠い地で食す郷土料理というものは、手に入る食材や調味料が限られているせいか味つけがかなり違うのだ。なかには「もはや別料理だろ」とツッコミたくなる料理すらある。これは実際に故郷を離れてみなければわからない体験だ。
「な? おもしろいだろう」
「……食事にこんなドッキリはいらない」
「はは」
それでもリビナはすべて完食してみせた。昨日も思ったが、とても食べ方が綺麗だ。
「マリア・クラークスもここに来たことあるの」
「いや、ないよ」
「……ふーん」
「はい」
「……」
合鍵を渡したのは、帰宅後。食事前に金物屋で依頼して、食事後に受け取った出来たてホヤホヤである。
「さすがに使い方はわかるだろう?」
「馬鹿にして……」
と口を尖らせながらも、リビナはそれを素直に受け取る。
そうして奇妙な共同生活が始まった。




