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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第三十八話 そして夜明けは迎える
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父と娘



 目を覚ましたミサキの視界に最初に入ってきたのは、暗闇に浮かぶ大きな人影だった。



「……っ」



 喉から悲鳴が出そうになって、だが口内が乾き切っていたせいでそれは音にはならなかった。

 すぐに手を握る温かい感触に気がついて、ミサキは冷静さを取り戻した。この硬さと力強さを、ミサキは知っている。クリンじゃない、これは。



「……お」



 おとうさま、とうっかり呼んでしまいそうになって、慌てて口を閉ざす。

 答えはなく、その影にも動きはない。


 ようやく慣れた目で、周囲を見渡す。自分の寝室だ。深夜だろうか、ずいぶんと真っ暗で、静かだ。クリンやマリアがここにいないのは、皇帝に気を遣ったからだろうか。

 あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。セナは無事だったはずだが、記憶がおぼろげだ。それからクリンは……。



「あの男は、成し遂げたぞ」

「……」



 まるでこちらの疑問に答えるようにして降ってきた皇帝の言葉を、返事も忘れて脳内で噛み砕く。

 成し遂げた……解散させた? 本当に?

 にわかには信じられなく、安堵は遅れてやってきた。だが、疑うまでもない、クリンならきっと成功するだろうと自分が一番信じていたではないか。


 ああ、でも、よかった。彼に会いたい。



「クリンさんは……」



 ちゃんと声に出そうと思ったら、思いのほか喉が痛む。彼は今、どこに? 声にならなかったその質問に、皇帝から返された声は固かった。



「おまえの容態が安定するまでは面会謝絶だ」

「……」



 抗議の意味を込めて、ミサキは手を放そうとした。したのに、大きな手は自分のそれを掴んで放してはくれなかった。

 この人は、いい歳した娘の手を握るなんて恥ずかしくはないのだろうか。おおよそ普段の男らしくない行動である。

 しかし抗う力もなければ逃げ場もなく、ミサキは大人しくその手の温かさを受け止めるしかなかった。


 そこからは会話もなく、淡々と時間が過ぎていく。

 体調はあまり良くない。顔を動かすだけで脳が揺れるみたいにグラグラする。胃が空っぽのはずなのに少し吐き気もするから不思議だ。

 ああ、喉が渇いた。そばに水差しがあるのに、父は飲ませてはくれないようだ。なんとも気の利かない男である。


 ぼんやりと思い出されるのは、幼い頃の記憶。

 そういえば、小さい頃はしょっちゅう熱を出しては、皇宮医や侍従の世話になった。こうして父が忙しい合間を縫って様子を見にきてくれた時は嬉しくて心強くて、「パパ」「行っちゃヤダ」と……。

 完全なる黒歴史である。



「パパ……」

「…………」



 間違えた。恥ずかしさを逃すために「あー」とか「うー」とか適当な声を出そうと思ったのに、出てきたその言葉に再び羞恥がやってくる。



「……あぁ……」

「ふっ」



 あまりにも恥ずかしくて嘆きにも似た声を漏らしたら、盛大な笑い声が降ってきた。人の失態を笑うなんて、これでも人の親だろうか。

 本当は寝返りでも打って背を向けてやりたいと思うのに、体は言うことを聞いてくれず、けっきょくのところ睨みあげることしかできず。


 しばらく笑っていた父は、握っている手をそのままにもう片方の手をこちらに伸ばした。顔を背けることもできたのに、そうしなかったのはなぜだろうか。おでこより少し上に着地した手は、ずっしりと重たかった。

 前後に撫でられるその手の心地よさに、目がとろんとなる。


 だが眠ってしまうのは、なんだか……。



「なぜ……あそこに居たのですか」



 何か話題を、と思って投げかけた質問の内容は、地下水路での出来事。

 もちろん、あの道をセナが通ることなど皇帝は把握済みだろうし、単なる偶然なんかじゃないことはわかっている。自分はそこまで鈍感ではない。

 だからこそ、この男の口から言わせてみたいのだ。



「……」

「……」

「遅かったからだ」

「遅かった? なにがですか?」

「……」



 はあ、と少し忌々しそうなため息を吐かれてしまった。



「アリシャに似て生意気に育ったようだ」

「……」



 アリアルーシャ。三歳の時に死別したミサキの母だ。記憶はないが、聡明で慈愛に満ちた人だと皆が教えてくれた。



「それは……褒め言葉ですね」

「ワガママで出しゃばりで可愛げがなかった」

「……」

「俺の言うことなど十分の一も聞きやしない。無茶ばかりをして、何にでも首を突っ込んで、すべてのことに責任を背負おうとする。何度引っ込んでろと言い合いになったか知れん」

「……」

「お前を産んで少しは大人しくなるかと思いきや病気であっさり死におって。死に間際ですら俺に『娘のことを守れ』と、『幸せにしないと呪い殺す』とまで言ってのけた女だ」



 初めて語られる話だが、散々な言いようである。だが、不思議とその言葉に嫌悪感は抱かなかった。



「あげく産まれた娘は病弱で何度も床に伏せおる。毒は食らうわ、賊に襲われるわ行方不明になるわ、俺は何度呪い殺されれば許されるんだ」

「……。だから」



 だから迎えに来てくれたんですか?

 なんて、イエスかノーかで答えられるような質問にしてしまうのはもったいなくて、ミサキは続きを飲み込む。



「おまえを迎えに行った。これでいいか」

「…………」



 ミサキはきゅっと目を瞑った。この胸にあふれる高揚感が顔にまで出てしまいそうだったから。



「呪い殺されなくて……安心しましたか?」

「まだだ。お前は今まで危険な状態だった。すぐそこでアリシャが鎌を持って睨みつけているぞ」

「……ふっ。見えてらっしゃるんですか?」

「ほう、見えないのか? 今、鎌を右手に持ち替えたところだ」

「ふふ……お母さまは、なんて?」

「いい加減寝ろ、と」

「はい。それから?」

「幸せに、と」

「…………」



 つん、と。鼻の奥が痛くなって、閉じた瞼が熱くなる。

 今、ようやくわかった。この不器用な父の愛が。まったくもって言葉は足りないし独善的であるが……この人にもちゃんと……愛する心があったのだ。



「パパ」

「……」

「お母さまに伝えてくださいね。ミランシャは幸せだと。そしてこれからも、幸せを探して生き続けると」

「……伝えよう」



 そこからの会話はなく、与えられる手のひらの温かさに心を委ね、深い眠りに落ちていく。

 それはミサキにとって久しぶりに訪れた穏やかな夜だった。






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