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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第三十二話 ジパール帝国
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苦い時間


 クリンは下唇を噛んだ。

 どうする。この要求を飲んだら、マリアがどうなるかわかったものではない。自分が叶えたかったことは、友人を犠牲にしてまで成すべきことだろうか?

 ではここではね除けて、何も得られぬまま惨めに帰路につくのか。そこに自身が誇れる未来があるだろうか。いや……。それこそ、マリアたち聖女に未来はない。

 大丈夫、彼女を一人危険な場所に置くことを、自分以上に望まない男がいるのだから。

 

 いやな汗が背中に流れるのを感じながら、クリンは断腸の思いで決意する。数歩、足を進めて向かい合った相手はマリアではなく、セナだった。



「いくらでも殴ってくれてかまわない」



 今ので伝わったのだろう。セナの拳が動いたと思ったら次の瞬間には左頬に痛烈な一撃を食らって、体は大きくよろめいた。



「クリンさん!」

「セナ、やめて! あたし、大丈夫だから!」



 女性陣の悲鳴を聞きながら、クリンはセナと向き合う。どんな非難も覚悟したが、セナは恐ろしいほど真顔のままでクリンを見据えているだけ。

 けれどセナの瞳に宿された気持ちに気がついて、クリンはぐっと喉の奥が熱くなるのを感じた。うなずいたわけじゃない。だが、こちらの意図をしっかりと受け取ってくれたのが、たしかに伝わってきた。

 クリンは皇帝へと振り返った。



「弟は聖女の騎士です。離れるわけにはいきませんので、二人そろってという条件でしたら従います」

「……いいだろう」



 かくして聖女と騎士は城内のどこかに捕らえられることになってしまった。


 セナたちを置き去りに、退室を余儀なくされた廊下で。執務室の扉を閉めたとたん、クリンの膝はがくりと力を失ってしまった。



「……っ」



 ジャックが慌てて支えてくれたおかげでなんとか持ち堪えたが、笑っている膝が今にも崩れ落ちそうだ。

 張り詰めていた緊張の糸が切れ、遅れてやってきたのは恐怖心。

 シグルスで銃を向けられた時の恐怖心と比べても、プレッシャーや緊張感が混在し合った今のそれはまったく重みが違った。



「歩けますか、クリンさん」

「はは。君のお父さん……怖すぎでしょ」



 強がりを含めて茶化してみたけれど、こちらを覗き込むミサキの表情は曇ったままだった。



「僕は大丈夫だよ。とりあえず……戻ろうか」



 交渉は決裂し、あとに残されたのは敗北感と焦燥感である。いまだ扉を隔てた執務室には弟と友人が残されている。後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返りながら、クリンはその場をあとにするしかなかった。





 客室に戻ってきたクリンはソファに腰掛け、ミサキの手当てを受けながら、手にした黒いダガーに視線を落とした。拘束の際、当然ながら武器の所持を許されなかったセナがクリンに預けたものだ。

 あんな決断を下した非道な自分に大切なダガーを預けてくれた弟。そこに見え隠れする信頼が、今は重く、胸を痛めつける。



「弟くんの力ならば、あの程度ではすまなかった。加減をするほど余裕があったということだろう」

「ありがとうございます」



 だから気に病むなと言いたげなジャックのフォローに、クリンは苦笑する。気を遣ってくれる彼には悪いが、セナが本気で腹を立てているわけではないということは最初からわかっていた。


 あれはセナなりの激励だ。あの決断をするしかなかった自分を、おそらくここにいる仲間たちは責めたりなんかしないだろう。だからこそ、セナはあえて拳を振るってくれたのだ。クリンが自責の念にとらわれてしまわないように。

 まあ、それにしてはかなり重たい一撃だったが。



「ごめんなさい、クリンさん……。やはり、あの父には届きませんでした」



 頬と耳たぶの手当てを終えたミサキは、ソファの隣に腰かけたまま深くうなだれている。先ほどから何度も繰り返される彼女の謝罪はゆうに二桁を超えていた。

 父親に理解してもらえなかったどころか、仲間が自分の代わりに銃で撃たれ、親友までも捕らえられてしまったのだ。彼女の心労は計り知れない。



「まだ無理と決まったわけじゃないよ。さっさと追い出されるわけではなさそうだし、明日、また謁見を要求してみる」

「しかし根性論でどうにかなる相手ではないぞ」

「まあ、それはそうですが……」



 ジャックの言うことももっともだが、しかし決め手となるような切り札はもう持ち合わせていない。

 だが、クリンは不思議と絶望視はしていなかった。



「厳しい方だけど、感情の乏しい方ではなさそうですし……全力でぶつかってみます」



 夕食の時に見た豪快な笑顔が、クリンの脳裏に焼き付いて消えてくれない。一国の王として背負うものは重く、また価値観の違いはあるだろうが、決して言葉の届かない人ではなかった。

 しかしこの楽観的な意見は、ジャックの気分を害したようだ。



「どうだかな。娘を簡単に処分すると言えるような男のことなど俺には理解できんが。どちらにせよ急いだほうがいい。マリア殿の首があの広場に飾られる前にな」

「ジャックさん……!」



 ミサキの肩がびくりと震えたので、クリンはそれを支えつつジャックを非難した。



「手荒なことはしないと言ったのは皇帝だけだ。他の者がうっかり手を下したところで皇帝の懐が痛むことはないだろう。妹の首で証明済みだ」

「……」



 ジャックの声はしごく淡々としたものであったが、その瞳には深い暗闇が潜んでいる。皇帝の肩を持つような言葉なんて言えるはずもなく、クリンは反論を諦める。

 あの男が、毒で苦しむミサキを放置し聖女狩りを黙認した男と同一人物であることを、忘れたわけではない。


 思った以上に、この国の聖女への憎悪は根強かった。てっきりその原因はリヴァルのことだけかと思っていたが……。魔女狩りから身を守るために大きな結界を張った、かつての大聖女。そのせいで肥沃の大地を奪われた帝国の先祖たち。

 そんな歴史、どこの歴史書にも書いてなかった。大聖女の功績だけにスポットライトが当たって、そこを追われた人たちのことなどどこにも記されていない。しかし記されていないだけで、その事実はなかったわけではない(・・・・・・・・・・)のかもしれない。


 だが、今の帝国がやっていることは、かつての大聖女がやっていることと同じである。奪われて、奪い返すだけ。



「だからこそ……そんな悲劇を繰り返してほしくないんです。戦争を止めます、絶対に」



 しかし具体案もない薄っぺらな決意に、ミサキとジャックからの言葉はなかった。







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