世界防衛会議
司教は「ふむ」と思案げな表情を浮かべ、いくつか問題点を挙げた。
結界の強度にばらつきが生まれること、結界の中で術が使えなくなるということは治癒術も移動術も効果が出なくなること、そもそもすべての都市に配置できるほど結界術に長けた聖女がいないこと。
すべてが否定的な意見ではあったが、それでもこの司教が先程よりも真剣に熟考してくれたのがわかって、クリンは手応えを感じていた。
「では、主要都市にのみ結界を張って、残りの市町村には戦闘術に長けた聖女を配置するのはどうです?」
「……たびたびの否定意見で恐縮ですが、おそらく教皇ならびに我が国の領主から許可が下りないでしょうね」
「なぜです?」
理由を尋ねながら、クリンはひとつ、嫌な予感を覚えた。
「ご存知かと思いますが、我が国は長きに渡って北のジパール帝国と緊張状態にあります。十年前にサジラータ領、五年前にリアルテ領の侵攻を許しました。今もなお、国境付近では小競り合いが続いております。これ以上、聖女の戦力を削ぐわけにはいかないのです」
「……」
きた。予想通りの……だが本心では避けて通りたかった話題だ。
クリンがきゅっと下唇を結んだ時、席の端に腰掛けていたミサキが手を挙げた。
「よろしいでしょうか」
「……マリア・クラークスの付き人ですね。本日はずいぶんと麗しい姿でしたので、一瞬気づきませんでしたが」
ミサキの姿を見て、司教は目を細めた。ミサキはクリンの両親が用意してくれたパステルブルーのロングドレスを着用していた。フリルや装飾の少ないシンプルなドレスではあったが、彼女の内面から溢れる品格の高さから、どこかの令嬢であるということは一目瞭然だろう。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくしはジパール帝国第一皇女、ミランシャ・アルマ・ヴァイナーです。個人的事由により立場を忍んでのご訪問となりましたことをお詫びいたします」
「…………。偽物ですか?」
「ふ、いいえ。信じていただけないようでしたら、この首をどうぞ帝国側へ差し出してください。それでおわかりいただけるかと」
「……。クリン・ランジェストン殿」
「はい?」
「とんでもない隠し玉をご用意していたようですね。度肝をぶち抜かれました」
「……でしょうね」
やはり五年前、教会側は彼女が皇女であると知らずに保護していたらしい。人質等に利用するために保護していたのではないかと危惧したこともあったが、それならばマリアと巡礼に出るはずがないという結論に至った。
プレミネンス教会にとっても、ジパール帝国にとっても、この皇女は切り札にもなれば爆弾にもなりうる存在なのである。
「それで、ミランシャ・アルマ・ヴァイナー皇女。あなたは……たしか教会の孤児院で暮らしていた娘ではありませんでしたか。正直に申し上げてまったく眼中になかったので詳細は存じませんが」
「はい。五年前に馬車での走行中、帝国のレジスタンスに襲われまして、記憶を失って徘徊していたところをプレミネンス領の一般の方に保護していただきました。ドレスはその方が売ってしまったのでしょう、わたくしの身分に気づくかたはいらっしゃらなかったようです」
「…………すべてこちらに潜入するための自作自演だったのでは?」
「どうとらえていただいても結構です」
ミサキは綺麗な微笑みを作った。嘘は言っていない。
一方の司教はその笑みをすっと打ち消して、瞳の温度をなくした。
「聖女撲滅運動の第一人者であるあなたのおかげで、こちらはずいぶんと痛手を負いました。そんなあなたがわざわざ敵国のこちらへ侵入してきて、無事に済むとお思いですか」
まるで電気が走ったかのように、この空間にピリピリとした緊張感が生まれた。司教のうしろで控えている女性陣からも氷のような視線が注がれている。
ジャックには皇女付きの護衛騎士というポーズで、あくまで保険のつもりでついてきてもらったが、連れてきて正解だったかもしれない。
これこそがクリンの恐れていたことだった。ここは帝国の皇女にとって敵の本陣である。いくら他国の代表者が集った会議だとしても、ミサキの命の保障はどこにもないのだ。
ミサキはゆっくりと頭を下げた。
「……その件については、申し開きもございません。ですが、記憶をなくしたことで、わたくしは生まれ変わりました。平和を愛し、争いごとをなくしたいと考えております。ですから、こうして世界の防衛会議に身分を偽らずに参加させていただいたのです」
「戯言を。今さら平和を口にしたところで、あなたのせいで死んだ命は帰ってはきません」
「あら。あなたがおっしゃるのですね、それを」
「……」
同胞を手にかけたあなたが、と。ミサキの目は語っていた。視線を射抜き合って、数秒。司教は場の緊張感をそのままに、続きを促した。
「では、あなたのお話をおうかがいしましょうか、皇女様」
「はい。提案があるのです、大司教様。どうぞ帝国へ向けてこうおっしゃってください、『ミランシャ皇女をこちらで保護しております』と」
「…………」
「わたくし自身の価値が疑わしければ、もうひとつ情報を加えてください。『ならびに皇女は、リヴァリエ・ユマ・ヴァイナー皇女の行方を知っている』と。帝国は必ず停戦交渉のテーブルにつくはずです」
「……なるほど、あなたがミランシャ皇女というのは本当のようですね」
親友と言っていただけあり、司教もリヴァルの出自を知っていたようだ。
「ですが……正気ですか? みずから捕虜に名乗りをあげるなど」
「もちろん、大人しく拘束されるつもりはございません。わたくしはマリア・クラークスとともに行動いたします。彼女はあなたがたの配下です。なんら問題はないのでは? もちろん帝国との交渉の際は参席いたしましょう」
そこからしばらくの間、沈黙が訪れた。目を伏せて思考を巡らせている司教を、一同は固唾を飲んで見守っている。