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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第三十六話 レジスタンス
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窮地


 カチャリ。金属の冷たい音が静かな部屋に響いた。

 皇帝の執務室にいるのは部屋の主と、アパルを含む護衛が二名、侍従が一名、そしてクリン。あの侯爵はいないようだ。

 部屋の空気はまるで氷点下のように冷え切って、息をするたびに刺されたような痛みを伴う。


 街での報告を済ませて早5分。誰の口からも言葉が紡がれることがなかったのは、そこに呼吸すら許されないような重圧を感じているからだ。

 皇帝の執務机の上には、束ねられた金の髪が一房。


 しばらくその髪に視線を伏せていた皇帝は、長い沈黙の後でようやく動きを見せた。そして拳銃を取り出すと、撃鉄を起こし、クリンへ向けた。冒頭の音の正体である。


 何度経験しても銃を向けられることに慣れるわけもなく、心臓はどくどくとざわめく。助けてくれる仲間も今はいない。



「アパル」

「は」

「レインの息子を連れて来い。代わりにそいつの頭を撃ち抜いてやろう」

「! 待って……待ってください! 彼女は必ず僕が救い出します。僕の命に替えても、必ずです。そのあと僕のことを好きなように処分してくださってかまいません!」

「アパル、連れて来いと言っている」

「……御意に」

「アパルさんっ!!」



 クリンは恥も外聞もかなぐり捨ててアパルにしがみついた。

 しかしアパルは「すまんな」と、あっさりクリンを突き放した。彼にとっては主人の命令が絶対なのである。



「皇帝陛下! ミサキは……いえ、ミランシャ皇女はそんなこと絶対望みません! 帰ってきた時に彼女がどれほど悲しむか……!」

「見苦しい」



 皇帝の声と同時に銃声が鳴り響く。音に驚いて体が硬直したが、痛みはやってこなかった。

 天井へと向けられていた銃口から、細くて白い煙が立ち上っている。



「皇女を言い訳に利用するな」

「……申し訳ありません。でも……っ、これは僕の失態です。僕が償います。どうか……チャンスをください!」



 と、そこへドアのノックが来訪者を告げる。侍従が取り継ぎ、皇帝の許可を得て入室してきたのは、チェルシア皇女だった。



「謁見の許可をいただき感謝します、皇帝陛下」



 うやうやしく頭を下げたチェルシア皇女は平民の服ではなくドレス姿だった。控えにいるのは男性騎士が一名。フィナはいないようだ。

 チェルシア皇女から確かに視線を感じたのに、クリンは目を合わせることを拒んでしまった。



「用件は」

「はい。クリン様のお部屋を訪ねましたところ、陛下の執務室にいらっしゃるとお聞きしましたので、お伺いいたしました。ミランシャお姉さまのことも、セナ様から聞き及んでおります」

「お前には関係ないことだ。下がっていろ」

「……やはりクリン様は、わたくしのことを報告なさらなかったのですね。陛下、お姉さまが捕らえられたのはわたくしのせいなのです。わたくしがあの危険な路地にお二人を誘い込んだのですわ」



 クリンはここでようやくチェルシア皇女を見た。皇女は皇帝へ向けていた視線をわずかに下げて机の上で止めた。姉の毛髪を見て、幼い少女がどう感じているのかはその表情からはわからない。



「わたくし、お姉さまが邪魔でしたの。陛下からの愛情を一身に受けられている方ですもの、小さなヤキモチだったんです。だから、あやしい男たちがあとをつけていることに気がついた時、困らせてやるつもりであの路地へ誘い込んだのです。でも途中で怖くなってしまって……お二人を置いて逃げてしまいました。クリン様、申し訳ありません」



 チェルシア皇女は今度はクリンに向かって頭を下げた。だがクリンは返事をすることができなかった。

 彼女が責任を肩代わりしてくれているのはわかっている。今の言葉もすべてが真実ではないだろう。そして自分を置いて逃げたことも、最初にクリンが提案したとおりになったのだから恨み節をぶつける筋合いはない。


