図書館
アパルが職務中だったためすぐに会うことは叶わず、この隙間時間を図書館で過ごすことにした。少しでもこの国の情報を仕入れておきたいと思ったのだ。
あらかじめ話を通されていたためか、厳重な警備が張り巡らされた皇宮の中でも、クリンが歩き回るのを見て咎める者は居なかった。うしろに控えているミランシャ皇女の存在も大きい。
さすが皇宮の図書館。渡り廊下の先にある三階建ての別棟そのものがひとつの図書館になっており、その蔵書量は言わずもがなである。皇族だけでなく宮仕えの者は誰もが利用できるようになっているらしい、室内にはちらほらと利用者の姿があった。
縦長のシンプルな窓から夕陽が差し込みオレンジ色に染まった室内を、ミサキの案内に従って進んでいく。皇族の存在に気づいた利用者がすれ違うたびに頭を下げてくるのが、なんだか居心地が悪い。
「こちらが過去10年ぶんの新聞です」
ミサキが案内してくれた棚には青いファイルがぎっしりと並んでいた。彼女いわく、それよりも昔のものは別のところに保管されており、司書に頼めば用意してくれるそうだ。だがレジスタンスの活動が始まったのは七年前である、ここに陳列された情報で足りるはずだ。
時系列で何が起こってきたのか知っておいて損はない。クリンは七年前のファイルにそっと手を伸ばした。
ひととおり目を通した頃にはすっかり陽は落ちきっていたのだが、夕飯に呼ばれるにはまだ早い時刻。こんなに早く読み終わってしまった原因はひとつである、驚くほどレジスタンスの情報が記されていなかったのだ。
貴族の汚職事件や、北方地域との関係改善、皇室の祝い事などの政治的ニュースに加え、流行や芸術などの文化的ニュースまでくまなく読みあさってみても、レジスタンスが起こした事件はひとつも見当たらない。
最近のテロ行為に至っては「放火」や「不審事件」としては記されていても、犯人不明のまま注意を呼び掛けるだけに留められている。
「情報統制されているようですね」
「一般市民はレジスタンスの存在そのものを知らない可能性があるのか」
「となると、レジスタンスが解散となっても社会的な大事にはならないようですね」
「僕としては有難いけどね」
襲われた貴族たちにとってはたまったものではないだろうが、こちらとしては世論に影響を及ぼさなくて済むならそのほうがいい。
「さて、どうします?」
「うーん。こうも手がかりが得られないとは思わなかった」
早くも行き詰まってしまい、クリンは立派な椅子の背もたれに背中を預ける。
積み上げられたファイルの下の方に自然と視線がいってしまい、さきほど目に止まった記事の内容が脳内で再生された。ミランシャ皇女の馬車襲撃事件だ。あれも犯人不明のまま、ネオジロンド教国の差し金ではないかという一文が添えられていた。
胸の奥がちくりと痛んで、クリンは目を閉じる。
感傷に浸っている場合ではない、今は、ひとつでもレジスタンスの情報を。
「城下で現地調査……って、許可がおりるかなぁ」
「おりるとは思いますが、何を調べるおつもりですか?」
「もちろん新聞だよ。これは情報統制された公式的な新聞だけど、平民街には非公式の新聞が配布されているかもしれない」
「なるほど……。それに文字に起こしていなくても、噂話としてなら何か知っている方がいるかも知れませんしね」
「うん。旅人を装って、街に潜り込んでみようか」
さっそく外出の許可を、と意見がまとまったところで、
「それならいい手がありますよ」
と、第三者の声を背後に聞いてクリンたちは身構える。その幼い声に聞き覚えがあると思いながら振り返れば、そこに居たのはチェルシア皇女。淡い桃色のドレスを着用した彼女は、雪合戦の時の防寒着とは当たり前だが雰囲気が違っており、あの時には感じられなかった皇女然とした佇まいがあった。
「さきほどは楽しかったですわね。ああ、楽にしてください」
クリンが慌てて立ち上がろうとするのを手で制し、チェルシア皇女はクリンとミサキの間に立って腰を落とした。離れたところで控えている護衛には聞こえない程度の声量で、彼女は続ける。
