それぞれの贖罪を
「そこの護衛騎士はよく見ておきなさい」
ミサキはそれだけ告げると、妹の頬を平手打ちした。
「……っ!」
これにはフィナはおろか、見守っていたクリンたちも目を見張った。もちろん、殴られた本人が一番驚いたことだろう。
「二人への罰はこれで十分でしょう。あなたを許します、チェルシア皇女」
「……ありがとう……ございます」
チェルシア皇女は頬を押さえながらも、うやうやしく頭を下げた。
そんな小さな主人の姿を、フィナは悲痛な面持ちで見つめている。自分のせいで主人が痛めつけられる。侍従にとってこれ以上に効果的な罰はないだろう。
「それとね、チェル。私は別の問題で怒っています」
「……えっ?」
ミサキはチェルシア皇女の両肩をつかんで、真正面から向かい合った。
「あんなルートでお城を抜け出してちゃ危ないでしょう。外出するにしてももっと身の安全を図りなさい」
「……」
あの地下水路のことである。すでに閉鎖され、皇室が鍵を保管しているからと言って必ずしも安全とは限らない。むしろ見回りの兵がいないぶん、ならず者たちが身を隠すには恰好の場所だ。
ミサキとセナが遭遇したレジスタンスの残党が、果たして普段からあの通路を利用していたのかはわからない。たまたま偶然居合わせただけなのかもしれない。
だが、次は安全だという保障はどこにもないのだ。
「わたくしを……心配してくださるのですか?」
「当たり前でしょう。あなたはわたくしの可愛い妹なのよ。心配させないでちょうだい」
「……」
チェルシア皇女はキュッと口を結んだ。
「も……」
申し訳ありません、と言葉にする前に、落ちてきたのは小さな涙。
両手で顔を隠してしまった小さな皇女を、ミサキはそっと両腕の中に閉じ込めた。
「チェル。あなたのお話はクリンさんから聞いています。こんなに小さいのに、一人で頑張ってたのね」
「……っ、フィナが、いてくれました」
「そう。お互いが大事なのね。でもね、それだけではだめよ。多くを味方につけなさい。それがいつかあなたの助けになるし、彼女のことも守れるようになる」
「はい」
小さな皇女はこくこくと何度も頷いている。
ミサキはポン、ポン、と背中を撫でてやった。
「あなたが王座につく日を、楽しみにしていますよ」
「……っ」
ミサキの声は、妹にしか届かないような小さなものだった。この小さな皇女がいつか正々堂々と皇太女として名乗りをあげる日がくるといい。
ミサキはその日を心から願っている。
「お姉さま、ごめんなさい……。お姉さまは、こんなにお優しいのに……わたくしの、わたくしの勝手な都合で……こんな酷い目に……」
あの日、フィナに抱えられて帰城したチェルシアは、気が気ではなかった。
愛称で呼んでくれた優しい姉を置き去りにしてしまった罪悪感はもちろんある。だがそれよりも、帰ってきた姉に糾弾されてしまうのではないかという心配のほうが強かった。もしそれで、皇帝の機嫌を損ねてしまったら……?
そんな保身を抱えながら、先手を打って謝罪しようと訪れた客室に姉の姿はなく、セナから「人質として捕らえられた」と聞いた時、ショックで足元から崩れ落ちてしまいそうだった。
そこでようやく、姉への心配が自分の保身を上回った。
慌てて駆け込んだ皇帝の執務室で、追い討ちをかけるようにして視界に飛び込んできた姉の毛髪。そして、出会ってからずっと優しく接してくれていたクリンの、全身に纏った静かな怒り。
罪悪感で苦しかった。恐ろしかった。
「ごめんなさい……本当にっ……申し訳……」
「もういいのよ。わたくしは無事に帰って来れたのだから。それもこれも、みんなのおかげ。チェルだって手助けをしてくれたのでしょう?」
「でもっ、でも……こんな、おいたわしいお姿に……」
「あら、これは自分で切ったのよ。わたくしの勇気の証よ。何ひとつ失ってなどいないわ」
「……」
「どう? あなたのお姉さまは強くてかっこいいでしょう」
「……はい。とっても素敵です!」
チェルシア皇女はギュッと姉に抱きついた。姉もそれに応じた。
この小さな背中を抱きしめながら、ミサキは思う。
自分も贖罪を果たさなければ……と。
日付も変わった真夜中、冬の空気は肌を突き刺すように寒い。
ジャックは貴族街の広場にいた。
今までこの場所に立つ機会はそう多くはなかった。妹のことを思い出すのが苦しくて、視界に入れたくなかったということもある。
七年前、ここで絶望を知った。あれからずっと心は死んだまま、動くことはない。
「生きてるんだか死んでるんだかわからない、か。……確かにな」
セナに言われたことが頭から離れてくれない。
今を生きろと言われて、それがギンの弟子から言われたから響いたのか、多くの逆境を乗り越えてきた少年に言われたからなのかは、自分でもわからない。
とにかく、もう妹の死に囚われるのはやめようと思った。
……だが。帝国軍がもう憎くはないのか。そう問われたら、否と答えることはできない。何も思わずになどいられるはずもない。
だから毎晩、城に戻るこの足が鈍る。
レジスタンスの残党はあらかた片付いたのに、なんでもない顔してクリンたちのもとへ戻れるほど、割り切れてはいない。
今夜もここで、妹のことを偲ぶつもりだった。
「ジャックさん」
「……」
不意に呼ばれたクリンの声に、ハッと振り返る。十ほど歩を進めた先に、クリンとミランシャ皇女が立っている。足音は聞こえなかった。マリアが連れてきたのだろうか。
こんな真夜中だというのに、二人がここに来た原因は……間違いなく自分だろう。
ミランシャ皇女とこうして向き合うのは、彼女がシアの人質になった日以来だった。
片方だけ切り落とされた髪の毛が冷たい風に晒されて、痛々しく見える。