 だが、どうしても彼女の謝罪を受け入れることができないのは、「お姉さまが脅威だ」という彼女の言葉が、記憶に刻まれているからだ。

 皇女の心情はどうあれ、脅威である姉は排除された。あなたの目論見は成功したのではないか。そんな皮肉が口から出てしまいそうだ。



「皇女が簡単に頭を下げるものではない」



 だんまりを続けるクリンの代わりに、皇帝が口を開いた。



「おまえが日常的に城を抜け出しているのは知っている。その件については日を改めて話を聞こう」

「はい」

「さて。この者への処遇だが、お前の顔を立てて今回は見逃せばいいのか」

「そのようにお願いしたく、参りました。そしてどうかわたくしにも汚名返上の機会をお与えくださいませんか」

「この者に協力したいと」

「はい」



 皇帝は拳銃を戻し、目線をクリンへと移した。



「双方の処分は保留とする。クリン・ランジェストン。勝算はあるのか」

「! はい。いくつか作戦は考えています。調整後、あらためて陛下にご相談したいと思います」



 なんとか首の皮一枚つながったことに心底ホッとして、クリンは強く頷いてみせる。



「肝に銘じておけ。失敗すれば教国との停戦が白紙に戻るだけでは済まさんぞ。貴様の首だけでは生ぬるい、貴様の家族、貴様の故郷もこの世から消えてなくなると思え」

「……はい」

「では戻れ。第四皇女、この者への協力を許可する」

「! ありがとうございます、皇帝陛下」



 チェルシア皇女がパッと顔を輝かせていたが、クリンはやはりその顔を直視することができなかった。






 クリンが無事に戻ってきたのを見て、仲間たちはホッと安堵した様子だった。そして背後にいる小さな皇女に気づき、協力者であると告げれば、誰からの反対意見も出なかった。

 客室に戻るまでクリンと皇女は一言も発しなかったし、今二人を取り巻く微妙な空気には、みなも気づいているはずだ。だが、今の目的はひとつ。レジスタンス問題を解決することである。



「クリン。今しがた、資料をまとめたところだ。役に立つかはわからんが」

「ありがとうございます」



 クリンが皇帝の執務室へ訪れていた間に、ジャックは持ち得る情報をまとめて記述してくれていたようだ。

 皇城に戻ってから、クリンとジャックは多くを語り合いはしなかった。だが、ジャックの表情からすべてが伝わってきた。言葉での確認など、むしろ野暮と言えるだろう。


 さて。皇室の情報、下町での情報、そして、元組員からの情報。すべてがここに出揃ったわけである。



「クリン、ミサキはシアさんの家にいるみたいだよ。約束の場所へはギリギリまで行かないみたい」

「え? マリア、なんでそんなことわかるんだ?」

「司教さんの地図を真似して、ペンダントに盗聴機能をつけてみました」

「あいかわらずのラーニング能力だね」



 驚いた。マリアは常にミサキとシアの会話を傍受しているようだ。ミサキもそれを把握しており、シアに気づかれないよう情報を落としてくれているらしい。


 しかし彼女が集合場所にいないということは、事前に救い出すことは不可能に近いだろう。だが、無事であることがこうしてわかるだけでもまだマシだ。

 約束の期日は二日後の夜。時間はまったくもって足りない。



「当日の動きと、それから交渉の材料。順を追って作戦を練ろう」



 テーブルの上に資料を並べながら、クリンは思う。いつもこんな時には、彼女が隣にいてくれた。彼女の知性が、大胆な思考が、どれほど心強かったか……失ってから気づく。そして今、その隣にあえて誰も腰をおろさないでいてくれる仲間の優しさが、痛かった。



「クリン。先にひとつ……いいだろうか」

「はい」



 本格的な作戦会議に入る前に、ジャックから声が上がった。


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