計画と妨害
「あー、汚ねー!」
やがてむくりと体を起こしたセナは血の海から這い上がり、滴る血を散らすようにふるふると首を振った。
「……全快したというのか」
「あれ、おっさん? おっさんが助けてくれたのか?」
呆気に取られている者などお構いなしに、セナは状況を把握するため周囲をキョロキョロしている。そして足元でこと切れている男たちを見て、「げっ」と声をもらした。
「おっさんがやったのか!? 武力行為禁止っつったじゃんか!」
「それを課したのはそなたたちにだけだ」
「ずっりぃ……」
と不満をこぼして、セナはふとあることに気がつく。背中の痛みがない。それにこの大量に流れ出た血液と、あの時の死の気配は……。
「俺、またくたばりそこねたのか……」
確認のためにミサキと目を合わせれば、涙でぐしゃぐしゃの顔に安堵と悲しみを織り交ぜたような表情。
やはりあの力が蘇ったのだと知って、生き残った喜びよりも落胆を抱く。
自然に目を伏せたら、足元に鍵が転がってきた。
皇帝は何を言うでもなく、ミサキを抱えたまま水路の奥へ進んでいく。セナは素直に鍵を拾い、格子を開いた。
「そうだおっさん、作戦はうまくいったのか?」
「当然だ」
「そうか。クリンの悪知恵もなかなかのもんだろ?」
「……ふ」
皇帝は笑った。後ろを歩いていたセナには、その顔までは見えなかったが。
「そなたらが来てから、たしかに退屈はしなくなった」
皇帝の言葉に嘘はない。
生まれた時から皇帝の椅子が約束されていた自分に頭を下げる者はいても、こんな不敬な態度を取る者などいなかった。あのレインですら、自分には敬語を使っていたというのに。ましてや雪合戦など……。
「だが忘れるな。レジスタンスを一掃できなければ停戦交渉はない」
「はん。クリンなら絶対やってのけるよ」
少しも疑うことのないセナの言葉に、皇帝からの返事はなかった。
「ランジェストン殿にご報告があります!」
地下室に入ってきた帝国軍の伝令係の姿に、シアはほくそ笑む。
──今ごろ貴族街は大パニックだろう。残りの仲間たちが指示通り動いているはずだから。
目の前の勝利を確信しつつ、さあこの少年はどんな驚き方をしてくれるだろうかと、伝令係の言葉を待つ。
「19:52、作戦成功。奴らの包囲に成功しました!」
「!?」
その報告にシアは目を丸くし、なぜかクリンまでもが「嘘でしょ」ともらしていた。
「あんな簡単な手にひっかかる……? うまくいきすぎて逆に怖いんですが」
「また、ミランシャ皇女殿下と弟君も無事に帰還を果たしたとのことです。報告は以上であります!」
「ありがとうございます」
クリンは心の中でホッと胸を撫で下ろした。セナとミサキが無事に帰れたことが何よりだ。
伝令係はアパルの下がれという指示に従い、部屋をあとにした。
「シアさん、聞きたいことがありそうですね」
「作戦成功ってどういうこと」
「では順を追って説明しましょうか。その前に、どうぞ、おかけください。床は冷えるでしょう?」
いまだ床に座りこんだままのシアに着席を促す。だが「けっこうよ」と突っぱねられてしまった。
「シアさんは、集合場所に来る前にメンバーを分散させましたよね。まず倉庫に、あなたを含め三分の一。あなたたちは僕らの注意を引く囮であり時間稼ぎだった」
「……」
「そして貴族街に三分の一。彼らは屋敷やお店、広場など至るところに火炎瓶を放り投げる役目があった。冬は空気が乾燥するから、よく燃える……と、あなたは説明していましたね」
「ちょっと、なんでそんなこと知って……」
と、問い詰めようとしたところで、シアはふとある予想が浮かんだ。クリンはかまわず説明を続ける。
「しかしシアさんたちの狙いはみみっちい放火なんかじゃありません。実はそれすらも囮であり、本命は皇城。ボヤ騒ぎの混乱に乗じて残りの三分の一が皇城に忍び込み、特攻覚悟で皇帝の首を狙うつもりだったのでしょう」
