セナ、三度目の
ガチャリと鍵が外れる感覚を手に感じ、鉄格子を開ける。
しかしこのわずかな足止めの時間が命取りだった。ミサキを抱え上げていざ進もうとした、その瞬間──背中に激痛が走る。
「……うっ」
傷口に燃え上がるような熱を感じ、背中を刺されたのだと自覚する。足音が近づいてきた。
「くっそ!」
セナはほとんど無意識で、ミサキを格子の向こう側へ放り投げた。受け身の取れなかったミサキは床に放り出され、さすがに痛みで目を覚ましたようだ。
即座に格子のドアを閉め、鍵を差す。この距離ならばミサキのところまでナイフを投げることは難しいだろう。
「この……!」
「──っ!」
すぐ背後に男の声がして、再度、背中に衝撃を受ける。
「……あ……っ」
腹部にまで到達した激痛とともに今までにない感覚を知って、セナは鍵を持つ手をそのままに、視線を下げる。
背中から刺されたショートソードが腹部を貫通し、剣先から赤黒い液体が流れ落ちているのが見えた。
「セナさ……っ」
ミサキの声なき悲鳴は聞こえなかった。
引き抜かれた剣の摩擦とともに、体内の血液が口内まで逆流してきた。
「ぐっ……ふ……」
それでも、セナの意識はいまだ右手にある。感覚の弱くなった指先でなんとか施錠をし、その場凌ぎとはいえミサキの安全を確保する。
「このやろう、鍵を……!」
「鍵をよこせ!」
「……っ」
ガシャン!
後頭部を掴まれ格子に叩きつけられる。拘束されそうになったところで、セナはわざと鍵を落とした。男たちが反応するよりも先にありったけの力を振り絞って鍵を蹴り飛ばす。鍵は格子の下をくぐって、横たわるミサキの頬に当たった。
「このっ……!」
揺らしても叩いても、鉄でできた格子はびくともしないようだ。
「貴様ぁーっ!」
「……っ」
腹いせ紛れに、一人の男に背中を斬りつけられる。斬られたという感覚は確かにあるはずなのに、不思議と痛みと呼べるものではなかった。
「ミ……サキ……。なんとか……起きて……」
逃げ切ってくれ。そこまで言葉にして、セナは膝をつく。びしゃりという冷たい音がした。いつのまに出来上がっていたのか、自身の血の海に崩れ落ちたようだ。
せっかくクリンが分けてくれた血液なのに、全部流れ出てしまうなんてあんまりだ。
ぼんやりした意識の中で、輸血を始めた頃にコリンナに聞いたことを思い出した。
『なあ、これって毎日クリンの血をもらってたら、クリンと血が繋がったりすんの?』
『ないわよ。遺伝情報を保持しているのは赤血球を作り出す骨髄だから。輸血提供者の赤血球に含まれる遺伝情報を保持できるのは、せいぜい120日でしょうね。骨髄を移植できれば話は別だけど』
『ふうん』
じゃあ120日間は俺、ランジェストン家の血を共有できるんだ。そう思うと、少しだけ輸血が楽しみだった。もう少しだけランジェストン家との繋がりを保っていたかったが……どうやら叶いそうもない。
──それよりも、あいつ、一人で巡礼大丈夫かな……。ジャックに任せるのは癪だなぁ……。
死の淵に立たされて、思いつくのはやはり赤髪の聖女のこと。できればあの約束を果たしたかった。
ぼやけた視界に、ミサキの頬に流れる一雫の涙が見える。それが鍵まで伝わってきらりと光った時、セナは瞼の重みに従って視界をシャットアウトした。
バンッ!
不意に銃声が響き渡る。直後、セナの背後にいた男が硬直し、地面へと崩れ落ちた。
至近距離で響いた銃声のせいで耳が痛む。起きることのできない体で、ミサキはなんとか首だけを動かして音の主をとらえた。
「……おと……」
バン! バン!
続いて放たれた二発の銃声が、乾いた水路に反響する。それは見事に男たちの額を撃ち抜き、男たちは短い悲鳴をあげながら絶命した。
「おとう……さま……」
なんとか絞り出した声で、ミサキは音の主を見上げる。まさか……いや、きっとこれは幻だ。だって国の元首であるこの男が、──父が、一人でこんなところに居るはずがない。
その幻は拳銃をおさめると、信じられないことに地面へ膝をついて、こちらの体を抱き起こした。じっと向けられている観察眼の中に確かな心配を感じ取る。
いまだ、体に力は入らない。だが、今はこの奇跡みたいな幻にすがりつくしかない。
「おとう……さま。セナさんが……。お願いします、お医者様を呼んでください……」
ミサキは重たい腕をなんとか動かして、格子の鍵を持ち上げた。
しかし皇帝はそれを受け取ることはなく、両腕にミサキを抱き上げると、格子に背を向けた。
「無理だ、どうせ助からん」
「……っ」
なんの温度もないその言葉に、ミサキはくらりと目眩を覚える。
「や……」
「暴れるな」
「やぁ……っ!」
ミサキが父の腕から逃れようとした、その瞬間──。
地下水路を眩い光が包んだ。閉じた瞼より奥、脳にまで届きそうなほど強い光だ。
「……っ」
視界を奪われて、皇帝は危機を感じながらも立ち尽くすしかない。
しかし、ミサキは違った。この光には見覚えがある。痛々しくも神々しい、何物も寄せ付けない雷のようなこの光は……。
「リヴァリエ様……」
「なんだと……?」
娘の口から出てきた妹の名前に、皇帝はいち早く反応し、発光源をたどる。妹の姿はなく、そこにあるのはレインの息子の死体だけ。しかし異常なことに、彼を中心に真っ白い光が炎のように蠢いているではないか。まるで我が子を守るように包む、この光の正体は。
「聖女の光か……」
皇帝は唸る。
帝国の歴史を学ぶと同時に植え付けられた聖女への嫌悪感。大昔に土地を侵略してきたずうずうしい奴ら。その上、奴らは愛する妹をこの手から奪っていった。皇室があれだけ必死に隠していたのに、リヴァリエが聖女であることをどこで聞きつけたのか。
嫌悪感は憎悪へと変わり、開戦の火蓋を切り落としたのは早かった。
しかし妹もまたそんな憎き聖女の一員なのだから、なんとも皮肉なものだ。そして彼女は今まさにその力で、愛する男の子どもを守ろうとしているようだった。
やがて光は鎮まり始め、体を包んでいた炎はセナの中へ帰っていった。




