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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第四十二話 さよならは、潮風とともに
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流れゆく時間の先に




 静まり返った一室に、ペンを走らせる音が響く。1ページぶんをようやく終えたところで、ペンの足は止まった。

 他にやることがないからと言って、苦手な勉強が滞りなく進むわけでもなく。早々に集中を切らせたセナは、机の上にペンを放り投げて椅子の背もたれに体重を預けた。


 学校には行けずともせめて進級できるくらいの勉強はしておきなさいと言ったのは、父だ。両親と学校の計らいで自宅学習に切り替えて、与えられた課題だけはなんとかこなす日々が続いているが、果たしてこんなものに意味があるのか。


 隣から聞こえてくる控えめな寝息が、睡魔を連れてくる。

 ここはランジェストン家の隣にある診療所、一番奥にある病室。簡易的な机は学習用にセナが持ち込んだものだ。マリアがここの住人となってから早一年。最初は可愛いと思えていたこの寝顔も、さすがに見飽きた。


 息はある。脈拍もいたって正常、血液検査も異常なし。医者であるハロルドの見立てでは、身体的な異常はまったく見られないと言う。寝返りはうつし、時折言葉にはならない寝言のような声も漏らす。ただ寝ているだけ。

 だが、声をかけても肩を揺らしても、彼女はいっこうに目を覚ましてはくれない。


 なぜ起きないのか。幾度となく父にぶつけた質問に、返ってくる返事はいつも「わからない」の一言だ。


 最初のうちは、力を失った聖女による特異性の症状なのかと考えていたが、世界でもこのような症例は確認されていないらしい。

 彼女をラタンに連れて行けば、あるいは解決の糸口が掴めるのかもしれない。だが、いまだ『実行犯の聖女』を狙う動きは世界各地で(くすぶ)っている。彼女を外に出すことはできなかった。



 クリンとミサキは先に未来を進み始めた。自分たちだけが生きている実感もないまま、ただ虚しい時間を見送り続けている。

 不安や焦燥感がないと言えば嘘になる。



「でも、ま、今まで頑張ってきたんだもんな。好きなだけ休めばいいさ」



 長い人生のうちの、束の間の小休止だと思えばいい。セナはそう言い聞かせて、今日も彼女の寝顔に語りかける。

 置いてきぼりになどさせない、と。





 ミサキとジャックがマリアの見舞いに来てくれた。

 一年ぶりに会えたミサキは髪もすっかり伸びて、大人びたように見える。

 親友との再会を邪魔しないように、マリアの部屋にミサキを残して、セナは庭先でジャックと手合わせをした。

 一年ぶりに握ったダガーは重たく、言うことを聞いてくれなかった。逆にジャックは職業柄ということもあって鍛錬を欠かさないのか、剣戟(けんげき)に磨きがかかったように思える。

 時間の残酷さを知った。





 母のルッカが倒れた。薬草園や診療所の業務をこなしながらのマリアの介護が、老いた体に堪えたようだ。

 セナができることと言ったら薬草園を手伝うことだけ。効能を調べたりハーブ料理のレシピを考えたりしてみたら、なかなかに奥が深かった。

 病室で乾燥させたハーブを焚いたら、良い匂いが充満した。マリアが心なしか嬉しそうだ。





 季節がまた一周した。

 クリンが王都の医学校を卒業し、見事に医師の資格を取得した。ラタンへ移住する準備を始めるらしい。

 マリアはまだ……起きない。





 この二年で、世間はずいぶんと聖女の居ない生活に慣れてきたように思える。新教皇の批判はもう聞こえてこない。彼女のおこした復興政策が次から次へと成功し、ネオジロンド教国が持ち直したことも理由として大きい。

 聖女を炙り出す動きは、いつの間にか沈静化していたようだ。むしろ、今では偉業を成し遂げた女神のような存在に祭り上げられている。



「世界が許してくれたんだ。……そろそろ起きても大丈夫だぞ」



 そう言い聞かせた相手は、今日も安らかに寝息を立てている。





 その日は雲一つない青空で、暖かな風が吹いていた。

 止まっていた時間が動き出す。

 すっかりセナの私物で埋められた病室で、セナがいつものように課題を片付けていた時だった。

 もはや当たり前となった見慣れた景色のなか、うっかり見落としてしまいそうなほど、それは些細な動きだった。


 マリアの瞼がゆっくりと開かれたのだ。



「──」



 何度か瞬きを繰り返して、視線を彷徨わせる。その緩慢な動きを、セナは確かに見落とさなかった。

 目と目が合って、数秒間。

 きょとんとしたマリアの表情を、セナは理解が追いつかないまま呆然と眺める。


 そんなセナを我に返らせたのは、マリアが声を出そうとして、喉の痛みに顔を歪めたからだ。

 ハッと呼吸を取り戻し、セナは慌てて椅子から立ち上がった。



「父さん! 父さん、マリアが……!」



 ドアを開け放ち、大声で父を呼ぶ。それからすぐにマリアのもとへ駆けつけ、顔を覗き込む。

 どうやら自力で起きることはできないらしい、マリアは横たわったまま、視線だけでセナの動きを追っていた。



「どっか痛いところあるか?」



 はやる気持ちをおさえてイエスかノーかで答えられる質問をぶつければ、マリアはゆっくりと首を振る。



「じゃあ……俺が誰かわかるか?」



 アホみたいな質問に、マリアの顔がふっと綻ぶ。二年ぶりの笑顔。切望していたそれに、セナの胸は一瞬で熱くなった。思わず涙腺がゆるむ。

 誤魔化すためにベッドサイドに用意してあった水を取り、ストローを挿して飲ませてやる。喉を潤したマリアは、開口一番こう言った。

 


「儀式……は……?」



 さすが、伝説の聖女様である。一番最初に抱いた疑問が儀式の行方とは。久しぶりに聴いた彼女の声に胸を震わせつつ、「んなもん二年前にとっくに終わっとるわ」と答えれば、彼女はその目を大きく見開いた。

 


「大成功だよ、聖女サマ。……よく頑張ったな」



 クシャッと頭を撫でてやったら、照れ臭そうな笑顔が返ってきた。この二年間の出来事を話したら、彼女はどれほど驚くだろう。



 そうして時計の針は再び動き出す。

 彼女の人生はこれから始まったばかりだ。だが心配はいらない。彼女には心強い騎士が寄り添っているのだから。







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