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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第二十一話 妨害された再出発
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二人の結末は


 その公園は長い坂をのぼった高台にあり、展望台からはプレミネンス領を遠くまで一望できた。

 青紫とオレンジのグラデーションがかかった空に鳥の群れが飛んでいる。秋のひんやりとした風がミサキの金の髪を揺らした。



「ここもよくマリアと来たんですよ。修行の息抜きをさせてあげたくて」

「そっか」



 土には雑草が生い茂り、手すりは老朽化して、ずいぶんとさびれた印象を受ける。こんな古びた展望台に、人気(ひとけ)はない。

 二人はここでどんな会話をしたのだろう。失敗をして落ち込むマリアをミサキがなぐさめている姿や、マリアが冗談を言ってミサキを笑わせている姿が想像できて、あたたかい気持ちになる。



「マリアと出会ってからの五年間は、わたくしにとって何よりの幸福でした。記憶が戻った今でもそれは変わりありません」

「……それは僕じゃなくてマリアに言ってあげたら?」

「もう言いました、あなたがわたくしのドレスにいちゃもんをつけた日の夜に」

「……」



 あ、そう。とだけ返したクリンを見て、ミサキはクスクスと笑っている。その耳もとでは水色のイヤリングがきらきらと光を放ちながら揺れていた。



「クリンさんとセナさんと出会ってから、もうすぐ四ヶ月になるんですね」

「そうだな」

「たった……それだけなのに、ずいぶんと濃い時間を過ごしたように思えます」

「……うん」



 本題に入った。クリンはミサキの言葉を隣で聞きながら、そう感じた。



「あなたは出会ったときから賢くて、頼りになる人だと思っていました」

「……」

「どんな時でも、あなたは武器を持たずに戦ってきましたね。自分の信念をしっかりと貫いてきました。その強さがかっこいいなあと思いましたし、憧れました。ですが……しだいに尊敬とは違った形の気持ちが、どんどん大きくなっていきました。その気持ちがなんという名前か、あなたはもうご存知ですよね?」

「……うん」



 誤魔化すのは失礼だと思って、展望台の柵に手を添えながら隣へと向き直り、はっきりとうなずいた。

 彼女もまっすぐにこちらを見ていた。



「記憶が戻った今でも、この気持ちはまったく揺らいでおりません。いいえ、むしろ……あの一件があって、さらに大きくなったと感じます。わたくしが今こうして笑っていられるのは、あの時あなたが止めてくれたからです。あなたのおかげで苦しくても生きていける。でも、それだけじゃいやなんです。この気持ちを感謝だけで終わらせたくなんてありません。あなたに受け取ってもらいたい気持ちがあります」

「……」

「クリンさん。それでもわたくしはフラれてしまうのでしょうか?」

「…………」



 答え(・・)を求められて、会話のラリーは自分が投げる番に代わった。

 早鐘のように鳴り響く心臓の音を聞きながら、あらかじめ用意していた綺麗な言葉ではなく、今のありのままの想いを言葉に乗せようと決意する。



「ミサキと初めて会ったとき、なんて綺麗に笑う子なんだろうと思って、衝撃を受けたのを覚えてるよ。初めは村にはいないタイプの子だから新鮮なだけかと思ってたけど……これだけ一緒にいるのに、今でもやっぱり目を奪われる」

「……」

「でも意外と中身は腹黒かったなぁ。したたかでズル賢くて。ずいぶんと振り回されたような気がするよ」



 ここで落とされるとは思ってなかったのだろう、ミサキはそのひどい言いぐさに苦笑いを浮かべた。



「マリアと自分を守るために必死だったんだよね。健気だなあ、かわいいなあって思った。弱さと強さの振り幅が大きくて次にどんな顔をするのかまったく読めなくて、おもしろい子だなとも思った。宿で二人だけで話す時間も……僕にとっては数少ない癒しだったよ」

「……」



 落としたあとはきちんとすくい上げてあげて、とりあえず散々からかわれたことへの仕返しはできたと思う。

 だが次の言葉は、また彼女を落胆させてしまうかもしれない。



「記憶がないと聞いた時から、君が良家のお嬢様なんじゃないかなとは思ってたんだ。まさか帝国のお姫様だとは思わなかったけど。君が遠い存在だとは、ずっと思ってた。だからどうしても踏み出せなかった」

