聖女の名は
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ミサキは牢番のもとへ駆け寄り、牢の鍵を奪った。
「皇女様!」
「罰はわたくしが受けます」
慣れない手付きで錠を外せば、隔たりをなくした牢の中からセナとマリアが同時に飛び出してきた。
マリアはまっすぐにクリンのもとへ、セナはクリンを撃った騎士のもとへ向かい、力任せに拳をなぎ払った。受け身も取れなかった騎士は吹っ飛ばされて、そのまま気を失ってしまったようだ。
セナは倒した騎士から剣を奪うと、そのまま結界の外へ飛び出していった。
この場の拳銃はマリアによって、すべて破壊された。レジスタンスなどどうでもいいと言いたいところだが、たった一人でもいいから捕まえておくべきだと、セナは本能的に悟ったのだ。
地面を踏みきって高く跳躍し、天井からぶらさがるロープを裁ち切る。
「……このっ」
退路を断たれたレジスタンスは、三名。
そもそもコイツらが現れたせいで兄に飛び火がいったのだ。そう思ったら自然に体は動き、セナは真っ向から勝負を挑んだ。
「クリン!」
一方の結界の中。マリアがクリンのもとへ駆けつけると、クリンの脇にはすでにジャックが控えており、手の甲の止血を施していた。
「貫通している。すぐに治癒術をかければ元に戻るだろう」
「はい!」
すぐさまクリンに治癒を施せば、傷口は瞬く間に小さくなっていった。
痛みから解放されて、クリンはふっと体の力を抜いた。こわばらせていた筋肉が一気に緩んだせいか、とてつもない倦怠感だけがあとに残されている。汗でぐっしょりと濡れたシャツの感覚に、不快感でいっぱいだ。
「ありがとう、マリア……」
「ううん……」
礼を言って向き合えば、マリアもホッとしたのだろう、目には大量の涙がたまっていた。その横で、ジャックも安堵した様子だ。
しかしこちらを見下ろすミサキの表情は固かった。
「マリア……、厚かましいと思うでしょうが、お願いがあります」
「うん」
それがどんな願いなのかを、マリアはとっくに理解していた。
クリンとマリアは同時に動いた。クリンは太腿を負傷した騎士のもとへ、マリアはアパルのもとへ。太腿のかすり傷ならば致命傷は避けられるはずなので、ひとまず止血だけを施す。
急を要するのはアパルである。彼の意識はすでになく、腹部からは今もなお出血が確認できた。
ゆっくりとアパルの体を動かし、背中を確認するなりジャックは顔をしかめた。
「背中に弾痕がない。貫通はしていないようだ」
「……」
このままマリアの術で傷口を塞いでも、体内に弾は残り続けるだろう。またしても摘出処置を施さなければならないようだ。
シグルスで被弾したときの、セナのあの苦痛に満ちた悲鳴を思い出し、クリンは無意識に下唇を噛んだ。
しかしあの時とは違って、弾が潜んでいるのは腹部である。内臓の位置や構造を理解していたとしても、簡単に摘出できるとは思えない。下手をすれば内臓を傷つけて、大量出血によって死なせてしまうかもしれないのだ。
「……そうだ。マリア、手伝ってくれないかな」
「え、あたし?」
「物を動かす術って、できない?」
マリアは先ほど、ピンポイントで拳銃だけを破壊した。物質を破壊することができるならば、移動だって可能なのではないか。クリンはそう考えた。
「無理だよ。やったことないもん」
マリアが怯むのも当然だ。探るのは人体、土の中に埋まっている種を取り出すのとは、わけが違うのだ。ましてや相手は帝国の騎士団副団長、周囲からは警戒と敵意の入り交じった騎士たちの視線。少しでもミスなどしようものなら……想像しただけでも恐ろしくて、震えが起きる。
