儀式の行方
どれほどの時間が経過したのか。長い夢を見ているようで、あるいはほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。
非現実的な空間は、やがて光の減少とともに正常な時間を取り戻していく。
その静寂を最初に打ち払ったのは、クリンだった。
「──セナは!?」
いまだ瞼の裏が点滅しているような感覚を覚えながら、なんとか目をこらして見つめた先は、泉の中心にある虹色の光。
「セナ!」
消えないでくれ!
心の中で祈りながら弟の名を呼び続ける。
光源となっていた泉の中心はやがてその光を失い、彼らの姿を形取っていく。
その直後、彼らは激しい水音をあげて泉の中に倒れた。
「セナ!!」
「マリア!!」
くらくらする頭に耐えて、クリンは弟のもとへ駆けつけた。と同時に、ミサキが護衛を置き去りにして駆けてくる。
セナは泉の中で膝をつき、固く目を閉じたまま何かの苦痛に耐えているようだった。
「セナ、しっかりしろ!」
「……っ」
目に見える外傷は確認できなかったが、呼吸がうまくできていないのか、不規則な音が唇から漏れている。こんな症状なんか見たこともなく、どうすればいいのかわからなくて恐怖が押し寄せる。
「セナ! いやだ、死ぬな! 死なないでくれ!」
「……っ。……き……」
「!?」
「い、き……てやる!」
突如、セナはその手を伸ばして宙を掴んだ。反射的にその手を握ってやれば、力強く握り返してくる。それからセナは何かを吐き出すように咳き込んで、酸素を貪り始めた。
「はぁっ、はぁっ」
「セナ! しっかりしろ、セナ!」
戻ってきた!
確かな手応えを感じ取り、もう片方の手でセナの肩を支えて声をかけ続ける。
しだいに、こわばっていたセナの体が徐々に和らいでいくのがわかった。
「体が……重い」
やがて落ち着きを取り戻したセナが、ぽつりとつぶやく。
その言葉のとおり、支えているこちらの手にセナの重みが伝わってきた。ほとんど体には力が入っていないように思える。
ゆっくりと開いた瞳の色は、以前の金色よりも少し澄んだような、透明感のある金。
「……でもちゃんと……生きてる……」
「ああ……!」
力強く頷いてやれば、セナはわずかに顔をあげて、笑みを浮かべ返した。
その笑顔を見たら一気に安堵が押し寄せて、思わず涙が溢れ出る。
しかし、これですべてが終わったわけではない。ここから先は、想像を越えた未知の領域だ。
「どういうこと……!?」
「力が、入らない……!」
光の波が引き、通常を取り戻した空間に、聖女たちの動揺の声が広がる。
そこでクリンはようやく周囲に目を配った。聖女たちが皆一様にその場に倒れ、混乱を訴えている。
「成功……したのか?」
「マリア! しっかりして、マリア!」
すぐ近くでは、ミサキが何度もマリアの名を呼んでいる。マリアは気を失っているのか、ミサキの腕の中でぐったりしている。
泉の端では、ジャックに拘束されたリヴァルは意識こそあるものの、動くことも喋ることもできないようだ。
ディクスは……やはりどこにも見当たらない。
周囲をぐるりと見渡して、司教の姿を見つける。彼女も同様に、苦痛の表情を浮かべて床に膝をついていた。
「くっ……。まさか、これほどとは……」
彼女は重たい体をなんとか奮い起こして、手のひらをリヴァルにかざした。しかし、その手からは何も起こらず、ただ宙をとらえるだけ。
「ふ……くくっ。あはは……っ」
司教は一度自分の手のひらを確認し、そして笑った。
「やっと、やっと解放された……!」
相変わらず体は重く、倦怠感がのしかかる。だが、胸の奥底から歓喜が溢れて止まない。
この日がくることを、どれほど夢に見たことか。もう誰かの道具として生きることも、誰かの命を無意味に奪う必要もないのだ。
「自由に……なれた……!」
片手をぎゅっと握り、目を閉じて解放感を噛み締める。気がつけば涙がこぼれ落ちそうになって、ぐっとそれを飲み込んだ。
「は……」
司教が喜びに浸ったのは、ごくわずかな時間だった。静かに息をひとつ吐いて冷静さを取り戻すと、彼女は重たい体を引きずって泉の縁までやってきた。
その目はまっすぐにマリアをとらえている。彼女がどう出るのか予想がつかなくて、クリンとミサキは息を殺して出方をうかがっていた。
「マリア・クラークスは……起きないのですか」
「はい……」
ミサキの返答に、司教が深く頷く。
「無理もありません。普通の聖女ですら、この有様です。力の強い聖女ならば、なおさら体に負担がかかるのでしょう」
「死んだりしませんよね!?」
「さあ、わかりません。とにかく、あなたがたはさっさと立ち去る準備を」
そこまで言って、司教は神父や聖女たちに振り返った。
「大司教フォルシエルがここに宣言します。今、儀式は成功をおさめました! 聖女マリア・クラークスがリヴァーレ族を殲滅したのです!」
儀式の間に、司教の声が響き渡る。そこで全員の視線がリヴァルへと移された。
リヴァルはまだ生きている。当初の予定とは違った結末に、事情を知らされていない者たちはみな戸惑っているようだ。




