深夜の女子会
マリアが部屋に戻ったら、すでにミサキとディクスが折り畳み式ベッドに横になっていた。
ランジェストン家に留まると決まったあの日、床で寝るからかまわないで欲しいと遠慮した自分たちに夫婦はわざわざ診療所から余っている簡易ベッドを持ってきてくれた。他にも日用品をそろえてくれたり衣類を新調してくれたりと、至れり尽くせりで本当に頭が上がらない。
「おかえりなさい」
「ただいま。ミサキ、早かったんだね」
「うん」
ミサキとクリンが毎晩夜のお散歩に出かけているのは、マリアももちろん知っていた。「時々ものすごーく帰りが遅いのはなんでなの」と聞いてやりたい時もあるが、我慢している。
しかし今夜のミサキの表情は暗かった。
「クリン、怒ってた?」
「……まあ、しかたないわよね」
「危ないことをするわけじゃないのにね。心配性だからなぁ」
「大丈夫、一応仲直りはしたわ。マリアたちは? 巡礼の話、うまくいかなかったの?」
巡礼を再開させるつもりだということは、ミサキだけに話しておいた。ミサキからは思いっきり反対されたが、もう決意は固まっていたから、こちらの意見を押し通している。
マリアはちらりとディクスのほうをうかがいながら、首を横に振って否定した。ディクスは睡眠をとらないが、一応ベッドに横になっている。おそらく話は聞こえているはずだ。
「ううん。ちゃんと話せたし、わかってくれたよ」
「そう。じゃあ……何かあったの?」
「なんにもないよ?」
マリアは笑顔で答えながら、寝間着に着替えた。お風呂は散歩の前にすでに済ませている。
そう、なんにもなかった。こちらが怒っていることにも謝罪はしてもらえたし、巡礼の話も思ったよりあっさり受け入れてもらえたし。本当に良かった。今日の星空観賞会に問題点はひとつもない。
だが、なんだろう。このモヤッとする感じは。
胸にはびこって消えてくれない、たった三文字のあの言葉は。
「マリア」
着替えたままボーッと突っ立っているマリアへ、ミサキがハンカチを差し出してきた。どうやら涙が出ていたらしい。素直に受け取って顔に押しつけたら、急激に悲しい気持ちがやってきた。
ミサキに肩を支えられてベッドに腰かけると、ディクスも横にやってきてくれた。
セナは「忘れろ」と言ったのだから、なんにもなかったことにするのが正解だ。そのほうが自分にだって都合がいいはずだ。
だけど、そんな簡単に割りきれるわけがないではないか。
だってあれは、生まれて初めてもらった異性からの告白だ。嬉しかったに決まっている。ずっと奴隷の子だとバカにされて、聖女だと敬遠されてきた自分のことを、一人の女の子として好意を抱いてくれた人がいる。「なんで?」「いつから?」「どんなふうに好き?」本当は聞いてみたかった。
それなのにその言葉を噛み締めることも気持ちを打ち返すことも許されず、「二度とこの話題はしない」と強制終了。
そのせいで、事故のように落とされた三文字の言葉だけが消化不良を訴えている。こんなの、あんまりだ。
「セナさんに……何かひどいことでも言われた?」
「……」
ミサキの問いかけに、ふるふると首を振る。こんな話を人にペラペラ喋るのは無神経だと思った。
「じゃあついに好きだって言われちゃったの?」
「……っ」
バッと顔を上げたあと、「しまった」と思った。これでは正解ですと言っているようなものだ。本当に鋭いのだ、この親友は。
ミサキはまったく驚くそぶりを見せず、「ふむ」と人差し指を顎にあてた。
「マリアが泣いているのは、断ってしまった罪悪感からかしら?」
「……」
「違うのね。あー、もしかして言い逃げされちゃったのかしら。返事はいらないよって」
「…………」
「正解ね。セナさんらしいと言えばセナさんらしいわ。きっとうっかり言っちゃったのね」
ミサキの勘の良さが時々怖い、とマリアは思った。イエスともノーとも言っていないのに、こちらの表情だけで全部わかってしまうのだ。
これ以上探られるのはいたたまれない。マリアは再び顔をハンカチに伏せて、ミサキの視線から隠した。
「マリアはなかったことに、したくないのね? だから悲しくて泣いてしまったのでしょう?」
「……」
「いいんじゃないかしら、なかったことにしなくても。もう言葉や態度に表してしまった以上は、それを消すなんて無理だもの。ありがたく受け取って、真剣に答えを探してみたらいいんじゃない?」
「答えってなに……?」
うっかり反応を示してしまったら、まるでお母さんのような温かい眼差しが目の前にあった。
「それはもちろん、マリアの気持ちよ」
「……。無理だよ、だってあたし聖女だもん。恋愛なんて……任務の邪魔だもん」
「…………」
「だからこれでよかったの。ただちょっと事故みたいな感じだったから、オトメ的に傷ついたってだけ。うん、それだけだし」
けっきょく全部話してしまったけれど、結果はもう出ているのだから、これ以上悩むようなことなど何もない。うんうん、と首を縦に振りまくって納得している自分に、ミサキは「それって」と、再び質問を投げてきた。
「つまり、聖女じゃなかったら答えは違ってたってこと?」
「…………」
ぽかんと口を開けた自分と、きょとんとするミサキの視線が交差する。話を理解しているのかいないのか、ディクスはあいもかわらず無表情のまま二人を見比べていた。
で、けっきょくどっちだよ?みたいな……。
次話は久しぶりにあの人が登場します。