「マリア。少し浮かせてくれるだけでいいんだ。ピンセットの届く位置まできたら僕が絶対に受け止めるから」
「無理だって……!」
「このまま放置したって、アパルさんは死んじゃうんだよ」
「……っ」
マリアはまたしても泣きそうな顔をした。
ごめんな、マリア。
心の中で謝罪しつつ、クリンはそれでもマリアを逃がそうとはしなかった。
とてつもない理不尽であることは理解している。彼女が帝国から受けた処遇を考えれば、帝国の人間など助ける義理はないだろう。それでも目の前の命を見捨てるなど、クリンの矜持が許さない。
それにマリアは聖女だ。そうでなくても心の優しい彼女である、傷ついた人を放っておくことなどできるはずがないということは、わかっていた。
「やって……みるよ」
覚悟を決めたマリアの声は、やはり弱々しかった。
マリアもまた、昨夜アパルに渡されたスープの温かさを思い出していた。
「こっちは仕留めた。結界解いても大丈夫だぞ」
いつの間にレジスタンスの残党を片付けたのか、床に転がる残党を縛り付けるセナの横では、複数の騎士が捕縛の手伝いをしていた。
マリアは促されるまま結界を打ち消し、アパルの腹部に手のひらをかざした。全身の神経をそこに集中させて、さきほどバラバラにしたあの拳銃の感覚を思い出す。柔らかくて温かい、命を感じさせる臓物とは違う、無機質で冷たい異物がこの中に埋まっている。あの感覚だけを取り出せばいい。
「アパル殿」
「静かに。集中させてあげてください」
アパルと長い付き合いなのだろう、騎士たちは眉間に深い皺を作り、落ち着かない様子でこちらを見守っている。
穴の空いた天井からパラパラと破片が降ってくる。奇妙なほどに静まり返った空間に、遠くのほうから喧騒が聞こえてきた。銃声、怒声。逃げたレジスタンスは、上の階でも騒動を起こしているのかもしれない。
それでもこの場にいるすべての人間が、マリアにのみ視線を注いでいた。
アパルの腹部から白い光が生まれた。赤黒い液体に染まった皮膚。その奥深く、骨とは違う硬い異物を見つけ、マリアは自分の感覚を信じてそれを浮上させた。
ぽたりと、汗が頬を伝う。
焼け焦げた皮膚の中心から、赤い血液が浮かび上がる。いや、違う。血液にまみれた黒い塊、それは。
「掴まえた」
マリアがそれを認識するよりも早く、クリンの声がふってくる。クリンが器用に拾い上げたそれは、かつてセナの肩を襲ったものと同じサイズの鉛弾だった。
「もう大丈夫、このまま治癒術を」
「はい」
クリンの指示どおり素直に治癒術をかければ、柔らかい光がアパルを包んだ。臓器をむだに傷つけずに済んだおかげで、出血も思ったほど多くはない。アパルはすぐに目を覚ますだろう。
「がんばったな、マリア。ありがとう」
「……ふぅっ」
治癒が終わったとたん、一気に力が抜けて、マリアは後方によろめく。すぐさまセナが支えてくれたが、遅れてやってきた恐怖心のせいで全身が小刻みに震えた。
場の雰囲気が安堵に包まれる中、騎士たちはまずアパルの容態を確認し、今しがた起こった出来事を頭の中で整理する。若かりし頃からともに戦い抜いてきた同胞アパル。彼を救ったのは、敵国の憎むべき存在、聖女。しかしその聖女はどこにでもいるような風貌の、恐怖に打ち震えるただの少女のようだった。
「……礼を……言わねばなるまい」
「ああ」
騎士たちはそれぞれ床に片膝をつき、マリアへ向き合った。
「銃を向けた非礼、深くお詫び申し上げる」
「アパル殿を助けていただき、感謝する」
「え、えっと……あ、はい」
「名を……聞いてもいいだろうか」
騎士たちから注がれる視線は、多少の気まずさを含みつつも温かいものに変わっている。マリアは戸惑いながらも、聞かれたとおりに名を名乗った。
「マリア……、マリア・クラークスです」