「……はい」

「ミランシャ・アルマ・ヴァイナー皇女」

「はい」

「僕は君の世界には行けません」

「……」

「僕は医者になる。医学校を出たらラタンで修行して、そのあとは父が作った使節団にも加わって、各地の医療に携わりたい。そして、いつかは父の診療所を継ぎたいと思ってる。そこにお姫様はいらない」

「……」



 ミサキはその表情に失意の色を浮かべた。

 自分でもひどいことを言っているのはわかっている。だが、彼女が尊敬していると言ってくれたように自分には確固たる信念があり、未来の明確なビジョンがある。そこに残念ながらミランシャ皇女は存在していないのだ。



「僕の用意していた答えは『ごめんなさい』だ」

「……」



 彼女はそこで初めて目をそらした。泣いてしまうかもしれない。だから、その前に彼女の手を取った。



「だからその名前を捨ててください」

「……!」

「ミサキ・ホワイシアとして、……ただのひとりの女の子として生きてほしい。それを約束してくれないか」

「…………」



 彼女はどのみちもう帝国には戻れないだろう。だけど自分の意思で過去を捨て去り、新たな道を歩むことを望んでほしかった。その決意の言葉を聞きたいと思った。そしてもしも、もしもその言葉が聞けたなら……もう迷うことはない。



「ミサキが好きだ。ずるいところも弱いところも全部ひっくるめて大好きだ」

「クリンさん……」

「ミランシャ皇女としての苦しかった記憶は簡単には消えないかもしれない。でも、僕がずっとそばで支えるから。一緒に生きよう」

「……っ」



 じんわりとにじみ始めた涙がみるみるうちに彼女の目からあふれてきて、頬を通過する。


 これは身勝手で傲慢な願いだ。彼女のもとへ這い上がるのではなく、こちらに引きずりおろそうという最低な願いだ。



「答えを聞かせてもらえますか? ミランシャ皇女」



 答えを求めてその名を呼べば、ミサキはクスッと笑った。

 


「誰ですか、それ? そんな人は知りません」



 また一粒涙がこぼれて、夕焼けに照らされてオレンジに光った。

 ゆるゆると彼女の腕がのびてきたので、素直にそれを受け入れる。彼女の背中に腕をまわして、すっぽりとその体温を閉じ込めた。



「私はミサキ・ホワイシアです。これからもその名前で生き続けます」



 こちらの肩におでこをあずけ、彼女は一言「約束します」と言った。耳もとでダイレクトに響いたその声に、ぞくりと胸が震えた。抱きしめる腕に力をこめれば彼女もギュッと返してくれて、愛しさが胸の奥から泉のようにあふれてくる。



「ありがとう」



 気恥ずかしさや充足感でいっぱいだ。



「……ていうか、ちょっと待って。けっきょく『好き』って言ったの僕だけじゃないか。なんか僕から告白したみたいになってない?」

「ふふっ。ごちそうさまです」

「ずるいなぁー、絶対計画的だろ。いつから考えてたの?」

「だってクリンさんは、いくらお礼とは言え、振ってしまう相手にアクセサリーを贈るような軽薄な人ではありませんものね。あ、これはいけるかなーと」

「うわ。あそこでもう見極められてたのか。ほんと、腹黒いんだから……」

「あら、私のこと嫌いになりました?」

「…………。何回言わせんの」

「ふふふ、何回でも!」



 満面の笑みで見上げてくる彼女の眩しさに、クリンはたまらずため息をつく。

 お手上げだ、きっと一生この子にはかなわない。だが、こんなふうに翻弄されるのは思いのほか悪くはないなと思う。それでもやられっぱなしは悔しいし、勇気を出したご褒美くらいはもらっておこう。



「ミサキ」

「はい」



 少しだけ体を離して、彼女がこちらを見上げたタイミングで唇を落とした。



「……」



 少し触れただけ。だけど、それは甘い痺れを連れてきて身体中をかけめぐる。

 彼女は大きな瞳をまんまるく見開いていた。嫌がったりするそぶりが見られなかったのでホッとしていると、まるでそれを見透かしたかのように彼女はすぐににっこりと微笑んで、



「足りません」



 と言った。

 ……本当に。惨敗である。

 それでもこの幸福な時間が愛しくてたまらないのだからどうしようもない。そんな圧倒的な敗北感を感じながらも、クリンはお姫様のわがままに素直に従うのだった。




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