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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第三十五話 用意された難題
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目の前に置かれた、それは


 ミサキと二人、侍従に案内されて入った二度目の執務室は、相変わらず厳格な雰囲気が漂っていた。こちらの入室には気づいているはずだが皇帝は視線を投げかけるでもなく、重厚そうな黒いデスクの前に腰掛け、書類にペンを走らせている。


 待つこと三分。

 彼は重い腰を上げて椅子から立ち上がると、一言も発することなく歩を進めた。彼が向かったのは入り口とは違うドアだった。続き部屋だろうか。ドアノブに手をかけ、こちらに視線を投げるなり顎で指示を下してきた。中へ続け、と。

 クリンとミサキは素直に応じ、彼の後に続いた。

 そこは下り階段だった。


「おまえたちはここで待て」とアパルや侍従に待機命令を下し、皇帝は一人、階段を下りていく。階段は薄暗く、左右の壁にかけられた燭台の灯りでは少々心許ない。少し距離を取って二階ぶんまで下ったところで、ドアを見つける。皇帝は(ふところ)から鍵を取り出し、慣れた手付きでドアを開けた。


 執務室よりも小さな室内には、天井まである本棚が壁一面を覆っており、クリンは静かに息を飲む。ここにおさめられた資料が国の重要機密であるということは、言葉なくとも伝わってきた。注意深そうに周囲を確認するミサキの様子からするに、彼女もここを訪れたのは初めてのようだ。



「座れ」



 室内の中央にポツンと置かれた正方形のテーブルに、向かい合う椅子が二つ。クリンは皇帝の声に従って椅子を引き、ミサキに着席をうながした。遠慮がちに腰掛けたミサキを見納め、皇帝は目で訴える。おまえも座れ、と。

 国のトップを立たせて何者でもない自分が座るなんて、そんな恐ろしいことできるわけない。丁重にお断りする自分とそれ以上の問答をするつもりがないのか、皇帝はさして気を悪くするでもなく本棚へ向き合う。

 厚めの黒いファイルを取り出し、目を通せと言わんばかりに机の上に置くと、皇帝は本棚に背中を預けた。無言の催促を受け、クリンとミサキはおそるおそるファイルを開く。



「……!」



 表紙だけですぐにそれが何の情報なのかを悟り、クリンは皇帝を見る。一方のミサキは青白い表情でファイルに視線を落としていた。



「あいつらが欲しいのはコレだろう」

「生物兵器の……設計書」



 すべての元凶である、悪魔のレシピだ。

 二度に渡ってシグルスの民の命を脅かし、レジスタンスの結成動機となった生物兵器。セナの命をも奪おうとした巨大で邪悪な生き物。自分の最愛の人を地獄へ突き落とした、最低最悪の……。

 まさか、その設計書がもうすでに帝国へと渡っていたとは思わなかった。



「シグルスにも同じものがまだ存在しているんですか」

「いや。あちらは今、ふたつの都市の復興に人手が足りない状態だ。よその国に狙われる隙を与える前にこちらの兵力と資金を宛にしたのだろう、引き換えに生物兵器に係るすべての事業をこちらに一任すると決まった。万が一にも兵器の痕跡が向こうに残っていたとなったら、今度こそシグルスに未来はないだろうな」

「……」



 ああ、脅したんだな。瞬時に理解しながら、クリンはなんとなしに独りごちる。



「ニーヴ政権はいよいよ苦境に立たされているでしょうね」

「ジグルスの政権はニーヴ家から別のもとへと渡った」

「えっ」

「ほんの五日前だ」



 皇帝はあらかじめ用意していたのか、別のファイルから一枚の用紙を取り出し、こちらに差し出してきた。

 シグルスの号外ニュースだ。不信任決議によってニーヴ政権は引きずり下ろされ、国家を危ぶませた犯罪者として一家もろとも拘束されたそうだ。

 後釜を任された新政権はニーヴ政権と同じ道を歩まず、他国との調和を重んじながら国の発展を促すことを民へ約束した。シグルスもまた、新たな時代へと突入するのだ。


 ギンさんたち、ついにひっくり返してくれたんだ!