「……あのクソお姫様ね。聖女の加護って、盗み聞きまでできちゃうんだ」
「皇女殿下を人質にしなければあなたたちの作戦はうまくいったのに。間抜けすぎて目も当てられませんね」
表情こそ変えなかったが、シアの目に宿る余裕は少しずつ失われてきているようだ。
「仲間を何人殺したの」
「無傷ですよ全員」
「冗談でしょ。どうやって捕まえたってのよ」
正確には皇帝が殺した三名がいるが、クリンの計画には含まれておらず、皇帝自身が例外だと認めている。そしてそのことを現在クリンは知る由もない。
「簡単な話ですよ。彼らはあなたの作戦を遂行しなかった。それだけです」
「……そんなバカな」
「彼らは計画の中止を知った直後に、武器も持たずある場所へ集いました。武器を持たず集まるところってどこだと思います? 大浴場ですよ。彼らはとある指示に従って単純にお風呂に入りに行ったんです」
「……影のメッセージを使ったのね」
「ご名答」
シアが皇帝暗殺の計画を用意したのは、ミランシャ皇女を人質にしてすぐのことだ。計画の指示書をとある場所に隠し、あの影のメッセージを使って指示書の在処を示す。
ミサキを通して情報が筒抜けだとは、夢にも思わなかっただろう。
クリンはあえて指示書を回収しなかった。怪しまれないよう、順当に計画を進めてもらったほうがいいと判断したのだ。
そしてギリギリのタイミングを見極めて、あのメッセージで計画の中止を知らせる。そこにもうひとつの指示書を用意して。
それが侯爵が運営する大浴場への招待券である。指示書には日頃の労をねぎらい、指定した日時のみ特別貸切とする旨を記載した。
大浴場は貴族街にしかなく、平民は利用することができないそうだ。皆、滅多にない贅沢のチャンスに、つい気が緩んだのだろう。武器の持ち込みができないという注意書きにも「そういうものか」と思ってしまうほどに。
「心配なのは、こちらが用意したメッセージにあなたたちが気づいてしまうことでした。バレた時のことを考えて一応対策も用意しておいたのですが、あなたたちはずーっと、ミランシャ皇女にご執心でしたね。おかげでこちらの心配は杞憂に終わりました」
「……そんな、うまくいくはずが」
「ないと思ってましたよ、僕だって。シアさん、まさか僕みたいな子どもに出し抜かれるだなんて思ってなかったんでしょう。侮ってくれてありがとうございます」
シアがギリッと奥歯を噛んだのを、クリンは見逃さなかった。ようやく彼女の心を動かすことに成功したようだ。
「シアさんは先程『時間稼ぎをしようと思っていた』とおっしゃっていましたが、おあいにくでしたね。時間稼ぎをしていたのは僕のほうなんですよ」
そう言って、クリンは先ほど読み上げていた資料をシアに開いて見せた。ページはどれも真っ白だった。
「お仲間の皆さん、今頃ポッカポカに温まってますよ。外への出口が封鎖されているとも知らずにね」
「……ふん。それでも、さすがに全員じゃないはずよ」
「残りの者たちはジャックさんが誘き出してくれる手筈になっているので、よければ報告を待ちますか?」
「……」
「それに、計画が台無しになった時点で、こちらの勝ちでは? 皇城は厳重に警戒していますし、貴族街の見張りも強化してます。あなたたちの作戦は失敗したんです。というわけで、シアさん。そろそろ観念しませんか」
リーダーが捕まり、大半が包囲されている状態の今、組織の存続は難しい。
まさに聖女の予言どおりに事が運んだというわけだ。
「仲間をどうするつもり?」
「それは、リーダーであるあなたしだいでは?」
「脅そうっての?」
「あなたたちのやり方にのっとったまでですが。まさか専売特許だと思ってはいませんよね。言ったでしょう、あなたたちの誠意を受け取りましたって」
クリンは淡々とそう返した。