「外出許可がおりても、必ず監視の目がつくでしょう。クリン様はともかく、お姉様は平民街への潜入は難しいのではなくて?」
クリンとミサキは静かに顔を見合わせた。確かに彼女の言うとおりなのだが、それよりもこの小さな皇女がそこまでの考えに及ぶことにただ単純に驚く。
自分たちが何をしようとしているのか、何について調べようとしているのか、この子はきっと知らないはずだ。それでもすべての質問をすっ飛ばして協力の手を差しのべようとする、そんな彼女の意図はなんだろうか。
黙り込んでしまったクリンたちとは対照的に、彼女はにっこりと悪戯な笑みを浮かべる。
「わたくしお城を抜け出す天才ですの。明日、ご一緒にいかがです?」
「……」
予想外の提案に、当然ながら即答することができず、クリンはもう一度視線だけでミサキと会話する。
この子と一緒に城をおりる。果たしてこれは単なる厚意か、はたまた何かの罠か。この子に一体どんなメリットがあるのか、考えてみても答えなど見つかるはずもなく。
「チェルシア皇女殿下、僕たちを手引きしたと知られて、あなたの立場が悪くなったりしませんか?」
遠回しに「あなたにメリットはあるのか」と聞いてみる。幼いとは言え、彼女は皇族であり貴族の一員でもある。相手の言葉の裏を読み取ることができるのではないだろうか。
「わたくしの心配をしてくださるの? やはりクリン様はお優しい方ですわね。そしてとても賢い方。ご心配なさらずとも、これは双方にとって利益のある提案ですわ」
伝わったようだ。
そしてクリンは思い知った。彼女は九歳という年齢が他者から侮られるほどの「幼い月齢」であると自覚している。そしてその上で、それを武器に扱うほど力量のある子──いや、力量のある方なのだということを。
それはクリン自身がかねてから利用してきた手段だった。まだ子どもだと見くびられ、なめられて、見下されることに気を悪くしながらも、ならばと相手の油断を逆手に取ってやった。
彼女に感服しながらも、そんな彼女を侮っていた自分が恥ずかしくなってしまう。けっきょくは自分もかつて嫌悪感を抱いていた大人になってしまっているではないか。
「失礼をお詫びします、皇女殿下。是非……」
是非、ご同行を。と続けようとした矢先、図書館のドアが開く音がして、アパルが入ってきたのを目で捉える。仕事が落ち着いたのだろうか。
「では明日の午前十時、お二人でわたくしの部屋へいらしてください」
これ以上の会話は不可能と察したのだろう、チェルシア皇女は短い耳打ちだけを落とし、会話を終了させた。
アパルはすぐにこちらの存在に気づき、颯爽とこちらへ向かってきた。会話は聞かれていなかったようだ。
「チェルシア皇女殿下、ご一緒でしたか」
「お姉様たちにご本を読んでいただこうかと思いましたの。アパル殿もご一緒に?」
「いえ、申し訳ないのですがまだ職務中でして。それに、もうそろそろ夕食のお時間ではありませんか?」
「そうでしたわね、もうお腹がペコペコです。残念ですが、ここで失礼いたしますわ」
心底残念そうに、あどけない笑顔を浮かべるチェルシア皇女。クリンは思った。似ている。誰にって、隣で静観し続けている自分の恋人にだ。何がって、この腹黒い笑顔がだ。
チェルシア皇女は目配せをするでもなく、ごく自然な仕草で図書館を去っていった。アパルはすぐに本題へと移った。
「レジスタンスの情報だったな。ここの新聞にはろくな情報がなかっただろう」
「はい。やはり情報統制を?」
「そうだ。夕飯のあとに執務室に来るようにと皇帝陛下がおっしゃっている」
「え?」
「レジスタンスの情報は皇帝陛下の執務室に保管してある。陛下自らが御用意してくださるそうだ」
「……」
まさか皇帝自らが動いてくれると思わず、感謝よりも先にプレッシャーがくる。改めて、自分が越えようとしているのはとんでもなく大きな壁なのだと思い知ってしまう。しかし自分はもう登り始めてしまった。
クリンは素直に頷くのだった。