 興奮とも歓喜とも言えない熱い感情が沸き上がって、クリンはそこに立ち尽くしながらもつい拳を強く握りしめる。



「皇帝陛下。ソルダートは……ニーヴ一家はどうなるのですか?」

「ニーヴ家はシグルス国内において裁判にかけられることになった。まあ、奴らの首が繋がれておくことはまずないだろうな」

「そうなんですか?」

「こちらの圧力に抵抗しうる国力は、今のシグルスにあるまい」



 煮え湯を飲まされたニーヴ家を生かしておくことなど帝国は許さないだろう。そして彼らを守ろうとするほどシグルスの新政権はニーヴ家に利用価値を見い出せない。むしろ前政権など目の上のたんこぶだ。消えてくれた方が新政権にとってもやりやすくなる。つまり、ニーヴ家の処刑は双方にとって得しかないのである。結果としてニーヴ家はすべての悪行をその身でもって償うことになるだろう。



「……やっと、か」


 

 ああ早く、ジャックさんに知らせてあげたい。ようやく彼の本懐が叶うのだ。

 クリンは長い息を吐き、ふと、そこでまず一番に案じるべきだった存在に気がつく。

 見下ろせば、ミサキはやはり青白い顔のまま静かにファイルを眺めていた。



「大丈夫?」

「……」



 ミサキはその姿勢のまま、力なく頷く。しかし微笑みまで浮かべる余裕はなかったようだ。

 そっと彼女の背中に手を置けば、小刻みに震える小さな体。

 ソルダートが罰せられたところで、彼女が背負うことになった苦しみは終わるところを知らない。一生、続いていくのだ。

 さらには彼女を苦しめた元凶はここ、彼女の生まれ育ったこの国に存在し続け、肉親である父親が管理することになった。彼の一声で、いつまたあの悪夢が呼び起こされるのかわからないのだ。



「皇帝陛下は……この設計書をいかがなさるおつもりですか」



 もしも、もしも兵器の開発がこの地で再開となってしまったら……?



「……」



 娘へと注がれていた皇帝の目線が、ゆっくりと自分へと移される。その表情には不敬を咎めるような色はおろか、何一つとして感情が表れてはいなかった。



「おまえにやる、と言ったら?」

「……はっ?」

「欲しいか?」



 皇帝は相変わらず本棚に背を預け、腕を組んだまま微動だにしない。ドアはこちら側に近い。つまり、この設計書を持って立ち去っても良いのだとほのめかしている。

 なるほど、自分は試されているようだ。圧倒的な力を手にする機会を前に、平静でいられるかどうか。



「……僕はいりません」

「いいのか? 世界がおまえの物になるやもしれんぞ」

「そんなものに興味はありません」



 なめるなよ。自分が今、欲しているのはレジスタンスの情報だ。すべてを破壊し、うやむやにするような、絶大な力になど目が眩んだりするものか。



「僕がここへ来た理由をお忘れですか? 僕はネオジロンド教国との停戦を呼び掛けるためにここへ参りました。どうか武器を置いてくれと懇願している身です。そしてあなたはそれに応じ、レジスタンスの驚異を取り払ってくれとこちらに依頼(・・)を投げ掛けた。僕は今、その任務を遂行するためだけにこの部屋を訪れたのです。こんなものに用は……」



 用はない、と言いかけて、ハッと口をつぐむ。

 用はないのか? 本当に?

 このファイルを置いて、皇帝はたしかにこう言った。「あいつらが欲しいのは、コレだろう」と。

 冷静になって頭を働かせれば、この設計書こそがレジスタンスの活動動機であると思い直すことができた。

 そう、これこそが。こんなものが、あるから。



「……」



 ならば、自分がこれを処分してしまえばレジスタンスは活動動機を失い、解散という条件が達成されるのではないか?

 このレシピを闇に葬ることができれば……。

 いや、本当にそれで、レジスタンスは引き下がってくれるのだろうか? そんなことで彼らの帝国への不信感が拭い去れるだろうか。なぜならこの設計書がいまだにどこかにコピーされているかも知れな……



「……」

「どうした、やはり惜しくなったか、この力が」

「いえ、いりません」



 絶大な力を惜しんで躊躇ったと思われたならば心外である。クリンは再び、きっぱりと拒絶の意を示した。



「だって、このファイルが本物かどうか誰にもわかりませんからね」


 

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