医療棟へ
クリンたちが訪れたのは、軍本部と皇宮の間に位置する医療棟である。皇宮医とは別に、皇室で働く侍従や騎士団のために用意された医療機関だ。
旅で見かけた各国の病院や実家の診療所とは一味違った設備に、クリンは不躾ながらキョロキョロと視線を張り巡らせてしまった。
アパルの病室まで歩く道のりをゆっくりと進めてくれたのは、ミサキなりの配慮なのだろう。
輸血の文化がないと聞いていたが、それでもさすが世界屈指の軍事国家、設備は想像よりも整っており、衛生面にも配慮が感じられた。
壁面に並ぶ大きな薬棚は、きっと母親のルッカならば目を輝かせることだろう。
「おお、クリン殿。世話になったな」
病室にいたアパルは、すでにベッドからおりて柔軟体操なんか始めていた。ここで着替えさせられたであろう清潔な院内服は、すでに汗で湿っているようだった。
「アパルさん。起きてて平気なんですか」
「なに、聖女どのが治してくれたおかげですっかり元通りだ。マリア殿……だったか。できれば直接彼女に礼が言いたいのだが」
病室に来たのが皇女のほかにクリンとジャックだけだったので、アパルは不思議に思ったようだ。
「マリアは疲れて眠っています。目を覚ましたら伝えておきますね」
「ああ……まあ、できれば自分で言いたいが、機会がなければ頼むよ」
アパルは心底残念そうな顔をしていたので、クリンは内心ホッとした。聖女への嫌悪感によって、マリアの厚意がないがしろにされてしまうのではないかと多少危惧していたからだ。
「その……クリン殿。いいだろうか」
横から入ってきたのは、アパルや父ハロルドと同世代の騎士だ。忘れるはずもない、彼は自分に向けて銃を撃ち放った男である。
彼の頬はひどく腫れ上がっているようだった。セナから受けた一撃が効いたらしい。マリアが例にもらさず治癒しようとしたのを、セナもミサキも許さなかった。
「動揺していたとは言え……大切なお客人にとんでもないことをしてしまった。本当に申し訳ない」
男は素直に頭を下げた。
父ほどの年齢の者に頭を下げられるのは非常に居心地が悪かったが、クリンはすぐに頭を上げろとは言えなかった。そしてアパルから催促する様子も見られなかった。
「……痛かったですよ、とても」
「すまない……」
あの時の感覚は、どれだけマリアの治癒が完璧だろうとも脳内にしっかりと刻まれている。焼けただれた肉の匂い、どくどくと体じゅうの血管が脈打つあの不快感、何より、どこにも逃がしようのない激痛。そのすべてをなかったことになんかしたくない。
つくづく、拳銃とは恐ろしいものだ。指一本で簡単に人の命を奪ってしまうのだから。それでも聖女の力と対等に戦うには、彼らにとって必要不可欠な武器なのだろう。
「たとえクリンさんが許しを与えても、わたくしが許すことはできません」
ミサキの冷たい声に、アパルと騎士は深々と頭を下げた。
「客人だから撃ってはいけなかった? 違うでしょう。クリンさんは、負傷したアパルを助けようと手を差しのべたのです。その善良な人間に、あなたは理由もなく銃を向けたのですよ。その浅慮さをまずは反省するべきです」
「……返す言葉もございません」
「あなたがたは聖女の存在を脅威のように語りますが、聖女たちはみな、その力を制御するよう教育されています。対してあなたがた帝国はどうです? 自国の利益のみを追求して武器を開発し、虐殺と略奪を繰り返す。わたくしからしてみれば、あなたがたのほうがよっぽど凶悪だわ」
ミサキの言葉に、アパルはパッとその顔を上げた。否定したい、だが立場上、押しとどめるしかないという心情が伝わってくる。
その表情には見覚えがあった。地下牢でも、アパルはミサキの言葉に同じような反応を返したのだ。
「アパル殿、反論したいことがあるようですね。どうぞ、おっしゃってください」
「……」
皇女から発言を許され、ずいぶんと迷った結果、アパルはおそるおそるだが口を開いた。
「発言をお許しいただき感謝します。この者がしでかしたことについては申し開きもございません。ですが……帝国の民として申し上げます。皇帝陛下は帝国主導のもと世界の成長を促すという崇高な理想をお持ちなのです。この国は内乱の続く北部を統制し、発展途上だったシグルスに多くの技術と知識を授けました。そこに略奪の意思はありません」
「その結果があの生物兵器でしょう。あんな危険なものを開発しておいて、いったいどんな成長があるとおっしゃるのかしら」
「……やはり皇女様は、誤解をしていらっしゃる」
「誤解?」
ミサキは眉をひそめ、アパルの言葉を反芻した。アパルは地下牢でも、ミサキが生物兵器の件を口にした時に「勘違いをしているのでは」と言っていた。
シグルスと手を取り合って、大勢の命を脅かす生物兵器を開発したジパール帝国。開発は極秘裏に行われたため表向きはシグルス単独の企みとされているが、関係者だった自分は帝国が一枚噛んでいるのを知っている。
帝国はその責を負うこともせず、各国からの批判をすべてシグルスに受け止めさせ、あまつさえ兵器のレシピだけは手中におさめようとしているのだ。
これがミサキの知っている帝国の姿だ。いったいどこに「勘違い」など生じているというのか。
「説明してください、アパル」
「はい。たしかにあの生物兵器はシグルスと共同開発というていにしておりましたが、あれはシグルスの謀略を未然に防ぐために帝国が先回りして、ああいう形を取ったまでにすぎません」
「謀略?」
「独立によって発展を遂げたシグルスは、工業国家としての世界的地位は確立しましたが政治力や軍事力にやや不安がありました。そこで計画されたのがあの生物兵器です」
培った技術力を駆使し、何者にも支配されない兵力を保持する。やや極端ではあるが、長らく植民地だったシグルスの立場を鑑みれば致し方ない結論だったとも言える。
しかしその脅威は間違いなくこの世界を揺るがすだろう。
帝国はシグルスに潜入している諜報員からいち早くその情報を聞き付けたが、まだできてもいないものを非難することもできず、しかしのんびりと傍観して完成を待つわけにもいかない。よってシグルスをコントロールすることで世界的危機を回避することを選んだのだ。
帝国からの共同開発という提案に、国家としてまだ歴史の浅いシグルスは反発よりも相互利用という賢い選択をとり、二国間は表向き協力関係者となったのだ。
「帝国が……積極的に兵器を開発させたのではなかったというのですか?」
「当然であります。我が国は軍事国家ではありますが、それもこれもすべて遠い昔に聖女たちに領土を奪われ、内乱の続く北の地へ追いやられたせいです。生き残るためにやむなく武器を手に取ったのみ。だからこそ不気味な聖女の力も、過度な凶器も許したりはしません」
「……」
ミサキは押し黙った。アパルの言葉が果たして真実であるのか、はかりかねているようだ。