何度でも
「セナ!!」
マリアの悲鳴を聞きながら、セナは咄嗟にダガーを引き抜いた。力任せに土壁へ突き刺し、エッジの摩擦抵抗を利用して速度を緩める。しかし落下は免れない。
クッと歯を食いしばり、靴を壁に引きずったりして、なんとか重力に抗う。
真下から冷たい風が吹き上げた。
不自然なまでに体が押し上げられて、落下の速度が急激に緩まる。マリアが術でカバーしてくれたのだろう。
おかげで傷ひとつなく、無事に着地することができた。
「セーフ!」
ホッと息をついたセナに、マリアは泣きそうになりながら駆け寄る。
「セナ! ごめん! ごめんね、失敗しちゃった」
どうやら途中で術が途切れてしまったらしい。物を浮遊させるのには相当な集中力が必要なようだ。
しかし咄嗟に風を起こして落下の速度を緩めるだなんて、リカバリーとしては完璧である。
「初挑戦であれなら上出来じゃねーか。もう一回やるぞ」
「やだよ、もうやらない!」
マリアはきっぱり拒絶した。セナが機転を効かせて落下を食い止めてくれたが、一歩間違えれば死んでいたかもしれないのだ。
事故でも争いでもなく、自分の失敗のせいで大切な人を失うかもしれないなんて、怖すぎる。
「ほぼ成功してただろ。次はもっとうまくできるって」
「やだ、むり。怖い」
マリアの泣き出してしそうな表情を見て、セナはぎくりとする。思わず「もういいよ」と言ってしまいそうになったが、逃げ場のないこの状況で、他に方法がない。
それに、あの術はきっと成功する。根拠はないが、セナは信じているのだ。
うつむいてしまったマリアの頭をぽんぽんっと優しく撫でる。元気印の赤いポニーテールは、儀式の衣装を身に纏っているため、今日は見られない。
この長い髪、試練の時は逆に邪魔ではなかろうかとセナは思っていた。
ダガーの鞘についていた装飾用の赤い紐を取り外し、腕に巻き付ける。それからマリアの後ろにまわって、彼女の長い髪の毛を両手でまとめ始めた。
「さっきの泳ぎの話だけどさ。俺、七歳まではめちゃめちゃ泳ぐの苦手だったんだよ」
「……そうなの?」
急な昔話を訝しがりながらも、身動きも取れないためか、マリアは素直に耳を傾けてくれている。
まとめた髪の毛を片手で整えながらセナは続ける。
「学校の課題の日までになんとか泳げるようになっておきたくて、クリンに教わってたんだ。そしたら強い波にさらわれて、溺れかけてさ。クリンが浮き輪を投げてくれて死なずに済んだとは言え、もう泳ぐのは諦めようと思ったんだ。そしたらクリンはどうしたと思う?」
「わかんない」
「『ここで休憩したら怖いって気持ちだけが残って一生克服できないぞ』って言って、俺の腕を引っ張ってぐいぐい海に連れてくんだよ」
あとから知ったことだが、恐怖体験をした後は間を空けずに成功体験で記憶を上書きしたほうが、トラウマの軽減としては効果的らしい。
八歳のクリンがそれを知っていたかどうかは定かでないが、とにかく兄は自分を逃してはくれなかった。
「で、そのスパルタ教育のおかげで俺は見事、学年で一番遠泳が得意になりましたとさ」
「……すごいね」
マリアからの賞賛を受けながら、まとめた髪の毛を紐で結びあげる。
「あの時泳げるようになってなかったら、ゲミア民族の里でおまえを助けてやることはできなかったんだよな」
クリンのスパルタには辟易したが、今思えば諦めなくて良かった。そのおかげで川に沈んだマリアを助けてあげられたのだから。
だからおまえも諦めるなという説得の前に、マリアのポニーテールは完成した。手櫛のせいで頭頂部はいびつな仕上がりになっており、お世辞にも上手とは言えないが。
「できた」
「ユルユル……。すぐ解けそう」
「これだって何回もやればいつか上達するだろ」
「……」
マリアは高く結ばれた髪の毛に触れた。ゆるゆるで、ボサボサ。ミサキが結ってくれたほうがはるかに上手だが、セナの不器用な優しさが伝わってくる。
こんなことで気持ちが上向きになるのだから我ながら単純だなと思いながら、マリアは決意する。
「わかった。もう一回やってみるわ」
「よしっ。それでこそ我らが聖女サマだな」
仕切り直しが決まって、セナはさきほどの立ち位置に戻った。
「天井に取っ手がついてたんだ。たぶん引いたら開くんだと思う」
「ほんと!?」
ようやく見つけた手がかりに、二人は再び天井を見る。
セナが見たのは鈍色の埋め込み式の取っ手だった。きっとあれが攻略の糸口なのだ。
次こそ活路を開けるだろうか。いや、開いてみせる。
「じゃあ、いくよ!」
「おう」
マリアが手をかざした直後、セナの体がふわりと浮いた。先ほどよりも術がスムーズに発動できているようだ。
追い風に押されるようにして天井はどんどん近づいてくる。
見えた!
セナはすぐさま小石を投げつけて、トラップの有無を確認した。
罠はない。覚悟を決めて手を伸ばし、取っ手をつかむと、天井がガコンと音を立てた。
引いてみれば天井の中央が外れて、パラパラと砂埃が舞う。と同時に縄梯子がおりてきた。扉の役目となっていた天井はぶらさがったまま、大口をあけてこちらが来るのを招いているようだった。
セナが縄梯子に足を乗せたタイミングで、マリアは術を解除した。
「さすがだな」
「えへっ」
見下ろしながら称賛を口にすると、マリアがピッとピースサインをかざしてきた。
かくして二人は天井裏へと進んでいく。果たしてそこには何が待ち構えているのだろうか。




