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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第三十三話 囚われの
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地下牢


 地下牢に立ち入った瞬間、クリンは息を飲んだ。

 その冷たい空気にさらされて身震いしたわけでも、殺伐とした雰囲気に怯んだわけでもない。



「だから、『セナ様』やめろって、アパル」

「何を言う、リヴァル様のご子息を呼び捨てにはできん。敬語を廃しただけでも恐れ多いというのに」

「俺が偉いわけじゃねえんだから敬語なんかいらねえし」

「セナ様のそういうところ、レインそっくりだな」

「ああ、態度のでかいところもな」

「違いない」



 セナの声を中心に、騎士と思われる熟年の男性たちが廊下に腰を落ち着かせて笑っている。クリンが驚いた理由はこれである。

 五、いや六人。皆が皆、ここが地下牢であると忘れさせるほど朗らかな雰囲気を醸し出しているのだ。



「……何をなさっているのですか?」

「! ミランシャ皇女様!」



 ほのぼのとした空気は一転、騎士たちは疾風のごとく立ち上がり、胸の前に手を当てて皇族への礼をとっている。ミサキの声は決して非難じみたものではなかったが、彼らはサボっていると勘違いされたくないのか「非番でして」「休憩中であります」と口々に弁解を連ねている。

 その様子を横目に見やりながら、鉄格子の向こうに座り込んでいるセナとマリアの無事を確認する。マリアは毛布をぐるぐるに巻きつけ、湯気の立つマグカップを両手に包んでいる。顔色も悪くはなさそうだ。隣にいるセナもマグカップ片手に胡坐(あぐら)をかいてずいぶんとくつろいでいる様子である。



「……なぜ仲良くなってるんです?」

「こちらの騎士のみなさん、レインさんとは旧知の間柄なんだって」



 ミサキの困惑を交えた質問に、マリアはにこにことしながら答えた。

 なるほど。旧友の息子が地下牢にいると知り、一目会おうと訪ねてきたというわけか。貧民の出であるレインがここまで慕われているということから、彼の徳の高さがわかるというものだ。



「……して、皇女殿下はなぜこのような場所に?」

「大切な友人の様子を見にきたのですよ」



 騎士の一人がおそるおそる尋ね、ミサキは簡潔に返した。すると、先ほどセナにアパルと呼ばれた男がミサキの前に立ちはだかった。彼は昨夜、皇帝の脇を守っていた壮年の騎士である。



「皇女殿下、申し訳ありませんが皇帝陛下の許可なしに格子を開けるわけには……」

「わかっています」



 ミサキは彼をスルーし、格子の前で膝をつき、マリアに向かい合った。皇女が床に膝をつくだなんてと騎士たちは顔面蒼白であるが、ミサキは素知らぬ顔でマリアと会話を交わしている。格子越しに手を取り合えば、マグカップを包んでいたマリアの手はミサキのそれよりも温かかった。



「ごめんね、マリア」

「大丈夫。セナもいるし、アパルさんや騎士のみなさんも親切にしてくれているよ」



 マリアの言葉に後ろを振り向けば、男たちはバツの悪そうな顔で笑っている。マリアは敵国の聖女である。もっと冷遇されても仕方ない立場だが、そこはセナというクッションがあるせいだろうか、思ったよりも手厚い対応を施されているらしく、ミサキはホッと胸を撫で下ろした。



「アパル。マリアはわたくしの良き友人であり、命の恩人です。あなたの誠意ある対応、感謝します」

「きょ、恐縮です! で……ですが皇帝陛下には、なにとぞ……」

「今日は非番なのでしょう? お休み中の行動までは預かり知らぬところです」

「か、感謝いたします……」



 ミサキとアパルがそんなやり取りをしている(かたわ)らで、クリンとセナは微妙な空気感で対峙していた。

 昨日のことがあるせいで、少々気まずい。だが「ごめんと謝って仲直り」で済ませるのは、なんだか違うような。

 おもむろに腰を下ろし、クリンは格子の向かい側にいるセナと向き合った。頷くように軽い会釈をすれば、相手も同じ軽さで返してくれた。

 なんだこれ。脳内でそうツッコミを入れながら、クリンはリュックを床におろし、いつもの輸血用器具を取り出し始める。



「ご飯、食べたか?」

「ああ」

「水分はしっかり取ってる?」

「これ見えない?」



 セナはマグカップを顔の横まで持ち上げた。取ってる、と素直に言わないところが憎たらしい弟である。

 簡単な問診をしながら輸血を始めると、騎士たちは興味深々といった様子でそれを眺めている。自分の父親と同世代の男たちがまるでカブトムシを観察する少年のように目を輝かせているのを見て、クリンの顔には苦笑いしか出てこない。



「輸血がそんなに珍しいですか?」

「これが輸血、か。ラタン共和国のような医療が充実した国にはあると聞いたが、帝国では見たことがないな」

「そうなんですね……」



 意外だなぁとクリンは思った。軍事帝国だからこそ、輸血の需要は高そうなものなのに。

 というクリンの考えが伝わったのだろう、アパルは理由を説明してくれた。



「我が国はラタン医療使節団の訪問を受け入れないからな。何度か向こうから打診があったが、すべて跳ね返している」

「なぜですか?」

「ラタンは中立国を謳っているが、どの国とも交流があるからな。いや、ありすぎる。軍事国家として万が一を警戒しなければならないんだ」

「……」



 ラタンが軍事機密を盗むスパイだとでも?

 喉の奥まで出かかった言葉を、クリンはなんとか飲み込む。ラタンに限ってそんなことをするはずはない、と言ってやりたいが、統治者でもないアパルに言ったところでどうにかなるわけではない。

 しかしすんでのところで我慢したクリンの代わりに、ミサキはその表情にありありと失望を浮かべた。



「矛盾していますね。人を殺す兵器は他国と協力して作るというのに、人を生かす技術は学ぼうとしないだなんて」

「……」



 輸血を終え、器具の洗浄を始めながらクリンは押し黙る。ミサキを擁護する言葉も、たしなめる言葉も浮かばなかった。

 しかしミサキの皮肉を聞いたアパルは、不満や不快とは別の感情をあらわにした。



「ミランシャ皇女殿下……。昨夜も不思議に感じたのですが、いったい何をおっしゃっているのですか?」

「……え?」

「もしかして、何か……思い違いをなさっているのでは」



 どういうことです?

 というミサキの質問は、残念ながらアパルに投げかけられることはなく、静かな時間はここで終止符を打たれることとなった。


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