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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第三十六話 レジスタンス
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隠れ家


 時は少し前に遡る。


 シアの住んでいる場所は、家と呼べるようなものではなかった。平民街と貧民街の境目にある路地の、廃材で組み立てただけのバラック小屋。雨風をしのぐためだけにあるようなその場所は、この寒い北国では命取りになるのではないだろうか。寒さもだが、本格的な冬がきたら雪の重みに耐えられるとは思えない。



「平民街にある唯一のスラム街だけどね、これでも貧民街よりはマシなのよ。お姫様には違いなんかわからないでしょうけどね」

「……」



 連なった家屋の一室、その扉を開けたシアに、中へと促される。鍵は最初から取り付けていないらしい。ミサキは言われるがまま足を踏み入れた。

 中は並べた木箱の上にクッションを敷いただけの簡易ベッドがひとつ、その他の家具は見当たらない。キッチンもバスルームもないようだ。



「逃げようったって無駄だからね。ここらへんは私の息がかかってるし、こんな辺境な場所に兵士は近づかないから助けを呼んでも誰も来ない。約束の日までここで大人しくしていなさい」

「逃げたりなんかしません」

「あっそ」



 シアが「座りなよ」と着席を命じたので、ミサキは大人しくベッドへと腰掛ける。他に座るところがないから選んだのだが、シアの癇に障ったようだ。



「あんたは床」

「……」



 部屋のど真ん中を指されて、何もない空間に膝をつける。床と言っても、木材を並べただけの粗野な床板に、絨毯はない。腰をおろせば床は固く、ひんやりと冷たかった。

 シアはまるで部屋の主を主張するようにベッドに腰をおろした。



「綺麗だね、お姫様」

「……」

「汚れを知らない綺麗な目。さぞ幸せに過ごしてきたんでしょうね」



 ミサキは無言で見つめ返した。この人がどんな苦労をしてきたのか知らないが、この人の不幸はこの人のものだし、自分の苦しみは自分のもの。天秤にかけるようなものではない。

 だが、自分には皇女として生まれた責任がある。彼女の不満を受け止めるのも尊き者の義務だ。



「あんたが十歳くらいの時、貴族街の広場で見たよ。何十個も並べられた聖女の首を見て、平然としてたよね。こんな虫も殺せないような優しそうな顔して、よくやるよ」

「……」

「知ってる? そこにジャックの妹の首も並んだんだよ。あの時のジャック、見てられなかったなぁ。触れるものすべてを壊してしまいそうな錯乱っぷりだった。それなのに今は仲良しこよしやってるんでしょ。妹さんも浮かばれないよね、薄情な兄貴をもって」



 返事こそしなかったが、眉をひそめてその言葉を受け流す。ジャックの苦しみもまた、彼だけのものだ。それを理解しようだなんておこがましい話だが、少なくとも彼が簡単な感情で痛みを消化させたわけじゃないことは、よくわかっている。



「みんな、そう。あれだけ痛い思いをさせられたのに、時が経つにつれて痛みを忘れていくの。新しい幸せを見つけようとする。組織に残ったのは痛みを忘れない強い意志を持った者だけ。だって、いくら過去を捨てたって不幸の元を正さないと意味ないでしょう」

「……」

「で、あんたたち皇家はその不幸の元凶ってわけ。だからしっかり反省してもらおうと思ってここに呼んだの」



 すくっと立ち上がったシアの動きにつられて、ミサキは身構える。だがシアは何をするでもなく、「歓迎会をしようね」と言い残して家を出ていった。

 誰もいなくなった室内で、ミサキはすぐにペンダントに語りかけた。少しでも情報を伝えるためだ。



「マリア、聞こえる? 私は平民街の端にあるシアさんの家に連れてこられたわ。今のところ何もされてない、無事よ。約束の日までここで過ごすみたい。でも、周りはシアさんの仲間に囲まれてるから脱出は不可能だと思う。私は大丈夫だから、心配……」



