囚われた聖女と青き騎士
地下深くの石牢に陽の温もりは届かず、冷たい空気が充満していた。
長い石畳の廊下、二十個ほどありそうな格子状の牢が左右にずらりと並んでいる。地上へ続く階段の一番近い場所に、セナたちは入牢された。
一人分と思われる八畳ほどのスペースは四方を石の壁で囲い、当然だが窓はなく、隅に目隠しのない簡易トイレが置いてあるだけ。残念ながらベッドも寝具もないようだ。
「皇女様を保護してくれた恩義がある以上、乱暴をするつもりはない。大人しくしていてくれ」
ここまで連れてきたのは皇帝の護衛をしていた一人だった。何度もセナのことを凝視していた、あの壮年の男である。彼の態度に敵意は薄く、「寒いだろうから、今毛布を用意する」とまで言ってくれた。
しかしとてもじゃないが礼など言える気にはなれず、セナとマリアは黙ったまま冷たい石の床に腰をおろした。荷物の持参も許されずクリンたちに預けてしまったので、防寒具もなく、ただただ寒さに耐えるしかない。
けれど弱い姿を晒したくはなかったから、二人は背筋を伸ばして気丈に振る舞うことを選んだ。手足を拘束されなかっただけマシだろう。
すぐに格子の扉は閉められるかと思ったが、護衛の男は入り口で立ったままセナを見下ろしていた。
「……本当にレインの息子なのか」
男の表情から、その質問の意図は読み取れなかった。この男はレインと旧知の間柄なのだろうか。
隠す必要もないので、セナは簡潔に答えた。
「たぶん。生まれてすぐに生き別れたから、本当のところは知らないけど」
「……そうか。いや、おそらく事実なのだろうな。声まで似ている気がする……」
男は破顔し、別に聞いてもいないのに自身とレインについて語り始めた。
「レインは俺の親友だった」
レインは孤児だ。幼い頃から生き抜くために貧民街でその日暮らしの生活をしていた。そんなレインをリヴァルが見初めたのは、帝都近くの森。群れをなす野生の獣にリヴァルの乗った馬車が襲われかけたところを、レインがたまたま助けた時だ。
レインはそのまま皇宮に連れてこられ、彼を気に入ったリヴァルがほぼ強制的に騎士団へ加入させた。
男はそこで破天荒なレインと気が合い、良き友人となったそうだ。
「おまえはレインの忘れ形見なのか……。おまけに息子のほうも騎士ときたものだ。血は争えんな」
セナを見下ろす男の瞳に温もりを感じ取って、マリアは恐る恐る尋ねた。
「あのう……。レインさんってどんな方だったんですか? セナはご両親のことを何も知らないんです」
「いいよ、別に。知りたくねえし」
「えー、せっかくだから聞いておこうよ」
知ったところでどうにかなるわけでもなく、むしろ変な情を抱いてしまいたくない。セナは渋ったが、男にその考えは届かなかったらしい。
「レインは活発で豪快な人間だった。素行も悪くてな、しょっちゅう懲罰室に閉じ込められていたが、簡単に脱走するものだから皆、辟易したものだ。だが誰よりも強かった。そのせいか、リヴァリエ様の専属騎士に任命されても文句を言うヤツはいなかったな」
「セナはレインさんの血が濃いんだねぇ」
「……」
マリアが茶化してきたので、セナはマリアの頬をみにょーんとつまんだ。
「しかしそんなレインがリヴァリエ様にいいように振り回されているのはなかなかに愉快だったぞ。リヴァリエ様は幼い頃から何やら研究の真似事にご熱心でな、レインに動物の死体を集めさせたり、怪しい薬を作っては試飲させたりと、かなり無茶を強いていたようだ」
若き日の二人など知るはずもないのに、マリアはその様子が目に浮かぶようでクスリと笑った。隣のセナは色々と複雑な心境も手伝ってつまらなそうに聞いていたが、無理に話を打ち切るつもりはなさそうだ。
それからも次々と楽しいエピソードが男の口から語られた。
男はアパルと名乗った。皇室の近衛騎士でありながら騎士団の副団長を勤めており、長きにわたって皇帝の傍を守ってきたらしい。
ずいぶんと打ち解けてしまったあと、マリアが寒さに耐えきれずくしゃみをしたタイミングで、ようやく男は自身の仕事を思い出した。
「レインの息子だ、もてなすというわけにはいかないが、ひどいことにはさせない。しばらくの間、辛抱してほしい」
談笑に終止符を打ち、セナたちをしっかりと閉じ込めた彼は一度立ち去りはしたものの、けれどすぐに温かいスープと厚手の毛布を用意して戻ってきてくれた。
二人きりになった一室で、マリアは受け取ったスープにフーフーと息を吹きかけている。
「いい人だったね。帝国のイメージ、ちょっと変わったかも」
「油断すんなよ。聖女が嫌われてることに変わりないんだから。いざという時のために戦い方考えておこうぜ」
「うん。でも、少なくともセナだけは助けてもらえそうだし……あたしはホッとしたよ。レインさんがこの国の人で良かったね」
「……」
はーあ、と盛大なため息を吐きながら、セナはアパルから与えられた毛布を床に敷いた。
「セナ、あとでちゃんとクリンと仲直りしてね?」
「いーんだよ、あれくらい。もしもミサキだったら何がなんでも投獄なんかさせねえぞ、アイツ。人を選んでんだよ」
「あたしにはセナがいるから、大丈夫だってわかってるんだよ。信頼してくれてる証じゃん」
「……ほら、座れ」
敷いた毛布の上に座らせ、もう一枚の毛布をぐるぐるとマリアの体に巻き付けていく。
「セナが寒いんじゃない?」
「じゃあくっついていい?」
「そっ……それはダメ。キンチョーしちゃうもん」
「……」
ちっ。と、地下牢に小さな舌打ちが響いた。
どこまでものんきな二人である。
アパルからもらったコーンスープは甘く、温かかった。この程度ではこの肌を刺す冷気を完全に凌げはしなかったが、セナとマリアは不思議とこの寒い夜を耐え切れるような気がしていた。