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少年たちは、それを探して旅に出る。  作者: イヴの樹
第十六話 セナのいない旅
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五日目の夜


 ミサキが高熱を出したのは、その日の夜だった。

 いつもどおり三人が外で夕食をとっていたところ、ミサキが吐き出してしまった。熱がかなり高く、意識はあるが苦しそうである。

 異変を感じ取ったジャックが仕方がないといった表情で客車を譲ると言ってくれたので、クリンは遠慮なく甘えることにした。


 客車は四人乗りのため、二人席に寝てもらうことなった。寝るには狭いが、外よりはまだマシだろう。

 その向かい側の席に座って、マリアとクリンはミサキの看病をしていた。怪我での熱とは違って、風邪などの体調不良はマリアの治癒術は効かないようだ。



「クリンさん、ごめんなさい……」

「ん?」

「ハンカチを汚してしまいました」



 ミサキの手には、クリンが貸したハンカチが握られていた。嘔吐したあと、口をゆすいだ時に清潔なハンカチを貸して、そのままだったものだ。



「ああ、別にいいよ、洗えば落ちるから」

「汚いので……。今度、ちゃんと新しいのをお返ししますね」

「気にしないって。早く良くなってくれればなんでもいいよ」

「あ、あの。忘れてくださいね」

「え?」

「私は何も吐いてません……」



 ハンカチで顔を隠したミサキを見て、クリンとマリアは同時に吹き出した。だが、恥じらう乙女をからかうのは可哀想なので、二人はわかったわかったと首を振る。

 しかしこの高熱は、少し心配である。手持ちの内服薬で解熱はできると思うが、体力的なことや衛生面を考えて、できることならしっかりとした宿で休んでもらいたい。



「そうだ。マリア、場所移動って二人でもできるんだよな? シグルス以外の安全な場所で一晩過ごすことってできないのかな」

「名案だね。アルバ諸島なら時差も少ないし、いいんじゃない?」

「そもそも、初めから毎晩そうしておけばよかったよな。なんで考えつかなかったんだろう」



 そうしておけば、夜くらいは安心して眠らせてあげられたのにと、クリンが自身のひらめきの悪さに不甲斐なさを感じていると、ミサキが首を横に振った。



「いいえ。私はここで大丈夫です」

「え、でも……」

「ジャックさんから、逃げるような真似をしたくないんです」

「……」



 クリンとマリアは顔を見合わせた。

 今まで、彼女を心配して何度かジャックのことを尋ねたことがあったが、ミサキはいつも「大丈夫」との一点張りだった。彼女がそれ以上を語らなかったため、ジャックについてどう思っているのかは誰も知らない。

 だが、四六時中命を狙って自分を見張ってくる男とともに過ごすなんて、心中穏やかでいられるはずもない。彼女の心には大きな負荷がかかっているはずだ。



「私が本当に彼の言うような、冷酷な人間なのだとしたら……この命を刈り取られても仕方がないのかなって思うんです」

「ミサキ」



 クリンはたしなめる。前日にジャックへ言った言葉を聞いてくれていたはずなのに、そんなふうに命を差し出すような言葉を口にしないでほしかった。



「でもせめて巡礼が終わってからがいいんです……。マリアが成し遂げるのを最後まで見守ってあげたい。だからそれまで……私はジャックさんから逃げも隠れもしたくないんです」

「……」



 マリアがミサキの手をぎゅっと握った。その顔は怒っているのと悲しいのとが混ざり合ってくしゃくしゃだった。



「そんな……巡礼が終わったら死んでもいいみたいに言わないで。あたしだって、ミサキが苦しい時やつらい時は一緒にいたいんだよ。これからだってずっと一緒だよ。そうでしょう?」



 ミサキは静かに、悲しそうに笑うだけ。

 そういえば、と、マリアはセナの言葉を思い出した。



「セナがね、言ってたよ。巡礼が終わったら、フェリオス村に住めばいいじゃんって。教会くらい建ててやるから、ミサキと二人で暮せばって。そんな未来があるなんて想像もしてなかったよ。ね、それって素敵じゃない? ずーっと一緒に暮らせるよ。そうしようよ」



 マリアの言葉を聞きながら、クリンはセナがそんなふうに言うなんて、少し意外だなぁと思った。同時に「やるじゃん」とも。

 しかし、ミサキはゆっくりと首を振った。



「それは、無理よ」

「……なんで?」

「私はちゃんと記憶と向き合わなくちゃ。償うべき罪があるのかもしれないし」



 ミサキはそのまま目を閉じて、マリアを視界から遮断した。



「そんなの、まだわからないじゃん。希望を捨てちゃだめだよ」

「……。ごめんね、あなたを巻き込みたくない」

「ミサキ」

「この話は終わりにしましょう」

「っ……」



 それがはっきりとした拒絶だとわかって、マリアは失望を覚える。だから唇を尖らせて、思い切り立ち上がった。当然、低い客車なので頭をぶつけて「痛った」とうめき声をあげることになるのだが、それもおかまいなしに、客車をおりていった。去り際に「もう怒った!」と、しっかり宣言をして。


 そこに残されたのは、クリンとミサキの二人きり。マリアがジャックのほうへ行ったのを窓から見送りながら、クリンは苦笑した。



「今のは、マリアでも怒ると思うけど?」



 だがミサキは穏やかに、微笑むだけ。

 彼女の笑顔はいつものように綺麗で美しかった。だけど、そこに悲しみと諦めが同居しているような気がして、胸が痛んだ。と同時に、ひとつの予感がふってきて、不安が襲う。



「……ミサキ、もしかして、記憶が……」



 おそるおそる尋ねれば、ミサキは目を閉じて、首を傾げる。



「今は、まだ。……でも」



 もう少し。

 彼女の唇からそう告げられて、クリンは押し黙る。目を閉じた彼女は、もうこれ以上何も視界に入れたくないのだと言っているようだった。

 北シグルスに入って、彼女はたしかに口数が減ったと思っていた。それはジャックが同行しているせいだと考えていたのだが、彼女は旅の最中(さなか)、ところどころで記憶のかけらを拾っていたのではないだろうか。



「……」



 ミサキは自分の顔にハンカチを押し当てた。その奥から彼女のか細げな泣き声が聞こえてくる。


 

「クリンさん……」

「ん?」

「私……本当にジャックさんの言うような残酷な人間なんでしょうか……」

「まだ、そうとは決まってないよ」

「……怖い」

「うん」

「思い出したくない」

「……うん」



 彼女の心はもうとっくに悲鳴をあげて、壊れかけている。

 その姿が痛々しくて、悲しくて、何かすくいあげるような言葉をかけてやりたいと思うのに言葉が出ない。


 そばにいる。

 そのたった一言ですら、どうしても言えなかった。セナやマリアになら言えるのに。





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