 心配しないで、という最後の言葉を打ち消したのは、シアが戻ってきたからだ。しかし、入室してきたのはシア一人ではなかった。

 ぞろぞろと続いて入ってきたのは二十代から四十代くらいの男性が五名。みな強面に筋肉質な体格で、屈強そうなイメージを抱かせる。男たちの表情に嫌な含みは感じられなかったが、ひやりとしたものがミサキの背筋を襲った。



「おい、誰だよこれ」



 男たちは理由もなく呼び出されたのか、怪訝そうな表情でシアに説明を求めている。 



「聞いて驚け。我らが帝国の姫君、ミランシャ皇女様よ。みんな、歓迎(・・)してやってね」



 次の瞬間、男たちの目の色が変わった。平民の服、片方だけ切られた三つ編み、みすぼらしく見えるはずの格好でも、息を飲むほど美しく、凛とした佇まい。シアの言葉を疑う余地はない。



「どうしたんだよ、こいつ」

「飛んで火に入るなんとやらってね。私たちのことを嗅ぎ回っていたから、捕まえてやったの。二日後の集まりに王子様が助けに来るから、それまでの人質」

「まじかよ」



 男たちの無遠慮な視線を受けながら、ミサキは彼らがレジスタンスの一味だということを理解した。

 一方の男たちはいまだに理解が追いついていないようだ。シグルス隊から皇女が生きていたことは聞いていたが、まさか捕らえられる日が来るとは誰が予想できただろうか。



「帝国の奴等、ついに俺たちを潰すつもりなんじゃないのか」

「迎え撃つ準備はできてんのか、サイアス」



 シアは「情けないこと言わないでよ」と一蹴する。



「やれるものならやってみればいいわ。こっちは失うものなんか何もないんだから無敵でしょ。今更びびってんじゃないわよ」

「そりゃ、まあ、そうだがよ」



 これがシアの常套句だった。

 暴論とも言えるこの言葉が彼らの胸に届くのは、シアの言うようにここにいる誰もが帝国によって故郷を奪われ、すでに失うものがないからだ。

 彼らが盲信的に夢見ることはただ一つ。強大な軍事国家の転覆である。



「で? サイアス。このお姫様をどう利用しようってんだ」

「ふふ。ねえ、あんたの好きにしていいよ」



 シアの発言に、男は面食らい、ミサキはびくりと体を震わせる。



「あんたの死んだ妹、故郷を攻め込まれたときに帝国軍にひどい目に遭ったんでしょう。仕返ししてやんなよ」

「……」



 男はミサキへ近づくと、右手を伸ばした。その瞬間、バチンと音がして、光の膜が男の手を弾いた。



「うわっ、なんだこいつ」

「あははは! ね、おもしろいでしょこの子。聖女の加護がついてるんだって」

「サイアス、てめえ知ってたな」

「あはは、悪かったって」



 男たちは呆気に取られ、シアだけがケラケラと腹を抱えて笑っている。



「笑い事じゃねえよ。これじゃ人質にならねえじゃねーか」

「ふん、誰だって空腹には勝てないでしょ。それにこの加護がどこまで有能なのか試したわけじゃないもの。いろいろ実験してみたいんだぁ。手伝って」



 男たちはやれやれと苦笑する。この男たちもシア同様、与えられた傷を癒すことができなかった者たちだ。敵を前にして慈悲をかけられるほどの健全な心はとうに捨て去ってしまった。


「熱湯でもかけてみるか?」「それより火炙りは?」「水責めも興味深いな」──口々に発せられる実験計画に、ミサキの表情は凍りついていく。それを目に収めて、シアは満足げに笑った。



「ね、わかったでしょお姫様。痛めつける方法は何も物理だけじゃない。これからあなたはこの男たちのオモチャになって、さまざまな恐怖を味わうのよ。聖女の加護は心まで守ってくれるかしらね?」


 




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